第20話 魔術士先生は流されやすい
「ったく、本当にこんな所にアジトがあるんすかー? 魔術士の先生」
ポケットに手を突っ込んだガラの悪い男がアパートメントを見上げる。着崩したスーツ、眉間のシワと口髭。アルムウォーレン都市警察のダンケル刑事である。
「どうでしょう。でも、あのチラシには、ここの住所が書いてありました。それは間違いありませんよ、刑事さん」
ダンケル刑事の横で、同じように白い壁のアパートメントを見上げる栗色癖っ毛の青年は魔術士のアクア・マリンドールである。
「ふーむ、中々立派な建物じゃないかね。さあ、行ってみよう。行けばマリンドールさんの言っていることが本当かどうかはわかるだろう」
前髪を垂らした気障ったらしい警部ハーネスも後ろからついてきている。
今朝はやくに事務所に駆け込んできたこの二人の刑事のせいで、アクアはデスクワークもそこそこにこんな場所に駆り出されているのだった。
「捜査中だった詐欺事件の重要な証拠になるチラシを手に入れたのに、一晩明けると文字が全て消えていたんだ! これは魔術か魔法か!?」
そんなことを叫びながら刑事たちはアクアに助けを求めてきた。
アクアはそのチラシを一目見て、目には見えない魔術の痕跡、魔術痕に気がついた。
原始魔術にせよ置換魔術にせよ、魔術は使用すればその場に特殊な魔力の残滓が残る。高等魔術士は痕跡を残さないように慎重に魔術を使うものだが、基本的にはその残滓を調べれば、誰がどのような構成の魔術式を編んで魔術を使用したのかがわかる。大掛かりな原始魔術や量産されている魔装製品に施された置換魔術だと分析に時間もかかるが、書いた文字を消すくらいの初歩的な魔術ならば、魔術構成から書かれていた文字を割り出すことも比較的簡単なのだ。
しかし、認めたくはないのだが、魔術文字を使っているということは、刑事たちの言う詐欺事件とやらの犯人は魔術士であろう。せっかくこの街の人々が持つ魔術のイメージを向上させようと頑張っているのに、どこの誰だか知らないが、足を引っ張るような真似をされては腹も立つ。
アクアは刑事から受け取った白紙のチラシを特殊な魔源液に浸けた。すると、部分的ではあるが書いてあった文字を復活させることができた。
刑事の顔が驚きと喜びを混ぜた顔になる。
「おお! すごい。いやはや書いた文字が消えるなんて、魔術ってのは不思議なものですなぁ。係りの者に『押収したチラシから文字が消えてしまいました』なんて言われた時には怒鳴りつけてしまったもんなぁダンケル刑事、わっはっは」
「ええ。紛失したくせに誤魔化そうとしてるのだと思って、ぶん殴っちまいましたからね。あはは。あいつには悪いことしちまいましたね」
二人して何が楽しいのか、仲良く笑っている。見た目も話し方も正反対な二人だが、人間性の根っこの部分は同じらしい。この二人の下で働く警察官はとんだ災難だな、と顔色は変えずにアクアは思った。
「だが、こうしてマリンドールさんのおかげで魔術文字の復元にも成功したんだ。あいつも殴られ損ではなかったろう。うんうん。よかったじゃないか」
「そうですねハーネスさん。で、魔術士の先生、その魔術痕ってやつを魔術士協会のデータベースで検索をかけりゃあ、犯人は一発でわかるんだよな」
「ええ。魔術を構成するために編まれる魔術式は魔術士ごとに微妙に違うんです。言ってみれば指紋のようなもので、同じ魔術痕を有している人がいる確率は非常に少ないです。そして、魔術士協会に所属する魔術士は全員、自分の魔術式を協会に登録させられています。ですので、魔術を犯罪に使っても、その魔術痕を採取してデータベースに照会すれば、すぐに犯人を割り出すことができるんです」
この制度は大陸の支配者『賢王会議』の連中が強力な魔術を使える魔術士たちを支配下に置くために作ったものだ。このおかげでこの世界の治安は守られていると言える。魔術を使えるからといって、街で好き勝手はできないのだ。
「ふーん。小難しくてわかんねえや。ま、できるってんなら、とっととやってくれ」
耳の穴をほじりながら聞いていたダンケルは予想通りの馬鹿さ加減を丸出しにしている。アクアは顔色一つ変えずに返事をする。
「はい、ですがデータベースは魔術都市サルカエスにしかないので、申請を出しても照会に一週間はかかります。その間に犯人に逃げられてしまうかもしれませんので、犯人の居所を突き止めて、早急に身柄を確保することが大事だと思いますけどね」
笑い仮面を貼り付けたアクアが釘をさす。
「任せろ。金の送り先の住所はわかったんだ。その浮き出た住所に突撃してとっ捕まえてやる」
そう。チラシの文面はまばらにしか復元できなかったが、その浮き上がった文字がなんと送金先の住所だったのだ。
「こんな幸運、滅多にねえよな。やっぱり日頃の行いだな。俺は足には自信があるんだ。安心しな。逃げられたってどこまでも追いかけて捕まえてやるさ」
ダンケル刑事は豪快に笑ってアクアの背中をバシバシと叩いた。本当に彼なら地の果てまででも追いかけていきそうな勢いがあった。
アクアは刑事にそのアパートメントにも同行するように頼まれたが、部下のケベルは消極的だった。
「ちょっと、アクア先輩、タダ働きなんてしないほうがいいっすよ」
ケベルは呆れ顔で耳打ちをしてきたが、
「恩は売っておいた方が良いのさ」
と、お人好しのアクアは笑顔を返して事務所を出たのだった。
「……つうことで、ここまで来たが、魔術士の先生よ。この街に住んでる魔術士は少ないんだろう。なら、この魔術文字ってのを使った輩も先生は顔見知りってこともあるんじゃねえか? 何か知っているのなら、隠さず言えよな」
アパートメントの前でダンケルがジロリとアクアを睨む。
「もちろんですよ。でも、魔術痕を見たくらいでは、誰がその魔術を使っているのかなんてぜんぜん想像もできません」
「お役に立てずにすみませんねえ」と頭をかいた。
魔術痕など人の数だけあるので、たとえ一度くらい見たことがあっても覚えられるものではない。それに、アクアはただでさえ人の顔を覚えるのも苦手なのだ。今回の魔術痕も見覚えがあるような気もするし、ないような気もする。確信を持てない限りは余計なことは口にしないほうがいいだろう。
「ちっ。わかんねえか。だろうなぁ。先生はなんつーか……気合? そうだ、気合いってモンが入ってねえよな。もっとビシッと男らしくしねえと出世もできねえしモテねえですぜ。今度、男らしい格闘術でも教えて差し上げましょうか?」
「これこれ、ダンケル刑事。失礼なことを言うもんじゃありませんよ。ここまで来れたのもマリンドール先生のおかげなんだから」
ハーネスがなだめると、ダンケルは「まあそうっすね」とすぐに言葉を止めた。
「ダンケル刑事のおっしゃることももっともです。我々魔術士協会がもっとしっかり魔術士を管理できていればこんなことにはなりませんでした。このたびの事件は魔術士協会から派遣されている私の責任でもあります。市民の生活をより良くする為に存在する魔術をこんな姑息な犯罪に使うなんて、同じ魔術士として憤りを感じていますし、ご迷惑をおかけして申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「いやはや正義感の塊のような方だ。先生のような立派な魔術士さんなら、いくらでもこの街に来ていただいて構わないのですがね。わはは」
ハーネスは笑っているが、言葉と裏腹に瞳の奥は笑っていない。蛇のような冷たく心の奥を探るような粘着質な視線だった。魔術士のことなど、はなから信じていないような目だった。
「では、突入するか」ダンケルがコキコキと首を鳴らす。
「ちょっと待ってください。中にあのチラシを撒いた犯人がいるとしたら抵抗されるかもしれません。単独犯かどうかもわかりませんし、魔術で攻撃されたら危険ですよ」
警告するアクアだがハーネスは「なるほど。それは怖いですなぁ」と呑気な声で答える。魔術を舐めているのか、どうもこの男は何を考えているのかわからない。それにひきかえ、ダンケル刑事はというと
「軟弱魔術士の抵抗なんぞ、俺の拳で一発ですよ、ハーネスさん」
と大口を開けて笑っている。こちらはとてもわかりやすい単純バカという感じである。
「おお、頼もしいなダンケル刑事。じゃあ早速、君の拳に頼って踏み込むとしようか」
ハーネスの言葉を合図に、ダンケルがアパートの階段を登り始める。嫌な予感を覚えつつも、アクアも刑事二人のあとをついて階段を登った。
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