第119話 闇夜に紛れた奇襲
月明かりが森を照らす。満月まではあと一日といったところだろうか。それでも、夜とは思えないほどの明かりを、その月はこの地に提供している。
それは、これから襲撃しようとする
敵の敷いた陣まで数百メートルのところに待機しているアトムは、空を見上げ思わず舌打ちをする。
「こう明るいと奇襲にならんな」
「そうだね。でも、雲がないわけじゃない。月明かりが隠れるまで、暫くの辛抱だよ」
隣にいるキールが静かにアトムに告げた。キールだってアトムと同じ気持ちではあるが、一緒になって嘆いても仕方がない。
あくまで自分の役目は冷静に戦況を把握すること、ベストなタイミングを待ち、的確に指示を出すことなのだ。そういう意味でキールは自分の役割をしっかり理解していた。
「……この作戦に同行したインキュバスがキールでよかった。我は少々直情的であるがゆえ、それを宥めてくれる相棒が必要なのだ」
「それを言うなら僕の方さ。アトムからは勇気をもらってる。アトムがいなければ、僕はとっくに逃げ出していただろうな」
キールの言葉にアトムは照れたように頭をかいた。アトムとキールが出会ったのは偵察部隊が初めて。だが、二人はお互いを戦友と認めるほどの仲になっていた。
キールはアトムを眺める。エリゴールの種族に恥じぬ屈強な肉体。自信に満ちた表情。射抜くように鋭い眼光。どれを取っても自分にはない要素ばかりであった。
ただ、同時に頼もしくもある。アトムを推薦したセリスの目に間違いはなかった。
「そういえば、アトムはセリスと知り合いなのかい?」
「ん?いや、知り合いということなほどでもないな。街で少し話したくらいだ」
「そうなんだ……」
その短時間にアトムの素養を見極めたということか?そうであれば、セリスは神の目を持っていると言っても過言ではない。
いや、違う。
キールは会議でのセリスの言葉を思い出した。
セリスは、アトムは大切な人が信頼している者だと言っていた。……大切な人っていうのはあいつのことだろう。
そういえばあいつの記憶の中にアトムがいた気がする。だから、自分はアトムに既視感を覚えたのか。
「少し雲がかかってきたな……だが、油断することはできない。もう少し機会を待つべきだろうな」
キールが一人で考え込んでいると、月を見ていたアトムが呟いた。そんなアトムを、キールは不思議そうに見つめる。
「アトムは……人間を警戒しているんだね」
アトムのように若い魔族の大半は、人間との戦争を経験したことがなく、非力な人間を馬鹿にする傾向が強い。だというのに、アトムからはそれが微塵も感じられなかった。それがキールには不思議でならない。
話を振られたアトムは、少しだけばつが悪そうに笑った。
「我は一度人間界に殴り込みをかけた事があってな……その時に痛い目にあったのだ」
「えっ?そうなの?」
それは初耳だった。驚くキールにアトムは苦笑いを向ける。
「何かをしてやりたい、と躍起になっていてな。ルシフェル様がおられなかったら、我はここにはいないだろう」
「そうなんだ……それなら、その警戒心の高さも納得かな?」
死ぬ思いをすれば、どんなバカでも学習する。愚か者ではないアトムは、その身をもって人間の恐怖を学んだのだ。
「それに……常軌を逸した強さを持つ人間もいるのだ。我はその者に憧れている」
「人間に憧れ、か……」
「魔族なのにおかしいと思うであろう?」
冗談めいた口調でアトムが言うと、キールは真面目な顔で
「いや、なんとなくわかるよ。僕にも、憧れとはちょっと違うけど、目標にしている人間がいる。……ちょっと苦手な奴だけどね」
「そうなのか……であれば我々は似た者同士かもしれんな」
「ふっ……そうかもね。会ってみたいな、アトムが憧れている人間に」
「それを言うなら我もだぞ。キールの目標とする人物、ぜひこの目で確認したい」
二人が話している男が同じ人物である、とわかる時は来るのだろうか。
お互いの顔が陰ったのを見た二人は同時に空を見上げた。
「……キール」
「あぁ、絶好のチャンスだ」
月が分厚い雲に覆われたのを確認した二人の顔が、真剣なものとなる。
アトムはすぐさま後ろに控える者達に合図を出した。そして、獣のように音もなく獲物に忍び寄っていく。
敵陣にはテントが五張りと、それに囲まれた装飾過多な馬車が一台あった。数名の見張りがいるが、連日の行軍により疲れているのか、集中力散漫な様子。
「……準備はいい?」
「いつでも構わん」
アトムを含め、エリゴール達が
「"
その魔法が発動した瞬間、突然、敵陣が騒がしくなる。剣を構えた騎士達がテントから飛び出してくるや否や、味方同士で争い始めた。
「エリゴール達、行くぞ!!」
アトムの怒声に反応したエリゴール達が一気に騎士達に襲いかかる。混乱する騎士達。前にも後ろにも敵の姿。真っ当な判断力を失った騎士達は、ただ闇雲に剣を振るうことしかできなかった。
そんな騎士達を、アトム達は容赦なく蹂躙して行く。決められた通り命を奪うことなく、意識だけを刈り取っていった。
順調に進んでいた奇襲であったが、突如として敵陣に雷鳴が轟く。全員がそちらに目を向けると、雷を纏った男が、丈の長い騎士剣を構え、その場に仁王立ちしていた。
「我が名はコンスタン・グリンウェル!!これ以上、魔族共の好きにはさせん!!」
圧倒的な存在感。誰もがその男に威圧されている中、アトムは勇猛果敢に攻め込んでいった。
「我は悪魔族エリゴールのアトム!!高名な騎士と見受けた!!いざ尋常に勝負!!」
「その意気や良し!お相手いたそう!」
アトムの全力の拳をいとも容易く受けたコンスタンが力強く笑う。アトムもコンスタンの強さを肌で感じ、凶悪な笑みを浮かべた。
そんな中、キールは一人、冷静に戦場を分析する。
正直、コンスタンの強さは群を抜いていた。アトムが奮戦をしているが、まるで全力など出していない。
だが、それでいい。自分達の目的は敵を撤退させること。名高い"雷神"を倒すことではないのだ。
コンスタン以外の騎士達は作戦通り、どんどん無力化していっている。半数以上の騎士は意識を失い、地面に倒れていた。
エリゴールの中にも傷つき倒れている者もいるが、このペースでいけば騎士達を全滅させられる事が可能だ。
あとは自分の戦友があの強敵を抑えてくれさえいれば、自分達は作戦を遂行することができる。
勝利を確信したキール。
だが、彼は気づいていない。
この場で最も警戒するに値する男が、まだ出てきていないことを。
突然、中央に置かれていた馬車から白い光が放たれた。
その光に当てられた者達が次々に意識を取り戻していく。
「なっ……!?」
驚くキールをあざ笑うかのように、再び馬車からまばゆい光が発せられた。今度は混乱していた騎士達が自分達の敵である魔族をしっかり見定め、攻撃し始める。
「おいおい、情けねぇ奴らだな。俺の力がないと羽虫も追い払えねぇのかよ」
ゆっくりと開いた馬車から出てきたのは、緑の髪をした男。その顔にはこの場にいる全員をバカにしたような笑みが張り付いていた。
「本番は明日なんだろ?さっさと終わらせて寝ようぜ」
この襲撃をなんとも思っていないような言い草。だが、キールはこの男を見た瞬間、本能的に理解した。
この男には何をしても通用しない。
「全員、街まで退避しろ!!エリゴールはインキュバスの下まで走れ!!」
撤退指示はタイミングが命運を握る。そういう意味ではキールのそれは英断とも言えた。
だが、この男の前ではそれでもまだ足りなかった。
キールの組成した転移の魔法陣は発動することなく霧散する。唖然とするキールを見て、緑髪の男は嫌らしい笑みを浮かべた。
「おいおい……俺様の安眠を妨害して逃げれると思ってんのか?この辺り一帯に魔法障壁を張ってるから転移なんてできねぇぞ?」
緑髪の男は心底愉快そうに笑い声をあげる。もはやこの男の手から逃れる術など何もなかった。
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