第27話 探偵と女魔術士

 翌日、サリルの店で約束通りに魔力源鏡マジック・グラスを返してもらったエルメラルド。サングラスとマスクをして変装して店に出向いたのだが、アクアは今日もエルメラルドに気づくことはなく、何も疑うこともない気持ちのいい笑顔でお礼を行って帰って行った。

 バレてしまってはいけないのに、気づかれないというのもなんとなく寂しいものだ。


 なんともいえない侘しい複雑な気持ちになりながらもスクーターで事務所に戻ったエルメラルドは、先日、緑の雨の事務所で見つけた魔石のカケラを机の上にだして準備を始めた。

 魔力を通さない特殊な敷物を広げ、魔石のカケラを上に置き、灯りを消してカーテンを閉めて魔力源鏡マジック・グラスで覗き込んだ。

 暗闇の中、赤みがかったピンク色のオーラがカケラの周りにゆらめいていた。魔石から発生する魔力源と、リリから吸収した魔力が混じり合った魔力の残滓だ。

(よし、バッチリだ)

 エルメラルドはレンズ横に並ぶスイッチの一つを押す。レンズが一瞬キラリ光った。これで、今この魔石から発生している魔力を魔力源鏡に記憶させることが出来た。


「よし。あとは邪魔が入る前にリリさんを見つけ出せばいいだけだ」


 善は急げ、とエルメラルドは再び表へ出ると、居眠り中の老犬のように疲れ佇んでいるスクーターに跨り、無理矢理起こすように乱暴にエンジンをかけた。

 魔力源鏡をかけて街を流せば、あの魔石の反応が近くに来たときにレンズに反応が出る。街中を走り回ればいつか手がかりにぶつかるだろう。地味だが確実な方法だった。

「地味な仕事にこそ力を入れるものだからな」

 エルメラルドが呟いた言葉は当然、星の数ほどあるポリシーのうちの一つだった。


 スクーターは丘を降りて市街地に入る。狭い路地を通り、アーチ橋を何本も越えて西から東からアルムウォーレンの街を走り回った。観光地、オフィス街、住宅街、マーケット、噴水広場に球技場。魔力源鏡マジック・グラスの魔力感知範囲を広げたり狭めたりしながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。

 夕暮れまで走って、水平線の間際を太陽が滑り出しても走って、肩が凝り始めた頃、魔力源鏡のレンズが異変を知らせた。

 それは港の近くの倉庫街だった。錆びついた鉄と、海鳥の鳴き声、波止場にぶつかる波音の中、エルメラルドは慎重にスクーターを止めて、並ぶ倉庫通りをゆっくりと歩いた。錆びついた倉庫の列はどこか人を拒む威圧感がある。

 進んでいくと魔力源鏡マジック・グラスのレンズが反応を示す建物があった。他の倉庫よりも古びていて、すでに使われていないようだ。正面の入り口をみれば大きな鉄製の扉は固く閉ざされていた。しかし、脇に大きな亀裂が入っており、そこから入ることができそうだった。

「ここか……」

 エルメラルドは慎重に亀裂に近づき中を覗く。薄暗い倉庫内は荒れ放題で見通しは悪い。だが、やはり中からはあの赤みがかったピンク色の魔力が魔眼鏡のレンズに反応を示している。

 ここにリリがいるか、あの事務所と同じように魔石のカケラが落ちているか、どちらかだ。


「……何か見える?」

「いや、薄暗くてよく見えないが、この反応は間違いなくあの魔石の……って、うわぁっっ!」

 エルメラルドは飛び退いた。自分が覗いている脇から金髪のお下げ娘が声をかけてきたのだった。

「リ、リンダ君!? どうしてここに!?」

 突然現れた魔法少女に驚きつつも、驚く姿を隠すために平静を装う。

「どうしてってボックスボートで追いかけてきたんだよ。探偵さんたら、全然気づかないんだもん。探偵なのに自分が尾行されてるのに気づかないなんてやっぱり、へっぽこだね」

 綺麗な白い歯を見せて無邪気に笑う少女。魔力の反応を調べるのに夢中で自分がつけられていることになど気づかなかった。大失敗だ。

「な、何を言ってるんだ君は。ついてきてるのは知っていたさ。一緒に探すという約束だったからな」

 だが、失敗は認めるのも癪なので強がる。「はいはい」と流すリンダの方が大人に見えた。

「さぁ。そんなことより中を調べましょ探偵さん」

「う、うむ。慎重に行こう」

 二人は破れた壁を跨いで倉庫の中に入った。使用していた会社が夜逃げでもしたのか、中には荷物や私物が放置されて埃をかぶっていた。朽ちて忘れ去られ年月だけを積み重ねた古い倉庫だ。

 棚や台車、パレットが置かれ、いたるところに建築資材やら梱包済みの荷物やら、何かの原料が入った袋などが積み重ねられているので見通しは悪い。

 大きな荷物を積む鉄製の棚は老朽化して倒れているし、天窓は破れ落ち、床には窓枠やらガラス片やらが散乱している。一時の隠れ場所にするならいいが、本格的にアジトにするなら片付けたい。

「コレはなかなか手間取りそうね」

 足の踏み場を探しながらリンダがため息をついた。

「大丈夫さ。魔力源鏡マジック・グラスがある。これで見れば、魔力反応でリリさんの居場所はわかる」

 エルメラルドはレンズ横のダイヤルボタンを操作して魔力の感知エリアを縮めた。ダイヤルを操作して範囲を絞り、足音を立てないように足を進める。

「ほら、こっちの方だ」

 レンズが魔力の発生源を示す。倒れた棚で行き止まりの道を迂回し、散らばったガラスを避け、慎重に進む。慎重に、足音を立てないように。


「……もうすぐだ。この倒れた棚の隙間から魔力が漏れてる。迂回して回り込めばリリさんがいるはずだ」

 ぐるりと倒れた巨大な棚をなぞるように移動する。魔力源鏡マジック・グラスが受け取る魔力の反応も次第に強くなる。

「ここを曲がれば……いた!」

 身を潜めたエルメラルドはリンダの頭も下げさせる。ひらけた場所にふたつの人影が見えた。青い髪の女と、銀髪の少女だ。

 青い髪の女はソファに腰掛けリリはその横に立っていた。あの青髪の女が支配者マスターでリリを操っているのだろう。リリは瞳を瞑って力なく頭を垂れ、夢遊病の患者のようにふらふらと上体を揺らしながらも足はその場から動く気配もなかった。今は何も操作されていないのだ。まるで本当に操り人形のようだ。

「ララさんの言ってた通りだ。本当に操られているみたいだな。それにしても……」

 エルメラルドは青髪の女を見る。自分と同年代か少し若そうな女。肩で跳ね返る青髪。こちらからだと顔はよく見えない。

「あいつがリリ様を操ってる奴かしら」

「そうだろう。何が目的かわからんが、あの女をどうにかしなきゃならようだ」

「あんな小汚い魔術士風情がリリ様を操り人形にするなんて羨まし……じゃない酷い奴! 絶対に許さないわ!」

「おい本音がこぼれたぞ。まあいい。ともかく、あの女の魔術の腕もわからん。ここは慎重に……」

 エルメラルドが耳打ちをするのだが、リンダは何も聞いていないのか、勢いよく飛び出すと大声で叫び出した。

「やいやいっ! リリ様を操る変態魔術士! ふんぞり返ってないで今すぐにリリ様にかけている魔術を解きなさい!」

 リンダの声は倉庫中に響き渡る。

「ああもうバカなんだから」物陰に隠れたままエルメラルドが嘆く。

 青髪の女はというと、突然現れた金髪おさげ娘にも、驚きもせず、それどころか高らかに笑い声をあげた。

「なーんだ。小ネズミが忍び込んだと思ったら、本当に可愛いネズミちゃんだったのね。あはは。うっけるー」

 女は立ち上がることもなく、ソファに腰掛けたままでケラケラと笑う。

「なんですって! 魔術士のくせに生意気よ! ネズミかどうか、これでも食らって考え直すといいわ!」

 リンダは半身になると弓を構えるように身体を開き、左手を女に向かって伸ばし、右手を肩の位置に引いた。すると両手を結ぶように青白い光の矢が現れる。

「普通、話もろくにせずに魔法ぶっ放したりしないだろ。本当に血の気が多い娘だな」

 物陰に潜んだままのエルメラルドが頭を抱える。

「『空魔の弓矢コオウ・モウジン』」

 呆れるエルメラルドの事など気にもとめず、リンダが握った右手を離すと、光の矢は一直線に女に向かって伸びた。だが、女はニヤリと笑うだけで動かない。女の代わりに横から即座に飛び出したリリが小さく何かを呟くと、網目状の魔術障壁が空中に展開されて、光の矢を受け止めた。

「な、なんて卑怯な! リリ様を盾に使うなんて」

「卑怯? 支配者マスターが従者を操るなんて、当たり前のことじゃない。それにしてもネズミちゃんは魔法使いだったのね。道理で嫌な魔力が漏れてると思ったわ。どうしてこんなところに来たの?」

「そんなの、リリ様を取り戻すために決まってるじゃない!」

「……ああ、この子。正直ビックリしたわ。この街にこんなに潜在能力が高い子がいるとは思わなかったもの。レア物よね。でも、せっかく捕まえた人形だもん。手放すわけないでしょ」

「リリ様は人形じゃない!」

「ふふ。でもねー。もう私の人形なの。見て、この指輪。これがあるとねー、魔力が際限なく供給されるの。だからずーっとこの子を操り続けることができるってわけ。ヤバくない? めっちゃ便利」

 キラキラと指先に光る赤い指輪をうっとりと眺めて女は言う。


「……なるほど。その指輪で魔力を増幅して、人を操っていたというわけか」

 もう少し慎重にことを運びたかったが仕方がない。渋々とエルメラルドが陰から姿を現した。暗がりから現れたエルメラルドを女は鼻で笑う。

「うふふ。かっこよく登場したけれど、二人いるのは初めからわかっていたわ。弱い魔力が漏れていたからねぇ」

 女は建物に魔術結界を張っていたようだ。建物に入った段階で二人の魔力を感知していたのだろう。

「お言葉を返そう。私もこの建物に結界が張ってあることくらい気づいていたさ。とても脆弱で未熟な結界がね。さて、それよりもさっさと本題に入ろう。私は忙しいし、君が人を操って何をしようと関係ないし興味もない。だが、そのお嬢さんだけは返してもらえないか。家族が心配している」

「ふん、そういうことね。なるほど、そっちの餌に喰らいついちゃったか。全然いらない獲物が釣れちゃったわけね」

「いらない獲物?」

「おっと、いけない。コレは秘密。残念ね。せっかくここまで来てもらっちゃったけど、この子は手放さないから、お帰り願えるかしら?」

 女は癇に障る笑い声をあげる。

「……そうか。あまり手荒なことはしたくはないのだがね」

「なーにカッコつけちゃってんの。ウケるんですけど。大した魔力もない魔術士崩れ風情が本物の魔術士に敵うと思ってんの」

「君こそ強がりはやめたまえ。古の魔道具を使わなければ人を操れないような半人前の魔術士が偉そうなことを言うと恥ずかしいぞ」

「は? 何を言ってくれてんの」女の表情が一瞬、引きつった。

「私は魔術を学んだエリートよ。あなたみたいな一般人でも名前くらいは聞いたことあるでしょ。エリート魔術士の養成機関、魔天楼閣。私はそこを卒業してるのよ」

「……魔天楼閣? 君が?」

 片眉を上げて女を見る。

「そうよ。驚いた? 私は蒼玉の楯と呼ばれた伝説の魔術士、アリサ・ファイアドレスよ」

「そ、蒼玉の楯ですって? 魔天楼閣最強の一人と言われたあの魔術士!?」

 驚いたのはエルメラルドではなく、リンダだった。魔法使いの家族ファミリーに所属していないリンダでも、どこかで聞いたのか、その名は知っていたようだ。

「うふふ。そう。だから無駄な抵抗はやめたほうがいいよ。ま、歯向かうんなら全力で潰すけどねー。どうする?」

「リ、リリ様を守るためなら誰が相手でも戦うわ」

 強がるリンダだが、明らかに動揺している。相手の名を聞いただけで平静を保てないようでは戦いには勝てない。

「リンダ君。敵の言うことを素直に信じるな。嘘だ」

 一方、エルメラルドは冷めた目で女を睨んでいた。怒りを内に秘めた翠玉色の瞳で。

「ウケる。何を根拠に言ってんの? いいわ。見せたげるよ。魔天楼閣の本物の魔術士の力をね」

 女は指輪をリリに向けた。

「リリちゃん。やっちゃって」

 キラリと指輪の赤い魔石が光る。すると、まさに糸を操られた人形のようにリリはゆらりと動き出した。瞳を見開きだらりとぶら下がっていた手をエルメラルドに向けて伸ばした。

「光よ……」リリが呟くと同時に手のひらが輝き出して、魔力が光の玉に変換された。先日と同様の魔術だ。じりじりと大気を焦がし浮かび上がった光の玉は、リリの無言の指示によってエルメラルドに向かって発射された。

「ふん、舐められたものだな」

 ほくそ笑んだエルメラルドが防御魔術を唱えようとしたその瞬間、光の玉は垂直にカーブするように進路を変えリンダに向かった。

「え! 嘘っ!?」リンダは前方に立つエルメラルドが狙われたものと、油断していたのだろう。

「しまった!? リンダ君、避けろ!」

 エルメラルドが叫び、リンダは必死に両手を突き出した。

「光のガン・ドゥン!」

 間一髪、リンダはリリの魔術が到達する前に青白い光の壁を前方に作り出すことに成功した。慌てていたにしてはしっかりとした構成の防御魔法であった。だが、


「きゃあああ!」爆発は悲鳴とともにリンダの体を共に宙に放り投げた。光の玉はその防御魔法をいとも簡単に突き破り、閃光と共に爆ぜたのだ。吹き飛ばされた細い体は後方の積み上げられた荷物の壁に叩きつけられた。

「あはは。弱っちいの」女は追撃もせずに笑っている。

「大丈夫か、リンダ君っ!」

 舌打ちをしてエルメラルドは倒れたリンダの元に駆け寄る。抱き起こされたリンダの眼鏡は割れ、額からは血が滴り落ちていた。

「ご、ごめんね探偵さん。失敗しちゃった」

 力なく呟くリンダの全身をサッと見渡す。ダメージは大きそうだが、致命的な傷は負ってはいないようだ。

「良い。喋るな。大丈夫だ。辛いだろうが少し我慢していてくれ。すぐにリリさんを救い出して、治癒魔術をかけてやる」

「探偵さん、ごめんね。リリ様をお願い……」

 苦痛に表情を歪めながらも気丈に微笑んだリンダだが、がくりと肩を落として気を失ってしまった。

「ウケるー。弱いのに出しゃばるから

 ー」

 女魔術士はケラケラと耳障りな笑い声を上げた。


 だらりと力の抜けたリンダの体をゆっくりと地面に下ろして、エルメラルドは立ち上がった。女を睨みつける。

「なにその目。……ってあれ、あんた男? なんだ、女だと思った。ウケる、変なの」


「……君は私を怒らせた」


 エルメラルドは無表情につぶやいて、女を氷のように冷たい目で睨みつけた。


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