第6話 鬼ごっこ

 半径30メートルほどの円形のフィールドで、20メートルの距離を離してシオンとテンが向き合っている。


 身体の重さ、自分の息遣い、心拍数。普段は意識しないことを異様にはっきりと感じ、シオンは既に汗をかきながらテンを見つめる。

 一方テンは慣れたように平然と立ち、しかし表情だけは好戦的なものにしてシオンを見つめ返した。


「試合開始!」


 ギルが試合の開始を告げる。その瞬間までシオンはかなりの緊張を感じていたが……テンのショートパンツを睨むと、すぐにそれを振り払った。


 これから服を脱がすって時に、他のことに気を取られてたら失礼だ。今は誠心誠意、脱がすことだけを考えろ――!


「ゲイル!」


 服を脱がす方がよっぽど失礼だなどとは考えず、シオンは開幕と同時に魔法を使用した。彼は両手の平を床に向けると、そこから強烈な風を吐き出す。


 この〈突風〉という魔法は、元々スカートめくりのために習得した魔法だ。しかし両手で使えば、全く違う効果をもたらすのである。


「まさか、ただの〈突風〉で体を浮かしてるんすか!?」

「そうとう練習したからな。お陰でスカートめくりには使えなくなったけど!」


 走ってシオンとの距離を離しながら、テンが驚きに目を見張る。シオンは両手から出た風を床に何度も当てることで、自分の体を浮かしていたのだ。

 その状態のまま、彼は手の平を斜め後ろへと向ける。


「どうだ、これは流石に避けられねぇだろ!?」

「……っっ!」


 風を斜め後ろの床へと当てることで前方への推進力を得て、彼は浮いたままテンへと突っ込んだ。


 スカートめくりのために練習しすぎた〈突風〉の高出力により、シオンは猛烈な勢いで空中を走る。想定外のスピードと軌道に、テンは明らかな動揺を見せた。


「確かに魔法なしじゃあ避けられないっすね……。でも!」


 だがテンの積み重ねてきた実戦経験は、この程度の動揺を瞬時に吹き飛ばす。


 もうすぐテンに触れると思った……その瞬間! 彼の視界からテンが消え、代わりに目の前に訓練場の壁が出現した。


「うわっ、なんじゃこりゃ!」


 手の平を壁の方に向けることで勢いを殺し、なんとか激突せずに済む。しかし何が起こったかは分からぬまま、シオンは地上に降りてテンを探した。


 〈座標交換〉は何度使われたとしても慣れ辛い魔法だ。今はシオンの位置とテンの位置が入れ替わっただけなのだが、初見では混乱する他ない。


「あぁクソ、意味分かんないけどやるしかねぇ!」


 振り返った先にテンを見つけたシオンは、悪態をつきながらも右手の平をテンに向けた。

 混乱しても動きを止めずに次の手を打てる判断力は、試合において重要になる。彼をフィールドの外から見つめていたギルは、感心したように「ほう」と呟いた。


「ホーミングテンタクル!」


 テンが背を向けて逃げているので、足止めのために〈追尾触手〉を使用する。赤っぽく生々しい触手が手の平から何本も伸びていき、テンを背後から襲った!


 昨日の訓練の甲斐もあってか、触手が伸びるスピードはテンが走る以上に速い。距離を順調に詰めていき、テンに追いつく……その、直前。


「おいおい、まさか触手を切るつもりかよ!?」


 相手への攻撃が禁止だというルールにも関わらず、テンが腰のベルトにかけていた鞘から短剣を抜き放った!


 まさか触手を切るつもりか、と、シオンが青ざめる。確かに相手の魔法に攻撃しちゃいけないとは言われてないが……この触手には触覚があるのだ。短剣に切られでもしたら、激痛なんてものじゃ済まない!


 まさかの事態に怯えるシオンだったが、それはすぐに杞憂だと分かった。テンは取り出した短剣を自分の右方に――投げつけたのだ。


「……!? 今、どうなったんだ!?」


 とうとう触手がテンに触れようとした、その時。さっきのようにテンは掻き消え、全く別の場所に現れた。


「ワープ? いや違う、自分と短剣の位置を交換してるのか……!」

「ははは、流石にバレたっすか」


 とうとう〈座標交換〉の正体を見極めたシオンは、これ以上逃げられないよう触手をテンの方へとかき集める。テンを囲うように触手を配置し、〈座標交換〉を使われてもすぐに捕まえようという腹積もりだ。


 だが。そうまでしても、触手はテンに掠ることすらなかった。


「これも、避けるかよ――」


 先ほど投げた短剣を〈磁力〉という魔法で手元に寄せ、また別のところに投げて〈座標交換〉。それを繰り返すことでテンは妖精のようにフワフワと空中を移動し、全ての触手を避けていく。


「これが……魔技!」


 〈座標交換〉は強力な魔法だが、使うタイミングや対象の選択を少し間違えれば、たちまち自分が不利な間合いに入ってしまう。素人目に見ても、空中で大量の触手を避けるのは超絶技巧だと分かった。


 触手の軌道を全て予測し、最適な位置に短剣を投げ、最適なタイミングで魔法を使う。一体どれだけの時間を魔技に費やせば、こんなことができるのだろうか? どれだけの情熱を注ぎ、どれだけの犠牲を払ってきたのだろうか?


「そんなこと、俺は、一度だって……」


 人間離れした技術で空中を舞うテンは、表情に一片の恐れもなかった。


 油断しているから……ではない。彼女は自分の力に、自信があるからだ。何年も積み重ねた経験が、に捕まるはずがないという確信を与えている。


 シオンにそんなものはない。才能のある兄がいるせいで、彼は弱い自分を受け入れることが精一杯だった。だけど!


「俺にも、できるのか……? 魔技を始めれば、俺にも……!」


 これはただの鬼ごっこ、ただの模擬戦に過ぎない。それでもシオンは、心の奮えを感じずにはいられなかった。


 彼女のようになりたい、と、自然に思った。才能だけの兄とは違い、彼女が努力の末に自信を得たのが分かったから。


 漫然と自分のできることをしても、決して彼女には敵わない。ならどうすればいい? 答えは簡単だ。

 自分のできる最大限を考えて、この状況に合った最適解を見つけて、それを最上の形で叩き込むしか……ない!


「〈式結合〉、〈追尾触手〉+〈爆裂〉!」


 登録魔法だけではテンを捕まえられないと考えたシオンは、選択魔法として新たに〈爆裂〉という魔法を使用した。


―――――――――――――――――――――――――――――

シオン・エドワーズ

〈式結合〉〈突風〉〈追尾触手〉〈爆裂〉〈〉


テン・ミナミ

〈座標交換〉〈磁力〉〈凍結〉〈〉〈〉

―――――――――――――――――――――――――――――


 〈爆裂〉は、その名の通り爆発四散する火の玉を生み出す魔法。相手に攻撃してはいけないルールである以上、そのままは使えない。しかし彼は、あくまでテンを捕まえるためにこの魔法を選んだ。


 シオンの左手からも、十本の新たな触手が伸びていく。生々しい触手が、テンの背後から囲い込むように動いた。


 触手の量が二倍に増える。それだけなら、テンであれば簡単に避けることが出来ただろう。しかしその触手は、テンの近くまで寄ると突然に弾け飛んだ!


「うわっ、なんすかこれ気持ち悪い!」


 散れ散れになって八方から迫る触手の破片に、流石のテンも悲鳴を上げる。それは圧倒的な気持ち悪さのせいでもあるし、まともには避けられない肉の檻に対しての叫びでもあった。

 

 今の破裂は、テンを捕らえるためにシオンがわざと起こしたものだ。彼はあらかじめ〈式結合〉を使い、〈追尾触手〉に〈爆裂〉という魔法の特徴を加えていたのである!


「触手に「爆発する」っていう特徴を付け足したんすか!? 随分と器用っすね……!」

「そうでもしねぇと勝てねぇだろ、この状況!」


 シオンの使った触手は、〈爆裂〉の「爆発する」という特徴を付け足した、「爆手」とでもいうべき代物だ。


 この破片一つにでも触れれば動きが阻害されるだろう。予想以上の窮地に、テンは警戒心を高める。


「――ッ! だからって、簡単に捕まってやるわけにはいかないっすよ!」


 辺りは触手まみれで、自分は空中にいる。一気に混沌と化した状況から、しかし彼女は最も安全な地点を一瞬で見つけ出した。


 散れ散れになった触手の破片から、その地点に最も近いものを選び、〈座標交換〉を使う。残り時間があと一分というところで、彼女は一気に安全な場所へと避難した。


「そう来ると、思った……!」


 逃げ切ったテンを見て、シオンが叫ぶ。テンの凄さが分かっていたからこそ、彼女が最善手を打ってくると信じていたからこそ……彼女がどこに現れるか、。彼はそれを見越して、既に魔法を撃つ準備をしていた。


 シオンが自分のに、一つの魔法を放つ。それは〈式結合〉により〈爆裂〉と〈突風〉を足した魔法……「爆風」。


「インスタントガード!」


 同時に彼は〈即席防御〉を選択魔法として選び、使用する。これで彼の魔法の選択権は全て尽きたが……ここで勝負を決めれば、問題ない。


―――――――――――――――――――――――――――――

シオン・エドワーズ

〈式結合〉〈突風〉〈追尾触手〉〈爆裂〉〈即席防御〉


テン・ミナミ

〈座標交換〉〈磁力〉〈凍結〉〈〉〈〉

―――――――――――――――――――――――――――――


 シオンが足元に放った「爆風」という魔法は、爆発して周囲のもの全てを吹き飛ばす風だ。そして、周囲のものというのは……この場合、彼自身も含まれる!


「うおぉぉぉぉぉ!」

「……なっ!?」


 自分の魔法に吹き飛ばされたシオンが、テンの方へと弾丸のようなスピードで突っ込んでいく。


 「爆風」は攻撃にも使える魔法なので、私服のまま喰らえば意識を失ってもおかしくない。だが〈即席防御〉という防御魔法を使うことでなんとか持ちこたえ……

彼は吹っ飛びながらも、床から足が離れないように踏ん張った。


「まさか、〈座標交換〉の発動条件を見破って……!?」


 〈座標交換〉は空中にあるものしか対象にできない。最初の触手を避けるためにわざわざ短剣を使ったことから、シオンは既にその条件を見破っていた。

 だから触手の破片が地に落ち切るタイミングを狙い、床に足を引きずりながらこの特攻をかましたのである。


 テンの隙を狙いすました一撃に、テンは短剣をなげる余裕さえ与えられない。シオンは引きずった足で速度を調整し、テンに突進しない程度のスピードで……とうとう彼女に、触れた。


「ちょっ、やめっ……!」


 ……だけではなく、シオンの手は逃げようとしていたテンのショートパンツに引っかかった。鬼ごっこに勝利した安心で気が抜けて、シオンはそのまま床に崩れ落ちる。


 結果、どうなるか。彼の重さでテンのショートパンツまで引き下ろされ、お尻の部分だけパンツが露わになった。昨日とは違い、今日は白い。


「…………!」


 羞恥に耐えられず、テンが声にならない叫びを上げる。未だにショートパンツを掴んだままの手を、テンは強引に振り払った。


 だが手を払われた後も、シオンは興奮冷めやらぬ様子だった。模擬戦とは言え、初めての勝利を収めた喜び。そして何より、魔技というものを体感した喜びだ。


 失礼にも程があるが、パンツを見た興奮はおまけみたいなものだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

〈式結合〉

概念魔法 合成属性lv.3

効果:二つ以上の魔法を組み合わせ、新たな魔法を作る。この魔法の起動中に素材となる魔法の起動も行うので、起動時間の長い魔法を組み合わせる場合は起動時間が伸びる。


射程:自己

範囲:自己の魔法

起動時間:演算能力や合成する魔法に依る

消費:5→2+主魔法のコスト+副魔法のコスト×抽出する特徴の数


必要魔法枠:1+合成する魔法の数

魔法枠負荷:5秒分

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