第三章 5

 翌日。学校ではようやく虫野粋雄殺人事件の調査を始めた大宅が、イベントの状況について話を切り出した。

 二人はいま、同じイベントに参加中だ。しかし事件現場で一度もお互い顔を合わせていない。

 たしかに今回のイベントでは、これまでノンプレイヤキャラクタ以外の人物に一度も会ったことがなかったと島浦は思い出した。

「イベントによってはそういう設定になってるのかもな。要はみんなパラレルワールドで同じ事件の解決を試みてるってわけか。島浦にはだいぶ遅れをとっちゃったな。クリアした順位が早かったりすると何か特典があったりすんのかなあ? とにかく頑張んないとな」

 大宅は早期の解決を実現しようと息巻いている。とはいえ、現時点で島浦とは三日の差がある。

 事件に関係する人物が現れるのが、島浦が経験したのと同じペースだとすると、この差を埋めるのはかなりきついものがあるだろう。

 大宅も望んでいないのか、島浦からのヒントを求めることも一切なくお互い帰宅の途についた。

 三里が連れて行ってくれるという人物に早く会いたい。島浦はその一心で、いつもより駆け足でアパートに戻った。

 ゲームをスタートし、事件現場に向かう。そこではすでに三里が待ち構えていた。

「じゃあ、早速行きましょうか」

 三里がそういうと、見知らぬ場所に強制的にワープさせられた。

 目の前には豪邸と呼ぶにふさわしい建物と、その周りを取り囲むように生えた木々が芸術的に刈り込まれた広い庭を背景にした、重厚な鉄製の門が構えている。

「これからこの家の主に会っていただきます」

 門の前で、巨大な家をジッと見据えた三里が、重々しい口調で告げた。

「どういった方なのですか?」

 島浦は三里の背中をジッと見つめながら質問する。

「ふふっ」

 三里は軽く笑みを漏らして島浦の方に振り向いた。

「このゲームのプログラマです」

「プログラマ?」

 島浦は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

 三里は気にせず、門の脇に備え付けられているインターホンのボタンを押す。

「三里です。お客さんも一緒に中に入れてもらえませんか?」

 それから間もなくして、門が自動的に内側に向かって開けられた。

 三里は再び島浦の方に振り向き、ニコッと笑う。

「行きましょ」

 そう言うと玄関に向かってぐんぐんと歩き始めた。

 豪邸の玄関に辿り着く。そこにはこの家の家政婦らしき女性が待ち構えていた。視線を床に落とし、暗い雰囲気を醸し出している。

「こちらにどうぞ」

 抑揚の無い口調で家の中に案内される。

 リビングに通され、ソファに座って待つよう指示された。

 床にはペルシャ絨毯のような豪華な敷物が敷かれ、壁には難しそうな本がぎっしり詰まった、天井まであと少しというくらいの大きな本棚がいくつも備え付けられている。

 部屋の真ん中には膝の高さくらいのガラス製の台を備えた長テーブルが置かれ、ふたりはその奥に置かれた三人掛けのソファに腰かけた。

 ゲーム内でソファの触感まではわからないはずだが、フワフワした座り心地の良さを感じる。

 無言でしばらく待っていると、この家の主らしき男性が入ってきた。

「あっ!」

 島浦はその男性の顔を見て、思わず声を上げてしまった。

「久我さん?」

 部屋に入ってきた男は、説明会で説明員を務めていた久我だった。

「この久我さんは本物だろうか? それとも……?」

 するとその男は少し勝ち誇ったようなニヤリとした笑みを浮かべ話し始めた。

「ごぶさたしております、島浦さん」

「なんで僕の名前を知ってるんだ? あれだけいた参加者の中で、僕の名前を覚えてるなんて……」

 島浦は少し違和感を覚えた。

 しかし、その疑問はすぐに氷解した。

「私は久我をモデルにしたノンプレイヤキャラクタであって、久我本人ではありません。なので、会話もプログラミングされた範囲のみになります」

 声も久我にそっくりな気がした。

「ややこしいでしょうから、私のことは久我と呼んでください。それと、最初にあなたの名前をお呼びして少し驚かれたかもしれませんが、島浦さんはゲームの最初に名前をご登録されていますよね? プログラム上でその名前を繰り返すことは簡単な話ですから、ご安心ください」

「ま、そりゃそうか。あまりにこの世界がリアルなんで忘れそうになってたけど、ここはバーチャルの世界。リアルではないんだよね。でもここにいたら、ここがリアルだ、って思えてきちゃうよなあ。だから一日一時間って制限を設けたのかな?」

 島浦はほっと胸をなでおろした。

「ではよろしくお願いします、久我さん。まずお聞きしますが、虫野さんが亡くなられた当日、虫野さんは何の目的でこちらに来られたのですか?」

 久我はしばし黙考すると、古い記憶を手繰り寄せるようにゆっくりと話し始めた。

「虫野さんは新しい名前を欲しがっていました」

 新しい名前……? これが事件解決に重要な意味を持つのだろうか……?

 島浦は困惑した。

「それでプログラマである私のところにやってきて、名前を変えてほしいという要求をしてきたのです」

 島浦の頭の上には、はてなマークが飛んでいた。

「虫野さんは何のために、名前を変えたいなどと仰っていたのですか?」

「虫野さん、元々地味な性格のノンプレイヤキャラクタとして登録しようと思っていたのですが、私がプログラミングする際に他のキャラクタの性格と間違って、すごく明るい、活発なキャラクタに設定してしまったんですよ」

 こういうのをバグ、というのだろうか? でもこれがバグかどうかなんて、久我にしかわからないことだよな。と、島浦は考えた。

「そしたら、虫野さん、『こんな地味な名前じゃなくて、もっと派手な名前にしたいよ』なんてことを言い出したんですよね」

 少しねちねちした感じの声色。恐らくいまのは久我流の虫野粋雄のモノマネなのだろう。

「俺はこんな名前嫌だよ。『虫の息』なんて今にも死にそうじゃないか。もっと派手で、会った人全員に一発で覚えてもらえるような名前に変えてくれないかなあ」

 久我はいつもの自分の口調に戻して、その後の説明を続けた。

「それで、私と虫野さんの二人で、じゃあどんな名前がいいのか話し合ったんです。その結果、『すごく長い名前にすれば濃い印象を与えられるんじゃないか』という結論になったのです」

 久我は一つため息をつく。

「虫野さんは、私にあの有名な長い名前『じゅげむじゅげむなんちゃら』というのを託して、満足そうにご帰宅されました。虫野さんが帰られた後、私はプログラムを修正して虫野さんのファーストネームを変えたんです」

 虫野粋雄は帰宅後、首の無い状態で亡くなっていた。

 恐らく、久我の自宅を出るまでは嬉々としていたのだろう。自殺をするという気分ではなかったはずだ。

 ではなぜあのような無残な死に方をしていたのか?

 久我にもう一つ質問をした。

「虫野さんがこの家を出た時の精神状態は、いまのお話からすると、とても喜んでいた、と考えるのが妥当ですね。何かその後、自殺するような、あるいは誰かに殺められるような、そんな感じはありませんでしたか?」

 久我はバツの悪そうな表情を浮かべて、ゆっくり話し始めた。

「このイベントのプログラム担当って私ではなく、タイムマシン社の社員の方がされているんですよね。実は私、昨日まで虫野さんが亡くなったってこと知らなかったんです」

「え? このイベントは久我さんが意図して仕組んだものじゃないってこと?」

「昨日三里さんから連絡を受けて、初めてその事実を知ったくらいですから。まさかあの後、虫野さんが亡くなられるとは思ってもいませんでした。名前をインパクトのあるものに変えられる、ってんで嬉しさを爆発させてましたからね」

 ひょっとしたらこの事件はこれで迷宮入りなんじゃないか?

 しばらく考え込んだが、どうしたらいいかわからず、三人の間には沈黙が続いた。

 時間の流れは現実世界の十八分の一なだけに、少しの沈黙でも時間はどんどん過ぎていく。

 島浦はふと我に返り、どうせなら沈黙よりも、少しでも何か行動を起こした方が、事が進むかもしれないと思い、久我に次のような質問をしてみた。

「私は次に何をしたらいいかわかりますかね?」

 すると久我は、ノンプレイヤキャラクタらしい回答をするだけだった。

「その質問にはお答えできません」

 久我に会って話しを聞いた、というイベントフラグは立ったはずだ。この後はまた会える人に会っていろいろと質問をしまくれば何か進展があるかもしれない。

 取り敢えず事件現場に戻るか。島浦はそう考え、現場に戻った。

 この日はこれ以上何も進展が無く、制限時間を迎えた。

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