短編 『アイドルと探偵 編』

【アイドルと探偵編】第1話


『どんな世界であろうとも世の中は弱肉強食だ。』


 昔、この世界は魔法使いたちによって支配されていた。生まれつき魔力を体内に宿すことのできる魔法使いは『神の使い』と称され、魔法を使えない『タビト』と呼ばれる人々から畏怖の念を一身に浴びてきた。

 しかし、栄枯盛衰が世の常だ。魔法が使えないことで被支配者階級だったタビトの中に「体内で魔力を作れないのならば外部から魔力を取り入れれば魔法のような術が使えるのではないか」と考える者が出た。

 何十年にもわたる試行錯誤の結果、肉食動物が栄養のバランスを取るために草食動物を食べるのと同じように、タビトは魔力を含む植物や魔法生物、魔源液と呼ばれる液体などを無理やり摂取することによって、間接的に体内に魔力を取り入れる術を編み出した。

 そして、その魔力を用いて、魔法にも劣らない秘術を作り出した。

 ……それが魔術である。


 魔術を扱うタビトは自らを『魔術士』と称して、理不尽な支配を続ける魔法使いに対し反旗を翻した。今なお続く魔術士と魔法使いの因縁はここから始まったのだった。

 長い闘争の果てに魔術士は魔法使いの地位を奪うことに成功する。それは先天的に魔力を体内に生成できるからといって、魔法に進化を求めなかった魔法使い達の慢心が生んだ必然であったのかもしれない。


 それまで我が物顔で世界を闊歩していた魔法使いは一転、魔術士たちから迫害を受ける側になった。世界は引っくり返ったのだ。魔法使いは魔術士に土地を奪われ、過酷な生活を強いられるようになった。

 だが、結局は役割が入れ替わっただけで世界の構図は変わらなかったとも言える。

 魔法使いの代わりに覇権を握った魔術士たちは次第に増長し、魔法使いだけでなく、魔術が使えない一般人……つまりは元々仲間であったタビトに対しても傲慢な態度をとるようになった。魔術士による抑圧が始まったのだ。


 しかし、歴史は繰り返す。

 虐げられていたタビトの中にも、魔術士や魔法使いを出し抜く頭脳を持った人々が現れたのだ。それが後に『賢王会議』と呼ばれる新たな支配者達だ。賢王会議は魔法使いや魔術士には直接的な争いはせず、産業や貿易、政治的な根回しによってその地盤を固めていった。

 そして、魔術士が最も必要とする魔力の源を管理することにより、ついに世界を支配下に置いたのだ。

 賢王会議は自らが支配するヒイラギリス大陸の中央に魔術都市サルカエスを築き、魔術士協会の本部を置いた。これにより魔術士たちは賢王会議に頭が上がらなくなった。賢王会議の資金援助のもと、魔術士は地位を約束されたが、多く魔術士は賢王会議に対して良い感情は持っていなかった。そんな中、歴史の表舞台から姿を消した魔法使い達もまた【魔法使いの家族ファミリー】を組織し、再起の時を伺っていた。


 そして、現在。

 タビトの貴族が実権を握る賢王会議と、表向きはその賢王会議に従う姿勢を見せる魔術士協会。そして、その両者に媚びへつらいながらも牙を剥く機会を伺う魔法使いの家族ファミリーの三竦みは絶妙なバランスで世界に平穏をもたらしていた。

 ……と、まぁ堅苦しく世界の事を説明するば、こうなるのだが、そんなことよりなにより人間は飯を食って寝なければ死ぬのである。世界のことより飯のことだ。魔法使いだろうと魔術士だろうと、タビトだろうと、メシが何より大事なのだ、と私立探偵のエルメラルドは定食屋のテーブルに座り、ひとり思うのだった。



 ☆


 魔術都市サルカエスより遥か南に位置する水上都市アルムウォーレン。風光明美な観光地からは少し外れた路地裏にその定食屋はあった。

 油まみれの床、汚れた漫画雑誌、スポンジがはみ出す丸椅子。

 年季の入った『魔伝道無線機』ラジオのチューニングは魔術都市サルカエスの音楽番組に合わせられ、アイドル歌手の媚びるような歌声が店内の色褪せた壁紙にべっとり張り付いている。


 美しい景観の水上都市には、少しばかり場違いな印象の異国風の定食屋である。

 鉄鍋を持った店の主は『魔伝道無線機』ラジオから流れるアイドルの曲を上機嫌でハミングなどしている。


「ちょっと、おやっさん。ラーメンまだぁ?そんな耳障りな歌、聴いてる暇あったら、さっさと作ってよー」

 料理を待っている客が厨房に声を投げた。

「なんだよ、エルちゃん。やってるよ。どうしたんだよ。ご機嫌斜めかい? 『機嫌なおして笑ってダーリン♪』ってなぁ」

 店主はラジオの歌声に合わせてオタマをマイクに見立てて歌って見せる。

「もう、エルちゃんって呼ばないでよ。これでも探偵なんだから、そんな情けない呼ばれ方をしてたら、お客さんも寄ってこないっての」

「なんでい。つれねえこと言うなよ。エルちゃん」

「だからエルちゃんは止めてって。エルメラルドっていうイカした名前があるんだからさ。てか、この流れてる歌はなんなんの。もうちょっとマシな音楽チャンネルにしてよ」

 不満を言うエルちゃん、ことエルメラルド。

「なんだなんだ、エルちゃんはライミィ・ウェスパイネも知らないのか。魔術都市サルカエスで一番の人気アイドルだぞ。踊りも顔もスタイルも最高! 今度この街にもライブで来るって話だ。観に行きたいなぁ。可愛いんだろうなぁ」

 うっとりした顔で言うが、エルメラルドは細く長い足を組んで苛立ちの表情を浮かべている。

「あのね、おやっさん。音楽ってのは顔とかスタイルとか関係ないでしょ。歌と演奏で勝負しなきゃ。アイドルなんかレコード流して歌うだけのただのお遊戯じゃん。そういう子供騙しの音楽もどきを祭り上げるバカがいるからヒットチャートはどんどんつまらなくなってるんだよ」

「はいはい。エルちゃんはアイドル嫌いだもんな。なんかオタクっぽい変な音楽ばっか好きだもんな。今日も行くの?音楽バル。なんて名前だっけ。ハズラン?」

「そうハズラン。行くよ。今日は亜人のバンドが出るみたいでね、楽しみなんだ」

「だからこんな時間からウチに来てんのか。探偵の仕事はいいのか?」

「いいの。それがフリーランスのよいところさ。それよりさっさとラーメン作ってよ。早くハズラン行きたいんだから」

「あ、麺、茹でてんの忘れてたわ。がはは。まぁ、伸びた方が量が増えてお得だわな。ほれ。ガルモンラーメン。おまち」

 大口を開けて笑う店主がどんぶりをテーブルに置く。じろりと、店主を睨んで見たものの、当の本人は気にもせず愉快そうに笑っている。この人に何を言っても無駄だと諦め、エルメラルドは割り箸を割った。さっさと食べてハズランに行こう。

 ズルズルと麺すすりながら思うエルメラルドであった。



 私立探偵のエルメラルド・マガワにはいくつかのポリシーがある。例えば、大金を積まれても気に入らない仕事はしない。権力や暴力には屈しない。平日の午前と日曜日は仕事をしない。土曜の夜は酒と音楽を楽しむ。などだ。ポリシーが多すぎて時に矛盾することもあるが、矛盾を認める、というのも大事なポリシーの一つだった。……そう、面倒臭いやつなのである。


 そして、今日は土曜の夜であった。


 珈琲の店『カフェ・ハズラン』は日が暮れると、お酒と音楽の店『バル・ハズラン』へと名を変える。

 店の明かりは温かみのある色味の魔術灯に代えられ、腕に覚えのある音楽家が日替わりで楽器を奏でたり歌を歌ったり、ダンスを踊ったりする。

 今日は異国の亜人たちのバンドが来ると聞き、エルメラルドは仕事を早めに切り上げたのだった。ステージを左手にカウンターに座りバリアン酒のダブルを注文する。バーテンは静かにグラスを取り出し、氷と透き通った飴色の液体を注いでくれた。

 グラスを回し氷の音を楽しみながら耳を傾ける。

 ステージでは前座のバンドがゆったりしたグルーヴの楽曲を奏でていた。なかなか良い演奏だ。仕事を忘れて浸る夢の時。指先でリズムを刻みながら、気持ちのいい音楽と酒に揺られる。幸せだ。これぞ週末の憩いだ。エルメラルドは至福の時を満喫していた。


 ……だがしかし。


「ねえねえ。お姉さん。一人ぃ?」

 タバコ臭い男に話しかけられた。一人でバルにいれば話しかけられることもある。エルメラルドは黒く長い髪と翠玉色の瞳を持ち、肌は白く、黙って酒でも飲んでいると絵画にしたくなるような美しさなので、男女に限らず人が寄ってくることもあるのだ。

 とはいえ、今回のようなナンパはNGである。エルメラルドは男を無視してグラスを口に運ぶ。まろやかで深い味わいのバリアン酒が喉を温めていく。

「なんだヨォ。お姉さん、無視しないでよー。ひとりっしょ?」

 男はすでに酔っ払っているようで、体を揺らしながらエルメラルドに近づくと、肩を抱くようにしてタバコ臭い息を吐きかけた。せっかくの夢見心地を台無しにされてエルメラルドの眉間にシワがよった。

「ねえ、お姉さん、髪の毛キレイだねえ。こんな黒髪が俺、大好きなのー。ちょっと匂い嗅がせてよー」

 酔っ払いは口の端を歪めて手を伸ばしてくる。

 たとえ、どんな相手に対してもエレガントに紳士的な態度を取る。それが私立探偵エルメラルド・マガワのポリシーの一つであった。だが、今回は我慢ならぬ。色々と許せぬ理由がある。

 エルメラルドが自らに課したポリシーを破って、酔っ払いを殴りつけようとしたその時、


「あんた! やめなよ! 嫌がってんじゃねえか!」

 横から現れた若者が酔っ払いの肩を掴んだ。キャップを被った細身の若者だった。

「んだぁてめえは! 俺は今、このお姉さんと話してんだヨォ。野郎は黙ってろ」

 酔っ払いは若者の腕を振り払い、そのまま拳を若者に向けて振り回した。

 若者は素早く身をそらしてその拳を交わすと、空振りして無防備になった酔っ払いの脇腹に固く握った拳を叩き込んだ。

「ぐげぇ」酔っ払いは、くの字に折れ曲りしゃがみこむと苦痛に顔を歪めた。

「ったく。弱い犬は吠えるなって。ほら、さっさと行きな。まだやるってんなら相手になるけど」

 若者は腰に手を当て、やれやれと酔っ払いを見下す。

「クッソ、ガホゴホっ……。お、覚えてやがれ……」

 酔っ払いはヨロヨロと立ち上がるとおきまりの捨てセリフを残して店を出て行った。

「ふんっ。おととい来やがれってんだ」と鼻で息をして、若者はエルメラルドのとなりに座る。

「……ありがとう」エルメラルドは行き場のなくなった自らの拳を解きながら礼を言った。別にこの若者が現れなくても、自分で始末できたのだが。

「いいって。気にしないで。お姉さん美人だから一人でいると大変でしょ。もし、よかったら一緒にいい? 一緒にいれば面倒なナンパも少ないだろ?」

 若者はニカッと笑った。キャップの下に金髪の前髪が見える。涼しげば瞳の色は赤。少年のような幼い顔つきだが、ここはバルだし女慣れしてるような表情を見るに、十代ということはないだろう。背はエルメラルドと同じくらい。店に来たばかりなのか、まだ外着を着ているがそれでも細身である。

 きっと、若い女の子だったら、こういう時にときめいちゃうんだろうな、とエルメラルドは思いつつも、ため息をついて美しい黒髪をかきあげた。

「あのね。君もさっきの酔っ払いと同じ誤解をしていると思うので、先に言っておくけどね」

 自分で言うのも面倒なのだが、エルメラルドは先に言っておかなければいけないことがあったのだ。一呼吸置いて、エルメラルドは口を開いた。


「……私は男だ。助けてくれたのは感謝してるけど、君も男と飲みたいわけじゃないだろう?」


 そう。エルメラルド・マガワは男である。もう二〇代も半ばだし、髪は長いし、体は細いし、ヒゲもすね毛も一向に生えては来ないのだが、これでも立派な男である。

「うっそ!? まじ?」

 金髪の若者はその紅い瞳を丸くした。

「マジですから。全然男ですから。勝手に勘違いしたのはそっちだからね。苦情は一切聞かないぞ」

 エルメラルドは不機嫌そうにそっぽを向く。誰に対しても紳士的に振る舞うのがポリシーだが、自分を女性と間違える輩に対してはこの限りではない。

「たしかに声を聞くと……。いや、ふふふ。ごめんね、ならこっちも好都合だよ」

「……好都合?」

 ジロリと隣を見ると、若者は白い歯を見せて笑い外着を脱いだ。


「わたし、女だもん」


 若者が外着を脱げば、下に着ていたシャツの前に女性特有の膨らみがあった。

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