第116話 相談しにくいことほど相談して欲しい

 城に戻ってきた俺は一直線にフェルの部屋の前までやって来た。


 セリスは、リーガルと共にフェルの部屋で何かしらの話をしてから、俺の秘書を辞めることになったんだ。ということは確実にフェルはその原因を知っているだろ。


 俺はドアノブを力強く握ると、躊躇なく扉を開けた。


 その瞬間、容赦なく襲い掛かってくる殺気。


 そして、悠然と足を組みながら俺を見つめている魔王。


「セリスがいなくなってから一週間、案外早かった……いや、遅かったのかな?」


 その言葉一つ一つに敵意が込められている。はじめてフェルと会った時のことが思い出されるな。


「先に言っておくけど、僕が君に話せることなんて何もないよ。魔族にもプライバシーはあるからね」


 まるで雪の日に裸でいるような寒気を感じる。やっぱりこいつは絶対無敵の魔王様なんだな。


 それがどうした。


「そっか」


 俺は軽い口調で答えると、アロンダイトを呼び出し、その切っ先をフェルに向けた。


「……なんのつもりだい?」


「なーに、話したくないって言うんなら無理やり聞き出すしかねぇだろ?魔族らしくな」


「……そんな野蛮な種族じゃないんだけどね」


 フェルが肩を竦めながら首を左右に振る。んなこと知ってるよ。伊達に魔族の事を見てきたわけじゃねぇからな。


「それは本気で言っているの?僕は誰もが恐れる魔王だよ?」


「そうだな。だけど、残念ながら俺も、泣く子も黙る鬼の指揮官って呼ばれてるんだ」


「初耳だね」


「今考えた」


 俺が飄々と答えると、フェルはプッと吹き出した。


「なにそれ!……やっぱりクロは面白いなぁ」


「だから、スカウトしたんだろ?」


「うん、そうだね」


 フェルは笑いながら、放っていた殺気を抑える。


「いいのか?」


「こんなの本物の指揮官には通用しないしね。それにクロとは闘技大会でやり合ったばかりだし」


「俺じゃねぇ。ミスターホワイトだろ?」


「こだわるねぇ……まぁ、いいけど」


 フェルが俺の側にある椅子を手で示したので、俺はアロンダイトを戻しながら座った。


「僕がわかる範囲でいいかい?」


「あぁ、それで十分だ」


 知りたいのはセリスが秘書を辞めることになった原因。それは闘技大会後のフェルとの会話の中にあるはず。


 俺が頷いたのを確認すると、フェルは静かにあの日の事を話し始めた。



「やぁ、リーガルじゃないか!……その顔色を見る限り、愉快な話じゃないだろうね」


 ルシフェルは自分の部屋にやって来た壮年の魔族に話しかける。リーガルは恭しく頭を下げると、すぐに本題を切り出した。


「実は例の件について、早急にお耳に入れたいことがありまして」


「……それはセリスの耳に入れる必要があることなのかな?」


 ルシフェルはもう一人の美しいサキュバスに目を向ける。事情を知らないセリスは少し戸惑っている様子であったが、リーガルは力強く頷いた。


「セリスはチャーミルの長。普段は街にいないとはいえ、聞く権利はあるかと」


「……そうだね。じゃあ今までの事を簡単に説明しとこうかな?」


「え、あ、あの……お願いします」


 ルシフェルが笑顔を向けると、急に話を振られたセリスが、慌てて頭を下げた。


「僕がリーガルと手紙のやり取りをしていたのは知っているよね」


「はい。私やクロ様が届けた物ですよね?」


「うん。……あれは僕が調査を依頼した勇者の動向に関する報告書だったんだ」


「そう……だったのですか?」


 驚きを隠せないセリスが目を向けると、リーガルは重々しく頷く。


「魔王様から勇者の動きがどうも気になる、というお言葉いただいての。我々が秘密裏に調べていたんじゃ」


「その結果、やっぱり勇者の動きが怪しいから、クロとセリスには直接その街に潜入してもらったっていうわけ」


「それで私達はアーティクルに行くことになったのですね」


 セリスが納得したように頷いた。突然の勇者の街における潜入任務、セリスにも思うところがあったのだ。


「その件についてお爺さ……長代行はルシフェル様に火急の用件があるということですね?」


「そういうことじゃ」


 リーガルはセリスを一瞥すると、すぐにルシフェルの方に顔を向けた。


「そういうわけで、セリスも事情を把握したことですし、報告してもよろしいですかな?」


「うん、いいよ」


 ルシフェルが笑顔で答えると、リーガルは一つ咳払いをして、真剣な表情を浮かべた。


「勇者は近々チャーミルの街に攻めてくるようです」


 それを聞いたルシフェルの顔から笑みが消える。隣ではセリスが目を大きく見開いてリーガルの事を見ていた。


「それは確かな情報かい?」


「まず、間違いありません」


 自信を持って頷くリーガルを見たルシフェルは、顎に手を添えながら考えを巡らせる。


「チャーミルを、ね……例のモノがばれたってことは?」


「……わかりません。一番手近な魔族の街を攻めるというだけの可能性も」


「例のモノ?」


 セリスが怪訝な表情を浮かべながら尋ねるが、二人とも難しい顔をしたまま答えようとはしなかった。


「なるほどね……それは困ったことになったな」


「我々はどうするべきか、魔王様のお考えをお聞きしたい」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 自分を置いて話がどんどん進みそうな気配を感じたセリスが、慌てて二人の会話に入り込む。


「そもそもチャーミルには、街全体を覆う強力な幻惑魔法がかけられています!人間達にはあの街の事を《欲望の街・ディシール》としか認識できないはず!そして、ディシールは人間の街だと思い込んでいるのですよ!?」


「それを、何らかの形で魔族の街だと知られてしまったのだ」


「何らかの形って……」


「セリス、君には心当たりがあるんじゃないかな?」


「心当たり……あっ……」


 ルシフェルに言われ、セリスはクロと共にアーティクルに潜入したときのことを思い出す。あの街で出会った勇者の妹を名乗る女に自分の幻惑魔法は効かなかった。今の勇者がその少女と同じブルゴーニュ家の者なら、街にかけた幻惑魔法が効かなくてもおかしいことではない。


「とにかく、勇者がチャーミルに攻めてくる以上、何か対策を取らなければならないね」


「我々の種族は争いごとに不向きですから、援軍を要請したいと思っているのですが……」


「かといって、それが囮で、援軍によって手薄になった街を攻められる危険性もあるんだよね」


 今代の勇者の評判はあまり良くないことをルシフェルは知っている。その勇者の侵攻を捨て駒にして、本命の軍が他の街を襲うということも十分考えられるのだ。


「獣人族の力は借りられないですかな?彼らの街は攻められにくい構造になっていますから」


「相手が勇者となると、ライガでも厳しい戦いを強いられるだろうね。良くて相打ち、悪くて無駄死にの可能性が出てくるね」


「人間の勇者の力というのは、それほどなのですか……」


「勇者に太刀打ちできる幹部はピエールくらいだね。ただ、彼は性格上厳しいと思う」


「そうですか……」


 リーガルが残念そうに肩を落とす。援軍が見込めないこともそうなのだが、自分達の街に攻め込んでくる者の実力を魔王の口から聞き、意気消沈してしまった。


 そんなリーガルに、ルシフェルは光明を示すような口調で話しかける。


「誰もが助かる道があるとすれば───」


「ダメです」


 だが、そんなルシフェルの言葉はセリスの強い否定の言葉によって遮られた。リーガルが驚いてセリスの方を見るが、その鋭い目はルシフェルに向けられている。


「あの人の力は借りられません」


 有無を言わさぬ口調。孫娘のこんな姿を見たことがなかったリーガルは思わず狼狽した。


「セ、セリス……?一体何のことを……?」


「勇者を討ち果たせる実力を持ち、なおかつ自分の領土を有さない。そして、自由に行動できる者など一人しかいません」


「……なぜクロの力を借りられないのか聞いても?」


 ルシフェルが尋ねると、セリスは少しだけ寂しそうな笑みを浮かべる。


「事情を話せばおそらく……いえ、確実にあの人は私の街を助けようとするでしょう。あの人はそういう人なのです」


「そうだね。僕もそう思うよ」


 ルシフェルの言葉に、セリスは力なく笑いながら首を左右に振った。


「でも、あの人は人間なのです。もし、今回の戦いで勇者に手を出してしまったら、あの人は帰る場所を失います。人間の敵として祭り上げられてしまうことでしょう。そんなこと……させられるわけがありません」


 セリスがルシフェルをまっすぐ見据えながら告げる。その言葉からはクロに対する思いやりが十二分に伝わってきた。


「今回は私の街が標的となっています。だから、私達の手だけで解決させてみせます」


「なっ……それは……」


「これはチャーミルの長としての言葉です。反論は許しません」


 セリスの身体から発せられる威厳を前に、リーガルは閉口するしかない。そんなセリスに、ルシフェルが静かに話しかけた。


「本当にいいのかい?」


「えぇ、覚悟は決めました。……本日付でクロ様の秘書を辞めさせていただきます」


「……わかったよ」


 相手は勇者。おそらく、無事では済まないことは承知の上なのだろう。そんな戦いを前に、戻るべき場所があることは足枷にしかならない。


 フェルはため息を吐きながら、セリスの申し入れを許可する。


「ありがとうございます。……我儘ついでにもう一つだけよろしいでしょうか?」


「なにかな?」


「この話は絶対にクロ様とアルカにはしないでください。この約束を違えたら……」


「……違えたら?」


「……私の幻惑魔法についてはご存知ですよね?」


 セリスに悪戯っぽい笑みを向けられたルシフェルは、思わず自分の股間を押さえた。それを見てセリスがくすくすと笑う。


「お願いしますよ?……では、お爺様。私はクロ様とアルカにお別れを告げに行くので、先に屋敷へと戻っていてください」


「……まったく。いつの間にやら立派な長に成長しおって」


 セリスは呆れるリーガルに笑いかけると、ルシフェルの部屋から出ていった。


「……聞かせるべきではなかったですかな?」


 そんなセリスの後姿を見ながら、リーガルが悲し気に呟く。


「どうだろう……僕にはわからないな」


 おそらくセリスは、できるだけクロを引き離すような言い方で別れを告げるだろう。だが、そのまま素直に、はいそうですか、と引き下がるような男じゃない。


「……これは約束を違えた時の覚悟をしておいた方がいいかもね」


 そんなことを思いながら、ルシフェルもセリスの背中を見つめていた。



「……とまぁ、こんな感じかな?」


「そうか、わかった」


 話を聞き終えた俺は即座に転移魔法を構築する。そんな俺にフェルが待ったをかけた。


「クロがチャーミルの街に行く意味は分かってる?本当にもう二度と人間界には戻れなくなるんだよ?」


「だからなんだ?俺が帰ってくる場所は決まってる。あのおんぼろ小屋だ」


 俺は怒気を纏わせながら答える。


 そう、俺は怒っているのだ。


 突然、秘書を辞めたことも、思ってもいないことを俺達に言ってきたことも、勝手に俺が人間界に戻りたいと思って犠牲になろうとしていることも、何もかもが気に入らねぇ。一言文句を言ってやらねぇと気が済まん。


 そんな俺を見て、フェルが楽しそうに笑った。


「それでこそクロだ。……でも、いいのかい?一人で行こうとして」


「どういうことだ?」


 俺が眉をひそめると、フェルが笑いながら扉の方を指す。俺は振り返ると、思わず目を丸くした。


「アルカ……」


「…………」


 そこには両手を握り締めて立っているアルカの姿があった。今の話を聞いていたんだろう、その身体はワナワナと震えている。


「……ママを助けに行くんでしょ?アルカも行く……ダメって言われても、言うこと聞かない!!」


「そうか……」


 そんな力強い瞳を向けられたら、ダメなんて言えねぇだろ。


「……一緒にママを迎えに行くか?」


「うんっ!!」


 アルカは元気よく返事をすると、その場で跳躍し、俺の肩に座った。え?これで行く感じ?


「インパクトがあっていいんじゃない?」


 フェルがからかうような笑みを俺に向けてくる。この野郎……まぁ、いい。こいつは約束を破った代償で股間を引き千切られる運命にあるからな。


「じゃ、ちょっくら勇者を追い払ってくるわ」


「頼むよ。魔王軍指揮官さん?」


 俺はちょっと買い物行ってくる、ばりに軽い感じでフェルにそう告げると、転移の魔法陣を組成する。


 待ってろよ、セリス。お前が仕えた男は、大事なものをそう簡単に手放さないしつこい野郎だってことを教えてやりに行くからよ。

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