第18話 探偵の報告と依頼人の疑問

「あ、エルメラルドさん。こんばんは。どうもすみません、遅い時間に。進捗はどうですか。直接お伺いしたくて、来ちゃいました」

 照れた笑いを浮かべてララは銀色の頭をかく。今日も彼女はスーツ姿だ。

「こんばんはララさん。お仕事帰りですか? ちょうど伝書龍メールを送ったところだったのですが」

「あら、行き違いでしたか」

「いえいえ。お気になさらず。どうぞお入りください。直接お話ししたいと私も思っていたところです」

 部屋に招き入れ、ソファに座らせる。

「遅い時間ですが、コーヒーでよろしいでしょうか。アイスティーもありますが」

「ありがとうございます。ではアイスティーを頂けますか」

 冷蔵庫から出したアイスティーをグラスに注ぐ。砂糖とミルクももちろん添える。同じミスはしない。それがエレガントでダンディな探偵のあるべき姿だ。


 アイスティーと自分の分のコーヒーをテーブルに置くと、エルメラルドは今日の出来事について、順を追って説明した。

 リリが魔術士になりたがっていたこと。『緑の雨』なる怪しげな組織に所属しているらしいこと、そして、路地裏でチラシを配っているところを見つけたこと。

「出会えたんですか!? 話はできたんですか!? 元気そうでしたか?」

 前のめりで期待の眼差しを向けてくるララに伝えるのは酷だが、現実は伝えねばならない。

「会話という会話はできませんでした。体調に関しては、そうですね。顔色は優れませんでしたが、魔術をバンバカ撃ってきたので良好だったのかもしれません」

「魔術を? あの子が?」

 ララが目を丸くする。

「ええ。ララさんが信じられないのも無理はありません。私だって、あんな高度な魔術をリリさんが使えるなんて、信じられないですから」

 本当にあの出来事には苦笑するしかない。

「あの……失礼ですが、本当にそれはリリだったんですか。私の知ってるリリとはまるで別人のような気がしてならないのです。魔術なんてあの子が使えるとは思いませんし、口から生まれてきたんじゃないかと言うほどおしゃべりなあの子が、人の言葉を無視をするなんて、私には考えられないのですが……」

 不安そうな顔でララは首を傾げた。

「ララさんの気持ちは理解できます。ですが、その場にはリリさんのご学友のリンダさんも一緒でしたので、ご本人だということは確認が取れてます。ただ、普段のリリさんとは様子は違うと、リンダさんも仰ってましたが」

「そうですか……。リンダちゃんもいたんですね。あの子が言うのなら、本当にリリだったのね……」

 ララはリンダとも顔馴染みのようだ。腑に落ちない表情のララだが、それ以上反論はなかった。

「もちろん、説得は試みたのですが、妹さんの意思は硬いようでして……というより、まともな会話はしてもらえなかったという感じでして。我々を見る眼差しも、こう、なんというか感情がないというか、無表情というか。どうも、我々になど興味は無いようでして。邪魔をするなら容赦しないって感じで、あそこまでの拒絶をされてしまいますと、これ以上は外部者の私としては打つ手はないかと」

「無表情で反応がない……ですか」そう言って少し考えるララ。

「どこかでそんな話を聞いた気が……あっ、ちょっと待ってください。もしかしてなんですけど、前に私が取材していた事件と関わりがあるかもしれません!」

 ハッと顔を上げたララは仕事鞄のファスナーを開けて中を調べ始めた。

「取材? そういえば、ララさんはなんのお仕事をされているんですか?」

「雑誌記者です。アルムウォーレンで起きている奇妙な失踪事件を調べていたのですが、派手な事件ではないので記事にならないとボツになっていたんです。転勤も決まったので、後任に引き継ぐこともなかったのですが……、あった、これです。『意識を失って徘徊する人々』ほら、見てください。都市警察に取材した際に取った証言と一致してます。リリはエルメラルドさんを無視したんじゃないんです。きっと意識を失っていたんです」

 紙の束を取り出したララはその中から二、三枚の紙をパパパッと抜き取りエルメラルドに手渡した。そこにはララが取材した刑事からの証言と、失踪した人の回想をまとめたものだった。

 そういえば、昼間に都市警察の悪徳刑事のコンビからもそんな話を聞かされていた。失踪して、意識がなく、徘徊して、時々、魔術具や魔道具を盗む。あの刑事たちも法術使いが犯人なのではないか、と事件性を疑っていたが、エルメラルドは自分には関係ない事だと思ってすっかり忘れていた。面倒臭がらずにもう少し話を聞けば良かったと今なら思うが、なにしろエルメラルドはあの刑事コンビが嫌いであった。

「ふむ。言われてみれば、確かにリリさんはどこか虚ろな表情でしたが……。でも、その失踪事件では、操られた人が魔術を使うなんて話は聞いてませんよ」

「いえ、そうでもないんです。別件として処理された事件があるんですが、この徘徊事件と同様の症状なんです。ほら。これ見てください!」

 新聞記事の切り抜きが貼ったページを渡される。


【警官に攻撃魔術を放った容疑で会社員の男を逮捕】

《アルムウォレスト、サンビア地区でパトロール中の警官がビラ撒き禁止の場所で広告を配っていた男に話しかけたところ、突然、魔術で攻撃された。警官は腕を撃たれ病院に運ばれたが命に別状はなく、男は殺人未遂と公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕された。調べに対し男は「記憶がない。覚えていない」などと容疑を否認しているという》


「ね。リリと同じでしょう。邪魔されたから攻撃した。今日のリリとそっくり。その男の人は普段は魔術なんて使った事のない人だったんだけど、調べた結果、体の中に魔力が残ってたんですって。話を聞くと、魔力源が含まれてる魔煙草まえんそうを吸うのが好きだったみたい。だから、男の体内に『偶然』魔力が精製されて、酔った勢いででたらめに叫んだ言葉が『偶然』体内の魔力と反応して『偶然』魔術式に変換されてしまって、『偶然』魔術が発動したんじゃないかって、そう専門家の証言が記事には書いてあったわ」

「……偶然がそんなに重なりますかね」

「私もそう思います。だから、きっと男はだれかに操られて魔術を発動させられたんですよ。他人を操る魔術があるって、聞いたことがあるし、操った相手に魔力があれば、その魔力を魔術に変換してしまうことも可能だって魔導書に書いてありましたもの」

 ララは勉強熱心のようだ。彼女の推理に破綻はない。だが、気になる点はある。

「リリさんにも、魔力があったと?」

 彼女の推理通りなら、リリにも魔力が溜まっていたということになる。魔法使いの血を引いていれば、確かに魔力は生成されている可能性はあるが、それをララは知っているのだろうか。

「魔術士に憧れていたなら、魔力源を調べて体内に取り込むくらいやりますわ。あの子は好奇心旺盛ですから」

「……なるほど。それもそうですね」

 納得する。とはいえ、その推理の通りに人間を何人も操る事のできるほどの魔術士がこの街にいるだろうか。ただでさえ魔術が浸透していない街だ。そんな大魔術士がいるわけがない。よっぽどの変人か、魔術都市に入ることができないお尋ね者か……と考えてエルメラルドはゾッとした。


 アリサなら可能かもしれない。魔術士育成機関の魔天楼閣の最強クラスと名高いガリアクラスで『蒼玉の楯』と呼ばれ、サルカエスの神使へ抜擢ばってきも囁かれていた、あの絶倫の魔力を持つ彼女なら。

「どうされました、怖い顔をして。何か心当たりでも?」

「いえいえ、なんでもありません。わかりました。調査をしてみましょう。確かにララさんの推理を否定する材料が今のところない。三日で高度な魔術を習得できるなんてことの方が私には信じられない。もう一度リリさんに会って、確認してみます。でも、単に機嫌を損ねて私を無視したとか、そういう事だったら、すぐに調査は打切りですけどね。そこらへんはいいですか」

「ええ。もちろん。それで、その『緑の雨』とかいう組織のチラシはお持ちなんですか。私にも見せてもらえますか」

「はい、ちょっと待ってくださいね。持ってきます」

 立ち上がりハンガーにかけたベストのポケットからチラシをとる。くしゃくしゃになったチラシを伸ばして広げ、ララに渡そうとしたエルメラルドが悲鳴をあげた。

「な、なんだこれは!?」

「どうされたんですか」

「見てください、文字化けしてる!」

 エルメラルドがチラシを広げてララに見せる。なんと見出しから本文から、描かれた図やイラストまで、全てが意味をなさない奇妙な文字列にすり替わっていた。

「これはどういうことですか?」

「やられた、置換魔術の一種です。時間の経過とともに文字が読み取れなくなる仕様なんです。魔術士が仲間以外に知られたくない情報を期限付きで広める時に使う初歩的な手です。きっとあと数時間もしたら白紙のチラシになってしまっていると思います」

 痛恨のミスだった。魔術士が絡んでいるのならば、この事態は当然、想定できないものではなかった。

「では、書いてあった組織の住所も、わからないということですか?」

「はい……。私としたことが抜かりました。手帳に書き写しておけばよかった。初歩的なことを失念していました……」

 リリを探すために慌てていたとはいえ、基本的なことをおろそかにしてしまった。後悔先に立たずである。悔しい思いで唇を噛むエルメラルド。初歩的な魔術文字だからこそ、魔術の構成も簡易的で逆に気づき辛かった。専門の設備がある魔術士協会の施設なら解読も可能だが、あいにく私立探偵の家にはそんな設備はない。

 これで手がかりはゼロだ。リリが飛んで行った方角はわかるが、しらみつぶしに探すなんてことはナンセンスだ。

 万事休すか。と、しかめっ面をしていたエルメラルドが「そうだ!」と何かを思い出した。

「リンダさんがメモをしていたと思います。彼女に聞けば『緑の雨』のアジトの住所がわかるはずです!」

 定食屋のテーブルで手帳を広げチラシの住所を書き込んでいたリンダの姿を思い出して、エルメラルドはホッとした。危なかった。首の皮一枚で手がかりがなんとか残った。

「明日、リンダさんに確認して、調査しに行きます」

 本当なら、リンダのことは置いてアジトに乗り込むつもりだったが、仕方がない。連れて行こう。彼女に危険が及ばないように気にしなければならないが、未熟とはいえ彼女も魔法使いだ。危険を察知する能力くらいなら人並み以上だろう。

 と、エルメラルドが明日の事を考えていると「あのぉ……」と様子を伺いながらララが声をかけてきた。

「よろしければ私も連れて行ってもらえないでしょうか。リリのことももちろん心配なのですが、もし失踪事件と関わりがあるのだとすれば、記事になります。私も調べたいのです」

「ですが、今日のようにリリさんや、ほかに操られてる人がいたら、危険ですよ。身の安全は保証できませんよ」

「大丈夫です。これでも多少の護身術は学んでいます。もちろんエルメラルドさんの邪魔はしません。後方から様子を伺うだけでいいんです。現場に居なければわからない空気感というのもあるんです。お願いします」

 妹想いの姉の顔が急にキリッと引き締まる。勝手になぜか仕事モードに入ったようで、食い入るような視線でエルメラルドを見る。

「断っても、勝手についてきそうですね……」

「尾行術も多少は学んでいます」

 口調が冗談ではなかった。エルメラルドはため息をつく。

「わかりましたよ。ついてきて良いですよ」

 こそこそ来て、面倒なことになるくらいなら、目の届く範囲にいてくれた方がまだマシだ。

「ついて来てもいいですが、でも私の指示には従ってくださいよ」

 念を押すとララはしっかり頷いた。

「では明日は学校が終わる頃にリリのハイスクール前に集合でお願いします」

 手帳を出してスケジュールを確認したララはテキパキとした仕草でペンを走らせ、荷物をまとめはじめた。

「そうと決まれば、今日は帰って明日に備えます。エルメラルドさん。明日はよろしくお願いいたしますね。ではおやすみなさい」

 バタバタと立ち上がり、帰っていくララを見送る。まったくもって嵐のような女だ。


「なんか、どんどん面倒なことになっていくなぁ」

 一人残されたエルメラルドは頭をかいて呟いた。



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