第34話 探偵は魔法使いにハメられる
「リリさん。大丈夫か。起きろ」
倉庫からリリを運び出し、都市警察の刑事コンビから逃れた港の一角で、エルメラルドは目を覚まさぬリリに手を焼いていた。
目を閉じたまま動かない銀髪の少女を抱き起こし肩を揺さぶる。魔術で操られていたのだから、記憶や精神に異常をきたしていても不思議ではない。
意識が戻らなかったらどうしようか、とエルメラルドが思ったその時だった。
リリは、ぱちり、とその大きな瞳を開けた。
「うお! びっくりした。……リリさん、もしかして起きてた?」
「……はい」
思ったよりも、しっかりした声でリリは答えた。
「えっと、いつから起きてたの? 記憶はあるかい? 君は悪い魔術士に操られていたんだ。いや待て自己紹介がまだったな。私は私立探偵のエルメラルド・マガワ。君のお姉さんに頼まれて、君を探していたんだ」
突然起き上がられてびっくりしたせいで、まとまりのない自己紹介になってしまった。あまりエレガントではない。
「……ええ。大丈夫です。その……、なんか男の友情って感じのやりとりが繰り広げられていたので、起きていたのに言い出せなくて……」
リリは照れたように笑った。はにかんだ顔はリンダが惚れ込むのも理解できるほどに、美少女そのものだった。
「あ、そりゃ失礼した。……で、記憶の方はどうだ?」
「はい、記憶はあります、魔術で操られていた時の記憶もおぼろげながら残っています。あなたとリンダちゃんが助けに来てくれたことも。それに、突然現れた青い髪の魔術士や、優しげな顔つきの魔術士のお兄さんのことも、あと、あなたの本名も」
「へ!?」
真顔のままでスラスラと言葉を並べるリリに、固まるエルメラルド。
「い、意識を失っていたんじゃないのかい」
「実は……結構序盤から起きてました。でも、下手に動いたら人質に取られたりするかもしれないし、皆さんのシリアスな押し問答の邪魔になるんじゃないかって思って。仕方ないので、死んだふりしてました。てへっ」
ペロリと舌を出して微笑む。操られていた時の無表情が嘘のように表情豊かな少女だ。あまりにキャラが強いので唖然としていると、少女はキラキラとした目をしてエルメラルドに迫ってきた。
「そんなことより、あのですね! 実はですね! わたし、魔術士になりたくて色々と調べてたんです! 図書館に行って近代史も勉強したし、『魔天楼閣七不思議』っていうゴシップ本も仕入れて読んだりしたんですけど、そこに乗ってたんですよ。稀代の天才魔術士、翠玉の劔トオル・エメラルドのことが! 突如、魔術学校の最高峰である魔天楼閣を脱走して、そのまま行方不明って。生死不明と出ていましたが、それが、まさか、こんなところでその天才魔術士に出会えるなんて! すっごくすっごく、すっっっごくツイてると思いません!?」
瞳を爛々と輝かせて銀髪の美少女はエルメラルドに迫り寄る。
「えっと、いや。その……」
自分の正体がこんなにお喋りそうな少女にバレてしまった。頭がパニックになる。
「しかも、めっちゃくちゃカッコいい!ダンディ!!」
「ダ、ダンディ!? ま、まあダンディという点には激しく同意するが……」
天真爛漫な笑顔と突拍子も無い言葉にペースを掻き回されてしまう。
「お願いします!! 先生! わたしを弟子にしてください!!」
少女は言いたいことだけ全て言うと、ポニーテールを激しく揺らして、その小さな頭を勢いよく下げた。
「は、はぁ?」思わず聞き返す。
「なんでもします! 先生は魔術士ということを隠して普段は探偵さんをされているんですよね? わたし、探偵業の助手もします! 運動神経も良いですし、字も綺麗です! お役に立つと思います!」
「な、何を言ってるんだ君は。ともかく、お姉さんのところに行こう。話はそれからだ。体は平気か。怪我はないか?」
「お姉ちゃんのことなんかどうでもいいです! どうせサルカエスに転勤しちゃうんだもの」
リリの勢いにたじたじになる。魔術で操られていたから静かで無表情だったのであって、本来はこんなグイグイくる性格だったのか。
「いやいや、そうもいかないだろう。待ってくれ、家に送るから、今後のことはまず家族で話し合ってくれ」
迫り来るリリの体を押し返して、ひとまず距離を取る。
「あまりここら辺で騒ぎたくないんだ。ともかく、家に帰ろう」
周囲を警戒しながら、スクーターを止めた場所に戻る。
「わー! わたし魔導二輪車に乗るの初めてです! 風が気持ちいい! あとでちょっと運転させてください!」
二人乗りをすると、すぐにリリは後ろから元気いっぱいな声をあげた。
「……いや、それはちょっと」
耳元で叫ばれタジタジになる。
「あっ、そうだ先生! 探偵さんのお仕事って殺人事件とかも調べるんですか? わたし推理小説も好きなんです! 今度、現場にも連れて行ってくださいね!」
「……いや、君を助手にするとはまだ一言も……」
「そうだった! 先生! うちの学校で飼ってる子龍が逃げ出しちゃったって困ってる人がいるんですけど、探してあげられませんか!?」
「いや、調査に関してはきちんと依頼があってから……」
「あ!今の角にあったケーキ屋さん美味しいんですよ! ちょっと寄ってきませんか!?」
「……いや、だからまずはお姉さんのところに……」
「見て見て! 先生! 綺麗なお花が咲いてますよ! あの花も加工次第で魔力源になるんですよね!?」
「……あのさ、先生ってのやめてくれないか」
「えー!? なんでですか! あ、師匠とかの方がいいですか?」
「……だからさ。なんで私が君の先生なんだよ」
「え!? 魔術を教わるからに決まってるじゃないですか!先生っ!」
「……魔術を教えるなんて一言も言ってないぞ」
「えー! そんなこと言わないでくださいよ! 明日から先生のところに通いますからね! もちろん月謝も払いますし、魔力源も持ち込みますから! 必要なものは全部言ってください。一揃い持ち込みますから!」
二人乗りしている間、ずっとリリは耳元で機関銃のように話しかけてきた。彼女の家に着く頃には、エルメラルドはぐったりしてしまった。
☆
「……というわけで。もう疲れました」
「そうでしょ。この子は口から生まれたんじゃないかってくらいお喋りなんです」
テーブルの向かいに座るララは愉快そうにクスクスと笑う。
ララの家にたどり着いて、ようやく解放されるかと思ったが、お茶でも、と誘われてリビングに入ったエルメラルドであった。女性の誘いを断るのはポリシーに反するのだから仕方ない。
「もー。お姉ちゃん、先生の前で変なこと言わないでよ!」
「……リリ。先生って?」
「うん! わたし、先生に魔術を教わることにしたの!」
「ば、ばか何を言ってるんだリリさん!」
「だって、先生は実はあの有名な……」
「ちょっとちょっと!」慌ててリリの口を押さえるエルメラルド。
「いやいやいや、ははは。ちょっとまだ意識が混乱してるみたいで、安静にした方がいいですね」
誤魔化そうとするエルメラルドの袖をリリはちょいちょいと引っ張って、
(……先生。わたしを弟子にしてくれないなら、先生が翠玉の劔だってお姉ちゃんに言っちゃいますよ。お姉ちゃん、雑誌記者だから飛びついて記事にしちゃいますよ)
耳元で囁かれゾッとする。
(リ、リリさん。私を脅すのか)
(いいえ。お願いしてるんです。魔術を習いたいんですっ)
「どうしたの。こそこそ内緒話なんかして」
「あ、いや。その……」
「今回のことはわたしも反省してるわ。リリが魔術を習いたいというのを頭ごなしに否定してしまったから。わたしもハイスクールを出るときは自分の進路は自分で決めたもの。先生には大学に進むように言われたけど、自分の力で稼ぎたかった。リリ、わたしはもう何も言わないわ。あなたの人生だもの。自分で好きなように生きなさい。でも、せっかく入ったハイスクールくらいはちゃんと卒業してほしいわ」
「お姉ちゃん……。わかった。きちんと卒業する。魔術は放課後に先生に習うことにする! ね? 先生!」
「うぐ、……まあ、初歩的なことだけなら」
正体を知られてしまっている手前、リリを無下にすることもできず、しぶしぶ了承する。ララは温厚な笑みを浮かべて「よかったわ」と手を合わせた。
「魔術も使える探偵さんと聞いていたので、リリのことが上手くいったら、お願いしようと密かに思ってたんです。あなたに頼ってよかった。この子は熱しやすく、冷めにくいタイプなんです。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、何卒よろしくお願いします」
「へ? ララさん。私が魔術を使えるというのを、知っていたんですか?」
「え? 言いませんでしたか? 知り合いに紹介されまして。凄腕の魔術士探偵がいると」
「知り合い?」
エルメラルドが首を傾げたそのとき、玄関の扉が開いた。
「やっほー。みんないるー?」
女の声。
「あ、噂をすれば、なんとやらですね」
ララが手を合わせて嬉しそうに立ち上がった。リビングの扉を開けて、誰かを招き入れる。
入ってきたのは腰まで伸びる銀色の髪の女だった。
「マ、マヤさん!?」エルメラルドが目を丸くする。
「わたし達の伯母のマヤ・オックスフィールさんです。彼女にエルメラルドさんを紹介してもらったんです」
「お、伯母……?」
「亡くなった母親の姉です。先生!」
何食わぬ顔で入ってきたマヤはララとリリに頬を寄せる親密な挨拶をして、ソファで口をあんぐりと開けるエルメラルドに微笑んだ。
「あら、エルメラルドさん。お久しぶり。どうやらリリを見つけ出してくれたみたいね。ありがとね」
なるほど、一杯食わされたのか。
「ね。リリ、ララ。エルメラルドさんはいい人だったでしょ」
「ええ。無事にリリのことも見つけてくださったし、魔術も教えてくださるみたいで」
「そうなの伯母様、わたし先生の元で助手をしながら魔術を教わることにしたの! いいでしょ!?」
「あらあら、リリは凄いわね。じゃあそんなリリにお土産。魔術のことはよくわからないけど、体内に魔力を蓄えるために魔力源ってのが必要なんでしょ。はい。手当たり次第にその魔力源ってのを買ってきたから、先生の元で一生懸命修行するのよ」
「わー! 伯母様こんなにいっぱい! ありがとう!」
「いいのよ。私にとってあなた達は子供みたいなものなんだから」
白々しいマヤの演技を、奥歯を噛んで見つめるしかないエルメラルドだった。
どこからが、この魔女の企てだったのだろうか。
ジロリと睨みつけるが、マヤは唇の端をあげてニコリと微笑むだけだった。
「死んだ妹の忘れ形見なんです。どうかよろしくお願いしますね。魔術士探偵さん」
ぬけしゃあしゃあと微笑んで頭を下げるマヤに、引きつった笑いを浮かべるしかないエルメラルドであった。
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