第28話 探偵の実力
「フェイントよ。無防備な方から倒すって基本じゃない。どう? これでも私を半人前だと?」
満足げな表情で腕を組む青髪の女。エルメラルドは何も答えない。
「じゃあ、次はあなたね。誰だか知らないけど……」
再び指輪をリリに向ける。即座にリリの手のひらに光の玉が現れた。あの指輪をつけている限り、無尽蔵に魔術が使えるようだ。
「あなたもお仕事なんだろーけど。邪魔するんなら死んでねっ!」
女の声に合わせてリリが魔術を発動させる。
「……ふん。舐められたものだ」
砂を嚙むような顔をして、手をかざしたエルメラルド。小さく呪文の言葉を唱えると、目の前に拳ほどの小さな魔術障壁が展開された。暗く渦巻くその障壁を見て女は嘲笑う。
「面白いわ。そんな小さな魔術障壁で防げると思う?」
女の言葉は気にも留めない。空気を切り裂き襲いかかる光の玉はそのエルメラルドが作り出した小さな魔術障壁にぶつかった。闇の渦と光の玉が空中で激突する。
「あはは、そんな魔術障壁、貫いちゃいなっ!」
女が楽しげに声を弾ませる。だが、闇の渦は襲いくる光の玉に突き破られることもなく、それどころか光を包むようにして広がった。
「なに!?」
女が驚いている間に、闇の渦は光の玉を完全に飲み込んでしまった。
「……まさか、あんな小さい魔術障壁で!?」
「同じ魔術を何度も使うのはタブーだ。魔術構成を読み解かれたりしたら、完璧に防御できる障壁を作られてしまうからな」
女を睨みつけたまま手のひらを握ると、光の玉は闇の渦ごと、ぐしゃりとつぶれて消えた。
「……ふーん。そういうことね。あなた魔力を隠していたのね」
「当たり前だ。敵陣に潜入する時に魔力を消すのは基本中の基本だろう。わざと弱い魔力を撒いて敵を油断させるのも小物相手にはよく使う手だ。……アリサならこんな初歩的なことを忘れはしない。お前はアリサじゃない」
「やるじゃない。私がアリサ・ファイアドレスじゃないって見抜いたの、あなたが初めてよ」
女は腕を抱くようにして奇妙に微笑んだ。
「……良かった。こっちの餌にもかかってくれて奴がいたわけね」
「なんだと?」
「私が本人じゃないと見抜けるのは、あなたがアリサ・ファイアドレスと顔なじみってことでしょう。なら、あなたの正体はわかったわ。私はあなたのことを探していたのよ。トオル・エメラルド。翠玉の劔」
「なるほど。お前、どこの派閥の暗殺者だ……」
「ウケる。教えるわけないじゃん。これから死ぬ人には関係ないしね。魔天楼閣から脱走した裏切り者を処分するために来たの。あんたの死体が発見されたら、アクア先輩はどんな顔するかな。楽しみだなー」
「アクアの部下か。あいつはやはり俺を殺そうとしていたんだな」
気づかぬふりで泳がして部下に処分させるつもりだったのか。かつての友も、時が経てば変わってしまう。いや、変わったのは自分の方かもしれないが。だが、あの心優しいアクアが一般人を巻き込んでまで上からの指令を遂行するようなひとでなしになるとは思わなかった。
「アクアもヤキが回ったな。罪のない人を巻き込んでまで、魔天楼閣の汚点を消しに来るとは。見損なった」
「なーんか勘違いしてるっしょ。ウケるんですけどー」
「どういうことだ。アクアが俺を殺すように指示したのではないのか」
「ぶぶー。アクア先輩はこの件には無関係。むしろ、貴方たちと裏で通じているのではないかと上層部に疑われていたくらい。でも、実際はまったく関係なかったってわけ。それがこの一ヶ月でわかったわ。アクア先輩みたいな競争心も向上心もない魔術士がサルカエスでやっていけるわけないし、あの人にはこの魔術後進都市がお似合い。あんなのが魔天楼閣の首席だってんだから、魔天楼閣も大したことないのね」
「……なるほど、俺はスクール卒業生同士の派閥争いに利用されたわけか。さしずめお前は炎魔導城の卒業生ってわけか」
数ある魔術学校の中でも、一際、魔天楼閣を目の敵にしているのが炎魔導城だ。昔は両校共に切磋琢磨していたようだが、エルメラルドが魔天楼閣にいた頃には既に関係性は最悪だった。
「そういうこと。魔術都市を我が物顔で歩いている魔天楼閣の権威を失墜させるには脱落者であり逃亡犯であるトオル・エメラルドや、アリサ・ファイアドレスに罪を被せて犯罪を行えばいいってこと。もし名前に釣られて本人が現れるようなら犯罪者に仕立て上げて殺しちゃえば一石二鳥。ってこと。わかった?」
「罪のない
「
「くだらない。実にくだらない理由で命を狙われたものだ。間接的とはいえ、自分のために何の罪もないリリさんやリンダ君が傷つけられているのは、到底許せるものではないな」
「なにせ、緊急事態だからねー。悠長なことは言ってらんなくてね」
「緊急事態?」
「おっと、これは流石に言えないか。ささ、お話はおしまい。サクッと死んでもらおうかな。お腹も減ってきたし」
「サクッと終わらせたいのは私も同じだ。こんなところでドンパチをやってると都市警察の面倒臭いコンビが来てしまう。すぐ終わらせてリリさんを返してもらおう」
せっかく居心地の良い街だったというのに、居場所がバレたらこれでおさらばか。がっかりしながらもエルメラルドは腰を落とし魔術の構成を編む。
「カッコつけちゃって。いいじゃん。やってみなよ。かつては魔天楼閣最強と言われたトオル・エメラルドの魔術、落ちぶれたとはいえ見てみたいものだわ」
「一撃で仕留める。後悔するぞ。……雷刃の剣っ!!」
エルメラルドが天に拳を突き出すと、その拳に魔力の粒子が集まりだす。
「くらえ!」その拳を勢いよく地面に叩きつける。魔力の光は雷となって地を這う大蛇のように女めがけて走った。
「ふふふ。魔力が弱い。魔天楼閣で学んだとはいえ、やっぱり、そんなもんか。リリちゃん。盾になって」ぴょんと後方に飛んだ女の前に見えない糸で引っ張られたような動きでリリが飛び出した。
リリの体を盾にする気だ。
だが、
「甘いなっ!」叫びエルメラルドが地面に突き立てた拳で地面を抉るようにして力を込めた。
「何!?」地を這う光の大蛇はエルメラルドの拳の動きに沿うように蛇行し、飛び出したリリを避けた。
「小賢しい!」女は指輪をかざし、魔術障壁を作り出す。だが、エルメラルドの放った光の大蛇は女が作り出した魔術障壁を喰らうように大きな口を開けて跳ね上がった。
「読まれた!?」女が驚きの声を上げると同時に、その細い体に光の大蛇が食らいついた。防御魔術が展開されている空間ごと女を食らった稲妻が、地面から空へ逆流するように弾けた。
「ぎゃああ!!」女は全身を仰け反らせて悲鳴をあげる。
稲妻が霧散するように消えると、女は膝から崩れた。
「リリさんを盾にするのも、光魔術に対する障壁を繰り出すことも予想済みだ」
拳についたホコリをはたいて立ち上がるエルメラルドと、反対に膝をつく女。衣類は焦げ、苦痛に顔を歪ませている。
「……なぜ、あんな弱い魔力だったのに」肩で息をして、女はエルメラルドを睨みつける。
「魔術というものは魔力があれば強いわけじゃない。魔術の構成、攻撃魔術の属性と防御魔術の相性、魔術式の緻密さが攻撃の成否を左右する。魔天楼閣ならば普通に学ぶ初歩だが。知らなかったのか?」
「くっ、これが翠玉の劔の力だっているの……」
「これでも現役時代に比べたらトカゲと龍だ」
そう、魔天楼閣にいた頃のエルメラルドの魔術ならば、この程度の相手ならば、チリひとつ残さず蒸発させていただろう。今は魔術士と呼べたものじゃない。ただのしがない私立探偵だ。
「さ、勝負はついた。リリさんを返してもらおう。殺しはしないが、私がこの街から消えるまでのしばらくの間、眠ってもらうことになるがね」
「ふん、まだまだ。ここまでされて、おめおめ引きさがれるわけないっしょ」
女はよろめきながら立ち上がると、赤く輝く指輪を取り外した。
「まだ、やる気か。しつこいな。まあ、任務を失敗したら君も処分されるものな。必死にもなるか」
「ちっ、あんたみたいなスカした奴は一番嫌いだよ。もうどうなっても知らないからね」
女は血の混じった唾を吐いてから、外した指輪を高く掲げる。キラリと赤い魔石が光を放つ。
「何をする気だ」
「魔石ってのはね。体内に取り込むことで一番魔力を発動できるんだよ」
「……馬鹿なことはよせ。その指輪に付けられている魔石は強力すぎる。魔力が暴走するぞ」
「あはは。もう遅い。止められるものなら止めてみな」
高笑いをした女は指輪を舌の先に乗せ、ゴクリと飲み込んだ。
「なんてことをっ、自殺行為だ」
「ふふふ。あはは。みなぎる。体に魔力がみなぎるよ! これだよ。この感覚だよ。あはは。初めからこうすればよかったんだ。こうすれば誰にも負けない。みんな私を認める。サルカエスに戻るんだ、こんなへんぴな街で過ごすなんてまっぴらごめんだよ」
肩を震わせて笑う女の周囲に魔力が目視できるほどに放出される。同時にリリの体が、糸を切られた操り人形のようにストンと落ちた。
「リリさん!」駆け出したエルメラルドがリリの細い体を抱えて跳ぶ。
「もうそんな小娘いらないよ。魔術の腕では敵わなくたって、魔力があれば力の差は補える。あんたを殺して、私はサルカエスに戻るんだ」
女の体から放出される魔力がそのまま魔術に変換される。いく筋もの閃光となってエルメラルドに襲いかかる。
「くっ!」リリの体を抱えたまま、柱の陰に飛び込んで閃光を避ける。身を隠した柱をいく筋もの光の槍が突き刺さっていく。ここにいてはリリが巻き添えになる。
ぐったりとしたリリの体を物陰にそっと置いたエルメラルドは、投げつけられる魔術の隙間を縫って飛び出した。
ちらりと目をやる。反対側の壁際にはリンダも倒れたままだ。魔力が暴走しかかっている女の近くでは危ない。出来るだけリンダにもリリにも被害が及ばない方に女を誘導したいが。
「くらえ、くらえ、くらえぇ!!」
指輪の魔力に酔い、狂気に瞳を揺らして女は魔術を放ち続ける。手当たり次第に転がる物を投げつける癇癪を起こした幼子のように、悲鳴にも似た叫び声を上げて魔術を投げつける。
「ちっ。雑な魔術だが数が多い」
エルメラルドは左腕に魔術で編み出した盾を構えた。避け回ることも可能だが、意識を失っている二人が危険になるので、降りかかる魔術の散弾を防ぎながら距離を詰めようとした。単発ではそれほど威力のない魔術だが、女は際限なく間髪入れずに繰り出してくる。それもあの指輪の魔力のせいだ。狂気に満ちた表情で一心不乱に魔術を打ち込んでくる姿はエレガントさのカケラもなく醜い。
やむことの無い魔術の雨に、エルメラルドの防御障壁も対応しきれなくなってきた。エルメラルドの体力も魔力も無尽蔵ではないのだから当然だ。避け損ねて、一度被弾すると、防御が追いつかず、連続して被弾する。
「くっ……、ぐはぁ!」
肩で魔術が爆ぜたと思うと、もう次の魔術が足に顔に脛に腰に襲いかかる。
サンドバッグになったエルメラルドの顔面をついに魔術の弾が捉えると、防御障壁も散りゆき、エルメラルドは膝をついた。だが、それでも容赦なく魔術は襲いくる。ついにエルメラルドは弾き飛ばされ、埃だらけの地面に伏すこととなった。
「あーっはっはっは。ほーら、終わった。すごいすごい、全然、魔力が減らないよ。いくらでも撃てる。最強じゃん。すごいよコレ。あは、ははは」
女は肩を大きく揺さぶって高笑いを浮かべる。もうその瞳に正気の色は見られない。
「くそっ……。そこまで強力な魔道具か……」
うつ伏せに倒れたエルメラルドは、口の中に血の味を感じながらも瞳だけをなんとか女に向ける。青い髪の女が狂ったように笑っている。その姿もぼんやりとしか見えない。額からの血が目が入り、霞んで女の姿が二つにダブってみえた。
「コレは……ヤバイかも、しれ……んな」
軽口を叩く声もかすれる。自分の不甲斐なさを呪いながらも、エルメラルドは不思議なことに気がついた。
……違う。女の姿が二重に見えたのではない。二人いるんだ。
狂気に満ちた笑いを浮かべる女の奥の壁に寄りかかっている人物がいる。ぼやけて霞む目を凝らして見つめる。ぼんやりとしか見えないが必死に瞳を細めてその女を見る。
「……もー、わたしの名前を騙るんだったら、もう少しお上品にしてくれないかなぁ」
呆れたような蔑むような、そんな声。そのぞんざいな態度がエルメラルドの内の記憶を震わせる。
「ま、まさか……」
かすれる声でエルメラルドは呟く。壁際にいる女も、青い髪をしている。つり目がちの瞳はその鮮やかな髪の色よりも深く濃い蒼玉色。
女は地に伏すエルメラルドに向けて、にっこりと微笑んで言った。
「トオル兄ぃ、久しぶり」
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