第111話 小説で雨が降ったら、良くないことが起こる前触れ


「くそ……フェルの野郎……ボコボコに殴りやがって……」


 闘技場から自分の家に転移した俺は、すぐさま洗面所に向かい、傷の具合を確かめた。鏡に映っていたのは顔が倍くらいに腫れている俺の顔。少しは手加減して殴りやがれ。


 このままだとアルカにバレかねないので、俺は回復属性の最上級魔法クアドラプルを唱える。なんとか目に見える傷は全部治ったが、魔力の方が心許ない。今日はもう大人しくしていよう。


 よし、これでこのミスターホワイト衣装を空間魔法にしまって、いつもの一張羅に着替えれば完璧。後はこっそり闘技場に移動すれば万事オッケーだ。


 転移していこうと思ったが、なんとなく徒歩で行く事にする。いつもは城内を走り回っている女中さんの姿が見えない。マキも受付やってたし、みんな闘技大会に駆り出されてんのかな。


 若干迷いながら屋外闘技場に着くと、表彰式が執り行われていた。表彰台には、俺が負かしたシェスカとかいう獣人と、アルカに勝ちを譲った真性のバカ。そして、一番高いところにアルカが誇らしげに立っていた。よかった、意識は戻ったみたいだな。


 アルカはフェルからメダルとトロフィーを授与される。自分の身体より大きなトロフィーを持ってはにかむアルカ。これは悶絶ものですわ。

 つーか、あれなんだな。ミスターホワイトが途中で退場したから、アルカが繰り上げで優勝になってんのな。なんだかんだ最善の結果になったんじゃね?


 あの距離のアイコンタクトに対応してくれた優秀な秘書に感謝しないといけ───。


「そうですね。心の底から感謝してください」


 ………………おっふ。


 俺は恐る恐る振り返る。闘技場の誰もいない影からアルカを見守ってたと思ってたんだが、なぜか幹部達が俺の背後に立っていた。


「よぉ〜ミスターホワイト。あっ、間違えた、今はクロだったな」


 ギーがニヤニヤ笑いながら俺と肩を組んで来る。普通に幹部達にもバレてる感じね。だが、俺は絶対にミスターホワイトである事を認めない!


「何のことだか……」


「ちょっとクロ!?少しは私達のことを考えて戦いなさいよね!」


 フレデリカが腰に手を当ててご立腹の様子。いやだから俺はミスターホワイトじゃ……。


「……流石は兄弟だ……やはり只者では無かったんだな……」


 あ、ボーウィッドにそう言われると嬉しいな。いやいや、違う!俺はミスターホワイトじゃない!


「ふっ……指揮官として相応しい戦いを見せてもらったぞ。吾輩の血を滾らせるとは見事としか言いようがない」


 誰ですか、あなたは?ピエールさんですかそうですか。お引き取りお願いします。


「こんなところでこそこそしてないで、さっさとアルカの所に行きますよ」


「そうよ。早く行ってやりなさい。私達はどっかの誰かさん達のせいで疲れたから帰るわ」


 そのどっかの誰かさん達って、どこぞの魔王とその指揮官だよね?本当に迷惑かけてすいません。


「……アルカは頑張ったからクロに褒めてもらいたいと思うぞ……?」


「その頑張った娘に世間の厳しさを教えようとして、危険な目に合わせたバカを知ってるけどな」


 うるせぇぞ、ギー。俺だって反省してるっつーの。だから……その……ちょっと顔合わせづらいだけだ。


「アルカはあなたがミスターホワイトだって知らないんですから大丈夫ですよ。さっ、行きますよ」


 俺は幹部達に手を振り、別れを告げながらセリスに腕を引かれ、アルカの所へ向かう。


 観客席から闘技場へと降りると、もう表彰式は終了したようで、アルカとフェルが二人で話をしていた。

 俺に気がついたフェルが笑いながら指差すと、アルカはこっちに目を向け、勢いよく走ってくる。


「パパー!!!」


 笑顔で飛び込んでくる天使を優しく抱きしめ、その顔を覗き込んだ。


「パパ!!アルカの事見てた?」


「あぁ、見てたぞ!頑張ったな、アルカ」


 誰よりも近くでアルカの頑張りは見ていたぞ?俺が頭を撫でてやると、アルカは顔を蕩けさせた。それを見て俺の顔も蕩ける。


「でも、最後の最後で負けちゃった……」


 アルカがしょんぼりした表情を見せる。誰だ!?アルカにこんな顔させてんのは!?


「あなたですよ」


 セリスがアルカには聞こえないように、だが、明らかに俺を非難するような声で告げた。はい、存じております。


「それでもアルカは凄かったぞ!合成魔法も成功まで後一歩ってところだったな。また今度ゆっくり教えてあげよう」


「はいっ!」


 元気よく返事をするアルカ。うんうん、いい子だ。


「本当にアルカはよく頑張ったよね」


 俺とアルカが親子のひと時を過ごしていたら、フェルがニコニコ顔で近づいてきた。


「最後の相手……えーっと、名前はミスタークロだっけ?」


「ミスターホワイトだよ」


 間髪入れずにツッコミを入れる。ミスタークロってもうそのまんま俺やんけ。


「そうそう、そんな名前。ちゃんとアルカの仇は僕がとっておいたからね」


 なるほど。だから、あんなに腫れるまで俺の事を殴ったのか。くそが。


「じゃあ僕は部屋に戻るから、アルカはうんとお父さんに甘えるがいいよ。多分クロは罪悪感を感じているだろうし」


「ふえ?」


 フェルの言葉の意味がよくわからなかったアルカが首をかしげると、フェルは笑いながら転移して行った。あの野郎……爆弾だけ置いていきやがって。


「ざいあくかんってなに?」


「えーっと……その……ははは……」


 秘技、笑ってごまかす。小さい子には効果抜群だ!だけど、周りの大人からは白い目で見られるから気をつけよう!


「そ、そういえばいろんな奴と戦ってみてどうだった?」


「アルカは気づいたことがあるよ!」


 俺が無理やり話題転換すると、アルカは俺の腕の中で自信満々な声を上げる。


「ホワイトおじさんみたいにアルカよりも強い人は沢山いるって!」


「うん、ホワイトお兄さんな」


 おじさんはやめてくれ。俺まだ一応十代だぞ。


 いや、そんなことよりわかってくれたか。


 この世界にはいろんな奴がいる。それこそ見た目じゃわからないような強い奴だって沢山いるんだ。そう、まさに俺のように。うるせぇよ。


 そんな相手と戦わなければいけない時だってある。油断していてやられたなんて笑い話にもなりゃしない。

 相手を見くびっているようじゃ、三流もいいとこだ。アルカにはそんな魔族になって欲しくないんだよ。


 でも、うちの娘はそれをしっかり肌で感じとり、戦いの中で慢心してはいけない事を───。


「だからアルカは誰にも負けないくらい強くなるよっ!!」


 ……ナンカチガウ。


「パパよりもルシフェル様よりも強くなるんだ!!」


「ルシフェル様よりもですか。ふふっ、そしたらクロ様も安心できますね」


「……ソウダネ」


 セリスに笑顔を向けられ、俺は頷くしかない。……確かにフェルより強くなりゃ慢心なんて次元の話じゃないが。


 まぁ、いっか。


 闘技大会のアルカを見てたけど、驕る事なく戦えてたし、相手をバカにするようなこともなかった。とりあえず、自分より強い相手がいるってわかって精進すれば、今回は上々か。


「パパと一緒に強くなろうな」


「うんっ!」


 アルカが笑顔で頷く。うん、こんな可愛い子が相手を見下したりなんかしない。大丈夫だ。


「さーて、今日はアルカの優勝祝いだ!セリスにご馳走作ってもらおうな!」


「本当っ!?」


「ふふっ、仕方ありませんね。それでは小屋に戻りましょうか」


「わーい!!」


 アルカが俺の腕から飛び降り、小躍りで城に向かっていく。


 俺とセリスもそれについていこうとした時、闘技場に一人の男が転移してきた。


「む、これは指揮官様、ご無沙汰しております」


 現れるなり頭を下げてきたのはセリスの祖父であり、魅惑の街・チャーミルの長代行、リーガルだった。


「いや、こちらこそ久しぶりです」


「積もる話はあるのじゃが、あいにく急ぎの身でなぁ……魔王様はどちらにおられますかな?」


「ルシフェル様なら、たった今部屋に戻られましたよ」


 俺の後ろに控えていたセリスが答える。それを見たリーガルが顎に手を添え、なにやら考え事を始めた。


「……ちょうどいい。セリス、儂について来なさい」


 しばらく無言だったリーガルが有無を言わさぬ口調でセリスに告げる。セリスが何か言おうとする前に、リーガルはさっさと城の中へと入っていった。


「クロ様……」


「行ってこい。俺はアルカと小屋で待ってるよ」


「……申し訳ありません」


 セリスは一礼すると、リーガルの後を追って行く。残された俺は、妙な胸騒ぎを覚えつつ、セリスの背中を見送っていた。


「パパー?何してるの?あれっ?ママは?」


 セリスが行った方とは逆側にいたアルカが城からひょっこり顔を出す。


「おう、今行く」


 俺は軽く返事をしながら、アルカの所に行こうとした。


 その時、頬に当たる水滴。


 空を見上げると、先程出てきた暗雲が巨大な雨雲に変わっていた。


「こりゃ、一雨来るな」


 降られる前に帰らないとな。俺は足早にアルカのいる城内へと歩いていった。

 


 ゴロゴロゴロ……。


 小屋の外では雷の音がしている。雨足もかなり強そうだ。こんなに本格的な雨は魔族領に来て初めてだな。アルカは雷を怖がってはいないだろうか?


「ママ、遅いねぇ……」


 全然平気みたいです。セリスの帰りを待ちながら、俺の隣に座ってホットミルクを飲んでるわ。魔法陣を使えば自分で雷起こせるから、そら怖くないわな。


 俺はチラリと窓の方に目をやる。雨が強すぎて外の景色が見えない。このボロ小屋、潰れたりしないよね?すげぇ不安なんだけど。


 俺が小屋の心配をしていると、唐突に小屋の扉が開いた。そこから全身びしょ濡れのセリスが小屋へと入ってくる。


「なっ!?お前めちゃめちゃ濡れてんじゃねぇか!!」


「大変!!風邪ひいちゃう!!」


 アルカは慌てて立ち上がり、風呂場へと走って行った。そして、おろしたてのタオルを持ってくると、急いでセリスに手渡す。


 だが、セリスはそれを受け取らなかった。


「……ママ?」


 アルカが不思議そうな顔でセリスを呼ぶが答えない。それどころか俯いたまま、顔を上げようともしなかった。


「セリス?どうした具合でも……」


 俺が手を伸ばすと、それを避けるようにセリスが後退る。


 そして、俺達の顔を見ようともしないまま、ゆっくりと頭を下げた。












「今日限りであなたの秘書を辞めさせていただきます」











 ザァァ……。







 相変わらず雨は激しく振り続けている。


 小屋にうちつけるその雨音だけが、いやに俺の耳に残った。

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