第2話


 赤い丘から二年、マリオンの世界は変わった。


 まず、魔力を失った所為で髪色が変質し黒に染まりそれだけで印象がガラッと変わる。さらに傷はなくなったが肌色は色黒になりまるで別人だ。金色の瞳だけが、魔法使いだった頃の名残とも言える。


 次に、魔法使いとして得た名声や地位、財産は消え失せた。魔力が無くなり役立たずになった上、見た目も変わったのだ。さらに黒は闇の色。肌は異国の旅人と同じ色合い。以前私物を取りに城に戻った際、物乞いの狂言と門前払いされた。


 最後は、いい変化だ。


 唯一マリオンの言葉を信じる者がいた。


 赤い丘に伝令で来た一人の青年である。


 彼だけは、精霊の奇跡に影響されず記憶も意識もはっきりしていた。


 赤い丘で出会ってから今もマリオンは、恩人ことアートの屋敷に世話になっている。


「そろそろ頃合いかな」


 そろそろこの屋敷の住人が起き出したであろう早朝。夜着のまま与えられた広い部屋で窓から外を見ながら、マリオンは今後の指標を決めようとしていた。


「何が頃合いなんだ?」


 驚いて後ろを振り返ると不機嫌そうに眉をひそめ整った顔をしかめている金髪碧眼の青年、アートがいた。長らく留守であった家主は、今帰ってきたのか靴に泥をつけたまま外套の中で腕を組んで片側の肩を扉の枠に預けている。


「もう充分世話になったなと思ってな」


 未婚の少女が男性に夜着を見せるのは、あってはならないことだがマリオンは普通とはかけ離れた生活をしていた為気にもとめず会話を続けた。アートは大仰に肩をすくめため息をついた後、部屋に入り扉を閉めた後吐き出した。


「反対理由その一。お前には一般的な常識がない」

「無いように見えるなら、これから身につければいい」


「反対理由その二。行く当てがない」

「信じてくれそうな知り合いを探すさ」


「反対理由その三。魔法使いの旅と今のお前の旅じゃ天と地の差がある。まず、魔法で移動なんて出来ないんだぞ。歩くのにだって筋力を魔法で補っていたお前には旅する資格はない。二年前なんか自力で立つのも厳しかったじゃないか。リハビリが飽きてきたならそう言えばいい」


 アートの地を這うような言葉にマリオンは金の眼を丸くする。図星で正論だったからだ。マリオンは胸に手を当てて本心を吐露する。それだけの信頼関係は二人の間にはあった。


「そんなこと言われなくともわかっている。ただ、何もせず世話になり続けるのは心苦しいんだ」

「お前の気持ちもわからなくもない。だがそれはそれ。これはこれだ」


 お互い譲らない気なのか金と青の視線を合わせたまま口を横一文字に固く結んで黙る。いつまでも続きそうな空気を破ったのは幼い子供の容赦のない体当たりだった。扉は勢いよく開け放たれる。


「アート兄! おかえり! マリ姉はまだ寝巻きなの? はやく朝の散歩に行こうよ!」


 アートに体当たりを仕掛けたのは彼の年の離れた弟であるカイウスだった。まだ十二歳程である少年は無邪気な翠の瞳を輝かせる。場の雰囲気を壊されたアートは、カイウスの赤毛を乱暴に撫でた。


「おい、カイウス。せめてノックをしろ。ノックを」

「だってアート兄がマリ姉をいじめてる声がしたんだもん!」

「だってじゃない。あと俺はマリーをいじめてもいない」

「じゃあ、何をしてたのさ!」


 この年頃の子供は知りたがりである。悪いことではないがアートはどう誤魔化すか悩みながら金色の髪をかいた。


「カイウス、今から着替えるから少し待ってくれないか? アートは都から帰ってきたばかりだろう。部屋に戻って旅の疲れを癒したほうがいい」


 助け舟を出したのはマリオンだった。彼女は、話題を変えることで注意をそらした。


 優しい兄弟の元での魔法の使えない生活に慣れる為のリハビリの毎日。


 辺境にあるこの屋敷での生活は平和で静かであり、こんな幸せな暮らしがいつまでも続かないということをマリオンはわかっていた。


 その予感は、最悪の形で当たることになる。

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