第一章 6
昼食時間終了。
弁当を食べ終わると、各自空になった弁当箱を、元あったバットの上に片付ける。全員が片付け終わったのを見計らい、松下がすっくと立ち上がった。
部屋の前方真ん中辺りに移動すると皆の方に向き、この日最後の説明を始める。
「ええ、皆さん本日はどうもお疲れさまでした」
一斉に『お疲れさまでした』という低い声がこだました。
「診断の結果の一部は後日に発送することになりますが、現時点で何か引っ掛かったという報告は聞いておりません。なので、おそらくこの後、ここにいる全員にヘッドマウントディスプレイをお渡しできることになりそうです」
部屋のあちこちから
「よし」
とか
「やった」
と言った声が聞こえてくる。
大宅も『おしっ』と言いながら小さくガッツポーズをしていた。
一方、島浦はといえば、嬉しい気持ちはあったものの、なぜか手放しで喜ぶ気分にはなれず、淡々と松下の言葉を聞いていた。
「準備できしだい、順番にお渡ししますので、もうしばらくその場でお待ちください」
周りが俄然騒がしくなった。隣で大宅が何か話しかけてきても何を言っているかよくわからない。
「ヘッドマウントディスプレイをお渡しする前に、簡単に操作方法の説明をします」
周りがガヤガヤとうるさい中、松下は話を続ける。
このタイミングで、久我が箱を一つ手に持って部屋の中に入ってきた。
入り口にはまたあの女が立っている。島浦は久我の持ってきた箱よりも、その女の方が気になった。
島浦が女性を見つめている間に、久我が説明を始めた。
「皆さんには、この箱に入った状態でヘッドマウントディスプレイをお渡しします」
再び歓声が上がる。久我は叫ぶように話を続けた。
「箱を受け取りましたら、はやる気持ちは十分にわかるのですが、まずは箱を開けていただき、不足しているものがないか、中身の確認を必ずしてください。足りない物があったら、私なり松下なりに申し出ていただくようお願いします」
久我は横に置かれた机の上に箱を置き、中身を取り出した。
「箱の中にはこれだけの物が入ってます」
一つ一つ、皆に見えるように箱の中身を掲げながら、内容物を紹介する。
「これがヘッドマウントディスプレイ本体、次に充電器、音声入力用のマイクと説明書です。」
ここまで説明し終えると、久我は参加者をぐるりと見回した。
「簡単に使い方を説明します。使っていてわからないことがありましたら、二十四時間体制でスタッフが常駐しておりますので、説明書の背表紙に書かれております電話番号もしくは、メールアドレスに、お気軽にご連絡ください。またここに書かれたHPから質問用のフォームもございます。そちらからも質問できるようになっていますのでご利用ください」
皆、興奮状態でなかなか静かにならない。久我は声を張り上げる。
「充電に関しての注意点を申し上げます。充電しながらのプレイも可能です。一度の充電で三時間程度プレイできます。できれば二回に一回はフル充電されることをおすすめします。充電時間が残り少なくなりますと、それを検知して、強制的にゲーム終了となりますのでお気をつけください」
充電は最近トレンドのワイヤレスではないらしい。そこは不便そうだ。
「それとインターネットへの接続ですが、有線によるLAN接続とワイファイによる無線接続のどちらでも可能です。説明書きがついていますので、これを見ながら接続を試みてください。わからない場合はいつでもご質問ください。では、ここからはゲームの操作方法について説明します」
そこまで説明すると再び息をつく。大声を張り上げているので説明するのも体力がいる。
「ヘッドマウントディスプレイはこのように装着してください。後頭部にありますこの機構で調節可能です。ご自分にフィットするよう調節してください。それとここにマイクを取り付けます。このように必ずご自分の口元にセットしてください」
久我が実演しながら説明を続ける。
「右耳の辺り、この辺にボタンがありますので、五秒ほど長押しします」
久我はボタンを押すところを皆に見えるように、身体を横に向ける。
「そうすると『ピコッ』という電子音と共に起動しますので、ゲームが始まるまでしばらくお待ちください」
そう言うと、正面に向き直り、直立不動の状態になった。
三十秒ほど経ち、起動が完了したのか再び口を開く。
「続いて、こちらのスクリーンにご注目ください。以後はこちらを見ながら説明します」
松下が置かれていた大きなテレビの電源をオンにすると、そこにゲームのオープニング画面のようなものが映し出された。部屋の中はようやく静かになった。
「スクリーンにはいま、ヘッドマウントディスプレイに映っている画面と同じものが映っています。ヘッドマウントディスプレイが起動しましたら、二通りの方法のどちらかで操作してください。一つは音声による入力、もう一つはアイトラッキングによる入力です」
久我がヘッドマウントディスプレイを装着したまま、左手人差し指でマイクを指し示す。
「オープニング画面で、『スタート』とマイクに向かって言ってもらえれば、ゲームがスタートします」
タイトルが消え、オープニング画面からゲーム画面に切り替わるのがわかった。
画面が切り替わるとすぐに『終了』と久我がマイクに向かって叫んだ。説明のために再びオープニング画面に戻したのだろう。
「あるいは、画面の右側にコマンドが並んでおりますので、そこに視線を移動します。視線を移動しますと、コマンドの背景色が反転します。実行したいコマンドの背景色が反転しましたら、次はマウスをダブルクリックする要領で、二回まばたきしていただくと、そのコマンドが実行されます」
いわゆるアイトラッキングという操作方法だ。これを実現しているハードはまだあまりない。これは自慢できる、と会場にいる誰もがそう思った。
ここで一度久我はヘッドマウントディスプレイを外し、机の上に置いた。そして自身の目を指さして、目をパチクリさせる。
「こんな感じです。コマンドによっては対象物を確定する必要がある場合があります。そういう時は視線の先が薄紫っぽい色に変わります。視線を移動して、目的の対象物がその色になりましたら、先ほどと同様に、二回まばたきしていただくと、その対象物に対してコマンドが実行されます」
ここで再び久我はヘッドマウントディスプレイを装着する。
「ゲームの中には他の参加者もいますし、NPCいわゆるノンプレイヤキャラクタというプログラミングされたキャラクタもたくさんいます。そういった人たちと会話するのはマイクを通して普段通りに会話をしてください」
一気にしゃべって口の中が乾いたのか、久我さんはヘッドマウントディスプレイを少しずらして、机の上に置かれたペットボトルの水を少し口に含んだ。
ペットボトルのふたを閉めながら説明を続ける。
「ヘッドマウントディスプレイを装着した状態でのどが乾いたら、こうしてください」
モニター参加者たちが疎らに笑う。
「移動の方法は三種類あります。一つ目はコマンドで『移動』を選んでください。『移動』コマンドを選択すると、移動可能な場所の名前がいくつか表示されます。その中に行きたい地名があれば、それを選んでください」
スクリーンは久我の説明に連動するかのように画面が切り替わっていく。
「二つ目はイベントです。イベントによっては、自分の意思に関係なく、強制的に移動させられることがありますのでご承知おきください」
これに関しては実演がされるわけではないようだ。淡々と説明は続く。
「最後、三つ目の方法は、視線による移動です。こうやって視線を左右どちらか端に移しますと、視界がこのように移動して、三六〇度周りを見渡すことが可能です。画面の上の方に三角形の印があるのに注目してください」
ここでスクリーンの上の方に見える三角印を松下さんが手で示した。
「この三角形の印に視線を合わせていただくと、このように前方に移動します」
ここまで説明すると、久我はまたヘッドマウントディスプレイを外した。
「以上で説明は終わりですが、何か質問ありますか?」
久我はそう言うと、参加者を見回した。
しかし、手を上げる者も、言葉を発する者もいない。
「実際にやり始めたらわからないことも出てくるかと思いますので、いつでも気軽に二十四時間サポートのヘルプセンターにご連絡ください。今日のところはご質問がないようなので、これにてすべて終了とさせていただきます」
皆、興奮が抑えきれないのだろう。再びざわざわし始める。
「皆様、本日はお忙しい中お越しいただき、どうもありがとうございました。それでは皆さんにヘッドマウントディスプレイをお渡ししますので、順番に並んでお待ちください」
部屋の入り口を見ると、いつの間にかモニター参加者の人数分あると思われる大きな手提げ袋が用意されていた。
それを見た参加者のほぼ全員が、我先にと立ち上がり列を作る。島浦と大宅も負けじとその列に並んだ。
ヘッドマウントディスプレイの入った袋を手渡され、一旦近くにあった机の上で中身を取り出す。不足物がないことを中に入っていた図を見ながら確認した。
特に問題がない。さ、帰るか、と島浦は大宅を促した。
現物を受け取ったことで、島浦の気持ちもようやく高揚してきた。
二人とも気持ちが高ぶっていたせいか、歩いている間も、電車に乗っている間も、ずっとしゃべり通しだった。
しゃべり通しではあったけれど、どこにも寄り道することなく、真っすぐ自分たちの部屋に帰っていった。
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