第32話 探偵は魔術士に戻る。
「アリサ。僕は君を取り戻す!」
アクアが叫ぶとまばゆいばかりの光の粒を孕んだ魔力が膨張した。
「激烈なる水銀河っ!」
アクアが叫ぶと、膨張した魔力の濁流がアリサめがけて襲いかかった。間髪入れず、両手に纏う闘気も投げつけるように放った。
「ふふ。面白い」
腕を組んだアリサが小さく息を吸い大きく叫んだ。アリサの細い体の前に円を描いた魔術式が浮かび上がり、まばゆい光の波動が迫り来るアクアの魔術と正面からぶつかった。
空気が震え、魔術同士の接触による発光と衝撃が突風となり広い倉庫を揺らす。砂塵に目を細めてエルメラルドは二つの魔術の喰らいあう様子を見守るしかない。
しばらくは拮抗していた互いの魔術だったが、アリサが更に力を込めた叫び声をあげると、形勢は一気に傾いた。苦しそうな表情で魔術をコントロールするアクアに向かってアリサの放った光の波動が迫る。
「なかなかやるようだけど。これでおわりね」
暴風の中でもアリサの声は涼しげで、それだけで力の差は痛いほどにわかった。
アリサは胸の前で組んでいた腕をほどきアクアに向ける。
その瞬間、今までも充分に強力だった光が更にまばゆく力強く輝いた。
そして、そのままアクアの放つ魔術を飲み込み、アクアの体をも飲み込んだ。轟音とともに爆発。なぎ倒される棚、割れた窓がバラバラと地上に降り注ぎ、キラキラ輝く中、アクアは倒れた。
「アクア!!」エルメラルドが叫ぶ。駆け寄りたいが動くこともままならぬ。出血は更に増え、半身の感覚もなくなったきた。
「うぐ、まだまだ」瓦礫に埋もれたアクアがよろめきながらも立ち上がる。
「よく耐えたね。本当は苦しまないように殺してあげたかったのに。ごめん」
「勝負は、まだ着いてない……。水よっ」弱々しく呟いたアクアは指先から水弾をアリサめがけて放つ。一発、二発と打ちこみながら回り込むように駆ける。
だが、満身創痍のアクアが放つ魔術はその構成も稚拙で充分な魔力も込められていない。アリサは指先をクイッと動かすだけでその水弾をはじいた。
「無様ね。さっきので魔力を使い果たしたんでしょ。そんな残りカスみたいな魔術で歯向かってくるなんて。滑稽を通り越して無様。悲しくなる」
「まだ、まだ……」足を引きづりながらもアクアは攻撃の手を止めない。だが、打ち出される魔術の水弾はアリサの元にたどり着く前に霧散してしまうほど弱々しいものだった。
「くそ、アクア……」見つめることしかできない自分をエルメラルドは呪った。こんな時に浮かぶのは後悔だ。しかも一〇年前の決断を悔いるような負け犬の後悔だった。もし、アリサが魔天楼閣から排除された後に、無闇に追いかけるような真似はせず、そのまま魔術を学び続けていたら、もし、今とは別の人生を送りアクアのようにアルムウォーレンにたどり着き、こうしてアリサと対峙していたら、こんな結果にはなっていなかったかもしれない。翠玉の劔と呼ばれたあの時の力があれば、アリサに引けを取らないはずだったのだ。魔術から離れた一〇年がそのまま自分の不甲斐なさに繋がってしまった。
「トオル……、やっぱり、僕にはアリサを止めることはできないみたいだ……」
ついに魔術を打つことも、駆けることもやめてしまったアクアがか細い声を出す。
「アリサを……止めることができるのはやっぱり君しかいない。翠玉の劔と呼ばれたトオル・エメラルドだけだよ……」
アクアの戯言をアリサは黙って聞いていた。その氷のような無表情から、彼女の感情を読み解くことはできない。怒りか、失望か、悲しみか哀れみか。
アクアが投げかける言葉以外は静寂。脇腹を抑えたまま、息も絶え絶えのエルメラルドは、せめてもの強がりに声を張る。
「バカを言うな……。俺はもうその名は捨てた。俺はしがない私立探偵のエルメラルド・マガワだ。翠玉の劔と呼ばれたトオルはもう死んだんだよ」
震える声で自嘲する。切り裂かれた脇腹は出血を続け、いつの間にか足元には血の池ができていた。大した魔術でもないのに、ここまで深手を負ってしまうほど、魔術の腕は衰えていたということか。情けなくなる。
「そうかもしれないね……」肩で息をするアクア。二人揃って虫の息だった。
「ねえ。もういいかしら。死に損ないを見てるのは辛いの。一気に楽にしてあげるよ」
アリサの瞳に悲しみと哀れみの色が灯る。昔ならば、妹分の彼女にこんな目で見られたら屈辱に感じたであろうものの、今となっては苦笑いもできない。その通りだ。アリサを追って魔天楼閣を抜け出したことも、結局は自分や現実から逃げるためだったのかもしれない。
「トオル、諦めるのは早い……。君はまだ戻れる……。君は翠玉の劔なんだ」
「何を言ってるんだ、アクア」
「……これを。受け取れ!」
アクアが叫びながら何かを投げた。
キラリと光る何かがエルメラルドの足元に転がった。
「これは……」
「ネンデの指輪だ……。古の魔道具。魔力を増幅させる効果を持つ。僕の部下……ケベル君が、盗んでいたものだ。それを使え……」
魔力を失いかけてもアクアが諦めなかったのは、この指輪を拾うためだったのだ。
「見苦しい。そんなものを使ってまで」アリサがため息をつく。
「それを使えば、君の魔力は際限なく湧くだろう。あの頃の君に戻れる。最強の魔術士と言われた、あの頃の君に」
「……わかった。やってみるさ」
どうせやらなきゃ野垂れ死にだ、とエルメラルドは足元に転がる赤い魔石のついた指輪を拾い上げ、その細い指にはめた。
キラリ、と魔石が光ったかと思うと、みるみるうちにエルメラルドの体の中から魔力が湧き上がってきた。朦朧としていた意識が鮮明になり、止まることのなかった脇腹の出血が止まり、痛みすら感じなくなった。
「こ、これは……」
体を駆け巡るとてつもない魔力を感じながら、エルメラルドは不思議な感覚に包まれていた。懐かしく切ない郷愁の念。魔天楼閣で学んでいた頃の、あの感覚が蘇ってくる。クラスで行った演習のことや、食堂で喧嘩したこと、そんな些細すぎて記憶からこぼれ落ちてしまうような、どうでもいいはずなのに、たまらなく愛しい記憶。
「……わかったよ」ゆっくりと立ち上がるエルメラルド。もう、体のどこも痛くない。右手を切り裂かれた脇腹にあてがう。治癒の呪文を唱えると瞬く間に傷は消えた。
「アリサ。思い出したよ。俺が言ったんだよな。魔術のない世界に行きたいって。魔術のない世界が欲しいって。いっつもファンタジー小説ばっか読んでさ、魔術も魔法も無い世界があれば、もっと平和で自由なのにって言ってたよな。魔天楼閣のシゴキが辛かったから現実逃避したかったんだ。アリサはそれを覚えてて、こんなことをしてるんだな」
「……ふん。今更いいよ。初めはトオル兄ぃの言葉がわたしを動かしていたけど、きっかけになったってだけ。今は違うもん。自分の信念で動いてるんだもん」
「そうかもな。でも、それは間違ってる。幼稚な夢物語だよ」
「ッ! バカにしないで!」
「バカだよ。アリサは」
白けたような笑みを浮かべてエルメラルドはコツコツとアリサの元に歩む。
「来ないで! トオル兄ぃなんか知らない!」
叫ぶと同時に怒りは鋭利な光の剣に姿を変えてエルメラルドを襲う。しかし光の剣はエルメラルドの身体の前でぐにゃりと歪んで消えた。
「なっ!?」
「その魔術。俺が教えたやつだろ。イビツだ。邪念があるから硬度がでない。アリサ。君はやっぱり壊れたままだ。必要なのは休息だよ」
「トオル兄ぃにわたしの何がわかるの! 身体一つで魔天楼閣を追い出されて、頼るあてもなく、魔術も使えず、生きるためにどれだけ辛い思いをしたか!」
「ごめんな、俺にはアリサがどれだけ辛かったかなんてわからない。だけど、……俺にとってアリサはかけがえのない家族なんだ。これ以上、君に罪を重ねて欲しくない」
「知らない! トオル兄ぃなんて知らない!」
闇雲に魔術を放つ。四方八方に伸びる光の矢が遠隔操作されるようにエルメラルドに襲いかかる。が、エルメラルドは歩みを止めない。アリサの魔術はエルメラルドの体に触れる前に、光の粒になって散り散りになって消えてしまうのだ。
「来ないで! わたしはできるもん! 世界を平和にできるもん! 魔術士も魔法使いも全部殺して、平和な世界にするんだもん」
「アリサ。僕たちに世界を変えることはできない。一人の力で簡単に変わるほど世界は単純じゃない」
「嫌だ! できるもん! ばか! トオル兄ぃのバカ!」
両手を突き出して、感情を爆発させて、魔術の構成など御構い無しにめちゃくちゃに魔術を放つ。その魔術を避けるでもなく、防ぐでもなく、エルメラルドは臆することなく歩み続ける。全ての魔術は彼の体に触れる前に消えてしまう。
「なんで! なんで!」
泣きわめきながら魔術を放つアリサだが、エルメラルドはもうすぐ近くに来ていた。手を伸ばせば届く距離。
「来ないで!」
アリサが叫ぶがエルメラルドはおかまいなしにすっと手を伸ばして、アリサの白い頬に触れた。
「早く見つけてやれなくてごめんな」
「……トオル兄ぃ」
アリサの瞳から涙が溢れる。触れた指先で涙を拭う。温かい涙。手を頭の上にのせ、ぽんぽんと叩く。
「今は休むんだ。アリサ」エルメラルドが呟くと、手のひらに優しい光が灯る。
「わたしは……」
何かを言いかけたアリサの瞳がまどろむ。
「おやすみ、アリサ」
エルメラルドが微笑むとアリサは眠りに落ちるように、カクンと首を垂れて意識を失った。
力を失い、倒れかかるアリサの細い肩を受け止める。
「すまない、アリサ」
エルメラルドはアリサの艶のある青髪を優く撫でた。
「……終わったか」よろよろとアクアがエルメラルドの元に近づいてきた。
「アクアのおかげでなんとかなったよ。礼を言う」
「それはお互いさまだよ」
「だけど、アリサは実力の半分も出せていなかったんだな。この指輪を嵌めてよく見れば、アリサの魔術構成なんか全然緻密じゃなかった」
「ああ。まだ壊れたままなんだろうね。壊れたままで、世界のことなんか考えるから、こんなことになっちゃったんだね。でも、そんなアリサにも僕は敵わなかったけどね。トオルがいなければ、僕はやられていたよ」
「とはいえ今は眠らせているだけだ。根本的な解決にはなってない」
「ああ。彼女にな治療が必要だ。けど、古代遺跡で古の遺物に触れた事による精神異常となると、治療にもそれなりの設備が必要になってくる。難しいぞ。魔術士協会はアリサを捉えたがっているから魔術士協会の息のかかった病院なんかには入れられないだろうね」
「アクアが匿うことはできないのか」
「無茶を言うな。僕より魔力が強いんだぞ。暴れられたらどうしようもない。君の方がいいだろう。君は私立探偵のエメラルド・マガワなんだろ。魔術士協会もノーマークだ」
「エルメラルドだ。エメラルドじゃない」
「まあ、どっちでもいいじゃないか。僕にとっては君は昔も今もトオルなんだから」
「ふん。相変わらずだなアクアは。テキトーだ」
「とはいえ、ただ匿ったところで、治療できるわけではないし、このままじゃいつまた暴走するかわからない。それに彼女は魔術士を何人も殺している。罪は償ってもらわないといけないと思うよ」
エルメラルドは黙って頷いた。何人もの魔術士が彼女によって殺められているのだ。いくら心が壊れていたからと言って許される所業ではないだろう。
「……だが、どちらにせよ治療が第一だ。魔術士協会とは関わりがなく、心の治療ができる場所。どこか思い当たる場所はないか?」
「難しいな……」
考え込む二人。妙案は浮かばない。
すると、
「なら、私に任せてもらえるかしら?」
突如響く声。二人に緊張が走る。
「誰だ!?」
声は上からする。見上げれば天井に取り付けられている天窓のメンテ用の踏み台に、長い銀髪を下ろした女が腰掛けていた。
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