第五章 9

 ゲーム世界で二十分の睡眠を何度か取ったからだろうか? 島浦に眠気はまったくなかった。むしろ快適だ。

 頭がはっきりし過ぎていたせいなのかどうかはよくわからないけれど、先生の話す内容、大宅の話す内容、とにかく周りの時間の流れが普段と比べ、えらくゆっくりと感じられる。

 学校では何事もなかったかのように、大宅とあいさつを交わし、会話をする。

 大宅はいまだに虫野粋雄事件がクリアできないでいるらしかった。

 ゲーム世界で何日も時延未来との逃避行を続けたせいか、それがもう何年も前の遠い過去のように感じられる。

 いまゲーム世界で起きている出来事について、大宅には一切話をしなかった。

 誰かに相談したいという気持ちはある。しかし迂闊に話すと、何か大変なことになってしまうのではないか? そう思って口を滑らせないよう慎重に過ごした。

 久我からは何の返事もない。

「どうしたんだろう? もしかして、久我さんも事件に巻き込まれたのだろうか?」

 しかしニュースサイトを見ても、一切そういった情報は見当たらなかった。

 いったい、いま何が起きているのか?

「もしかして……。いや、そんなはずはない」

 誘拐事件なんて始めからなかった。つまり誘拐犯なんて存在しない。すべて久我や時延未来の仕組んだ罠。

 だから時延も久我も事件について明言を避けている。

 しかし何のために……

 この企画を成功させるためにはトラブルは極力避けたいはず……

 もし起きている出来事が、本当に現実世界とリンクしているのなら……

 いまここで自分が放り出すことは、時延未来の命に直結することになる。

 時延未来との逃避行を止めてしまったら、彼女はいったいどうなるのか……?

 ゆっくりと流れる時間の中で、島浦はそんなことばかり考えていた。

 考え事ばかりしているせいか、時間の流れがとても遅く感じた。かといって授業の内容は一切頭に入ってこない。

 もやもやした状態のまま、この日の授業がすべて終わり、帰宅した。久我にもう一度だけメールを送る。返事のないままヘッドマウントディスプレイを装着した。

 どうせ今回も進展なんてないだろう。半ば諦めていた。

 でももしこの事件が本当に現実世界とシンクロしていたら……

 気持ちの整理がつかないままゲームを再開する。

 今朝ゲーム世界を離れる直前の場所で目を覚ました。キョロキョロと辺りを見回す。人の気配が一切感じられない。

 立ち上がって、人のいそうな方に歩いていった。

 しかしどこまで行っても誰もいない。

 時延未来も。

 静寂の中、突然スマホの音が鳴り響いた。

 驚いてスマホの画面を見る。メールが届いていた。

『人類の救世主』からだ。

 急いでメールを開いて内容を確認する。

『時延未来をいただいた。&y8w 8w y34 rqf94853 0oqd3l 彼女はこの右下にいる』

 書いてあることが理解できず首を捻る。

 時延未来が再度誘拐されたことはわかった。

 メールの真ん中の暗号のようなものはいったい何なのだろう?

 それと、彼女が右下にいるとはどういうことなのか?

 しばらくメールを凝視したが、何も思い浮かばない。

 呆然と立ち尽くしていると、何やら『ピッピッ』という小型の時計のアラームのような音が聞こえてきた。

 音のする方向に向かう。

 古びた郵便ポストの下に、手の平にすっぽり収まる小型の電子機器が落ちていた。

 拾ってみたが、音は鳴り止まない。

 振ったり、握ったり、息を吹きかけたりしても音が鳴り止む気配はなかった。

 こんなもの持ってたら見つかってしまう。そう思い、投げ捨てようとした瞬間だった。

 小さな本体にギリギリ読めるくらいの小さな文字で『INIT→』と書かれているのが目に入った。矢印の先には穴が空いている。

 何か硬くて細いもの、ないかとキョロキョロしたがそうそう上手い具合に見つからない。

「ここにずっといても仕方がない。いったん自分の部屋に戻って、今後の作戦を考えよう」

 極めて冷静に振舞った。誰が見ているわけでもないのに。本当は動揺していた。

 自分が学校に行っている間に時延未来は誘拐された。ひょっとしたら久我も事件に巻き込まれたかもしれない。

 自分が悠長に授業を受けていたせいなのか? 人命よりも自分のことばかり考えていたせいなのか?

 だとしたら責任は重大だ。これからはこの事件が解決するまで授業を休んででも頑張るしかない。

 使命感を抱えつつ、移動コマンドで自分の部屋に戻った。

 あれだけ長い距離を何日もかけて歩いた割には、部屋に戻るのはコマンド一発のみ。一瞬だ。

 やっぱり、これはゲームなんだ。

 部屋の中を見回す。細くて硬いもの、細くて硬いもの。

 根拠はなかったが、この拾った小型の機械が今後の展開に大きな役割を果たす。そんな気がした。

 がらんとした部屋の中。それほど探すところはない。

 ちゃぶ台の下。テレビの裏。玄関の新聞受け。流し。棚……

 怪しそうな場所を隅から隅まで隈なく探し回った。しかし使えそうなものは何も見つからない。

「どうしたらいいんだ?」

 そんなことを叫びながら万年床の上に寝転がる。

「ん? こんなわかりやすい場所、まだ確認してなかったぞ」

 起き上がり布団をめくる。すると畳の上に、何やらきらりと光るものが見えた。

 安全ピン。

 おしっ、と小さく叫ぶ。安全ピンを機械の『INIT→』の指し示す穴に突っ込む。すると二、三秒後に『ピーッ』という音と共に、先ほどまで鳴り続けていた音が止んだ。

「ひゅう」

 ため息をつく。

「さてと、次はどうするかな? まずは研究所に行ってみるか」

 あそこなら時延や久我のことが何かわかるかもしれない。それに、この機械の使い方も教えてもらえるかもしれないと考えた。

 時延未来を早く救出しなくてはと気持ちが焦る。けれど意外にもいろいろなことを冷静に考えることができていた。

 ひょっとしたら、この世界に慣れてきているのだろうか?

 そんなことを感じながら移動コマンドを打とうとした。

 しかし、安全ピンを探すのに予想以上に時間をかけたせいか、ここでこの日のゲームは終了。

 ゲーム世界の中で布団の温もりを感じながら、眠りについた。

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