第26話 魔術士は疑いの目を向ける
親切な女性から
事務所に戻ると部下のケベルはおらず、壁掛けの予定表には『外回り 一七時帰社』と書かれていた。これは好都合だ。ケベルがいるところでガサゴソと探し物をしていると、仕事に集中出来ないからか、とてもイヤそうな顔をされるのだ。
「ケベル君はあれでけっこう神経質だからなぁ」
出かける際には自分のロッカーやデスクの引き出しに必ず鍵をかける後輩を思い出しながら、カバンをデスクに置き、中から
蔦絡丸模様のフレームに楕円形のレンズ。右のレンズの脇にさりげなく目立たない小さなダイヤルボタンが二つ付いていて、指定した魔力の反応を記憶する機能と、映る空間全ての魔力の流れを色分けで映し出す機能もオプションで付いている。
ひとまず、ボタンには触れずにレンズ越しに事務所を見渡す。自分のデスク、ケベルのデスク、書類棚と順に見ていく。壁際にはロッカーや本部から送られてきた荷物が並び、仕切りで分けただけの応接室のスペースがその左手にある。まあ見慣れた事務所の姿であった。
魔石の反応があれば、ぼんやりと魔力の周囲に光がともるのだが、おかしなことになんの反応もない。アクアはぐるりと部屋を回って机の下や戸棚の奥を見て回る。が、こちらにもやはり反応はない。
ない、なんてわけがないのだ。持ち出していないし。間違えて家に持って帰ったなんてこともない。
とはいえ、盗まれるということもあり得ない。事務所を留守にするときには通常の鍵だけでなく魔術結界も張って帰っている。魔術が使えないものは中に入ることはできないし仮に入れたとしても痕跡が残るようにしている。
痕跡がないのに、中にあるものが無くなるなんてありえない。外から盗まれたわけではないとなると、他に推測できることといえば……。
「お疲れっす。ただいま帰りましたーってアクア先輩、どうしたんすか。めっちゃ怖い顔してるっすよ。ウケるー」
扉を開けたケベルは腕を組んで顔をしかめているアクアを見て、いつものように高らかに笑った。
「いや、なんでもない。おかえり。どうだった?」
「魔技士の工房を回ってきましたけどヤバイっす。軒並み暇そうですよ。今日はたまたまだってアピールしてきた所もありましたけどー。あれなら本部の言う通り予算減らしていいと思いますよ自分は」
「そうか。わかった」と答えながらもアクアは別のことを考えていた。
「ところでケベル君。相変わらずネンデの指輪が見つからないんだけど、やっぱり君も心当たりはないかい?」
「ああ、その件っすか。ヤバイっすよね。うーん。そうですねぇ。ちょっとわからないっすね」
「そうかぁ。これはいよいよ覚悟を決めなければいけないかもなぁ」
「大丈夫っすよ。きっと見つかりますよ。探し物って諦めたときに、よく出てきたりするじゃないすか。一度は見たはずの場所に、ひょこっとあったり、そんなもんすから」
「そうかなぁ。でも、確かに事務所を閉める時はちゃんと結界を張って帰ってるものね。ならコソ泥なんかに盗まれてることはないもんな」
「そうっすよー。見つからないったって、この事務所の中にはあるんすもん。大丈夫っすよ」
「うーん。でも、心配だからなぁ。魔眼鏡か何かを買ってみようかな」
「もったいないっすよ。そんなのにお金を使うの。大丈夫っすよ。きっと見つかりますから」
……考えてみればケベルは変だ。もし、見つからぬまま支部長が来たら、アクアだけでなくケベルだって処分される可能性も高いというのに。なぜ平気でいられるのか。焦りの姿勢も見せていないのはなぜなのか。
「支部長が来る月曜までに見つければいいんすもんね。自分、これでも探し物とか得意な方なんで、日曜の夜に徹夜してでも探すっすよ。だから心配しないでください」
「見つかるかな」
「見つけますよ!安心してください!」
根拠はなんなのだろうか。
「……そうか。そこまで言うなら、くよくよ悩むのも止そうかな」
「そうっすよ。それより、今日の魔技士の工房の件ですけど、自分が考えるに……」
ケベルは話を打ち切って今日の報告に入った。アクアは頷きながらも上の空だった。貴重な魔道具を無くしたとなれば二人揃って処分されるかもしれないのに、あんなに落ち着いていられるなんて、おかしいだろう。
犯人は身近なところにいたのかもしれない。だが、そんなものを盗んで何をするのか。
ネンデの指輪は膨大な魔力を秘めている。身につけていれば自身の魔力を消費しなくても指輪の魔石を媒介にして魔術を発動することができるだろう。長期間魔力の補給ができないような過酷な任務につく魔術士などには重宝される代物だ。
まさか。
刑事たちの話が思い出される。一番最初に刑事たちに尋ねられたのは魔術で人を操る事は可能か、ということだった。頻発する不思議な失踪事件。魔力が際限なく使えるというなら、ケベル君にだって人を操る事は可能だろう。
(まさかケベル君がそんなことを……?)
ケベルとはこのアルムウォーレンで出会ったばかりだ。緊張感のないあの口調は何とかして欲しいが、仕事に関しては熱心な若者だと思っていた。毎日外回りは欠かさないし、報告書もきちんと仕上げる。自分に対しても好意を寄せてくれていると思って、今までは疑うこともなかったのだが、一度疑惑の念が湧いてしまうと、行動の全てを疑って見てしまう。
「珈琲、入れるっすけど、アクア先輩飲みますか?」
気遣いもできるのだが。
アクアが貰おうかな、と答えると、ケベルは自分が疑われているとは知るはずもなく、何気なく立ち上がりキッチンに向かった。
ちらりとその姿を確認して、こっそりと
キッチンで火を起こし、インスタントの珈琲をマグカップに入れるケベルの後ろ姿を気づかれないように盗み見る。
ポットを手に持ち、お湯をマグカップに注ぐ後ろ姿を
流石に盗んだものを持ち歩くような真似はしないか。疑いつつも、たった一人の部下が犯人であるとは信じたくない自分もいるのだ。複雑な気持ちを抱えながらも注意深くその後ろ姿を眺める。
湯気の立つポットを持つケベルの指先を見たアクアは目を細めた。お湯を注ぐポットを持つ指の一部が怪しく光っていた。
薬指だ。右手の薬指の根元。帯状に魔力の反応がある。思わず
……やはり。
「ケベル君は魔石のついた指輪なんて使ったことあるのかい?」
「そんな高級品、買ったこともないっすよ。うちは昔から貧乏で、高価なものは中々買えないんですよねー」
疑惑は確信に変わった。
「ふーん。ま、僕もだけどね。普通の魔石なら持ってるけど、指輪となると中々手が出ないよね」
心の動揺を気づかれないように気楽を装って言う。
「こんな地方都市に派遣されちゃうと給料も少ないし難しいっすよ」
マグカップを両手に持ってデスクに戻ってきたケベル。意識せずともその指を見てしまう。白く細い指。肉眼では魔石の魔術痕があるとは思えない。魔眼鏡で見なければわからなかっただろう。それほどに、緻密な構成の魔術を使用できる魔石の指輪をケベルは使ったということだ。何に?
だが、今問い詰めたところでシラを切られるだけだ。きっとケベルは支部長が来る日までに指輪を見つけたと偽って返却するはずだ。そうでもなければ、この落ち着きはあり得ない。
ならば、その間に指輪を使って何かをする気なのだろう。
何か。何かとは何だろう。
アクアはケベルのことを注意深く観察しようと決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます