第六章 3
三人は無言でヘッドマウントディスプレイを装着する。
ゲームをスタートした。いつもの部屋で目覚める。
目を開けると、そこには既に久我と時延未来の姿があった。
「おはようございます」
久我が抑揚のない声であいさつをする。
「おはよう」
時延未来もあいさつをした。か細い、消え入りそうな声。なぜかおどおどしている。
「おはようございます」
島浦は不安な気持ちを悟られないように、堂々とした口調で二人にあいさつを返した。
「怖がらなくても大丈夫ですよ。安心してください」
久我には強がりは通じないようだ。
「これから、これまで起こったことの真実をお話しいたします。よろしいですか?」
島浦はコクリと首を縦に振った。
時延未来は正座をしながら、両手をぎゅっと膝の上で結んでいる。
久我はというと、畳の上であぐらを組み、身体を反らして手をついている。まるで自分の家で寛いでいるようだ。
「では真実をお話しいたします」
その一瞬間、『ボツッ』という低い音が聞こえたような気がした。
久我はそんなことはまったく気にせずしゃべり始める。
「まず、ここにいる時延未来の一回目の誘拐事件と、二回目の誘拐事件が真実だったのかどうかという件についてお話ししましょう」
あれっ?
島浦は不思議な感覚に襲われた。久我のしゃべり方がおかしい、いつもと違う、そんな感じがする。
実際どういう違いがあるのか説明はできない。しかし、『ボツッ』という音の前後で何かが変わった、そんな気がした。
久我は島浦のそんな思いには気づかないかのように、説明を続ける。
久我の表情はなんだかニヤニヤしているようにも見えた。
「ひょっとしたら、もう既にお気づきかもしれませんが、二回に渡る『時延未来誘拐事件』は、すべてこちらで仕組んだイベントです」
久我は悪びれることもなく、飄々と言ってのける。
「現実世界のマスコミに騒いでもらったのは、島浦さんに真実だと思い込んでいただきたかったためです。かなり大掛かりなやり方ではありましたがね。お陰で、だいぶ本気になって取り組んでいただけたようでよかったです」
久我は心の底から楽しそうに『ハッハッハッ』と笑った。
ずっと二人に踊らされていた。
島浦は不快な気持ちになった。おそらく現実世界での表情は不快感露わになっていることだろう。
しかし、久我はそんなことは気にも留めない。
「もちろん『人類の救世主』なんてものも、私が作った想像上のものに過ぎません。では次になぜこんな手の込んだマネをしてまで、このイベントを作ったか説明します」
時延未来が唾を飲み込む。久我はそんなことは気にせず話を続けた。
「それは実験のためです」
久我は実験という言葉を強調するように、そこだけ声を大きくした。
「実験……?」
島浦は久我の言葉を繰り返した。
「そう、壮大なる実験です」
久我が勝ち誇ったような表情になる。
「バーチャルの世界に連続でい続けた場合に、人間は進化できるのか? 実験してみたかったんです」
ただのコンピューターグラフィックスなのに……島浦は久我の表情に狂気を感じた。
「こういったいわゆる人体実験に素直に参加してくれる人はいないでしょう。それで、実験に参加していただくには何かイベントを立てないとダメだろうと思い、今回のアイデアに至ったわけです」
ここで初めて久我の口から『人体実験』という言葉が発せられた。島浦はバーチャル世界なのに手汗をかいている感覚を覚えた。
「ただこれを参加者全員にやってしまうと、おそらく世間から怪しまれるでしょう。そして反対にあい、壮大な実験を完遂できないまま終わってしまう」
声がどんどん大きくなっていく。まるで自分の話に酔っているようだ。
「それで、手始めにまずは一人、誰でもいいので参加してもらおうということになりました」
時延未来の救出劇は誰でもよかった。それがたまたま島浦だった。
「別に島浦さんでなくてもよかったのですが、条件として毎日ちゃんとアクセスしてくれて、イベントにも積極的に参加する。そして、そこそこ優秀な成績で進めてくれる人を条件に考えていたら、たまたま島浦さんに白羽の矢が立った。それだけのことです」
笑顔の久我。CGなのに……島浦は恐怖に身体が震えてきた。
「ここまでご協力いただきありがとうございました。まだ脳MRIの結果は出ていませんが、これから結果が出るのを楽しみにしています」
時延未来もそれに続けて
「ありがと」
と言って頭を下げた。
時延未来の笑顔には悪意は感じない。島浦はもやもやから一気に霧が晴れた気がした。だんだん気持ちが落ち着いてくる。
だまされてきた感じはある。とはいえ、現実世界で頭の回転が速くなり、むしろいい影響がこの実験で見えてきた。
自分は選ばれし者として、何かすごく得をしている。そんな気分がしていた。
「こちらこそ、お役に立てたようで何よりです」
自然に笑みがこぼれてくる。気分がよくなり、久我に握手を求めようと右手を伸ばした。
頭の中ではそう思っていた。もちろんコントローラーがあるわけではないので、実際に手を伸ばしたかどうかはわからない。
そんなことを考えていると、再び久我がしゃべり始めた。
「もう一つ話しておかなければならないことがあります」
背筋に冷たいものが走るのを感じた。
一拍置いて久我が再び口を開く。
「島浦さんと時延がいまつけているヘッドマウントディスプレイに、ちょっと細工をさせてもらいました」
そう言われた瞬間、つばを飲み込んだ。久我にその音を聞かれただろうか?
「いつものように現実世界の時間で一時間、このゲーム内の世界の時間に換算すると、十八時間で一回の活動が終了するというのは変わらないのですが、その後現実世界に戻れないようにさせていただきました」
久我が何を言っているのか理解できなかった。
「仕組みは簡単です。島浦さんの意識がこの世界から離れないようにすればいいだけです」
そんなことができるのだろうか? 久我は冗談を言っているんじゃ……?
「通常はゲームにおける一日が終了すると、画像や音声出力が止まり、現実世界に戻ることになるのですが、一日が終わっても画像も音声も出力されたままになるようにしただけです」
だから何だっていうんだ? でもいままでも現実世界に戻らず、バーチャル世界で睡眠を取っていたときもあったよな。それっていったい……?
島浦の頭の中では答を求めてぐるぐると高速で思いが巡る。
「バーチャルリアリティというのは脳をだますことで目の前の映像が現実だと思わせるのですが、だまし続けることで、この世界を現実にしてしまうんです。脳がだまされることによって、現実世界に存在する島浦さんの手足に指令を与えることができない状態になっています」
それって本当にそうなんだろうか……?
「なので、こちらが意図してヘッドマウントディスプレイを外してあげない限り、島浦さんの意思で外すことは不可能です。もうしばらく我々の実験にご協力お願いします」
頭の中が真っ白になった。何か反論すべきだろうか? しかし、言葉が何も出てこない。
「ご安心ください。現実世界の島浦さんの本体がある場所には必要な医療施設が整っています。栄養や水は当然必要なので、チューブを通して供給させていただきます。だから死ぬことはないと思います」
この人はいったい何を言っているんだ?
「それと下のお世話に関してもヘルパーさんにしてもらうのでご安心ください。かわいい女の子をアルバイトに雇いましたよ」
さも自分がいいことしてますよ、と悦に入っているようだ。
「基本的にはオムツで対処します。一日数回は交換して衛生状態には万全を期します。あと、学校や親御さんには心配されないように、我々からうまく連絡差し上げます。なので、すべて安心してこの世界での生活をご堪能ください」
叫びたかった。しかし、声が出ない。
身体がぶるぶる震えていた。
「大丈夫です。基本的に時延も常にそばにいるようにしますので、一緒にお過ごしください。イベント作成がなかなか追いつかなくて退屈するときもあるかもしれませんが、二人でいれば何とかなるでしょう?」
「いつ……戻れるんですか?」
島浦はようやく声を絞り出した。
「実験データとして、これで充分と思った時点で実験終了とさせていただきます。いつかは終わりますからご安心ください」
久我は心の底から嬉しそうに見える。これが研究者というものだろうか?
島浦が何か言おうと口を開きかけた瞬間、久我はこの世界から姿を消した。
隣では、ずっと正座の姿勢を保った時延未来が
「これからもよろしくお願いします」
と小さな声で言葉を発した。
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