第25話 探偵は悪どいことも考える

 銀行というのはどうも苦手だ。まずあの列が嫌だ。自分の金を下ろすためなのに、なぜこんなに時間がかかるのか。現金魔動支払機キャッシュディスペンサーの普及のおかげで窓口に並ぶ必要は無くなったが、結局は人が操作するのだから、時間がかかって仕方がない。前のおばさんが手間取っているのをイライラしながら待つこと数分。ようやく自分の番が回ってきたエルメラルドは画面を操作して現金を引き出した。

 さっさとサリル婆さんのところで魔眼鏡を買ってリリの捜索を再開しなければ。警察も動いているとなると時間との勝負になる。


 スクーターを飛ばし、サリル婆さんの店に急ぐ。エルメラルドは店の前に投げ捨てるようにして愛車を止めた。

「サリル婆さん。ごめんごめん。財布取ってきたよ」

 扉を開けながら店の奥に声を投げかける。薄暗い店内に目を凝らすと、誰かがカウンターの前に立っていた。今の声で振り向いたようで、こちら向きだ。この店に客など珍しい。目を細めてその人物を見る。夏用の薄手のローブを着ていて、くしゅくしゅの栗毛の男。藍色のクリッとした瞳がこちらをとらえている。

 ハッとする。

 そこにいたのは、アクア・マリンドールだった。


「やばっ……」エルメラルドは慌てて顔を背けた。が、バッチリと顔を見られてしまっている。万事休すだ。

「もしかして、君は……」

 アクアの声が上ずった。

 まずい。こんなところで自分を知る人間に会ってはならない。アクアは自分が魔天楼閣を抜け出すのを黙認してくれたが、それは彼もまだ若かったからだ。魔術都市でエリート街道を進んでいる人間なら、脱落者を見逃すはずはない。踵を返して逃げるか、不意打ちで魔術を使うか。どうする。目まぐるしく思考を巡らすエルメラルドに向かって、アクアが口を開く。


「君は、アパートメントの前でお会いした二人組の方ですよね。たしか……エルフィーさん、そうですよね?」

 拍子抜けするほど呑気な調子だった。

「へ?」

 エルメラルドは恐る恐る顔を上げる。

 あれ。もしかして、アクアは全然自分のことに気づいていないのではないか?

 目の前に立つアクアはあの頃より背も伸びたし顔も大人びているが、少年時代の面影は残っている。お人好しな笑顔は、自分が話しかけている相手がかつてのクラスメイトだとは微塵も思わない馬鹿っ面だ。


 なぜ気づかない?


 逆に心配になる。人間そこまで変わるものではない。髪型は変わったが顔の造形は我ながらそこまで変わっちゃいないと思っている。それなのにぜんぜん気づいていないじゃないか。


「髪を下ろしているので気がつきませんでした。改めまして、アクア・マリンドールです。こんなところで再会できて嬉しいです」


 人の良さが滲み出るアクアの笑顔である。魔天楼閣の時も後輩の女の子にラブレターをもらうことも多かった笑顔、あの頃の面影は残っている。


「こ、こんにちは。アクアさん。エ、エルフィーです。奇遇です……わね。おほほほ」

 エルメラルドは引きつった笑みを浮かべて挨拶を返す。裏声だ。自分でも馬鹿馬鹿しくなるほど滑稽な裏声だ。そういえば、アクアは人の顔を覚えるのが苦手だったよなぁ、と古い記憶が思い浮かんだエルメラルドであった。


「それにしても、ベライト先生の言ったお客さんってのはエルフィーさんだったんですね」

 にこやかに会話を求めるアクアにエルメラルドはタジタジで愛想笑いを浮かべるしかできない。。魔天楼閣にいた頃はどちらかというと人見知りで、人と打ち解けるのには時間がかかるタイプだったのに、さっきちょっと会っただけの人間にここまでフレンドリーに話しかけて来るとは。

 一〇年という時を彼の成長に感じる。もしかしたら、自分もこの一〇年で旧友が気づかないほどに見た目も中身も変わってしまったのかもしれない。

「え、えっと、そうですよ、オホホ」

 気味の悪い裏声の女言葉で笑いながら、店の奥を見ると、店主のサリルはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべてこちらを見ていた。助け舟を出すわけでもない。彼女はこの茶番劇を楽しむ気でいるのだ。


「エルフィーさん! こんなお願いをするのは失礼なのですが……。取り置きされている魔力源鏡マジック・グラスを譲ってもらえないでしょうか?」

 エルメラルドの手を握りしめ、アクアが懇願する。

「えっと……ちょっと困ります。必要なものでして」

 間近に近寄られて思わず目をそらす。

「そこをなんとか! 魔力源鏡マジック・グラスが無いと冗談じゃなくて、僕の首が飛ぶかもしれないんです!」

 必死の形相である。握り締める手の力も強くなっている。

「そ、そう言われましても。私にも事情がございますので……。あの、すみません!」

 顔は背けたままで乱暴に手を振り払い店の奥へ駆ける。カウンターに肘をつきサリルの耳元に口を寄せる。

(ちょっとサリル婆さんっ!アクアがいるんなら先に言ってよ)

(そりゃ無茶じゃろ)

(お金は持ってきたから、魔眼鏡を出してっ、早く)

(話を聞いてあげなくていいのかい。困ってるみたいじゃよ?)

(もう。婆さん、余計な事は言ってないだろうね?)

 囁き声に力を込める。

(ほほほ。じゃな。せっかくの旧友との再会なのにもったいないのぉ)

(勘弁してよぉ。魔術士協会の奴らに俺の居場所を知られたくない)

(……苦楽を共にした、友達でもかい?)

 サリルの声が一瞬、真面目になった気がした。

(……ああ。アクアは良い奴だ。迷惑はかけたくない。それに俺のことには気づいてないんだから良いんだよ。触らぬ魔神に祟りなしだ)

 視線を落とし、微笑みを浮かべたエルメラルドは答えた。

(わかった。勝手にしな)

 そんなやりとりをコソコソとカウンターを挟んでしていると、背後から突然、


「レンタル!!」

 アクアに叫ばれた。

「うわっ、びっくりした、なんですか?」

「一〇万!」

「は?」

「レンタル!一日、一〇万出します! 今日だけ、今日だけその魔眼鏡を貸してください! 明日には返します! お願いします!」

「……一日一〇万? ホント?」

「はい! 前払いでも構いません!」そう声を張り上げると、アクアはポケットから財布を取り出してみせた。金で何かを解決しようとする人間の話は聞かない。というポリシーがあるエルメラルドであったが「ごくり」と喉がなった。


「ちょっと待って。考えます!」

 エルメラルドはビシッと手を突き出してアクアを制止し、背を向けた。


 魔眼鏡は高いし、魔石は二つも失ってしまっているし、スクーターはオンボロで故障寸前だし、家賃の振込もあるし、月末にはお気に入りの楽団が来るからライブにも行きたいし……。

 いやいやダメだ。リリさんの捜索は急がないとダメだ。


「ど、どうでしょうか?」

「考えてますから! ちょっと待って」


 いや、でも考えてみろ。あのアホ刑事コンビだぞ。ララさんに寄れば捜査は全然進んでないみたいだし、犯人の見当もついてない様子だったではないか。なら、一日二日捜索が滞っても平気ではないか。うん、そうだよな。きっと大丈夫だ。

 脳内で争う天使と悪魔は、悪魔の方が優勢のようだった。


「……ちゃんと返してくれますか?」

「それはもちろん。僕は魔術士協会の者です! もし僕が返さないようでしたら、すぐ魔術士協会本部にご連絡してくださって構いません!」

 確かに身分は明かしているのだし、その点は問題ないかな。ブツブツと呟いて考えていたエルメラルドが、ぐるっと振り返った。

「お貸ししましょうっ!」

「本当ですか!? ありがとうございます! 恩に着ます!!」

 握手を交わす二人の後ろでサリルがやれやれと首を振った。



「……と言うわけで、魔力源鏡マジック・グラスはちょうど明日に入荷する予定と魔道具屋で言われたので、それが手に入り次第、調査を再開いたしましょう」

 伝話越しにララに伝える。時刻は夜九時。カーテンの隙間から闇に押しつぶされそうな夕焼け空が見える。

「在庫はなかったんですか。残念ですが、そうしましょう。リンダちゃんのほうも魔眼鏡は見つからなかったようですし、都市警察の方も大家さんから良い情報はもらえなかったみたいですから」

 止むを得ない、とララも判断したようだ。エルメラルドは尻ポケットに入れた財布の膨らみを気にしながら受話器を握る。

「しかし、リリさんのことは心配です。明日もリリさんの情報を探しに街へは出ますので、何かわかれば夜に連絡します」

 伝話なので顔は見られないのに、エルメラルドはキッと目に力を込めて言った。


 別れを告げて伝話を切ると、札束のはみ出した膨らんだ財布をポンっと机に投げて、シャツを脱いでベッドに寝転がった。

「果報は寝て待てって言うからな」

 ニタリと悪どい顔で笑って、エルメラルドは目を瞑った。

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