第22話 魔術士とヘンな人たち
アクア・マリンドールがアパートの外で待つこと数分。内部に動きは見られない。念のため意識を集中して魔術の発生にも気を配っているが、魔術の構成が編まれる様子もないし、怒号も悲鳴も聞こえてこない。アパートの中に魔術士はいなかったのだろうか。
(ま、なるようにしかならないか)
アクアは階段を降りてポケットから煙草の箱を取り出すと、一本抜き取り口に咥えた。
煙草を咥えたままモゴモゴと呪文を呟く。指先に小さな火が灯った。魔術士は
ゆっくりと紫煙を吐き出し、アパートを見上げる。
水路の柵に背をもたれ、しばらく様子を伺ってみる。
あたりは閑静な住宅街だ。犬の散歩をする人、小竜に餌をやる人。運河を流していく行商人の舟。
日常の風景に視線を泳がせながらも意識はアパートメントに残しておく。
さらに数分がすぎ、ようやく動きがあった。
階段を降りてくる人が現れたのだ。二人の女性だ。分厚い眼鏡をかけた長身の女性と、金色の髪を下ろした少女。長身の方は男装の麗人と言った感じで、すっきりした白シャツに三つボタンのベストがシックに決まっているし、背が高くスタイルもスレンダーである。ただ、黒く艶のある髪を似合わないポニーテールにしていることと、せっかく綺麗な顔をしているのに瓶底の眼鏡をかけているのが少しもったいない。白い肌に赤い口紅がよく映えているが、これもどこか少し妙な感じがする。
隣の少女はというと、金色の髪を下ろして、片目を前髪で隠した不思議なヘアスタイルをしている。見えている方の瞳はクリッとしていて、頬のそばかすもチャーミングな可愛らしい学生だった。
はたして、この二人はどういう関係なのだろうか。姉妹には見えないが、母娘にも見えない。
(他の部屋の住人かな。それとも、さっきの部屋に潜んでいた人間? 組織のメンバーというわけではなさそうだけど、念のため少し話を聞いてみるかな)
アクアはタバコの火を消して、二人に近づいた。
「あのーすいません。ちょっとお話をお伺いしたいのですが」
アクアが近づくと二人の動きが固まった。特に長身の方がかなり驚いたようだった。
「な、なんですの。アタクシ達に何かご用ですの? 急いでいるんですの。失礼しますですわ」
奇妙な言葉使いの金髪の少女は、そそくさと去ろうとする。
「ちょっと待ってください!」アクアは二人を追いかける。
「あの、ここのアパートに『緑の雨』という魔術結社の事務所があったと思うんですが、ご存知ないですか?」
「み、『緑の雨』ですか? 知りませんよね、 探てぇ……じゃなかった、エル……フィー、エルフィーさん」
「は? エルフィー? あ、いや……。ごほん、そ、そうですわね。リンリンさん。魔術結社があるなんて全然知らなかったですわね」
不思議な二人だ。特に長身の方は不自然なほど高い声だった。
「……そうですか。お二人はここのアパートの方ですか?」
「えっと……いえ、その、バイトです、バイトで来ただけなんで」
金髪の少女が目を泳がせながら答える。
「アルバイトですか。どこの部屋で何のバイトしてるんですか?」
「げっ。えっと……その……」
口ごもる少女の横から長身の方が言葉を続ける。
「面接です! 面接、バイトの面接に来たんです。私は付き添いです! この子の初めてのアルバイト面接だったので、付き添いで来てたんです。だから、このアパートに来るのは初めてです! しかも、面接はダメダメで、不採用になってしまったので、もうここに来ることもないと思います。すみません。お役に立てなくて」
早口でまくし立てて、言い終わると顔を伏せる。シャイな性格なのだろうか。顔立ちも整っているし美しいのだから、堂々としていたら良いのに。
「そ、それよりあなたはどちら様ですか? 名前も名乗らない非常識な人とは話はしたくありませんわ」
金髪の少女に尋ねられて、まだ名乗っていないことに気がついた。
「あ、すみません。僕は魔術士協会からこの街に派遣された魔術士のアクア・マリンドールと言います。刑事さんの要請でちょっと同行していたんです。失礼しました」
「そうなんですの。魔術なんて魔法を模した子供騙しでしょ。あまり近寄って欲しくないですわ」
汚いものでも見るように金髪の少女に見られるが、アクアは表情は崩さない。
「はぁ、そうですか。お引止めしてすみませんでした」
頭を掻いて謝っておく。こういう人も一定数はいる。反論はしないほうが良いことはわかっていた。
「ほ、ほらリンリンさん、余計なことは言わないでいいですから、もう行きますわよ。おほほ。おほほほほ」
エルフィーと呼ばれた長身の女は顔を隠すようにお辞儀をして、金髪の少女を急かすと、歩いて行ってしまった。
なんだか変な二人であった。
追いかけてもう少し話を聞いても良かったが、背後から声がして、刑事たちがのほほんとした顔で階段を降りてきたのでタイミングを逃してしまった。
「いやーお待たせしましたね。マリンドールさん。部屋はもぬけの殻でした。手がかりはありませんでしたな」
肩をすくめて前髪をいじるハーネス。
「まったく、逃げ足の速い連中だぜ」
ズボンのポケットに手を突っ込んで「けっ」と不満げな顔をするのはダンケル刑事。その猫背のちょびヒゲ男の後ろに見慣れぬ女性がいた。銀色の髪の美しい女性だ。
「警部さん、その方は?」
アクアが尋ねると、ハーネスは後ろを振り返り、大げさに声をあげた。
「おお、ご紹介しなければなりませんなぁ。この方はあのヒイラギリスジャーナルの記者で、どこにでも首を突っ込む迷惑ライターと我々の間では有名なララ・マグナガルさんです。彼女も詐欺事件の調査をしていたらしいのですな。部屋の中にいたのはこの方だったわけです」
スラスラと悪口も絡めた紹介をするハーネスの横で、当の女性記者さんはニコニコと笑顔を崩さなかった。
「どうも、ヒイラギリスジャーナルのララ・マグナガルです。そのローブは魔術士協会の方ですね。お会いできて光栄です。アルムウォーレンに新しい支部ができた事は存じ上げております。ぜひ今度、取材にお伺いさせてください」
微笑んで握手を求めてきたので、それに応じる。細くきれいな指だ。
「これはご丁寧に。魔術士協会のアクア・マリンドールです。今月初めからこの街に来ました。魔術の普及のために尽力するつもりです。ぜひ、機会があれば取材に来てください」
「ありがとうございます。刑事さんと違って好意的で嬉しいですわ」
ちくりと皮肉を混ぜるララ・マグナガル。
「それにしても、知ってますか? アクアさん。都市警察は令状も持たずに家宅捜索をするみたいなんです。れっきとした違法捜査です。この件もぜひ、記事にしたいですね」
ニコニコしたまま警察批判をする。一を言われたら十返すタイプの女だ。ダンケルが苦虫を噛むような渋い顔をしている横でハーネスは飄々としている。
「はっはっは。マグナガルさんは手厳しいですなぁ」
ララの挑発には応じずに笑って受け流す。
「それで刑事さん。部屋の中には何もなかったんですか」
「ええ。見事にすっかり空っぽでしたな。きっと初めから送金を受けるためだけに借りていた部屋だったんでしょう。戸棚から机から見て回りましたが、手がかりになるようなものは落ちていませんでしたなぁ」
「大家に言って借り手を当たるしかないですねハーネスさん」
ダンケルが不満そうにつぶやく。
「そうだな。ま、ということでマリンドールさん。ご足労様でした。何かまた魔術関連のものが出てきたら事務所にお伺いしますんで、その時はよろしくお願いしますよ」
「……そうですか。わかりました。その時は喜んでご協力いたします」
「では、ここで我々は失礼いたします。他にも事件を抱えていますのでな」
手を胸に当てて仰々しくお辞儀をすると、ハーネスはダンケルを従えて去っていった。
「私もここで失礼いたします。アクアさん。ぜひ、またお会いしましょうね」
ララもにこりと営業スマイルを振りまいて歩いていった。
さっきまで頼られていたのに、役目が終われば礼も言わずに去っていくのか。切ない気持ちなったアクアはポケットから煙草を出して口にくわえた。
「ケベル君の言うように来なければよかったかな……。まあいいさ。それより、あの刑事さんたちが捜査に行き詰まって泣きついてくる前に、ささっとネンデの指輪を探さなきゃ。とりあえず、魔道具屋にでも行ってみるかなぁ。ネンデの指輪から漏れ出す魔力を探知する魔道具を使えば、指輪の居場所もわかるかもしれないし。ちょっと高いけど」
青空に煙を吐いてつぶやくと、アクアはゆっくりと歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます