第187話 本当に大切なものはお金じゃ買えない、っていうけど本当にそう思う


「勝手にお邪魔させてもらった。まぁ、挨拶する間柄でもないだろう」


 仮面の男はどうでもよさそうに告げると、こちらに歩み寄り、ブライトの対面にあるソファに腰を下ろす。その姿に見覚えがなかったが、ブライトには目の前に座る男が何者なのか合点が付いた。


「……魔王軍指揮官、クロ」


「流石は情報が命の商人。耳が早いようで」


 自分の正体が看破されても、クロに一切の焦りはない。まるで友人と話すような気安さでブライトに目を向けた。


「マケドニアで今、渦中の男がこんなボロ屋敷に何の用だ」


「ボロ屋敷とは謙遜を通り越して嫌味に聞こえるぞ?こんな立派な屋敷、上でのらりくらりと暮らしている貴族の家でもなかなかお目にできないからな」


 クロが大仰に両腕を開いて部屋を見回すが、ブライトは身じろぎもせずに鋭い視線をクロに向けている。そんなブライトを見て、クロは肩をすくめながらため息を吐いた。


「無駄な話は好きじゃないみたいだな。なら、さっさと本題に入らせてもらおう」


 そう言うと、クロは指を組み、膝の上に肘を乗せると、少しだけ前かがみになる。


「単刀直入に言わせてもらう。マリア・コレットはこちらで預かっている。返して欲しければここにある全ての財をこちらによこせ」


「なるほど、わかった。屋敷も含め、ここにある全ての物をそちらに引き渡そう」


「…………え?」


 予想外の反応に、クロが目を丸くしながら素っ頓狂な声をあげた。


「聞こえなかったのか?全てを引き渡すといったのだ」


 そんなクロの様子を気に留めることなく、ブライトは平たんな声で告げる。クロは仮面の下で眉をひそめながらブライトのことを観察していた。


「……随分あっさり決断するのだな。全てだぞ?」


「そうだ」


「それをこちらに渡したら貴様は無一文になるんだぞ?」


「それがどうした」


 ブライトは一瞬たりともクロから視線をそらさずに、力のこもった口調で言う。その目には確固たる意志が浮かんでいた。


「……思っていた男と違うようだな。ブライト・コレットは金の亡者だと聞いていたんだが」


「そうだな。その情報は間違っていない」


 クロに怪訝な表情を向けられてもブライトの顔は全く変わらない。


「ならば、なぜそんな簡単に手放すことができる?金はあんたにとって命と同義だろう?」


「単純なことだ。命よりも大切なものがあるからだ」


「大切ねぇ……」


 クロは値踏みをするようにブライトを見ながら、自分の顎を撫でた。


「その割には、その大事な娘をどこぞの学園に押し込んだみたいじゃないか」


「……耳が早いのはお互い様、ということか」


 ブライトはここで初めてクロから視線を外す。少しの間、無言で考えていたブライトはゆっくりと顔をあげた。


「確かに、私はマリアをマジックアカデミアへと入学させた」


「それはなぜだ?」


「死んだ妻と重なって見えるマリアと一緒にいるのが耐えられなかったからだ」


 誰にも言ったことがない自分の心内を、会ったばかりの男に話す。いや、むしろ面識がないからこそあっさり言えたのかもしれない。


 ブライトは血がにじむほど自分の拳を握りしめる。


「父親失格だ、となじられても文句は言えない。あの頃の私は自分が楽になる事しか考えられなかった」


 目に見えない何かに懺悔するような口ぶり。クロは何も言わずにブライトの話に耳を傾けていた。


「そんな折、マリアが学園からいなくなったという報告を受けた。その時に私の心を埋め尽くしたのが後悔だ」


「後悔?」


「娘と真正面から向き合わなかったことに、だ。こんなにも大切に思っているのに、その大切なものから逃げ出した。しっかりとマリアのことを見てやれば、こんなことにはならなかったのにな」


 ブライトの拳からツーッと血が垂れる。だが、ブライトは握る力を緩めることはなかった。


「大切なことに気づくのが遅かった……いや、マリアが産まれたときから気づいていたのに目を背けてしまった。妻が死んだあの日からな」


 妻が死んだあの日から全てが変わってしまったと思っていたがなんてことはない。変わったのは自分だけなのだ。


「なるほどな」


 仮面に隠れた顔からはその心情を読み取ることができない。ただ声は呆れるでもなく、憐れむでもなく、事実を淡々と受けているようであった。正直、ブライトにとって一番ありがたい反応だ。


「私はな、指揮官。お前に感謝しているんだ。財産という何の価値もない物で、私にとって価値のつけられない宝を返してくれると言っている……愚かな私に詫びるチャンスをくれようとしているんだから」


 何物にも代えがたいものを、自分に与えてくれるのだから。


 それまでブライトの顔をじっと見つめていたクロはゆっくりと息を吐くと、ソファの背もたれに寄りかかった。


「……感謝されてもな。我々は敵同士で、こちらはその宝とやらを人質に取っているのだぞ?」


「それでも、もう一度マリアに会わせてくれようとしているなら、私にとっては救世主と何ら変わらない」


「救世主ねぇ……そう言われたのは初めてだな」


 クロは楽し気に言うと、口の端を歪めて邪悪な笑みを浮かべる。


「なら救世主から一言忠告してやろう。あんたは確かにあの娘を大切に思っているようだ……だが、マリアの方はどうかな?」


「っ!?」


 ブライトの肩がビクッと震えた。クロの笑みが益々深まる。


「辛かっただろうなぁ……くだらない理由で行きたくもない学園に通わされ、そこでみじめな思いをさせられ、その話を父親のあんたは聞こうともしない。母親を失って悲しいのは同じだというのに、その気持ちが一番理解している相手からは拒絶される」


「…………」


「憎んでいるかもしれないなぁ……いや、憎んでいない方がおかしい」


 クロの言葉にブライトは何も答えることができなかった。ぐうの音も出ないほどの正論。なぜ目の前にいる男がここまで自分の娘のことを知っているのかはわからないが、言っていることがいかに正しいかは激痛が走る自分の心が証明していた。


「それでもあんたは全てを投げ出すというのか?自分を恨んでいるかもしれない相手のために?」


 クロが試すような視線を向けてくる。ブライトはクロの言葉をかみしめるように両目を閉じた。


 マリアが自分のことを憎んでいる、そんなことは百も承知であった。自分に掛け値なしの愛情を与えてくれる母親を失ったマリアの絶望ははかりしれないはず。それなのに父親である自分は寄り添うことはせず、不幸なのは自分だけだと子供のように塞ぎ込んでしまっていたのだ。


 そう考えると、マリアが魔族領に赴いたのは、自分から逃げ出したかったのかもしれない。自分の下から少しでも離れたかったがために、何も言わずに行ってしまったのかもしれない。そうであれば、マリアを取り戻したいというのは、ただのエゴだ。


 …………でも、


「あぁ、私は全てを投げ出す」


 自分はこのエゴを貫き通したい。


「ここに帰ってくることがあの子にとって幸せかどうかはわからない。だが、私はもう一度あの子に会わなければならないのだ……あの子に謝らなければならないのだ!!その結果、私を拒否して、私から逃げ出しても構わない!!それでも私はあの子に……!!」


 ブライトはバンッと両手を置くと、机を砕く勢いで頭を下げる。


「頼むっ!!私からすべてを奪っても構わない!!マリアに!!!!もう一度マリアに会わせてくれっ!!!!」


「…………」


「お願いだ……!!」


 必死に頭を下げながら肩を振るわせるブライト。そんなブライトを見て、クロは僅かに口角をあげた。


「……と、こんな所でいいかな?マリアさん?」


「…………えっ?」


 クロの言葉に反応したブライトが慌てて頭をあげると、クロは笑いながら部屋の扉の方を指さす。そちらに目を向けると、涙を流している青髪ボブカットの少女と、見知らぬ男がニコニコと笑いながら立っていた。


「マ、マリア……?」


「お父さん……」


 震えるブライトの声に答えるマリアの声も震えている。マリアはタガが外れたように走り出すと、泣きながらブライトに抱きついた。


「お父さんっ!!ごめんなさい……!!黙っていなくなったりして……ごめんなさい……ごめんなさいっ!!」


「マリア……マリア!!すまない……本当にすまない!!あいつに似たお前から逃げて……お前を拒んでしまって……!!」


 なんども謝る父親に対し、目から涙をこぼしながら、それでも笑顔でマリアは首を左右に振る。


「謝らないで……!!私はお父さんが辛いときに一緒に泣いてあげられなかった……!!私も悪いんだ……だからおあいこだよ?」


 ブライトの目からも涙がこぼれる。何年かぶりに抱きしめた娘の身体はとても暖かかった。ブライトはもう二度と失わないように、抱きしめる腕に力を込める。


「マリア……愛している」


「私もだよ……お父さん」


 二人の間にあった壁がゆっくりと崩れていった。もうこの親子を遮るものは何もない。


 そんな微笑ましい光景を見ながら、クロは後ろに控えるマルクの元へと移動した。


「商売相手としてはどうよ?」


「申し分ないですね。決断力もあるし、しっかりとした目もお持ちのようだ。それに、本当に大切なものがなにかちゃんと理解しておられる」


「そうか、そいつはよかった」


「……ですが、商談はもう少し待った方がよさそうですね」


「そうみたいだな」


 今、二人の時間を邪魔するのは野暮というもの。クロとマルクはしばらくの間、止まっていた親子の時間が再び動き出していく様を、何も言わずに見つめていた。

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