第17話 探偵にも過去はある

 アリサ・ファイアドレスは妹のような存在だった。


 エルメラルド・マガワが、まだトオル・エメラルドと呼ばれていた頃、つまりは魔天楼閣で魔術を学んでいた頃のことだ。

 アリサは魔天楼閣を卒業した後には、サルカエスの神使に抜擢されるらしい、と噂が流れるほど優秀な魔術士だった。彼女の魔術の実力はクラスでも一二を争うほど卓越したもので、特に魔術障壁などの結界魔術が得意だったので『蒼玉の楯』と異名がつくほどだった。だが、性格はトラブルメイカーそのもので、いろんな所に首を突っ込んではトラブルを起こしてばかりいた。他のクラスや外部の魔術学校に喧嘩を売るのは日常で、絶滅危惧種のドールドラゴンを捕まえに秘境に入ったり、遺跡で古代の殺人兵器を目覚めさせてしまったり。

 若き日のトオル少年は、お転婆な彼女にとことん振り回され、その度に同じクラスのルナダイヤ・モンドレッドや、アクア・マリンドールと共に、彼女の起こした騒動の尻拭いをさせられた。だが、彼女の持つ明るく物怖じしない性格や人懐っこい笑顔、まっすぐな瞳のせいで、どれだけ面倒ごとに巻き込まれても、トオル少年は彼女のことが嫌いにはなれなかった。


 あの頃、トオル少年は魔術の習得に明け暮れていたし、大人になったら魔術都市サルカエスで働くのだと、本気で夢見ていた。魔術士協会こそがこの世界を正しく導く存在だと思っていたし、トオル少年にとっては、魔法使いや一般人タビトは、わかりあう必要もない別種族の生き物だと思っていたのだ。

 それが今は魔天楼閣から抜け出して、名前を変えて魔術士協会とは距離をおいて暮らしているのだから不思議なものだ。一般人タビトどころか亜人とも一緒に酒を飲み交わすこともある。あの頃とは全てが変わった。あの頃の自分はもういない。しかし、いくら時が経っても変わらないこともあった。エルメラルドは心の何処かでいつもアリサのことを考えていた。

 あんなことがなければ。後悔と共に今でも夢に見ることもある。



 あれは魔天楼閣の定期演習でマジルキヨトの西の山脈に行った時のことだった。先生の目を盗んで演習をサボったアリサに強引に連れられて、トオルは古代遺跡に入った。暗く冷たい遺跡の中で、何か土産になる面白いものを探そうと彼女は言った。古代の魔術具や、貴重な魔装備を見つけてクラスメイトに自慢したかったのだろう。しかし、遺跡の最奥で、彼女は見てはいけない『何か』を見てしまったのだ。

 そして、彼女は壊れてしまった。彼女が見たものの、正体は結局わからなかったが、その日以来、アリサは二度と笑うことはなかった。ガチガチと歯を震わせて、指の爪を噛み、暗く塞ぎ込み、夜中に奇声をあげて暴れた。彼女の精神はボロボロになり、魔力を体内に取り入れることも、初歩的な魔術の構成を満足に編むこともできなくなった。

 魔天楼閣は落ちこぼれを要しない。半年もしないうちに、彼女は魔天楼閣から排除された。殺されたとも、記憶を消去されて歓楽街へ落とされたとも、根も葉も無い噂ばかりが出回ったが、彼女がどこへ行ったのか、誰も知らなかった。先生も決して教えてはくれなかった。元より身寄りのない子供ばかりが集められた魔天楼閣だ。彼女を引き取る親族など存在しない。文字通り、行方不明になってしまった。


 遺跡の一件から、アリサを献身的に見守っていたトオルは、魔天楼閣の閉鎖的な考え方や、魔術士協会の腐敗体質に嫌気がさし、魔天楼閣から抜け出した。脱走は重罪だった。追っ手から逃れるために、名を変えて街を転々とした。目的は一つ。アリサを見つけるために。アリサの笑顔を取り戻すために。


 アルムウォーレンに『蒼玉の楯』と呼ばれる魔術使いがいるらしい、という噂を聞いたのは、トオルが魔天楼閣から抜け出して五年の歳月が経ってのことだった。噂の真相を確かめるために、トオルはこの街にやってきた。エルメラルド・マガワと名を変えて。

 噂自体はデマだったのかアリサの手がかりは見つからなかったが、エルメラルドにとって魔術士が少ないこの街は生きるのに都合がよかった。港町で様々な大陸の情報が入ることもあり、情報収集を兼ねて探偵業をはじめたのだが、気がつけば月日は瞬く間に過ぎていた。仲間など作る気はなかったのに、馴染みの連中もできた。いつまでも同じ街に留まることは良くないことだし、いつかこの街を出ていかなければならないと、頭ではわかっていたのに。




 小高い丘の下で舟を降りて丘を登る。もうすっかり慣れ親しんだ部屋に着くと、シャツを脱いで、傷の手当をした。魔樹液の小瓶を戸棚からだし、傷口に塗り込んで治癒魔術をかける。青白い暖かな光とともに傷口は塞がっていく。ぐるぐると肩を回してみるが、もう痛みはない。傷は塞がっても流れた血は戻らないので、貧血気味にはなるが、それも魔力を補給する事でおぎなう事ができるだろう。問題はない。


 治療をしていても何をしていても上の空で、結局、頭にはアリサのことが浮かんでしまう。

 あのチラシの代表者が本当にアリサなのだとしたら、なんと声をかければいいのだろう。彼女は俺を覚えているだろうか、自分を捨てた魔天楼閣のことをなんと思っているのだろうか。

 無意識にそんなことを考えてしまい自嘲する。

 自分はもうトオル・エメラルドではない。アルムウォーレンの私立探偵エルメラルド・マガワなのだ。

 自分のことよりまずはするべきことがある。エルメラルドは自分に言い聞かせ、壁にかかっている古い伝話でんわに手をかけた。ダイヤルを回し、ララへ今日の報告をするべく受話器を持った。

 だが、伝話のベルがいくら鳴ってもララは出なかった。転勤間近で仕事が忙しいのかもしれない。エルメラルドは迷ったが伝書龍メールを使うことにした。何か仕事でもしていないとアリサのことばかりを考えてしまう。

「いかんなぁ」と自身の情けなさを認めつつ、今度は魔力の補給に取り掛かった。久しぶりにしっかりと魔力を体内に溜めるのだから、集中しなければ危険だ。

 気持ちを入れ替えて、キッチン下の戸棚の奥から、久々にいくつかの小瓶を取りだす。「魔源土メルストン」「幻魔水ファントォータ」「魔烈火アビルファイ」「魔霧ミスタミル」これらは魔力源を液状化したもので、この原液を掛け合わせて、作った液体を摂取して体内に魔力を溜めるのだ。日常的に原始魔術を使う者ならば定期的に行う作業なのだが、エルメラルドにとっては久しぶりの調合作業だった。昔なら目分量でも問題なく調合できたのだが今回は少々配合を間違えたが、まあ誤差範囲だ。問題はない。

 出来上がった悪臭を放つドロドロの液体を、鼻をつまんで一気に飲む。喉を腐った泥のような液体が通り過ぎる。


「……ぷはぁ、相変わらず不味いな」顔をしかめて呟く。世間から原始魔術が廃れた理由の一つがこの魔力精製の面倒臭さだ。こんな不味いものを摂取してまで魔術を使いたくない、と人々は思ったのだ。確かに、それは言える。と魔力を精製するたびにエルメラルドは思う。


 そんなことを考えていると、玄関の鉄扉を誰かがノックする音がした。威勢の良い音。聞き覚えがある。


「エルメラルドさーん。こんばんはー。ララですー。ララ・マグナガルでーす」


 相変わらず元気よく扉を叩く人だ。時計を見ると時間はもう一〇時。まったく、こんな時間によくもまあ来たものだ。苦笑しながらエルメラルドは玄関に向かった。


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