第16話 弟に知らしめてやった。

 結局、弟はビールを一缶開けただけでおしまいにしていた。寺田さんはその後も冷酒をやりはじめていた。


 「あの、つかぬ事をお尋ねしますが。」

 「はい。」

 「うちの姉とはどうやって知り合いになられたのでしょうか? いや、ネット上の友人だったとはお聞きしておりますが。」

 「そうですね。」


 寺田さんは目を閉じて、江戸切子のグラスの中身を空けた。

 わたしはキッチンで見つけた寺田さんのグラスと揃いの酒器を出して、それに半分ぐらい注いでテーブルの上の酒ビンをしまうことにした。


 「あっ!? 」

 「今朝も言ったよな。」

 「……はい。ちろりなんてどこにありましたか? 」

 「ちろりっていうんだ、このガラスのヤカンみたいなやつ。キッチンの戸棚の奥に入っていたぞ。これからはこれで出すからな。」


 恐ろしいものを見るような目で弟がわたしを見つめていた。仕方がなく、わたしは弟に説明した。


 「寺田さんは食に興味がないんだ。酒とスーパーの惣菜で生きてきたような男な。だから、今朝、医食同源だって話してやった。」

 「姉ちゃんはつええな。」

 「当たり前だ。部屋を使わせてもらっている代わりに食事の世話はボクがすることになっている。ボクの作ったもん食ってて、体調を崩されては困るからな。」

 「んっ、んんっ。ええときっかけでしたね。」


 寺田さんは咳払いをして露骨に話を元に戻した。


 「弟さんは弊社をご存知のようですが、まあ、ある程度落ちついた年齢になるまではとても遊ぶ余裕などないような仕事量でした。で、気がつくと友人関係がまっさらになっていましてね。」 


 乾いた笑いに遠い目をした寺田さんに弟は少し引いていた。


 「知ってましたか? 男友達など、結婚してしまえばそちらが優先されてしまうんですよ。嫁と子供には逆らえないんだそうです。わたしはというと仕事三昧で嫁どころかプライベートなんかない生活でしたよ。」


 寺田さんは無表情に乾いた笑いをあげた。


 「まあ、そんな社畜あるあるで少し世間を広げようとSNSをはじめてみまして、そこで吉屋さんとは文章をやりとりする仲になっていたということです。」

 「はしょりすぎだろう。でもボクもどうして寺田さんと繋がったのか、もう覚えていないな。」 

 「そんな感じですよね。」

 「姉ちゃんのことは全然気がついていなかったって本当ですか? 」

 「えっと、それは女性であるということでしょうか? 」

 「ええ。」


 弟がわたしのとなりに並んでいる寺田さんの目を見つめていた。

 寺田さんも弟を見つめ返して、やや無言ののち、ふっと自嘲気味に笑った。


 「気がついていたら、こんな厄介なことにはなっていなかったでしょうね。」

 「おいこら。待てや。リスクを抱えたのはお互い様じゃい! 」

 「まあ、日々楽しく暮らさせていただいていますけどね。」


 落として持ち上げるとはこのことか。

 それとも皮肉か? そっちだな。


 「もちろんごはんもおいしいです。これだけでも私としては十二分に価値がありました。」

 「だろ。結果オーライのwin-winだな。」

 

 またもや弟は恐ろしいものを見るような目でわたしを見つめた。

 不思議に思って寺田さんを見るもいつもと変わらない表情で見返してきた。


 「だな。」

 「ええ、そうですね。」

 「言わせとる。こんだけお世話になっとる旦那はんに上から目線や。」

 「出たな、エセ関西弁。あと旦那ってなんだ? お前、弟だからって言っていいことと悪いことがあるぞ。」

 「あれでしょう。弟さんが言いたいのは、なんというか、援助してくれるとか、パトロンになってくれる方の意味合いでしょう。違いますか?」

 

 弟は寺田さんに何度も頷くが、わたしは弟の安いネクタイを掴もうとして手を伸ばした。


 「なんじゃい? それじゃあ何か、わたしがなんとか活動とか、援助なんとかしているびっちみたいじゃないかい!?」

 「ときおり、吉屋さんはボクがわたしになりますね。」

 「はぁ?」

 「ああ、姉はもともとわたしなんですわ。その、自分のことを公言するようになってから、ボクとか男言葉を言いはじめた感じやな。」


 勢いを潰されたわたしは憮然として椅子に座り直した。


 「そうなんですね。勉強になります。」

 「なんの勉強じゃい。」

 



 二十一時になり、弟は帰った。

 寺田さんは手落ち無沙汰の様子であったが、酒を出すつもりは毛頭ない。

 仕方がなく、おひらきにした彼はダイニングテーブルの上の食器をキッチンへと持っていった。

 後片付けは寺田さんがしてくれて、わたしはソファにごろりとなっていた。


 「弟さんはいい方ですね。」

 「おっ、気に入ったか? 」

 「ええ、もし会社を変えるようでしたら、わたしに声をかけてください。きちんと育てますよ。」

 「去年入ったばかりでヘッドハンティングすんじゃねぇよ。確かに寺田さんの会社の方が良さそうだけど、弟を社畜にさせるつもりはないぞ。」

 「残念です。」


 寺田さんがお茶の入った湯呑みを二つ持ってきた。

 わたしもダイニングに移動してご相伴に預かることにした。

 弟が持ってきたミニ羊羹の小倉を開けて口に頬張った。重厚な歯ごたえとずっしりと舌の上に乗っかる重み、口に広がる小豆の甘みがたまらない。


 「寺田さんもどうだい。」

 「いえ、夜に甘いものはちょっと。」

 「……気にしない。」


 口の中身の甘みを渋茶で流した。

 わたしは桐箱の蓋を閉じてそっとテーブルの端に箱を滑らせた。

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