第21話 探偵は息を潜め、依頼人は立ち上がる。

 一方、机の下で、じっと息を潜めるエルメラルドたち。


(絶対に声を出すんじゃないぞ)


 人差し指を口に当てたエルメラルドが囁くと二人は黙って頷いた。意識を扉の向こうへ集中させる。通路を歩いてくるガサツな足音。警戒心のない会話も聞こえてきた。

「どうっすか、なんかわかりますか?」

 どこかで聞いたことのあるガラの悪い声。


「……こりゃダンケルのバカの声だぞ」


 声の主が都市警察のチョビヒゲ男である一瞬で理解して気が抜けそうになったが、面倒な相手には変わりはない。気付かれずにやり過ごすのが得策だ。とエルメラルドは表情を引き締めた。


「この扉、魔術痕が残ってます。きっとここが緑の雨の部屋で間違いないと思いますよ」

「ねえ、魔術用語よ。探偵さん。魔術士がいるわ」

 リンダの言葉にエルメラルドの体に緊張が走った。確かにダンケルの言葉に返事を返したのは耳馴染みのない男の声だった。まさか、魔術士協会の人間か。そういえば、最近、新しい魔術士協会の支部が出来たと新聞に出ていたが、その職員かもしれない。となるとより一層、気づかれたくない。


「さすが先生だ。いやはや私には全くわかりませんがねぇ」

 先生と呼ばれた男の声に続いて三人目の男の声も聞こえてくる。気障ったらしい声。ハーネス警部だろう。

「もしもーし。誰かいらっしゃいませんかー? ちょっとお話をお聞きしたいんですがー」

 コンコン、と扉をノックして、ハーネスは声をかけてくる。

「誰もいないみたいですね。ハーネス警部、どうします?」

「うむ。今日は令状もないし、無理やり踏み込むわけにもいかんからなぁ。警ら隊の奴らにここらのパトロールを強化させるなり張り込みをさせるなりしつつ、とりあえず大家に賃貸人について聞きに行こうかね。ま、どうせ足がつかんように偽名で借りているんだろうが」

「ちっ。骨折り損か」

「すみませんねぇ、マリンドールさん。こんな所までご足労頂いちゃって」

 ハーネスが三人目の男に労いの言葉をかけるのを聞いて、エルメラルドは息が止まりそうになった。

(……マリンドールだって!?)

「お気になさらずに。魔術士が事件に絡んでいるのなら、魔術士協会が協力をするのは当然の責務です。先ほど採取した魔術痕は魔術士協会本部に送って個人データの照会をしますので、結果が出ましたらすぐにご連絡差し上げます」


 扉からは一番遠い場所にいるのだろう。マリンドールと呼ばれた男の声は少し聞き取りにくい。エルメラルドは必死に男の言葉を聞こうと耳を澄ました。まさかとは思うが、扉の向こうにいるのは少年時代に魔天楼閣で共に学んでいた、アクア・マリンドールのものではないだろうか。注意深く聞き耳をたてるが、アクアと共に学んでいたのは十年も前の話だ。もう声など覚えていないし、呼ばれた名前だって、聞き間違いかもしれないのだ。もし仮に、マリンドールという名前だとしても、アクアとは別人である可能性の方が高い。エルメラルドが知っている彼は、きっと今頃は魔術都市サルカエスでエリート街道を進んでいるはずだ。あの魔天楼閣を卒業したエリートがこんな魔術後進都市にいるわけがない。


「では、連絡をお待ちしておりますよ、マリンドールさん」

「犯人が魔術士だからって庇いだてはやめてくださいよ、先生」

「もちろんです。魔術は人々の生活を豊かにするために存在するものです。決して他者を傷つけるために使われるべきものではありません」

 意識を集中するが、三人の話し声はだんだんと遠ざかっていく。アパートから引き上げるのだろう。

 マリンドールと呼ばれた魔術士の正体は気になるが、とりあえず、刑事たちに気づかれずにすんだのは良かった。こんなところにいるのがバレたら面倒なことにしかならない。

 ホッとしたエルメラルドが表情を緩め背後の二人に視線を送ろうとしたとき、


「……へくしゅん!」


 後ろから可愛らしいくしゃみが聞こえた。青ざめたエルメラルドが振り返ると、リンダが口元を抑えて俯いていた。


(おいおいリンダ君っ! なんて事してくれるんだ)

 エルメラルドがリンダを小突く。

(仕方ないでしょ。我慢できなかったんだもん)

 プイッと顔を背けるリンダ。

「ん? 何か聞こえたぞ? 誰かいるのか?」

 ハーネスの声と共に、足音が部屋の前に戻ってくる。

(しっ、二人とも。静かに)

 ララの言葉に息を止め身を固める。

「確かにこの部屋から聞こえたような気がしたよなダンケル刑事」

「そうですね。おい! 誰かいるのか? 隠れても無駄だぞ!」

 どんどん、と扉を叩く音。まずいことになってきた。エルメラルド一人なら窓から飛び降りて逃げてもいいが、女性二人を放っておくわけにもいかない。

「ハーネス警部。こじ開けちまいますか?」

「え? 刑事さんたち、礼状もないのに、そんな事していいんですか?」

「はっはっは。規則規則じゃ犯罪は防げませんよ。我々は街の治安を守る責任がありますから、逮捕さえできれば、順序などは後でどうにでもなるものです」

 扉の向こうでは物騒な相談が始まっている。


(くそ。面倒なことになった。あいつらと関わるとろくなことがないんだ。なんとかやり過ごせないものか……)

 どうしたものか、と考え込むエルメラルドの袖をララが掴む。

(エルメラルドさん。彼らは都市警察の刑事さんですよね。なら私がどうにかできるかもしれません)

(ダメですよ。あいつらここらで有名なバカコンビで頭が悪いんですよ。何をされるかわかりませんよ)

 ヒソヒソと話すふたりの背後でドアノブがガチャガチャと乱暴に回される。

(大丈夫ですよ。いつも取材でお世話になってますし、その刑事さんたちなら面識もあります。きっと上手くやり過ごせます)

 なぜかララは自信満々に、にこりと笑う。


「よし。じゃあ、やってしまおうかダンケル刑事。マリンドールさん、ここから先はちょっと警察の緊急捜査ということになりますので、少々席を外してもらえますかな」

 机の下で三人がヒソヒソと相談している間、刑事たちも扉を開けるために相談をしているようだった。どうやらハーネスはマリンドールを立ち会わせたくないようだ。状況によっては外部の人に見られたくないような手荒なことをするつもりなのだろう。

「ですが、中に魔術士がいる可能性があります。私もいた方が良いと思いますが……」

「ご協力には感謝しますが、我々にも矜恃ってのがありますのでね。部外者の方に負んぶに抱っこじゃあ警察のメンツに関わります。まあここは我々の顔を立ててください」

 マリンドールは一度は食い下がったが、ハーネスの意思は固いようだった。

「……わかりました。アパートの外で待機してますので、何かあればすぐに呼んで下さい」

 諦めたマリンドールが渋々と了承する。

「がはは。俺たちだけで充分ですよ。先生は外で一服でもしててくださいよ。よっしゃ。じゃあいっちょ、やりますか」

 扉の外のやりとりを聞きながら、それでもララは怖気づくこともなく、

(二人はそのままじっとしていてくださいね)

 と、もう一度微笑んで、机の下から這い出て玄関へ向かっていった。こうなったら彼女に賭けるしかない、とエルメラルドは観念してララの後ろ姿を見送った。なんとか上手くやってくれ、とエルメラルドは祈るばかりだった。


「オラァ。都市警察だぁ」

 扉を蹴破り、勢いよく転がり込んできたダンケル警部だったが、蹴破った扉の向こうに立つ人物を見ると「うわぁ」と情けない叫び声をあげて後ずさりした。

「ラ、ララさん!? どうしてこんなところに?」

 声が裏返るダンケル。顔面蒼白で幽霊でも見たような顔になっている。横からひょこっと顔を出したハーネスも少々驚いたようだ。眉をしかめてララを見る。

「おやおや、雑誌記者さんがこんなところで何をなされているんですか?」

「記者ですもの。取材ですわ。緑の雨という詐欺グループについて調べていました」

「ほう、こりゃ奇遇ですなぁ。我々も今、まさにその緑の雨なる組織の捜査に来たんですがね」

「あら、一足遅かったようですね。私が来た時にはもぬけの殻でしたよ」

 ララの背後の部屋を覗いてハーネスが眼を細める。

「なるほど、そのようですね。しかし、他人の家に許可なく入るのは頂けませんなぁ」

「そ、そうですよララさん。これはれっきとした不法侵入ってやつですよ」

 ダンケルは何かララに弱みでも握られているのか、いつもの傲慢な態度とは打って変わって口調から姿勢から全てが及び腰である。

「うふふ。刑事さんだって器物損壊じゃないことですの? 令状は無いってお話ししているのが耳に入りましたけど? ネタがない月なら充分に記事になるお話ですね」

 胸を張り一歩も引かないララ。

「……ま、お互いに見なかったことにしましょうか」

 折れたのは刑事たちだった。

「ですがララさん。あなたもわざわざ忍び込んでおいて、手ぶらじゃ記事にはならないでしょう。何か手がかりはあったのですか?」

「ふふ。残念ながら、後ろの部屋の中には何もなかったです。向こうの簡易キッチンの方が怪しい気がするのですが」

 ララはエルメラルドたちが隠れる机の反対側へ刑事たちを誘導しようとしてくれている。隙をついて外に逃がそうとしてくれているのだ。

「なるほど、では調べてみましょうか」

 ララに案内されて刑事たちが背を向ける。


(リンダ君。合図をしたらそっと扉から逃げよう……って何してるんだ?)

(探偵さん。机の下になにか落ちてるわ)

 言われてよく見ると、キラキラとひかる粒がいくつか落ちている。手を伸ばしたエルメラルドはそれが昨日、自分がリリに向かって投げつけた魔石のカケラだということに気づいた。きっと飛散したものがリリの衣類か何かに付着していたのだろう。

(これは……。リンダ君。このカケラを調べればリリさんの居場所がわかるかもしれないぞ)

 ニヤリと唇の端を歪ませるエルメラルド。

「さあ、ハーネス警部、ダンケル刑事。こちらがキッチンですわ。そこの下の戸棚の中はまだ調べていませんから、調べてみたらいかがでしょう」


 ともかく、今はこの場所から脱出することを考えなければ。

 机から顔を覗かせれば、ララは上手く刑事たちを自分たちの死角に誘導していた。

(リンダ君。今だ!)

 音を立てないように立ち上がった二人は、そーっと忍び足で玄関へ移動する。

「あ、ハーネス警部。今その奥の方に何か光るものが見えた気がしましたわ」

「むっ。本当かね。暗くてよく見えんが……」

 刑事は二人とも四つん這いになって戸棚の奥に手を伸ばしている。ちらりとエルメラルドが視線を送ると、ララはこちらを見てウインクをひとつした。

 自分たちには気づかない間抜けな刑事を尻目に二人はそろりそろりと玄関の扉を開けて、部屋を抜け出した。


「ふう。体が固まっちゃったわ」

 通路に出たリンダがコリコリと肩を回してため息をつく。

「後はアパートの前にいる魔術士ね。出来るだけ目立たないように外に出たいわ。魔術士ってしつこくて粘着質だから嫌い」

「君は随分と偏見に満ちているよな。ただ、君の言うように、あまり顔は見られたくないな」

 下にいるのが自分の知っているアクア・マリンドールでなかったとしても、魔術士協会の人間にはあまり関わりたくない。

「ほかの部屋の住人のフリして出て行くのが一番かしらね」

「そうだなぁ。それしかないだろな。しかし、人相がバレるのは避けたい。参ったな。出口は一つしかないし」

「顔がバレないようにねぇ……あっ、いいこと思いついたわ」


 何か閃いたのか、ニヤリとエルメラルドの顔を見つめるリンダであった。

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