第120話 一つだけ我儘が言えるのならば


「はぁ……」


 私は領主の部屋で大きなため息を吐きました。これで何度目でしょうか?数えるのもバカらしくなる回数です。


 奇襲部隊が街を出てから、ほぼ一日がたちました。もう日が沈み始め、攻めてくると思われていた夕方すら終わりを迎えようとしています。


 それなのに、奇襲に出た者が誰一人として帰って来ません。


 これは異常事態です。なぜなら、奇襲に失敗した段階で、少なくとも一人は街まで転移し、それを報告する手筈になっていたからです。


 私はこの状況においても、まだ判断を下せずにいました。長として失格ですね。どうしても彼等を信じてしまう自分がいます。


 ですが、私の淡い期待はすぐに打ち破られました。


 ノックもなしに開けられた扉。私が顔を上げると、深刻な表情を浮かべているお爺様がいました。それだけで、全てを察します。


「セリス……勇者様がこの街の長との面会を希望している」


「……そうですか」


 私はゆっくりと立ち上がると、部屋を出て行こうとしました。

 ふと、あるものがないことに気がつき、机に戻ると、あの人からもらった青い首飾りを手に取り、首につけます。自分でも女々しいとは思いますが、これは大切なものですから、最後は共にありたいのです。


「……住民の避難をお願いします」


「承知した」


 私は静かにお爺様に告げると、街の入り口に転移しました。


 移動した私の目に飛び込んで来たのは、武装した人間達の集団と、縄で縛られた同胞の姿でした。かなり痛めつけられていますが、皆まだ息はあるようです。


 私は先頭に立つ、緑色の髪をした軽薄そうな男性に目を向けました。


「この街の長であるセリスと申します」


「……まじ?めちゃくちゃ上玉じゃねぇか」


 緑髪の男は舐めるように私の身体を観察します。はっきり言って不愉快極まりないですね。


「俺はアベル・ブルゴーニュってんだ。一応勇者なんだぜ?」


「そうですか……それで?勇者様はどのようなご用でこちらに?」


 勇者なのは見ればわかります。対面しているだけで、信じられないくらいの力を感じますから。まぁ、でも、いつもそれ以上の力を見せつけられてきた私には何の驚きもありませんけど。


「いやー、口うるせぇ王様の命令で来たんだけどよ。こんな事ならもっと早く来るべきだったな。そうすればセリスちゃんともっと早くお近づきになれたのによ」


 アベル様は何の警戒もなしに私に近づいてきました。ですが、私は彼に幻惑魔法など唱えません。その緑髪にブルゴーニュ、効かないことなど百も承知ですからね。


 だから、私は後ろに控えている騎士達に幻惑魔法を唱えます。


「"痛みを思い知れペインリバース"」


 私が魔法を発動すると、騎士達は金切り声を上げて地面にのたうちまわりました。この魔法は、過去に受けた痛みを思いだすもの。彼等は一体今までどんな痛みをその身に刻んできたのでしょうか?

 アベル様は興味深げに騎士達に目を向けると、私に笑いかけてきました。


「ひゅー!流石だな!他の奴らとは魔法陣の構築速度も威力も桁違いだ!」


「あなたに通じないことなど分かっています。でも、いいのですか?お仲間達が苦しそうですよ?」


「仲間、ね」


 アベル様は私の言葉を鼻で笑うと、もがき苦しんでいる騎士達に目を向けました。


「そんな風に思ったことはないが、せっかくの美女とのランデブーには似つかわしくないBGMだな」


 そう言うと、身体に魔力を滾らせます。そして、騎士達に向け、魔法を発動しました。


「"聖なる加護ホーリープロテクション"」


「なっ……!?」


 私はそれを見て思わず絶句しました。アベル様は詠唱だけで魔法を発動させたのです。つまり、魔法陣の構築なしで。

 アベル様の手から放たれた光を受けた騎士達が正気を取り戻します。私はその光景をただただ唖然としながら見守ることしかできませんでした。


「あはっ!セリスちゃん驚いた?これが勇者特有の魔法、聖属性魔法だよ。みみっちぃ魔法陣なんて必要ねぇんだ。どう?見直しちゃった?」


 アベル様が爽やかな笑みをこちらに向けてきます。それなりにハンサムなのでしょうが、私にはどうでもいいことです。

 そんな事より、その反則じみた力の対処法が全く思いつかない方が問題でした。


「さて、話の続きをしようかな?」


「……そちらの要求は何ですか?」


 絶望的な力を見せられ、その上、話の主導権まで握らせるわけにはいきません。私は極力平静を装いながら、アベル様の顔に目をやります。

 そんな私の目を、アベル様は面白そうに覗き込んできました。


「んー!綺麗なお目目だ!ますます気に入ったぜ!」


 その言い方があまりに気持ち悪くて、私は思わず目をそらします。ですが、アベル様に顎を掴まれ、無理やり顔を向けさせられました。彼は私の目をしっかりと見据えると、醜悪な笑みを私に向けてきます。


「本当はこの街にいる魔族を抹殺してやろうと思ったんだけどな。王様の命令通りにすることにしたぜ」


「……その命令とはなんですか?」


 見るに耐えない顔でしたが、私は我慢してアベル様の目を見続けます。すると、アベル様はその笑みを更に深めました。


「セリスちゃん、君だよ」


「……は?」


 予想外の返答に思わず素の声が出てしまいました。そんな私の反応がおかしいのか、アベル様は嬉しそうに笑います。


「正確にはセリスちゃんの命なんだけどね。君が気に入ったから、俺の女にしてあげるよ」


 そう言いながらアベル様が身体に手を這わせてきたので、私は咄嗟に距離をとりました。あまりに嫌らしい手つきだったため、全身鳥肌が立ったまま、全く引きません。


「セリスに近づくなぁぁぁぁ!!」


 突然、騎士達に縛られた魔族の一人が、叫び声を上げてこちらに走ってこようとしました。ですが、縄で縛られているため、すぐに倒れてしまいます。


「キール!!」


「あーん?なんだてめぇ?」


 私が声を上げると、アベル様はゴミでも見るような目をキールに向けながら、面倒臭そうに近づいていきました。そんなアベル様をキールは憎々しげに睨みつけます。


「お前はセリスに相応しくない!」


「はぁ?だったらお前がセリスちゃんの相手に相応しいっていうのかよ?」


「違う僕じゃない」


 一瞬、俯いたキールが顔を上げると、そこには不敵な笑みが浮かんでいました。


「お前……あいつが来たら大変なことになるぞ。覚悟しておくんだな」


 言葉の意味は分からなかったみたいですが、バカにされているのは感じたアベル様は、顔を歪めながらキールを容赦なく蹴り飛ばしました。


「キール!!」


 私が叫び声を上げますが、キールは地面をボールの様に転がっていくと、そのまま動かなくなりました。私は唇を噛み締めながらアベル様を睨みつけます。


「そんな怖い顔しないでよ、セリスちゃん。まぁ、そんな顔も魅力的なんだけど」


「セリス様!お逃げください!」


 再び私に近づこうとしたアベル様が足を止めて、振り返りました。そこには必死に声を上げているアトムさんの姿があります。


「我々の事はお気になさらず!狙いがセリス様ならここは逃げるべきです!!」


「ちっ……うるせぇよ」


 アベル様は不機嫌さを隠そうともせずアトムさんに近づくと、その顔を思いっきり殴りつけました。そして、倒れるアトムさんのことを何度も足蹴にします。


「やめてください!」


 あまりに一方的な暴力に私は思わず叫び声をあげてしまいます。私の声に反応したアベル様がその足を止め、こちらに笑顔を向けて来ました。


「おっ?俺の女になる決心がついたの?」


「……アベル様の狙いは私なのですよね?それなら、自力で捕まえてみてくれませんか?」


 私がこの場を離れれば、この人達は私を追わざるを得なくなるなるでしょう。そうなれば、逆転の一手が見えてくるかもしれません。


「うーん……女のケツを追いかけるのは趣味じゃねぇんだよな。セリスちゃんが逃げたら、ここにいるやつら皆殺しだけどいいの?」


「……彼らも戦士です。死に場所は弁えているでしょう」


 全く本音ではありません。しかし、今はこの状況を打破する事が先決。実際に殺されそうになった時は精一杯邪魔してやるつもりです。


「ふーん、まぁ、こんなゴミみたいなやつらが死んでもそんなに気にしないか。じゃあ、周りの魔族達はどうかな?」


「はっ?一体何を……」


「君たちの大事な領主様が殺されたくなかったら出ておいでー!」


 アベル様が周りを見渡しながら大声を上げると、建物の間からチャーミルの住人達が姿を現しました。


「えっ……なんで……!?」


 私は動揺を隠しきれません。勇者が来た時には魔王城へと避難する手はずでは?


「すまん……みんなの意思を無下にはできんかった」


 お爺様が悔しそうに私に頭を下げます。なるほど、皆さん自分の意思でここに残られたのですね。


「……セリス様を残して逃げる事など出来ません!」


 住民の一人が声を上げると、それに呼応するように他の者達も声を上げ始めました。その光景を見て、私は思わず目頭が熱くなって来てしまいます。


「いやー、人気者だねーセリスちゃんは」


 嘘くさい笑顔を携えて、手を叩きながらアベル様がこちらに近づいて来ます。


「ここの街の人を残して、セリスちゃんは逃げられるのかい?」


 ……これはチェックメイトですね。


 アベル様の悪魔の囁きを前に、私はどうする事も出来ません。


「……私一人がいれば、この街の人には手を出しませんか?」


「セリスちゃんの街だからねー。出したくても出せないってもんだ」


 全くもって信頼できない言葉。私は後ろに控えている、厳格そうな男性に目を向けました。その男性は私の目をしっかりと見て、頷いてくれます。この人は信用できそうですね。


「わかりました」


「おっ!やっと俺の女になる決心が」


「私を殺してください」


「……はっ?」


 私の言葉にアベル様は目を点にしています。ちょっといい気分ですね。


「私の命が必要なのでしょう?だからさっさと殺してください」


「セリス様っ!?」


 私の言葉を聞いた住民達がこちらに駆け寄ろうとします。ですが、私はそれを手で制しました。


「誰一人としてこの場で動く事は許しません。領主命令です」


 有無を言わさぬ口調。動こうとした者は全員睨みつけてやりました。


「……だーかーらー、君は俺のものになるから命は奪わないって言ってるじゃん。わかる?」


 私の言葉に、アベル様は苛立ちを感じているようですね。いい気味です。

 私は聞き分けのない子を前にしたように、呆れた様子でため息を吐きました。


「だから、私の言いたい事がわかりませんか?」


 そして、飛びっきりの笑顔をアベル様に向けてやります。


「あなたのものになるくらいなら、死んだ方がマシだって言ってるんです」


 その瞬間、私の頬に強烈な衝撃を受けました。そのまま地面に倒れた私は、頬を抑えながら、嘲るような笑みを浮かべます。


「……こんな風に、平気で女性に暴力を振るうような人は願い下げですからね」


 さっきまで芝居掛かった笑みをずっと浮かべていたというのに、今は冷酷な顔で私を見下ろしています。やっと、本性が出たという事でしょうか?


 アベル様は私の髪を掴んで立ち上がらせると、何度も何度も私を殴りつけます。殴るだけには飽き足らず、お腹も背中も蹴られ、手当たり次第に痛めつけられました。


 中には耐えきれなくなってこちらに駆け寄って来た住民の方もいました。ですが、アベル様はそんな相手にも容赦なく攻撃を加えます。仲間が動かなくなるまで痛めつけられるのを見せつけられ、私が殴られようとも、住民の人達は歯を食いしばって耐えるほかありませんでした。


ツラも身体も最高だっつーのによ、性格はクソだな」


「…………」


 最早自力で立ち上がる気力もありません。そんな私にアベル様は冷たい視線を向けて来ます。


「なに?殺されないとでも思ってるの?あぁ、お仲間さんが生きたまま連れてこられたから余裕かましてるんだ」


 アベル様は私の胸ぐらをつかむと、思いっきり引き寄せました。そして、人間の物とは思えない醜悪な笑みを浮かべます。


「あいつらはセリスちゃんをおびき出す餌だよ?本当は目の前で一人ずつ殺してやろうと思ったんだけど、セリスちゃんを俺の物にしたかったから計画を変更しただけ。まぁ、今となったらお役御免だから、あとで皆殺しにするけどな」


 アベル様は投げ捨てるように私を放すと、心底楽しそうに高笑いをしました。本当に救いようがない人です。あの人と同じ種族であることが腹立たしく思えるほどに。


 私の視線が気に入らなかったのか、アベル様は眉を寄せ、顔を歪めます。


「なんだよその目は?」


「申し訳……ありません…………汚いものは……見るのが苦手で……」


「……俺は従順な女が好きなんだよ。生意気な女は殺してやりたくなる」


「……なら……さっさ……と…………殺せば……いいじゃないですか……」


 アベル様は無表情で私を蹴り飛ばすと、魔法陣を構築し始めました。


「お前を焼き殺した後はここの住民だ。素直に従わなかった事を後悔しながら死んでいけ」


 何を言っているんでしょうかね。私が素直にあなたに下ったとしても、どっちみちここの人達は全員殺すつもりだったくせに。


 私は自分の命を奪う魔法陣に目を向けます。火属性の一種ソロ最上級魔法クアドラプル。構築速度も魔法陣の大きさも目を見張るものがありますね。


 ですが、まだまだです。私の最愛の人はそんな程度じゃありませんでしたよ?


 気づけば、私はあの人にもらった首飾りを握りしめていました。


 はぁ……なんだか、落ち着きます。あの人の温もりを感じているからでしょうか?私が初めてあの人にもらった贈り物。こんな事なら、あの時強引にでも口づけをしておくんでしたね。

















 ……もし、死ぬ前に一つだけ我儘が言えるとするなら、もう一目だけでも会いたかったな。

















 私を母と慕ってくれる可愛らしい娘と。
















 私を大事に思ってくれていた、私の指揮官様に。

















 目の前に迫る大火球を前に、私はぼーっとする頭でそんな事を考えていました。

















 ボゴォーン!!!















 私の目の前で、同じ規模の炎がぶつかり合っています。二つの炎は互いに一歩も引かず、そのまま幻のように消えていきました。


 騒然となる場。誰もが何が起きたのかわからない様子でした。










「おい、お前ら」










 そんな空気をぶち壊す男が一人。




 この聞き慣れた声。




 私に安らぎを与える声。




 私が心奪われた声。




 その声に意識が覚醒した私は、痛む身体に耐えながら、懸命にそちらに目を向けます。




 そこに彼はいました。




 建物の上、満月を背景に。




 紺の仮面にたなびく黒いコートは、まるで魔王のように。




 その肩に、茶色い髪をした魔族の子供を携え。




 怒りに身を震わせながら、彼は現れました。




 ここにいる者達全ての視線を一身に受け、彼は静かに口を開きます。


















「俺の女に手を出したのは、どこのどいつだ?」

















 ……あぁ、しっかりとあの人の姿をこの目に焼き付けたいのに。




 溢れ出る涙がそれを許してはくれません。




 今、この瞬間、この地に最強の魔王軍指揮官がおりたちました。

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