名前のつけられない関係性
大学4年〜社会人2年目という時期は、あちこちの大学生カッポゥが最後の審判を迎える時期であります。
特に大学4年生は人によって単位とか単位とか就活とか恋愛とか、色々保留してたものに決着をつける時期でもあります。
「個人の進路が恋人の運命を引き裂く...!」
みたいな話は高校から大学あたりで経験してる人はしてるかもなんですが、
大学生ってのは
・経済的に半自立
・生活環境は自立
・場合によっては同棲/半同棲
・同棲/半同棲に伴う性生活
という、高校生とは違う生活をしているので、似ているようで実はシチュエーションが違います。
高校生に毛の生えた程度の連中が親元離れてセケンテーと無縁の楽園ライフですからね、高校生活から見ても社会人生活から見ても結構むちゃくちゃやってる人少なくないわけです。
楽園ライフも終焉を迎えまして清算の時間が来ますと
・あれ、これ遠距離になるやつじゃね?
・片側が先に社会人になっちゃうけど…
・俺らってセフレだよな?
・結婚前提のお付き合いですよね?!
・え、就職先まで束縛するのかよ…
…などなど様々な問題が噴出してまいります。
もともと大学生はレポートとか先送りが大好きな生き物ですから、人間関係も先送りにしてたツケが回ってくる人もいるわけです。
この関係性は恋人なの?
恋人だとしたらどれくらい真剣なお付き合いなの?!
そんなことを突きつけられるポイントになります。
「真剣だけど、お互いのために別れよう…」
なんて人もいますし
「これからもよろしくね。ボーナスはたいて逢いに行くよ!!」
なんて今時キトクな人もいるのです。
今回表題は「今日から始める恋人ごっこ」ですから、「そもそも恋人のくくりに入る恋愛してない」という大学生にありがちな関係性の話をしていきたいと思います。
大学生はよくわからない爛れた関係性を作る天才で、「友達」「恋人」「セフレ」だけでは説明のつかない人間関係を結んでいる人も珍しくないです。
キャンパスの中で生活していても、クラス、サークル、研究室、昼飯仲間などなど…人との関わり方は多様です。
人によっては大学時代は人生でもっとも広範囲な交友関係を持つ時期だと思います。
小学校に入ってから12年間、クラスという小さな箱に収められて育ってきた日本の学生は、大学のような雑多な社会の中でうまく人間関係を組み立てるのが必ずしも得意ではありません。
人間関係なんてもともと雑多なものなのですが、やりくりするにはそれなりのルールが古くからあります。若さゆえか、あえてそうしているのか、そういう手順を時々大学生は飛ばします。
よくありがちなミスとして「関係性に名前をつけ忘れる」というのがあります。
これはさして難しい話じゃないんです。
「彼氏・彼女」
「セフレ」
「ソフレ」
関係性は最近多様化してきて色々呼び名が増えて厄介なんですが、どんな関係であれ、大事なのはちゃんと「私たちの関係性ってこういうものだよね?」という双方の合意に名前をつけることなんです。
関係性に名前をつけないのはかなり楽です。
お互いに名前をつけないというのは、互いに名前のない関係性を続ける理由があるんです。
逆に言うと、名前をつけてしまうとなにか不都合があるから、名前がないままに関係を続けようとするんです。具体的にそれが何かはわかりません。
疑似家族みたいな役割だったり、アッシー君だったり、ケースバイケースですが、多くは性愛を挟んだ奇妙な言語化しにくい関係性です。
いや、それ別に彼氏彼女関係でもそういうのあるでしょう?
彼女に母性感じてる彼氏とか、彼女介護してる形系彼氏とかいるじゃん!
それも確かにそうなんです。
別に世間でいうところのカレカノというのは、同じ「彼氏」「彼女」という言葉で表現してるけど、文字通り千差万別。カップルの数だけ全然違う関係性があります。
ただ、「関係性に名前をつけ忘れる」ことで本当に厄介なのは、「言語化しない呪いは終われない」というポイントだと思うのです。
結婚というのは要するに契約です。
夫婦の「契り」という言葉が表すように、少なくとも日本では性的関係=契約=事実婚でした。
一緒に寝てれば「メオト」ですから、こんなに簡単な話もないです。
ただ、現代に至って個人が強まった結果、結婚と性的関係が分離され、擬似メオトである「恋愛」と法的拘束のある「結婚」が切り離されました。
ゆえに現代の恋愛では
・関係性の名前
・名前による拘束力
・性的関係
が放っておくとバラバラになる可能性をはらんでいます。
恋人を「彼氏」「彼女」と呼ぶ風習はどうも昭和初期ごろからあるみたいですが、そこから平成の末に至るまでの間に、ざっくりとした「彼氏・彼女の様式美」が形成されました。
・告白によってその関係性を開始する
・別れることでその関係性を終わる
・プロポーズで結婚関係に昇格することもある
・浮気してはならない
基本的にはこの4原則です。
特に最後は守ってるか守ってないかはおいておいて、一応の原則。
三年目の浮気くらい大目に見ろよ。
「デート週1」
「別れる時はビンタ」
「1ヶ月ごとに記念日を祝う」
「手を繋いだら浮気」
「浮気したら切る✂️」
色々ローカルルールや補則はありますが所詮は補則です。
基本の大原則を考えた奴は天才だと思うんですが、一番すごいところは、この関係性は「終われる」というところだと思います。
あらゆる呪術や儀式にはかけ方があると同時に「解き方」があります。
十字を切るとか、エンガチョとか、本格的なやつだと人型を焼くとか、器を叩き割るとか。
元彼の写真を焼くとか、携帯のサバを折るとか。
(最近は使えなくなりましたね、この手。iCloud経由で元彼も元カノも新機種に帰ってきちゃいますから。)
これらに共通しているのは、名前とか象徴的なモノとかの「記号」に関係性を結びつけて、それを壊したり終わらせたりする方法です。
本当のことを言えばどんな関係性にもカタチなんてないので、なにか不都合が生じても儀式がないと終わらせることができないのです。
大学生で時々見かけるのが、あえて関係性に名前をつけず、ダラダラとなんだかよく分からない関係を続ける人たちです。結局問題の先送りにはなっても、いざという時がつらいです。「別れよう」とか言ってみたところで心の整理はつきません。
だって最初から付き合ってないから!
性的関係を結ぶとか、一緒に住むとか、そういうことの前に、互いの関係性を言語化することをしていないから。
コトバの上ではそこに何も関係はない。ただ事実だけが先行してしまいます。
そうして別れて、そういえば私は誰とどういう関係を結んでいたんだっけ…?と呆然とする人を何人も見てきました。
80年代以降、自由な性のスローガンの下、性の解放が進み、人はあらゆる関係性から自由であろうとしました。結果として自分は父親でも、息子でも、彼氏でも、夫でもない、ありのままの自分だと表現しようとする時代が到来しました。
よほど賢くて心の整理が上手な人ならいざ知らず、ほとんどの人にとってそれはとても難しいことでした。良くも悪くも、人間は役を演じる生き物だからです。
そして名前があることで、その関係を終わらせたり変えたりすることができます、そういう仕掛けでした。名前や道具や決まった手順が昔から存在するのは、それなりに理由があってのことなのです。
あの、そんなわけで皆さん後が辛くなるので
不倫でもセフレでも、ちゃんと関係性には一応名前をつけましょうね。
名前のつけられない関係性 没法子(めふぁ) @mayfarz
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