第一章 4

 健康診断当日。

 島浦と大宅は横浜医薬科大学付属の大学病院に向かった。

 最近建て替えたばかりなのか、燦々と輝く太陽の日が反射して、真っ白な巨体がまぶしく見える。

 島浦は空のリュックサックをいつものように片掛けにしていた。一方、大宅は完全手ぶらだ。

「手提げ袋くらいはもらえるだろ?」

「たしかに、そりゃそうか。まあでも持ってきてしまったものは仕方がないよな」

 守衛の見張るゲートが見えてきた。そこに近づくと、

『モニター応募の方はこちら』

 と書かれた立て看板が目に入った。その文字の横には上向きの矢印が書かれた貼紙が貼られている。

 三日前に送られてきた案内のハガキを守衛に見せる。すると二人の顔を見てニコっと微笑んだ。

「モニター応募の方は、立て看板の案内に従って進んでください」

 守衛は手を矢印と同じ方向に掲げ、入場を促した。

 案内に従い、ガラス製の自動ドアを抜け、建物の中に入る。また立て看板だ。今度は階段で二階に上がるようにとの指示。

 建物の中も外観と同じくピカピカ光り、新しい建物だというのが実感できる。

 一八〇度の折り返しのある階段を登りきったところに、今度は右に進むよう指示する立て看板が目に入った。その先からガヤガヤとたくさんの人の声が聞こえてくる。

 開かれたドアの左脇には

『ヘッドマウントディスプレイ モニター応募者集合場所』

 という紙が貼られた立て看板が置かれていた。

 案内に従い部屋に入る。整然と並べられた長テーブルにはすでに三十名ほどが座っていた。

 七、八十名程度座れるようにセッティングされているが、まだ半分以上が空席になっている。

 そこにいる人々は、これから起こることへの期待感からか、興奮状態でしゃべっている者が多かった。

 島浦たちは空いている二列目真ん中辺りの席に座った。

「参加人数ってこんなもんなんかな?」

 島浦が少し抑えた調子で疑問を口にする。大宅も島浦に合わせ、抑えたトーンで答えた。

「あともう少し増えたとしても、全部で四、五十人ってところかなあ?」

 最終的に説明会の参加者は全部で四十名程度だった。

 開始時刻になった。

 主催企業の者と思われるスーツ姿の男性が入ってきた。これまで騒がしかった部屋の中が一変して静まり返る。

 男性はすらっとした長身で、グレーのスーツを身にまとい、髪をオールバックにした、見た目はよくいるサラリーマン風の男だ。

 彼は部屋の前方真ん中辺りまで進み、モニター参加者たちの方に体を向けた。

 全体をぐるりと見渡した後、ニコっと微笑む。

「今日は皆さんお忙しい中、わざわざこの大学病院まで足をお運びいただき、まことにありがとうございます。私は、今回皆さんにモニターをお願いする立場でありますタイムマシン株式会社で、新規ゲームの開発責任者を担当しております松下と申します」

 ここで一呼吸置き、軽く会釈をした。周りの参加者も皆、それにつられて頭をちょこんとする。

「本日はこれから三十分ほど、皆さんにお願いしたい内容の説明をさせていただきます。少し長くなるかもしれませんが、しっかりとご理解、ご納得していただいた上で、モニターに参加していただくようお願いします。では、始めたいと思います」

 再び軽く会釈をした。やはり皆同様に頭を下げる。

 松下はその姿を見届けると、再び話し始めた。

「では、早速、説明を始めさせていただきます。今回皆さんにはこれを使っていただきます」

 松下はそういうと、部屋の前方奥、窓側の隅に設置された小机に向かって歩き始めた。

 小机の手前で立ち止まると、そこに置かれたケーブルが生えたプラスチックケースに手をかけた。

 モニター参加者たちの目が一斉にそちらに注がれる。

 ケースを持ち上げると、中からゴーグルのようなものが現れた。

「これが今回皆さんに使っていただくヘッドマウントディスプレイです。この後行われる健康診断が終わりましたら、合格した皆さん全員に一台ずつお配りします」

 松下は全員の反応を確かめるかのように、再びぐるりと全体を見回した。

「若い方ばかりなので、基本的に健康診断で不合格になることはないと思っていますが、一つだけ確認しておかなければいけないことがございます。皆さんの中でてんかん持ちの方はおられますでしょうか? おられましたらこの場で手を上げてください」

 松下が右手を上げる。しかし、他の誰も手を上げなかった。

「いないですか? もしてんかん持ちの方がおられましたら、後からでもいいので申し出てください。ヘッドマウントディスプレイを使うことで、てんかんによる発作が起こる可能性があります」

 右手を上げたまま、ぐるりと部屋全体を見回す。

「規約としまして、今回のこのモニターではてんかん持ちの方のご参加をお断りさせていただいております。もし無申告により発作が起きましても、当方では責任を負いかねますので、ご承知おきください」

 それでも自らてんかん持ちを申告する者はいなかった。

 そりゃそうだろう。自らこの楽しみを放棄する者などいない。健康診断で運悪く引っかかってしまったら諦めるより他ないだろうが、と島浦は心の中で思った。

 誰も手を上げないことを確認して、ようやく松下が手を下ろした。

「それでは説明を続けさせていただきます。今回のモニターでは、皆さんにこのヘッドマウントディスプレイを使ってバーチャルリアリティの世界を楽しんでいただきます」

 ふと大宅とは反対側の隣の人の顔が目に入った。彼の目が一瞬にして輝き出したのがわかった。

「我々が提供いたしますバーチャルの世界で、皆さんにはいろいろなイベントに参加していただいたり、生活を楽しんでいただいたりします。この世界は、皆さんに参加していただいている間に、どんどん進化していく予定です」

 モニター参加中に世界がどんどん進化していく。ネトゲの楽しみでもある。いったいどんな世界が待ち受けているのだろうと妄想を膨らませる。

「正直申し上げまして、いまの段階では、ゲームの世界としてはかなり貧弱な状態だとお感じになられるかもしれません」

 この時点で誰か怒り出す者がいると予想していたのだろうか? 松下さんは『ふうっ』と一息吐いてから話を続けた。

「モニターの目的の一つ目として、皆さんの反応を見させていただきたいと考えています。どのようなイベントだったら喜んでいただけるのか? 正式リリースに向けてのテストと考えてください」

 つまり、つまらなくても文句を言うなということだ。

「その代わりと言ってはなんですが、正式リリースされる暁には、開発協力者として皆さんのお名前がクレジットされることになります。ですから、皆さんはこのソフトの開発者の一員として、本リリースに向けての重要な役割を担っていることをご承知おきください」

『おおっ』という野太い歓声が方々から上がった。

 大規模ソフトの開発者の一員として参加する。ワクワクせざるを得ないに違いない。

 参加者の表情を見て満足したのだろうか? 松下はにやけた表情で話を続けた。

「それともう一つ目的がございます。こちらも重要な話になりますので、心に留めておいてください」

 松下の声が少し大きめだったからか、部屋中がしんと静まり返った。

「皆さんにはこれから現実の世界とは異なる、バーチャルの世界での生活を楽しんでいただくことになります。これまで同じようなゲームは存在していたと思います。しかし、そのことによる健康への影響については、懸念の声があるにもかかわらず、あまり研究されてきませんでした」

 全員の反応を見るように、一瞬間を取る。部屋の中は静寂に包まれていた。

「今回のモニターでは、皆さんにバーチャルの世界を楽しんでいただくのと合わせて、健康への影響を確認させていただきたいと考えております。これに関しては横浜医薬科大学さんのご協力をいただいております」

 松下が部屋の入り口にちらっと目をやった。

「では、横浜医薬科大学の久我煌己(くがこうき)から説明をいたしますので、皆さん、このまま席でお待ちください」

 いつからいたのだろう? メガネをかけ、ひょろりとした中背中肉の若い男が立っていた。

 その隣には男と同じくらいの年齢と思われる女もいる。

 誰だろう? きれいな人だな。そう思いながら、島浦は見とれていた。

 若い男は一礼をすると、松下のいる方へゆっくりと歩き出した。女はその場から動かない。

 男が松下の隣まで来ると、参加者の方向に身体を向け、再び一礼をする。

「おはようございます、横浜医薬科大学大学院狭間研究室の久我煌己と申します。ただいま松下さんからお話のありました『健康への影響』というところにつきましての説明を、私久我からさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします」

 あいさつを済ませるともう一度お辞儀をする。

「今日、皆さんにこの場にお集まりいただきました理由の一つとして、すでに案内を読んでご承知かとは思いますが、健康診断を受けていただくことになっております」

 ここで一度、久我は入り口にいる女に目配せをした。

「今回のモニターは一年間というかなり長期の計画で進めることになっております。皆さんにはタイムマシン株式会社様に提供していただくバーチャルリアリティの世界を継続して体験していただいた上で、一年後、再び健康診断を受けていただきます」

 つまり一年後にまたここに来なければいけないということか?

「これから体験していただくバーチャルリアリティの体験が、皆さんの健康状態にどのように影響しているのか? その調査を目的としています。それと、ここは重要なところなので、よく聞いてくださいね」

 久我は壇上に置かれたペットボトルを口にした。

「皆さんにこれから体験していただくシステムは、一日にプレイできる時間が決まっています。ゲームスタートから一時間経ちましたら、強制的にゲームが終了する仕組みになっております。そして、一回のプレイ後は最低十二時間、間を置かないと起動しない仕掛けになっています」

 いくら続きをプレイしたくても、すぐにはできない。なんだかイライラしそうな仕掛けだ。

「また現実世界、つまりいま皆さんのいるこの世界の時間で、午前零時から二十四時の間でプレイ可能な時間は一時間のみに制限しています」

 ん? どういうことだ? という表情が会場内に溢れた。皆、よく理解できないという様子だ。

 そんな雰囲気を感じ取ったのか、久我は黒板に説明用の図を書き始めた。もう一度時間の概念について説明を繰り返す。

「午前中にプレイを終えた場合は、いくら十二時間経っていたとしても、次の日の午前零時までプレイできません。また午後にプレイを終えた場合は、その時間から十二時間後までプレイを再開できません」

 図を見て皆、ようやく理解できたようだ。それでも、ゲーム時間を制限されること自体に納得できない、という表情は多い。

「皆さんの健康を損ねないようにという配慮から、このような仕組みにさせていただいておりますので、ご承知おきください。今回の実験に関しては、もちろん厚生労働省からも認可をいただいております。ですので、安心してご参加ください」

 ここまで話すと、久我は松下に目配せをした。

 それを受けて、今度は松下が参加者に顔を向け話し始める。

「そういうわけでありまして、今回皆さんにお願いするこのモニターは、官民一体となっての取り組みであります。先ほどからも申し上げております通り、皆さんは非常に重要な役割を担っております」

 そう言われるとなんだか身が引き締まる思いがする。島浦はそう感じた。

「ぜひ最後まで一緒に協力し合って、ソフトの正式発売まで漕ぎつけたいと願っております。これから約一年に渡るモニターへのご協力、ぜひよろしくお願いします」

 言い終わると、松下と久我は二人同時に参加者に向かってお辞儀をした。

「ではこれから早速、身体検査を始めたいと思います。部屋を移動しますので、荷物を持って、私についてきていただくようお願いします」

 久我がそう言うと、参加者全員が席を立ち、ぞろぞろと二人について移動を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る