最終話 探偵のポリシー
春の空は青く高い。
街はずれの小高い丘の上に、その建物はあった。
過去の戦争で使われた無骨な砦を改装したもので、古臭く交通の便も悪いため入居者が少ないアパートメントの一室に、その男は住んでいた。
腰まで伸びる長い黒髪、細く長い四肢。キメの細かい肌。一目見れば女性と勘違いされるような、そんな男である。
彼の職業は探偵。クールでエレガントで孤高の私立探偵だ……と自分を表現するときには言う。名をエルメラルド・マガワという。
そんな彼には譲れないポリシーがある。
平日の朝と日曜は仕事はしない、ということだ。
そして、今日は日曜。本来ならば昼過ぎまで惰眠を貪る至福の時なのだ。
……だが、
「せんせー!! せんせー! まだ寝てるんですかー! せんせーっ!」
どんどん、と鉄製の扉を叩く音が寝室にまで響いている。
「うぅ……、うるさいなぁ」
一度は布団を頭まで被り、無視しようとしたエルメラルドだったが、しつこい声に観念して寝床から起き出した。
「せんせー! おはようございます!」
扉を開けると、銀色の髪をポニーテールにした少女が瞳をキラキラとさせて立っていた。ミニスカートから伸びる素足が眩しい。扉を拳で叩いていたのは、ついこのあいだハイスクールを卒業したばかりのリリ・マグナガルだった。
「……リリさん。何度言ったらわかるんですか。日曜日は休みです」
昨日の酒が残る枯れた声でエルメラルドは目を細める。
「はい! だから来ました!」
ハキハキと言われて、エルメラルドはこめかみが痛くなってきた。
「あのね、リリさん。ハイスクールを卒業したからって毎日毎日押しかけて来なくていいですよ。魔術を教えるのは平日だけって言ってるじゃないですか」
すぐに飽きるだろうと魔術の基礎的な事を教え始めて、はや半年。リリは飽きるどころか非凡な才能を見せていた。だが、それとこれとは無関係。日曜日は休みたい。
「だから今日は魔術を教わりにきたんじゃありませんっ!」
「じゃ、それこそ一体なんですか、また厄介な依頼人ですか? 困るんですよね、逃した虫を捕まえたい子供とか、宇宙人を探してるちょっとヤバめのおじさんとか、リリさんはなんでそういうしょうもない依頼人ばかりを連れてくるんですか」
「もー、違いますよー! お仕事の話じゃないですよー。まだ何も言ってないじゃないですかっ。今日は先生に会いたいって人を連れて来たんですよ!」
「私に? 誰ですか?」
思わず身構えるエルメラルド。滞ってる支払いはないし、スジ者と関わるような仕事は最近はしていない。
「それは、会ってからのお楽しみ! だから、とりあえずちゃんとした服を着てください!」
ヨレた寝間着のシャツを指差してリリが頬を膨らませる。
「まったく日曜日は仕事はしないって言ってるのに……」
ブツブツ文句を言いながら寝室に戻り、ジャケットに着替える。どんなに憂鬱な朝でも、お客を招き入れる時にはしっかりとした格好をする。これも当然、ポリシーだ。リリに関してはもう毎日のように来るのでお客扱いはしていない。昨年の事件から、一年も経っていないのにリリはその人懐っこさでいつの間にか昔からの知り合いのようになっていた。ハキハキと元気がよく探偵の助手としても有望だが、元気すぎる助手というのも疲れるものだ。
「さー、どうぞどうぞ、我がエルメラルド探偵事務所へ。ささ、こちらが応接室です!」
向こうでは張り切った様子のリリが勝手知ったる他人の家、という様子で誰かを部屋に案内していた。
「まったく、とんでもない娘を引き受けちゃったよなぁ」
ため息をついて彼女を助手兼弟子にしたことを今更ながら後悔しつつ、髪を軽くとかすとネクタイを締めて、応接室へ戻る。
……すると、
「やぁトオル。久しぶりだね」
リリに案内されて応接室にいたのは、くしゅくしゅの栗毛の若い男、白い魔術士協会のローブを着たアクア・マリンドールであった。
「うわっ、アクア!? どうしてここに? 左遷されたってサリル婆さんに聞いたぞ!?」
エルメラルドは驚き大声を出した。
「ああ。大変だったよ。色々とね」
微笑むアクアの顔色は大変だったというだけあって、少し痩けているようにも感じたが、表情はそんな苦労を感じさせなほどに爽やかで明るい。
「どうしたんだ急に」
「ああ。有給を取ってね、ちょっとした用事でこの街に来たんだ」
「そうか! ならちょうどいい、俺も今日は休みだ。これから一杯飲みに行くか」
「……まだ朝ですよ、先生」
隣に立つリリにジトっとした目で睨まれてエルメラルドは視線を泳がせた。
「むっ……ごほんっ。いいかいリリさん。旧友と語るなら酒は必須なんだ。な、アクア」
「ははは、まったく君は魔天楼閣を出てからの一〇年で随分と自堕落になったんだなぁ。あの頃はクラスメイトに誘われても一滴も飲まなかった君がね」
「アクア、人は変わるのさ。それが成長なのか堕落なのかは置いておいてな」
「ふふふ、そうかもな。だけど、今回はそうもいかないんだ。すぐにサルカエスに逆戻りしなければならないんだ」
「有給なのに? 何をしに来たんだ? まさかただ顔を見に来たわけではないだろう?」
「それもあるにはあるんだけどね」と照れたように笑ったアクアは「君に合わせたい人がいてね」と部屋の入り口を向いた。
「合わせたい人……?」
エルメラルドがアクアの視線をなぞると、
「トオル兄ぃ……。久しぶり」
伏し目がちに蒼玉色の瞳を瞬かせて、部屋の前に姿を現したのはアリサ・ファイアドレスであった。癖のある艶やかな青髪を肩まで伸ばした彼女は緊張した面持ちで薄く引いた口紅を少し震わせて、
「元気……だった?」と小さく手を振った。
「アリサ!?」
驚き声を上げるエルメラルドにアクアが説明をする。
「実はね。今回の僕の目的はアリサを魔術都市サルカエスに連れて行くことなんだ」
「サルカエスに? アクア、どういうことだ!」
魔術士協会の本部がある街にアリサを連れて行くなんて正気とは思えない。
「待て待てトオル。話をちゃんと聞いてくれよ」
「お前、まさかアリサを魔術士協会に突き出そうってんじゃないだろうな!?」
エルメラルドは語気を強めてアクアに詰め寄る。
「だから、話を聞けって」早合点されてアクアは苦笑する。
「もう、先生ったらアリサさんのことになるとすぐにムキになるんだから。全然、エレガントじゃないですよ?」
「何!? そ、そんなことはないっ。私は冷静だぞリリさん」
「本当ですかぁ?」信用していない瞳をエルメラルドに向けるリリ。
「む、無論だ。……よし、アクア。とりあえず落ち着いて話を聞こうじゃないか」
「ありがとう、リリさん。君は本当によくできた助手だね」
「えっへん。わたしはエルメラルド探偵事務所の唯一無二の優秀な助手ですから。じゃ、先生。わたしは席を外しますねっ。あとは学生時代の友達同士で、水入らずで。アクアさんアリサさん。また!」
ぴょこっと手を挙げてウインクをすると、リリはスタスタと出て行ってしまった。
「……ほんと、気の利くいい子じゃないか」
「まあな。正直、彼女が来てくれて助かってる。元気すぎて困るけどな」
本人には言っていない本音がポロリと溢れた。
「で、なんだってんだ」
「ああ、実はアリサのことを魔術士たちが嗅ぎ回ってるって、マヤさんから連絡があってね。アリサの治療は上手くいっているのだけど、このままだとケベル君みたいなどこぞの派閥の魔術士に襲われるかもしれないと言われてね。僕はアリサのために色々考えていたことを実行に移そうと思ったんだ」
「考えていたこと?」
「ああ。僕はあの事件以来、窓際で暇を持て余すことになったから時間だけはあってね。アリサが起こした事件について調べたんだ。アリサは呪いのせいで記憶を失っていたから、あまり覚えていないようなのだけど、アリサが殺して回った魔術士や魔法使いってのは、ケベル君と同じように魔術や魔法を悪用して犯罪を犯していた連中だったんだよ。マヤさんは無意識ながらアリサの正義感が働いた結果なんじゃないかって言っていたよ」
アクアは黙ったままのアリサを温かい瞳で見る。アリサは申し訳なさそうに縮こまったままだ。昔のわがまま娘の影は鳴りを潜めている。
「ごめんね。わたし、心の中に激しい憎しみがあったのはなんとなく覚えているんだけど、この一〇年のことは、あまり覚えてないの……」
「いいんだ、アリサ。思い出さなくていいこともある。気にしないでいい」
エルメラルドは優しく諭す。身寄りのいないアリサがどうやって魔天楼閣から追放された後に生き延びてきたのかは、あまり深く考えたくない。忘れてしまった方がいいこともあるだろう。
「それでね、その事実をうまいこと利用して、結果的にアリサは魔術士協会のために行動を起こしていたんだって方向で協会の上層部を丸め込もうと思っているんだ。そのためにアリサを協会の査問会に連れて行って証言させようと思って」
「おい、大丈夫なのか。アリサは命を狙われているんだろ。のこのこ出向いて行ったら危険じゃないのか」
「上層部としても本音を言えば、古代の魔法で呪いにかかった魔術士が無差別に殺人を犯したなんて事実は知られたくないんだ。魔術で呪いの魔法を解けなかったということも含めてなかったことにしたいのさ」
「そりゃそうだな。魔術が魔法に劣るっている証明になってしまうからな」
「その通り。だから、正義の意思に目覚めた魔天楼閣の生徒が若気の至りで脱走して、不正を働く魔術士や、邪悪な魔法を使って人々の平和を脅かす魔法使いを成敗していた、という架空のストーリーをでっちあげてもらった方が協会としても都合がいいんだよ。そうなればアリサが狙われることはなくなる」
「……まあ、そうかもしれないな。でも、そんなうまい話で爺さんたちは納得するのか。危険な賭けじゃないのか」
「ああ、危険な賭けだ。だけど、魔天楼閣の先生たちも手伝ってくれる。きっと上手くいく」
「先生たちが?」
「ああ、これは僕も最近まで知らなかったんだが、アリサが魔天楼閣からの処分を決定された時、先生たちは随分抵抗したそうなんだ。生徒を見捨てることはできないと協会に訴えて、魔法使いに頼んで治療をしてもらおうと提案したそうだ。だけど、もちろん協会は認めなかった。一時期は協会と魔天楼閣の間は、相当険悪な雰囲気だったらしいよ」
「……知らなかった」
「大人の苦労は子供は知らないもんだよ。で、アリサが魔天楼閣から追放された後も先生たちは独自にアリサの行方を追っていたらしい。けど、魔力を失っていたから見つけ出すことができずにいたんだって」
「ふん、俺は簡単には信じられないがな」
にわかには信じられず、そっぽを向くエルメラルド。
「まあまあ、ガリア先生と直接話した僕が言うんだから、信じてよ。それでね、アリサを魔術都市に連れて行くのもそうだし、査問会に出る時も先生たちがサポートしてくれるって言うんだ」
「なるほど。ま、アクアは勝算があるってことだな。話はわかった。で、アリサはどうなんだ。それでいいのか」
「うん、わたしは……。何人もの人を殺したんだから罰を受けなきゃいけないと思う」
「だけど、それは呪いのせいだったんだろ。そんな呪いを古代遺跡に残した昔の魔法使いどもが悪いのであって、アリサは悪くない。どうせ死んだ奴も悪人だろ。気に病むことはない」
「……わからない。でも、ちょっと思うのは、だからと言って、暗殺みたいな形で命を狙われるのは腹が立つし、正々堂々とかかって来たら返り討ちにしてやろう、とは思う」
しおらしい態度のくせに言っていることは昔の傍若無人なアリサっぽくて、逆に和んだ。
「ははは。アリサらしい。そうだよ。アリサはそういうこと言ってる方がいいよ。世界の事をない頭で考えて拗れるより、自分のためにざっくばらんに生きてる方が君らしい」
「もう、トオル兄ぃ、それ褒めてんの?」
昔のように頬を膨らませて見せるアリサ。
「でも、ありがとねトオル兄ぃ。でね、今日はサルカエスに旅立つ前にちゃんと言っておきたいことがあって、アクアに連れて来てもらったんだけど」
「……ん。なんだ? 言いたいこと?」
エルメラルドが聞き返すとアリサは照れ臭そうに身をよじった。
「うん……、あの、トオル兄ィ。一〇年もわたしを探し続けてくれて、ありがとう。トオル兄ぃのおかげで、わたし暗い憎しみの闇から抜け出せた気がする」
少し頬を染めて、アリサが言った。
「何を言ってんだよ。俺たちは血は繋がってないけど家族だ。アクアも今はいないけどルナダイヤも、クラスのみんなもきょうだいみたいなもんだろ。気にするな」
「ありがと。トオル兄ぃ」
うっすら瞳に涙を浮かべてアリサは微笑んだ。
「さて、アリサ。そろそろ行こう。列車の時間に遅れてしまう」
「うん。トオル兄ぃ。きっと、また会いに来るからね。いなくならないでね?」
「ああ。俺はこの街にいるよ。厄介な愛弟子もいるし、この街が気に入ってるからな」
エルメラルドはそう言って、窓の外に目を向けた。小高い丘からはアルムウォーレンの街が見渡せる。様々な形の島が寄り添って一つの大きな街を形成しているこの水上都市は、種族や思想が違っても、島々に橋を繋ぐように手を取り合えば大きなことを成し遂げられるということを、人々に教えてくれているのかもしれない。
エルメラルドは長い髪をかきあげて微笑んだ。
「じゃあひとまず、また出会う時のためにお別れだな」
「うん」「またね、トオル兄ぃ」
一〇年前にはできなかった笑顔での別れだ。それだけで嬉しかった。
しっかりと握手をしてエルメラルドは二人を見送った。
「……上手くいくといいですね」
丘を降りていく二人の姿を窓から見下ろしてリリが言った。
「アクアがついてるんだ。大丈夫だろう」
いざという時に頼りになる男だ。不安はない。
「さて、というわけで先生。せっかくの日曜です! 街に遊びに行きましょう!」
ぴょんっと窓辺から降りてリリが瞳を輝かせる。
「……何を言ってるんだよ、リリさん。私は寝るよ。二度寝だ」
「ばかばか先生ったらこんないい天気なのにもったいない! あとでリンダちゃんも来ますから、そしたらマールケーキを食べに行きましょう! 美味しいお店見つけたんです!」
「二人で行ってくれ」
ソファに横になり目を瞑るエルメラルドの袖をリリは引っ張る。
「だーめ! いいですか、先生! 休みの日こそ外に出て気分転換しなければ平日にしっかり働く気力が出ません! さあ、出かける準備をしましょう!」
「まったく、本当に君は元気だなぁ。私は寝るの。放っておいてくれ」
「もう! レディーの誘いは断らないのがエレガントな探偵のポリシーじゃないんですか!?」
「よし、リリさん。一つ教えてあげよう。ポリシーに縛られないというのも大切な私のポリシーなのだよ」
「もー! 先生ったらポリシーポリシーってそんなだから——」
リリが頬を膨らませて何か言っているが、お構い無しにエルメラルドは目を瞑った。
微睡むエルメラルドの頬を心地よい潮風が撫でていった。
終
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