第36話 窮鼠

「ふぅ……」


 私は第三闘技場の生徒控室で手に持つ樫の杖に頭をのせながら目を瞑り、昂る感情を鎮めていた。まさかこんな展開になるなんて、私自身自分の行動力に驚かされる。

 でも決めたんだ。強くなってみせるって。そのためには自分がどれだけできるかを知る必要がある。

 よりもよってなんでエルザ先輩なのかって思う人がいるかもしれない。いや、みんなそう思うんだろうな。

 あの人は名実ともに学園ナンバーワンの実力者。入学以来負けたことはおろか、苦戦したという話も聞いたことがない。

 ならなんでそんな人に戦いを申し込んだのか、それは私が憧れるエルザ先輩だから。


 私と先輩は仲がいい。私が一方的に懐いているだけかもしれないけど、先輩は私のことを本当の妹のように可愛がってくれる。そして、先輩はとにかく強く、凛々しい。代々名のある王宮直轄の騎士団の家系であり、その立ち振る舞いや言動、生き方全てが私とは全く違うことばかりだった。


 普段でも十分輝いている先輩だけど、戦いになればその輝きは強い閃光へと変わる。相手がどんなに格下であろうと、常に全力で相手に挑んでいた。それでも必要以上に痛めつけたりはせず、相手に圧倒的な実力差を見せつけ相手の戦意をなくす。どんな策を弄そうともすべてを軽くはねのけ、エルザ先輩は今まで勝ち続けてきた。そして戦いが終われば相手の健闘を労う。その言葉には一切の嫌味を感じない。


 私はその姿に強い憧憬の念を抱いていた。


 だからこそ、私が全力で向かっていけば全力で応えてくれる先輩だからこそ、戦いたいと思った。ボロボロにやられちゃうかもしれないけど、それでも自分の力を試したいと思った。

 自分が強者相手にどこまでできるのか、逆に自分がどれほどちっぽけな存在なのか、それを確認するために、私はエルザ先輩と戦う。


 覚悟は決まった。私は自分の頬を力いっぱい叩くと、闘技場へと向かった。


 闘技場はさっきのアルベール君とマルティーニ先輩の試合と同じくらい人が集まっていた。ここ最近全くと言っていい程エルザ先輩に挑戦する人がいなかったから、久々の第二席の試合に人が集まったんだと思う。

 いつもの私であればそれだけで怖気づきそうだけど今は違った。私の向かいに立っている人がそれを許してはくれなかった。

 エルザ先輩の顔は普段の面倒見のいい、優しいお姉さんのモノではなかった。圧倒的な威圧感を身体から放ち、私を睨み殺すような勢いで見ている。


「不思議な気分だよ、マリア。今私の中では可愛い後輩の成長を感じて嬉しい気持ちと、そんな後輩と戦わなければいけないというやるせない気持ちが交じり合っている」


 ため息交じりで寂しそうに笑う先輩。おそらく本当の事だろう、先輩は嘘がつけない人なのだ。


「私は……少し意外でした。こんな無謀なことをして先輩は怒っているかと思っていましたから」


「怒って……か。何にも考えずにこんなことをするならそうなっていただろうな」


 エルザ先輩が腰に携えている銀の剣を抜く。その剣は刃こぼれ一つない美しい騎士剣だった。


「だがそういうわけではないんだろう?それはマリアの顔を見ればわかる」


 先輩は私に笑いかけると剣を構え一瞬にして顔つきを変える。それは戦場に向かう戦士のそれだった。私もゆっくりと杖を傾ける。


「もう無理だと判断したらすぐに言え。どんな体勢だろうと私は瞬時に攻撃を止める」


「……わかりました。胸を借りるつもりで挑まさせていただきます」


「それでは二人とも正々堂々立ち会うように。…………はじめ!!」


 鳴り響く雷鳴。開始の合図とともに先輩が自分の身体に雷を落とした音だ。私も咄嗟に魔法陣を組み始めた。

 魔法陣を一つ描き上げ、続いてその上に同じ魔法陣を重ねる。少々歪になってしまったが、何とか二つ目も終え、さらに三つ目を重ね合わせ上級魔法トリプルの魔法陣を構成しようとした。だがこちらに突っ込んで来ようとする先輩に焦りを感じ、魔法陣の構築に失敗してしまう。


「っ!?”竜巻砲エアーブラスト”!!」


 電気を纏い、真正面から一直線にこちらに向かってくる先輩を見て、私は上級魔法トリプルを断念し、風属性の中級魔法ダブルを放つ。二つ目の魔法陣が歪だったせいか、発射した竜巻は小さく、先輩はそれをもろともせずに私の目の前まで一瞬でやって来た。

 慌てて杖を身体の前に構えるが、エルザ先輩はそのままの勢いで雷の迸る剣を私の杖に叩きつけてくる。

 バチバチッ!と光ったと思ったら、私はいつの間にか壁に衝突していた。


「げほっがほっ!!」


 背中に強い衝撃を感じ呼吸が一瞬止まる。私はそのまま地面に手をつきながらせき込むと、口の中に血の味が広がった。そんな私を先輩は無表情で見つめる。先輩は今何を考えているんだろう。


 杖を支えにしながらよろよろと立ち上がり、私が魔法陣を組むのを先輩は何も言わずに黙って眺めていた。

 なんとか上級魔法トリプルの魔法陣を組むことに成功した私が先輩目がけて魔法を放つ。


「“飛び交う岩石ストーンガンズ”!!」


 私が使ったのは地属性の上級魔法トリプル。本来であれば巨大な岩の塊が無数に相手目がけて飛んで行くのだが、私のはいいとここぶし大の大きさの岩が数発飛んでいっただけであった。

 先輩はため息を吐くと、中級魔法ダブルの魔法陣を組成し魔法を唱える。


「……“弾ける雷雲サンダークラウド”」


 先輩の生み出した魔法陣から放たれた雷が的確に私の岩を破壊していった。すべての岩を破壊した雷は容赦なく私に襲いかかってくる。その雷は慌てて張った魔法障壁ごと私を吹き飛ばした。


 奇妙な浮遊感から突然降ってくる地面。いや、降って来たのは私の方か。地面に勢いよく叩きつけられた私は盛大に血を吐いた。


 あぁ、やっぱり先輩は強いなぁ。私が苦労して作った上級魔法トリプルを造作もなく作り出した中級魔法ダブルで防いじゃうんだもの。


「気が済んだか、マリア」


 先輩が私に何か言っているような気がするけどよく聞こえないなぁ。それよりも身体中が斬りつけられているように痛い。


上級魔法トリプルどころか中級魔法ダブルすら満足に組成できないお前に、勝ち目は万が一にもないぞ」


 なんか頭がぼーっとしてきた。今まで争うことから逃げてきた私には初めての感覚だな。


「これ以上戦う意味はないだろう?早く負けを認めてくれ」


 負け……?私は最初から先輩に勝てるなんて思っていませんよ?私はただ自分がどこまでできるかを……あぁ、でもそれ以前の話だったのかもしれないな。私程度が覚悟を決めたところで何も変わらない。


 このまま目を閉じてしまえば楽になれるんだろうなぁ……何もかも捨てて、このまま……。


───コレットさんの初級魔法シングルって奇麗だな


 ……えっ?


───見てて惚れ惚れするよ


 ……この声は?



───無理に重ねることないんじゃないかな?


 ……あぁ、この心が安らぐ声はあの人の。


───コレットさんは初級魔法シングルに自信を持つといいと思うよ


 そうだ……これは私が上手く中級魔法ダブルの魔法陣が組めなくて、一人で四苦八苦していた時に何気なく言われた言葉だ。彼はおそらく覚えてないとは思うけど、なんだか救われたような気持ちになった私にとっては、かけがえのない大事な言葉。


 薄れかけていた意識が覚醒する。私の身体に力が戻ってくるのを感じた。私は軋む身体に鞭を打ち、必死に立ち上がると先輩に向き直る。


「……その顔を見ると、まだ諦めていないようだな。いいだろう」


 先輩が私に向けて静かに手をかざした。そして三つの魔法陣を重ね上級魔法トリプル魔法陣を作り出す。


「直撃はさせない。ただ、マリアを負かすにはもう気絶させるしか思いつかないからな。覚悟してくれ」


 私は先輩の魔法陣を見つめる。私が真似できないような奇麗な上級魔法トリプルの魔法陣だ。

 そんな先輩の魔法相手に今から自分がしようとする事を考えると少し怖い。でもなんだかあの人が私の背中を押してくれているような気がした。


 私は震える手で杖を握る。そして杖の先を先輩の方へと向けた。


「“駆け巡るの雷狼ライトニングウルフ”!!」


 エルザ先輩の魔法陣から雷の狼が三匹飛び出してきた。生き物を模する魔法は難易度が高いはずなんだけど、剣技も魔法陣も先輩には全然死角がないな。本当にすごい人に私は戦いを申し込んじゃったんだね。


 でも、私はあの人が奇麗だって言ってくれた、自分の初級魔法シングルを信じるよ。


「なっ!?」


 先輩が私の組成した魔法陣を見て大きく目を見開いた。私が作り出したのは単なる火属性の初級魔法シングル魔法陣。彼が褒めてくれた初級魔法シングル魔法陣。


 基本的に魔法陣の大きさは一メートルを超えることはない。確かに魔法陣を大きくすることで魔法の威力を変えることができるんだけど、魔法陣を描く時間が長くなり魔力の消費も大きい。結果的に実戦を考えた場合、魔法陣の大きさは一メートル以内に抑えるのが一番バランスがいいっていうのが常識かな?


 でも、私が今作り出した初級魔法シングル魔法陣の大きさは五メートルを超えている。初めての試みではあったけど彼のアドバイス通り、初級魔法シングルの魔法陣だけをずっと練習してきた私は、この大きさの魔法陣でも、小さい魔法陣を組成するのと同じ速度で作り上げることができた。


「"小さき炎の玉ファイヤーボール"!!」


 唱えたのは基本的な魔法。マジックアカデミアにいる人なら、この学校に入学する前に使えるような小さい火の玉が飛んでいくだけの単純なもの。でも、私のそれは違った。

 魔法陣から出てきたのは極大の炎弾。私に向けて放たれた三匹の雷狼を飲み込んで真っ直ぐに先輩に飛んでいった。


初級魔法シングル上級魔法トリプルを呑み込んだと!?ちっ!!」


 咄嗟に初級シングル身体強化バーストを施した先輩は私の炎弾をかろうじて躱す。私は先輩の方に走りながら、違う初級魔法シングル魔法陣を組成した。


「"石飛礫ロックシュート"!!」


「っ!?”弾ける雷雲サンダークラウド”!!」


 私が放った山のような岩は先輩の雷をはじき返しながら先輩へと向かっていく。先輩はしっかりと地面に着地すると、岩を見据えながら騎士剣を真上に掲げた。


「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 力強い掛け声とともに一気に剣を振り下ろす。雷により切れ味が上がっている剣は、豆腐を斬るように巨大な岩を真っ二つにした。その割れた岩の間から先輩目がけて飛び込んでいく私。


「マ、マリアッ!?」


 先輩は慌てて剣を構えたけど、私の初級魔法シングルの方が早いはず。私は即座に魔法陣を構築しようとする。


 …………あれ?


 急に視界がぐらついた。私はフラフラと先輩に近づいていき、そのまま力なく先輩に倒れかかった。エルザ先輩は少し驚きながらそんな私を優しく抱きかかえる。


「……魔力切れだな。慣れないことをするからだぞ、ばかたれ」


「ごめ……んなさい」


 うまく口が回らない。それどころか全然身体に力が入らない。先輩はそんな私を抱きしめながら優しく背中を撫でてくれた。


「……だが、マリアの強さはしっかり見せてもらったぞ。いい勝負だった」


 あぁ……やっぱり先輩は優しいなぁ。先輩と戦って本当に良かった。


 私は先輩に身を預けながらゆっくりと目を閉じていった。



 俺は保健室のベッドで横になっているマリアの寝顔を静かに見つめていた。正直マリアの戦い方には驚かされた。エルザ先輩の魔法でふき飛ばされたときは思わず声を上げそうになったが、結果的にあの第二席に一矢報いたのだ。

 フローラとシンシアがベッドのそばにある椅子に腰かけながら、心配そうにマリアの様子を見ている。この二人がいるなら俺は必要ないな。俺はマリアを起こさないように静かに保健室を後にした。


 そんな俺を待っていたかのように、保健室の前にはエルザ先輩が腕を組んで立っていた。


「お疲れ様です」


「あぁ……マリアは平気か?」


「心配ありません。フィオーレ女医は優秀ですから」


 先ほど先輩がかけてくれた言葉を、そっくりそのまま返してみる。俺の言葉を聞いてエルザ先輩はホッとしたように表情を緩めた。マリアが望んだ戦いとはいえ、責任を感じていたのだろう。律儀な人だ。


「……レックスはマリアが必死になっていた理由を知っているか?」


 必死になっていた理由、か。普段のマリアを知っているエルザ先輩ならなおの事、今日のマリアの姿は驚きだったろうな。やられても諦めずに立ち上がろうとするマリアの強さは俺の想像すら超えていた。


「マリアが必死になっていたのは惚れた男のためですよ」


「……それはお前の事か?」


「……だったらよかったんですけどね」


 俺が苦笑いを浮かべながら肩を竦める。そんな俺を見たエルザ先輩はニヤリと笑みを浮かべた。


「なんだ。レックスの女ったらしはマリアには通用しなかったのか?」


「誰が女ったらしですか」


 俺はエルザ先輩にジト目を向けながらさっさとこの場を離れようとする。やらなきゃいけないことができたからな。


「……どこに行くんだ?」


 エルザ先輩はそんな俺を横目で見ながら、静かな声で呼び止める。俺は振り返らずに足を止めた。


「訓練場ですよ」


「……マリアに触発されたか?」


「あんな姿見せられたら、燻っているわけにはいかないでしょ?」


 俺はそれだけ言うとしっかりと先を見据え歩き始める。背中にエルザ先輩の視線を感じていたが、先輩はそれ以上俺に何も言わなかった。俺は一切振り返らずに目的地へと向かっていく。


 つまらない、最近は何に関してもそんな風に思っていた。だけど本当につまらないのは、あいつを失ってなにもかもどうでもよくなってしまった俺自身だったんだな。


 俺も決めたよマリア。俺はもう誰にも負けない。この学校だけじゃない。この国で、この世界で一番強くなってやる。


 だから競争だ。標的は俺もマリアも同じ相手。


 どっちがあいつの仇をとっても恨みっこなしだからな。

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