第14話 明けの明星 紫空の烏
明け方に彼女の夢を見て目が覚めた。
寝なおす気にもなれず、窓を開けると空が紫色に明るくなってきていた。
まだ空気も冷たく感じる。
目のまわりの肌がパリパリとしている。
手のひらでこすった。
ベッドに戻って布団にくるまり、両手を足で挟んで丸まった。
「さみしいよぉ。」
中原くんや伊織ちゃん、他の友達や寺田さんだってなんだかんだと付き合いがいい。
一緒にいて楽しいが、やっぱり彼女がまだ忘れられない。柔らかくて暖かい肌が恋しい。
いや、乗り越えられないのかな。
まだ十日と経っていないのだから仕方がない。経験上、まだまだこれからが一番きつい時期だ。
薄いタオルケットから顔を出して時計を見るとまだ三時半だった。
またタオルケットに潜り込んだが、ブルリと身震いして、起き上がった。
トイレをすませてリビングにちょっとだけ顔を出すとやっぱり誰もいなかった。
「寝よ。」
わたしは部屋に戻って二度寝をすることにした。
三十分くらい夢も見ないでぐっすりと眠った。身も心も覚醒が低い状態だが、今日は早番なので起きていないとまずい。
ぼーっとした顔で再度リビングに出ると、スッキリとした表情の寺田さんが光沢のある明るいグレーのスリーピーススーツでコーヒーを淹れていた。
「おはようございます。」
「おはよ。相変わらず決まっているよね。」
「身だしなみも仕事のうちですから。あまりよく眠ることができなかったようですね。」
「夢を見た。で二度寝をしたら体がだるい。」
「よかったら、コーヒーを淹れましょうか?」
「うぁ。ありがとう。」
「いいですよ。」
上機嫌で寺田さんはわたしの分までコーヒーを落としている。
「どうぞ。」
シンプルなカップに濃褐色の液体が注がれ、ダイニングの椅子に腰掛けているわたしの前に差し出された。
深い香りを吸い込んで、ちょっとだけすすると熱い液体の強い苦味が口の中に広がった。
「にっが。」
「目がさめるでしょう。」
「寺田さんはいつもこんなの飲んでるのか。」
「そうですね。酸味よりも苦味が強い方が好みですね。」
「ご飯は食べないのか。」
「向こうで軽くお腹に入れますよ。空腹過ぎても頭が働きませんから。」
「お昼は?」
「ランチを食べに行ったり…ですかね。」
ああ、こりゃまともに食べてないわ。
やっぱり食に興味ないんだな。
気まずそうに顔を背けてコーヒーを飲む寺田さんを眺めているとふと思いつきが口をついた。
「弁当、つくってやろうか?」
「……ありがたいですが……何かありましたか? それとも欲しいものでも?」
「よぉし、寺田ぁ。お前がボクのことをどう見ているのか、腹を割って話そうじゃないか。」
「嘘ですよ。わたしの職場の人まで勘違いさせて、外も内も堀を埋めるつもりですか? あとわたしは早くに出勤しますけど、吉屋さんは大変じゃありませんか? 」
「まあそれは困るな。でも寺田さんはやっぱり食に興味ないんだろ? 酒ばっかり飲んで、きちんと栄養を取っていないと後悔するぞ。」
渋い表情でコーヒーを飲む寺田さんは思い当たる節があるのだろう。軽く頷いた。
「医食同源と言ってだな。栄養は大事なんだぞ。年をとると筋量が減少して動けなくなったりするんだ。寺田さんも今のうちからちゃんと食事と運動の習慣づくりをしとけよ。」
「詳しいですね。」
「これでも一応、医療分野の国家資格持ちだからな。」
「そうだったのか。いまは違う病院に勤めているんですか?」
「んにゃ。もう病院はいい。いまはサロンでリラクゼーションやトレーニングサポートなんかをしてる。寺田さんは何をしてんだ? 」
「しがないサラリーマンですよ。」
「ウソっぽいなぁ。インテリヤクザとか経済ヤクザと言ってくれた方が腑に落ちる。」
「よぉし、吉屋ァ、戻ってきたら、じっくりとミーティングだぁ。お互い、腹を割って話すぞぉ。」
立ち上がった寺田さんはわたしに向かって指をさした。
「だ、だって、社畜がこんなでかいマンションに住んで、黒塗りの高級外車に乗るなんてリアリティがないじゃん。もっとちゃんと設定を練れよ。」
「本当なのだから仕方がないだろう。設定のことを言うのなら、もっとおかしな奴だってたくさんいるだろう。」
寺田さんは野球やオリンピックなどのスポーツや各界の著名人の名前を挙げた。
みんな、おばかなわたしが知っているレベルで設定のバランス調整がおかしい人たちで寺田さんの言葉に思わず頷いた。
「ま、まあな。」
「あと社畜は否定しない。」
寺田さんは振り向いてリビングを出て行った。
わたしは急いで後を追いかけて、玄関で彼を見送った。
「ああ、弟さんの都合の良い日を聞いておいてください。」
「わかった。寺田さんは希望がある? 」
わたしの問いに寺田さんは三つくらい候補日を口にして出かけて行った。
軽く朝食をとって、リビングや廊下などを使い捨てのフロア用ブラシで掃除した。
前に寺田さんにお掃除ロボットの導入を検討しないのかと尋ねたところ、お掃除ロボットのゴミ捨てとメンテを考えると労力は一緒かなと話していた。効率重視なのか、めんどくさがりなのかよくわからん。
天気予報をスマホでチェックして、大きなチェック柄のちょっとレトロなワンピースに短めのストールを巻いて、メッシュのローヒールパンプスを履いて出勤することにした。
ちょうどわたしの出勤時間に合わせて、コンシェルジュのまつりちゃんがカウンターについた。
制服である濃紺のスタンドカラーのパンツスーツをきっちりと着込んだまつりちゃんは、なかなかな女っぷりだ。
腰のくびれから太もも、足首のラインが朝から目の保養で心のビタミンの充足感がやばい。
でも先だっての寺田さんの話を聞いた後なので、顔を合わせにくくて仕方がない。
「おはようございます。これからお仕事ですか? 」
「えっ? あっ。そう、ね。あはは。おはよう。」
「吉屋さんはいつもおしゃれですね。」
「そうかな? ボクはふつうだと思うんだけど。じ、じゃあ。行ってくるね。」
「はい。いってらっしゃい。お気をつけて。」
わたしはダークピンクのショルダーバッグを掛け直して手を振った。
小走りでエントランスに向かったが、自動ドアで帽子をかぶった小学生に「おはようございます。」と追い抜かれざまに挨拶され、急に対応することができなかった。
「お、おう。気をつけてな。」
やっとかけた声に小学生は振り返ることなく、左手を肩より上にあげてスカートを翻して駆け去った。
「くそぅ。ちびすけのくせにかっこいいじゃねえか。十年後に期待か? 」
わたしもJRの駅に向かって歩きはじめた。
今日のお仕事では、近くのオフィスで働く常連の女が来た。
彼女は若いうちに左腕にマヒが残る病気をして、こうやってときおり来ては調子を整えている。
女とはいえ腕の重さは三kg程度にはなる。
それを肩からぶら下げて、体の他の部位も固定しながらの運動や姿勢維持をしてゆかなくてはいけない。
肩まわりの筋肉がきちんと働くならそれを支えてくれるのだが、マヒがあるために細くて長い重りをぶら下げているように感じるそうだ。
わたしは彼女をうつ伏せにさせて頸部からゆっくりと筋肉の緊張をとってゆく。
そこから背部、腰部と移り、足の裏までほぐしてゆく。
こうやって全身の負担を軽減しつつ、軽く運動の仕方のアドバイスをする。
障害が固定されたからといって長期的なフォローが必要ないわけではない。
うちのような実費のサロンではなくって、もっと気楽に病院で総合的で医療的なフォローを受けられるといいなと思いつつ、彼女を見送る。
本当はもっと彼女のためにできるであろうことがあるが、うちはサロンで病院ではない。
いろいろと難しいのだ。
インディさんにここら辺の説明をわたしが知っている範囲の知識で行ったが、彼女も前の国にも似たようなものよと肩をすくめた。
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