第2話 そこにいたのは

 逃げようとするわたしの勢いを「ゆく場所あるの? 」という問いでポッキリと折ってくれた男の招きで部屋に通された。

 部屋はなんというかシンプルでミニマルだ。

 彼女と同棲していた団地の一室がソックリまるごと入るのではないかというくらいの広さのリビングにテレビとソファ、ダイニングテーブルが置かれているだけだ。


 「そこにどうぞ。」

 「あっ、すんません。」


 彼が手で指し示した椅子に座ると彼はキッチンでお湯を沸かした。


 「緑茶とコーヒー、どっちがいいですか?」

 「あ〜う〜そ〜の〜 緑茶で。」


 電気ケトルのお湯はすぐに沸き、飾り気のない無印で良な品の白いポットにティーバックを入れてお湯を注ぎ、これまた飾り気のない同じブランドの白いカップにお茶を淹れた。


 「どうぞ。」

 「ありがとう、ございます。」


 寺田さんは向かいに座って一緒にお茶を飲んだ。

 無言の時だけが流れた。

 カップのお茶も無くなった頃、寺田さんとわたしは同時に口を開いた。


 「男だって気がついてなかったのですか?」

 「女だって気がついていなかったんだ?」

 

 二人して深いため息をついた。


 「なんというか、悩みが深い大学生くらいの青年だと思ってました。」

 「心の広い初老くらいのおばさんだと思ってた。」


 ため息が再度シンクロした。


 「一度でも会うべき、いや声を聞くだけでもよかったですね。」

 「ボクはSNSの文章でも男言葉だし、寺田さんはいつも丁寧だからお互い勘違いしたんだろうな。

 ともかく、ボクの事情は知ってるんだろ? 男と一緒に住むなんて考えられないんだけどな。」 

 

 ふと寺田さんがそういう男の子であることを知っていてなお、家に受け入れる決断をしたということを深く考えてみた。


 「……うん? あれれ? もしかして寺田さんはかわいい男の子とかが好きな人?」

 「いいえ。吉屋さんたちがいうところのヘテロですよ。だから、今回の件はすごく悩みましたし、失礼ながら身の危険も含めて不安でした。

 ですが、もう今のところにいられない、頼るところがないと言われていましたので、年長者としては見捨てるわけにもいかず、清水の舞台を飛び降りる勢いで同意したんですよ。」


 的外れなわたしの質問に生真面目な表情でわたしから目線を外さない寺田さんはとても誠実に答えにくいことを話してくれた。


 「それが開けてみれば、ガールズラバーなガールだったわけだ。」

 「さらに気まずいですよね。」


 沈黙がまたやってきた。


 「荷物、少しの間だけ預かってくれないかな。ボクはカプセルホテルにでもゆくよ。」

 「……それも手ですが、そのあとはどうするんですか?」

 「んん……不動産屋さんで探すよ。」

 「保証人とかはどうしますか? あと、引っ越しは相当物入りだと思いますよ。」


 えう。


 変な声を出したわたしをジト目で見つめる寺田さんは立ち上がった。


 「まずはお昼を食べましょう。お腹が空いているといい考えも浮かびませんよ。」

 「う、うん。」


 寺田さんは大きな冷蔵庫からラップに包まれたこれまた白いプレートを二つ取り出して、テーブルに並べた。

 ラップを外すとたぶんスーパーのお惣菜と思われるローストビーフを耳を残したままの食パンで挟んだだけのサンドイッチとこれまたお惣菜だろうポテトサラダ、ごろりとまるごとリンゴの素敵なワンプレートランチだった。


 「いただきます。」


 彼女と暮らしていてもそんな言葉は使わなかったが、一応用意していただいたのだからと口に出して言ってみた。

 味はやっぱりお惣菜を挟んだだけの感じだが、それでもうちの近所のスーパーとは品質が違うのだろう、それなりにおいしかった。


 「寺田さんは食にこだわらない感じの人なんだっけ?」

 「単に作れないだけです。いや、作って作れないわけでもないのですけど、仕事に体力を残しておきたいのと、付き合いも多いので計画的な買い物ができないでゴミを増やすのが嫌なんで。」

 「まあ、料理できない人の言い訳だあね。」

 「吉屋さんはいかがですか?」

 「同棲中は調理担当だったぜ。彼女、髪をいじるのが仕事だからさ、どうしても指先が薬品とかで痛んでいるんだよね。だから、ボクがやってあげていたのさ。」

 「そうですか。」


 今頃、どうしているんだろう。ご飯作れるのかな? 昼間っから強いお酒なんか飲んでいないかな? そんなことばかり頭の中でぐるぐると駆け巡った。


 「どうぞ。ホースラディッシュ、辛かったですね。」

 「ヘタな取り繕いなんていらない。いま別れたばっかりなんだから仕方がないじゃん。」


 寺田さんが寄越したボックスティッシュの中身がなくなるまでわたしは泣き続けた。

 声をあげるわけじゃないけど、ボロボロと涙と鼻水が止まらない。泣きながら、ムシャッムシャッとサンドウィッチを口の中に詰め込んだ。


 「ごめんね。」

 「いいですよ。洗面所はあちらです。」

 「ありがと。ついでに歯も磨いてくる。」

 「どうぞ。」


 洗面所もハイエンドなホテルのような高級感あふれる感じだった。

 顔を洗って歯を磨いて、あらためてみた鏡に映ったわたしはまあ寺田さんが心配するのもよくわかる顔をしていた。


 「掃除だけは行き届いてんのね。変なの。」


 戻るとすでに皿は片付けられていた。

 さっきの椅子に座ると新しい緑茶が置かれていた。


 「すんませんでした。」

 「いいえ。」

 「で、どうしよう。」

 「先ほども話しましたが、まず引っ越すにしても不動産屋さんに今日頼んで明日なんて言うのは難しいでしょうし、保証人はそうですね、わたしがなってもいいですが引越し業者を頼んだり、ガスや水道、電気の契約にテレビですか。

 あと、そもそも家具なども揃えなくてはいけないんじゃありませんか? 」


 「はい。ごもっともでございます。」


 「カプセルホテルに泊まると言われましたが、あれって女性が泊まれるものなのかと。最近は女性専用があるらしいですが、わたしはどこにあるのか知りませんね。

 あと、どこに泊まるにしても、吉屋さんの今のメンタルでひとりにさせることはなんとも不安ですね。」


 「いや、見ず知らずの人にそこまで心配されるいわれはないし。」

 「その見ず知らずの人の家に住もうとした人がいるようですね。」

 「申し訳ありませんでした。」


 平身低頭。


 ダイニングテーブルに擦り付けていた額をあげると怒っている様子はなく、ただただ困っている表情だった。

 わたしよりは父親に近いくらいの歳なのかな。父よりは確実に若そうだが、年齢不詳な感じもする。 

 しかも摩耗しきったうちの父親とは違って、えも言われぬ色香が漂う男だ。

 むかし彼女と見たカンフー映画のアジア系スターの雰囲気だ。

 と言っても「考えるな感じろ」の人やコメディっぽいアクション俳優の主演のものではなく、もともと恋愛映画で有名になって、ハリウッドに渡ったアートな映画監督が撮ったアクション映画の主演男優だ。


 顔がいい男だよね。

 本人は違うって言ってるけど、やっぱりそっちの気配が濃厚なんだよね。


 「何か?」

 「別に。寺田さんの言うことはいちいちごもっともだけど、じゃあどうすんの?」

 「そのままお部屋をお貸しします。できればはやく身支度を整えて自立されることを望みますね。」

 「遠回しに仕方がねぇ。はやく出て行くように努力しろってきこえっぞ。」

 「ええ。ここのマンションは地元に住むわたしの親戚の持ち物なんです。一人暮らしのところに女性を入れたと知られたら、お互いぞっとしないことになりそうです。」

 「へぇ、このマンション賃貸なんだ。」

 「いえ、このマンションがその人のものです。」

 「ああ、寺田さんがその人からこの部屋を借りてんのか。」

 「そうともいえるかもしれませんね。このマンションの建物と敷地全部がその人のものです。」


 ファ!?


 「寺田さんってお金持ちなの?」

 「その人はそうですね。わたしはまあ、しがないサラリーマンですよ。ともかく、吉屋さんをここで残念でしたと見放すことはできませんが、長居されてもいいことがないので、お願いします。」

 「言いたいことはわかるし、ボクも男は対象外だからいいけど、そこまで厄介者扱いされるのはなんとなくプライドが傷つくんですけど。寺田さんは腐ってもヘテロだろ。」

 「どう返事していいかわからない。」


 寺田さんは目を覆って天井を仰いだ。

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