第四章 1

「島浦、昨日どうしたんだよ?」

 木曜の朝、前日島浦が学校を休んだことを大宅は心配してくれていた。これまで島浦が授業をサボるなんてことは滅多にないことだった。

「なんか、夜寝れなくて」

「あのゲーム、一日一時間って制約があってよかったのかもな。じゃなかったら、お前みたいのはとっくに廃人になっててもおかしくない」

「お前もな」

 一日休んだお陰か、疲れはすっかり取れていた。

 時間ルール的には、この日も朝やろうと思えば、ゲームをやれたのだけど、さすがに二日連続で学校を休んではまずい。そう思って、島浦は自分なりにマイルールを作ることにした。

 といっても、ゲームをする時間は夕方、学校から帰ってきてからだけにする、ということだけだけれども。

「もう事件解決できたのか?」

 大宅が気になっているのはそっちだったのだろう。

 僕は素っ気なく

「ああ」

 とだけ返した。

 大宅は目を輝かせ僕を見つめた。ちょっと気持ち悪い。。

 答を知りたそうな雰囲気ではあったけれども

「絶対、答を言うなよ。俺の楽しみがなくなっちゃうからな」

 とそれ以上話をするのを拒んだ。

「次のイベントはどんなだろうな?」

 島浦がそういうと大宅は

「うらやましいなあ。俺も早く事件解決して、次のイベントに進みてえなあ」

 と心の底からうらやましいという表情を見せた。


 帰宅後、島浦は慣れた手つきで準備を整え、ゲームを開始した。

いつもの部屋から始まる。スマホをチェックしたが、特に連絡は届いていなかった。

「次は何すりゃいいんだろ?」

 何をしたらいいかわからない。取り敢えずテレビをつけてみたり、部屋の中をウロウロしてみたりした。

「部屋の中を歩き回っててもらちが明かねえな。取り敢えず出かけてみるか」

独り言をつぶやきながら、玄関を開けて外に出る。

 いままでと変わらず大家や大家の弟がアパートの庭にいた。しかし、有益な情報は得られない。島浦は諦め、アパートから外に出た。

「そういや、こういうふうに目的なしで気ままに歩き回るのって、初めてかもな。これも今後のためにいい経験になるかもしれない」

 よし、今日は無計画に歩き回ろう。そう決めた島浦は特に目的地は決めず歩き始めた。迷っても一日の終わりには自分の部屋に戻れるのだから。

「おっ、あれは商店街かなんかかな?」

 島浦はお金の存在しない世界の商店街がどのように営まれているのか気になり、覗いてみた。

 商店街に着くと、そこにはよくある風景が広がっている。

 アーケード状の屋根の掛かった通りの両側には、八百屋や本屋、小さな喫茶店や駄菓子屋などが所狭しとひしめき合っていた。

 しかしそれぞれのお店をよく見てみると、現実世界の商店街とは明らかに違うことが見て取れる。どこのお店も商品がまったく置かれていないのだ。

 八百屋に野菜は一切置いてないし、本屋には本が一冊も置かれていない。

 ちょっと八百屋の主人に話を聞いてみようと、島浦は近づいた。

 八百屋の主人はねじり鉢巻にTシャツ姿、大きな黒いエプロンに長靴を履いており、いかにも八百屋然とした格好をしている。

「あの、すいません」

「へい、何でございやしょう?」

 恐る恐る声を掛けると、八百屋の店主と思われる男が威勢よく返事をした。

「このお店、八百屋ですよね?」

 すると店主は怪訝そうな表情をした。先ほどの明るい返事からは一変して低くくぐもった声で答える。

「決まってるじゃねえか。看板に『八百屋』って書いてあるだろ? お前さん、もしかして漢字読めないのかい? 今度からは漢字読めない人用にひらがなで書くようにしようかなあ」

 なんだかバカにされたようでムカつく。でもここでケンカを吹っ掛けても仕方ない。深呼吸して気持ちを落ち着かせよう。

「いや、漢字が読めなかったってわけではないんですよ。お店に一つも野菜が置かれていないもんですからね、ホントに八百屋なのかなあ、って聞いてみたんです」

 すると男は開き直ったように、お店に野菜がまったくない状況の言い訳をした。

「だって仕方ねえじゃねえか。この世界にはお金ってえものが存在しねえんだからよ。野菜を仕入れることもできねえ。それにこの世界では食事する必要もねえんだ。だから野菜も必要ねえってことだから、いいんじゃねえか?」

 だとしたらこの八百屋の存在意義は何なのだ?

 でもここでそんなこと言ってもまた気分を害されるだけだな。黙っておこう。

「ありがとうございました」

「おう、また来てくれよな」

 もう二度とこの八百屋の主人に話しかけることはないだろうと思いながら、その場を去る。

 商店街を歩いていると途中、電信柱のそばのベンチに、ひとり寂しそうに座っているおばあさんがいたので話しかけてみた。

 おばあさんは白髪をタマネギのような形に結い、傍らに杖代わりにしているのであろう乳母車を置いている。

 腰が曲がっているので前屈みになり、ぱっと見落ち込んでいるように見えた。もんぺ姿が可愛らしいおばあさんだ。

「あの、どうされました?」

 おばあさんは聞こえていないのか何も反応しない。

 少し声のトーンを上げて、もう一度話しかけてみた。

「おばあさん、どうされました?」

 するとおばあさんはゆっくり顔を上げ、僕を不思議そうな表情でじっと見つめている。

 少し間を置いた後、小さな声で語りかけてきた。表情が少し明るくなったようだ。

「あんた、おじいさんかの?」

『え? 僕が……おじいさん? 僕の顔がおじいさんに見えるのだろうか? なんか、気分悪いな。でもひょっとしたら、目があまりよくないのかな?』

 島浦はいまの状況を冷静に捉え、感情を抑える。

 おばあさんは耳も悪いようなので、滑舌よく、大きな声で話さないと、と気をつけて話しかけた。

「私はおじいさんではありませんよ。おじいさんを探しているんですか?」

 するとおばあさんは表情を曇らせた。

「そうかい、おじいさんじゃないのかい。どこ行っちゃったんだろうねえ?」

 愚痴をこぼす。

 あれ? これはひょっとしてイベントの一つなのか?

 だったら、おじいさんを探してあげないとな。

「おばあさん、私がおじいさんを探してあげましょう。だからおじいさんの特徴を教えてもらえませんか?」

 するとおばあさんはニコッと笑みを浮かべ、右手を差し出した。

『あれ? 触覚センサ的なものは着けてないはずなのに……』

 島浦は左手に何か温かいものを感じた。まるで、おばあさんが僕の手をギュッと握りしめているような感触。

 もちろんヘッドマウントディスプレイだけではいわゆる『触感』を感じることなど有り得ない。だけどこの感覚……。

 脳が勘違いしているのだろうか?

「へえ、ありがとうございます。おじいさんを探してくれるだか?おじいさんはな、わしと同じくらいの年やけん。見たらすぐわかると思うで」

 おばあさんは泣きながら僕の手を握りしめる。

「おばあさん、他に特徴はないですか? それだけだとちょっとわからないから、もうちょっと特徴を教えてもらえませんか?」

「ああ、ああ、おじいさんは男だよ」

 何の情報にもなっていない。

 その後も会話を続けたが、おばあさんから有益な情報は出てこなかった。

 仕方がないので、島浦は近くを歩いていたエプロンをつけている、いかにも専業主婦らしき女性に話しかけてみた。

「あのお、すいません。ちょっとお聞きしてもよろしいですか?」

 その女性は眉間に皺を寄せ、露骨に迷惑そうな表情を見せた。

「ええ、まあ少しだけならいいわよ」

「このおばあさんが、おじいさんを探しているらしいのですが、この方の説明だけではおじいさんの特徴がいまいちよくわからないのです。もし知っていたら教えていただけませんか?」

 それを聞いた女性はさらに眉間の皺を深くする。

「ああ、そのおばあさんね。ずっとそんなこと言ってるけど、おじいさんなんて始めからいないのよ。どこにも存在しないの。だから探したってムダよ」

 そう言ってその場を怒ったように立ち去ってしまった。

「なんだ、おじいさんは存在しないのか。じゃあ、このイベントはこれ以上何もすることはないのかな?おばあさんと話しててもらちあかなそうだし、別のイベントを探すか」

 島浦はぶつぶつと独り言を呟いた後、おばあさんに別れを告げる。

「じゃあね、おばあさん。僕は行きますから、気をつけてお家に帰ってくださいね」

 おばあさんは寂しそうな表情を浮かべる。

「おじいさんをよろしく頼みましたよ」

 僕に向けて軽く手を振った後、再び頭をガクッと落とした。

 おばあさんと別れてからしばらく歩いていると、商店街を抜け、砂場と鉄棒とブランコだけの小さな公園が見えてきた。

 砂場の横には現実世界では見たことのない、何かの装置のようなものが置かれている。だいたい二メートルくらいであろうか? 島浦より少し背の高い、長方形の箱型をしていた。

 その装置らしきものに近づき、それが何なのか調べる。

 外観は3Dプリンターで作ったようなガタガタ感。ちょうど島浦の頭くらいの位置に鉄格子がついている。

 鉄格子に顔を近づけると、箱の中身がかすかに見えた。中は空洞で、空っぽに見える。しかし奥までは光が届かず、何かあったとしても見えないくらい真っ暗な状態だ。

 鉄格子のある面から右側に回って装置の裏面を見ると、冷蔵庫のように空冷装置が付いているのがわかった。だが、これが何の役に立っているのかはよくわからない。

 鉄格子の左側面に小さな押しボタンがついている。

「押したら爆発しねえだろうな?」

 独り言をいいながら、恐る恐るボタンを押してみる。すると装置から甲高い機械的な女性の声が流れ始めた。

「これはNPC製造装置です。どなたでも一日に一体までお好きなNPCを製造することができます。それではお作りになりたいNPCを創造してください」

「創造する? 頭に思い浮かべれば、それが出来上がるってことか?」

 突然のことで何を思い浮かべたらいいかわからなかった。

 考えている内にふと商店街で会ったおばあさんのことを思い出す。

『おじいさん』というキーワードが頭に浮かんだ。

 二年前に亡くなった自分のおじいさんの顔が記憶の底からよみがえる。

 すると装置が突然光り出し、天空に向けて一筋の光線が貫いた。その一瞬後には光が消え、箱の中で何かがうごめいているのが見えた。

 鉄格子越しに恐る恐る中を覗いてみる。どうやら人間のようだ。

どうしたらいいかわからず、一人あたふたとする。やがて『ガチャッ』と鍵が開けられる音がした。

 箱が開く。中から出てきたのは……

「おじいちゃん」

 腰の曲がった、白髪頭のおじいさん。二年前に亡くなったおじいちゃんにそっくりだ。

 そんなバカな! まさか自分の脳波を読み取られているのか?

 島浦は背中に悪寒が走るのを感じた。

 呆気にとられ、口をぽかんとしたままおじいさんを見つめていると、こちらに気づいて右手を上げた。

「よっ」

 少し弱々しく、か細い声だが陽気な感じ。

「こんにちは」

 島浦は恐る恐る返事をした。

 このおじいさんを、おばあさんの下につれていけば、何か起こるかもしれない。そう直感した島浦はおじいさんに声をかけた。

「ちょっと商店街まで、一緒に行っていただけませんか?」

「いいよ」

 あっさり。

 おじいさんをつれて、商店街の先ほどのベンチの前まで来る。そこにはまったく変わらぬ格好で、おばあさんがうつむいたまま座っていた。

 おばあさんにゆっくりと話しかける。

「おばあさん、おじいさんをつれてきましたよ。この方で間違いないですか?」

 すると例の音楽が鳴り、目の前に

『Mission Complete!』

 の文字が浮かんだ。

 音楽が鳴り終わり、文字が消えると、おばあさんがゆっくりと話し始める。

「ありがとうよ、お若い方。この人こそ私の捜し求めていたおじいさんだよ。見つけてくれてありがとうよ。お礼にこれを受け取ってくだせえ」

 おばあさんから受け取ったものは『補聴器』だった。

 これが何の役に立つかはわからない。今後のイベントで何かの役に立つのだろうか? 取り敢えず捨てずに取っておこう。

「じゃあおじいさんや、家に帰るかね」

 そう言って、おばあさんはおじいさんをつれて、ベンチの真正面の家に入っていった。

 おばあさんが玄関を開けると、中からは大量のおじいさんが出迎えた。

 様々なプレイヤがこのイベントで創造したおじいさんたちだろうか? この家の中にどれくらいいるのか想像がつかないくらい玄関はおじいさんたちでぎゅうぎゅう詰めになっていた。

 この様子を呆然と眺めていると、この日の制限時間がちょうど訪れ、強制的に部屋に戻された。

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