第9話 深夜の灰かぶり

 酔いを覚まして、シャワーを浴びたらもう二十三時を過ぎていた。

 寺田さんは起きてノートパソコンに向かって何やらやっていた。


 「仕事?」

 「そうですね。ちょっと時差がある相手なので遅くなってしまうんですよ。ああ、そちらの方がお似合いですね。」

 「あっ!」


 色々とあってすっかり忘れていた今朝のことを思い出した。

 道理でいくら探しても見つからないわけだ。あのTシャツはゴミ箱へ突っ込んだった。

 仕方がないので、旅行用と思って買っていたナイトウェアでリビングに向かうつもりでいたが、髪を乾かすのに向かった洗面所の鏡でこりゃ透けとるわと気がついて、インナーを着なおしたばっかりだ。


 洗面所でどうして思い出さないのか。やっぱりわたしの頭はトリアタマだ。


 「忘れろ!!」

 「何のことですか?」


 真顔で返事されたが、目元が緩んでいる。


 「このやろう。」

 「お互いイヤな事故だったねという事で。」

 「お前は二十代の成熟した女の体を見てイヤな事故だったというのか!?」

 「どう言えばいいんだ? 何を言ってもハラスメントにしかならないだろう?」

 

 グヌヌっていたが、急に寺田さんは唇に人差し指を当てて、離れるようにジェスチャーをした。 

 わたしはダイニングの椅子に腰を下ろすと、寺田さんはネット電話アプリケーションを通じて外国人と会話しだした。ぼんやりとその姿を見ていたが、わたしの時よりも表情豊かに会話していた。相手の顔はこちらから見えないが、外国の女性っていうことだけはわかった。

 二十分ほどでビジネスの会話が終わり、寺田さんは通話を切り、すぐに文書をタイプしはじめた。 

 

 「すみませんね。部屋でやればよかったんですけど、最近、家のWi-Fiが調子悪いのか、仕事中に切れてもまずいので、リビングで仕事をしてしまいました。」

 「いや、いいよ。わた、ボクにあっち行けって言えばよかったじゃん。」

 「何か話があったのでは?」


 寺田さんの質問に、わたしはダイニングテーブルの椅子から彼の座っているソファのとなりに腰を下ろした。


 「う〜ん。家具のことなんだけど、持ってきてもらうかどうしようかと。」

 「ああ、そうですね。お友達には男とルームシェアしていることは内緒にしておきたい?」

 「まあね。説明すんのがすんげーめんどくさそう。変なふうに噂が広まるのは嫌だ。」


 寺田さんはノートパソコンを閉じて顎に手を添えてちょっと考えていた。

 となりにいるとかすかに和漢のようなスパイシーな香りが漂ってきた。


 「宅配便で送ってもらうのは? 着払いにすると相手の負担は軽減しますし。それとその心配ですが、ちゃんと説明すればわかってくれるのではないですか?」

 「あ〜 宅配便ねぇ。それはいいかも。あとの方なんだけど、まずボクはずっと女が好きだって言っていたし、男は苦手。というか嫌いだと公言してきたわけ。事情は寺田さんも知ってるよね。」

 「ああ、アウティングの件だね。」

 「そう。それなのに寺田さんのようなイケメンと昔からの知り合いで、彼女と別れて寺田さんちに転がり込んだなんていうと、どう思われる?」

 「個人的には気になりませんが、あんまりいいイメージを持たれない人もいるかもしれないですね。あとわたしはイケメンではないですよ。おじさんですよ。」


 どこか他人事のように話す寺田さんにわたしは目を向いて反論した。


 「あんまり? あんまりだと!? 

 まあ、昔から寺田さんとボクのやりとりのことを知っている人たちならいいんだよ。ボクが勘違いしていたって笑い話になるから。

 でもそうじゃないとファッションでガールズラブしてんのか? とか、どっちもいけんのか? じゃあオレで試してみようぜ! なんてキチなヤロウが出て来ると思うともう怖気が振るう。

 ほら、見てみ。想像しただけでチッキンスッキンよ。」


 前腕に浮き出た鳥肌を寺田さんに見せると真面目な顔で頷いてくれた。


 「それでこれが家族になると、もうもうもう!!

 弟はわかってくれるだろうけど、お母さんが寺田さんを見た日には、もう、きっと、絶対、変な期待を持っちゃって、取り返しがつかなくなっちゃう!!」


 一気にしゃべくり倒して、荒い息に肩が上下するわたしに寺田さんはキッチンに向かい、冷たい水を持ってきてくれた。

 わたしはグラスを受け取り、喉を鳴らして飲み干した。

 

 「わかりました。家族に関してはわたしも似たようなもんです。」

 「かわいい男の子が好きなのに女と結婚させられる?」

 「誰が、そんなことを言った? んん? 」


 頭をがっしりと掴まれて、顔はいい男に間近で睨みつけられる恐怖を味わっていると寺田さんはフッと力を抜いて距離をおかれた。


 「この年まで独身でいれば、余計なお世話は何度かありました。そこに吉屋さんのような美女と住んでいることが分かれば、色々といわれるでしょうし、吉屋さんも嫌な思いをするでしょうから。」

 「わかった。でもわたしが美女かぁ? こないだも見ず知らずの人にロリ って呟かれたんだぜ。」

 「吉屋さんがロリ ? 確かにとても華奢ですけど、そんな感じはないと思いますけどね。」 

 「華奢かぁ。クラシックバレエを習っていて、小さい頃からウエイトコントロールはずっとしてたからかなぁ。」


 あと、しばらく食べることができなかったことも影響していると思ったけど、もう関係ないし、寺田さんに無用な心配をかけることもないと思い、それは黙っていることにした。


 「いい趣味ですね。今はもうしていないんですか?」

 「うん。足の指がね、ギリシア型って言って人差し指が長いんだよ。これってさ、ルルヴェっていう爪先立ちの時に人差し指に荷重がかかりすぎて不利なんだよ。

 あと足の甲の骨が華奢な割に長くて、練習しすぎるとすぐに炎症を起こしちゃうんだよ。

 だから大学受験を機会にやめちゃった。」

 「意外と厳しい世界なのですね。」

 「うん。それでも頑張っている人もいるけど、ボクはもうこれ以上痛いのは嫌だったし、頃合かなあって。ほらこっちにきて座って。これでやめたんよ。」


 言われた通りに床に座ってわたしを見上げていた寺田さんの手の上にポンと素足を乗せた。


 「ねっ、人差し指が長いでしょ。あんまりルルヴェしすぎると指が変形しちゃうし、そうなるとサンダルとかも履けないし。それに足の幅も細いでしょ。」


 「……」


 そっと受け止めた寺田さんは眉間にしわを寄せて無言で解説するわたしを見上げた。

 サーっと血の気が引いた。

 勢いまかせに何してんだ、わたし?


 「ご、ごめん。まだ酔ってるみたいだ。ハハハ……」


 寺田さんはわたしの足をまるでガラスの製品を扱うような手つきで床に置いてくれた。

足のお手入れに手を抜いていなかったことをこれほど、よかったと思ったことはない。かかともつるりとしていたし、爪もシックなピンクベージュのペティキュアが剥がれていなかった、


 「本当に失礼いたしました。」


 ソファから降りて土下座をするわたしの顔を上げさせた寺田さんは怒っている様子はなかったが、とても困っていた。


 「キレイな足でしたよ。でもそういう行動が男性を勘違いさせてしまわれるのと違いますか?」 

 「かも、しれません。いえ、あの、誤解なきように説明させていたしますが、このような行為は普通、オスたちに向かってはしません。しませんが、なぜか、寺田さんに対してはガードが緩くなってしまうようで……ひっ! い、以後気をつけます。」

 「身の安全ですよ。わたしだってまったくそういう欲望がないわけではないんだからね。」 


 睨みつけられて再度土下座をした頭の上に意外な言葉が降ってきた。


 「えっ?」

 「それはそうでしょう。怖くなりましたか?」

 「あ〜。いや。それはない。うん……ないな。自分でも変だけど、そこらへんは寺田さんを信用している。」

 「なんか、過剰な信頼を寄せられているようですが、わたしだって男ですからね。気をつけてくださいよ。」

 「わかった。」

 

 本当に、怖かった。性的な意味合いじゃなくって。生徒指導的な意味合いで、もしくは父親の説教的?

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