第15話 探偵の敗北

「マグナガルさん!」


 リンダが叫ぶ。立ち止まっていた銀髪の少女はリンダの声にゆっくりと振り向いた。ララを幼くした感じの顔立ちだが、ニトロが言っていた通り、目鼻立ちの整った美少女だった。初めての家出で疲れが溜まっているのか、その大きな瞳は少しばかり虚ろだ。

「マグナガルさん。急に学校に来なくなって……、あたし、心配してたのよ」

 リンダが悲痛な声音でリリに話しかける。リリは黙ったまま少し俯いた。罪悪感を感じているのか、返事もせず黙ったままである。リンダも彼女から何かしらのアクションを待っているのだが、返事をしてくれないリリに次の言葉はかけられず、ただ寂しげな瞳で見つめるだけだ。

 エルメラルドとしては捜索初日で本人に会えて、無駄な調査費用が抑えられるのが嬉しかった。二人の友情については、正直どうでも良いが、とりあえず成り行きを見守ろうと黙っていた。


「……ねぇ、マグナガルさん。やっぱり、あなたに魔術なんか似合わないよ。ね? 家出なんかやめて、また一緒にハイスクールへ通いましょうよ」

 すがるような目線でリンダが言う。だが、相変わらずリリは黙ったままだ。

 エルメラルドも十代の半ば、リリと同じくらいの年頃に、家族同然に暮らしてきた仲間の元から離れた経験があった。後ろめたい気持ちもありながら、それでも見知らぬ土地で吹かれる冷たい風の心地よさもあった。だから、家出をしたリリの気持ちも理解できる。

「ねえ、マグナガルさん。なんとか言ってよ!」

 リンダが再び叫ぶ。リリを心配するリンダの気持ちもわかるが、こういう時は追い詰めるような事を言ってはいけない。

「まあまあ、リンダくん。ちょっと落ち着いて」

 二人の間に仲裁する形で立ったエルメラルドに、リリが初めて視線を向けた。

「おっと、申し遅れました。私は私立探偵のエルメラルド・マガワと申します。実はあなたのお姉さまのララ・マグナガルさんから捜索依頼を頂きまして、あなたを探していたんです」

 紳士的に名乗り、さらにララの名前を出しても、リリは一切表情を変えなかった。

「このお転婆娘のリンダくんとは、成り行きで、たまたま一緒にいましたが、別に私は無理やり君をお姉さんの元に連れて帰るような乱暴な真似をしたくて来たわけじゃないんです。ただ、お姉さまが本気であなたの事を心配していたという事をお伝えしたかったんです。良ければ一度、お姉様と話し合ってはいただけませんか。お互いに感情的にならずに話し合えば、きっと分かり合えると思いますよ」


 出来るだけ、感情を刺激しないように、なだめるような口調を心がける。下手な事を言って、逆上させては元も子もないのだ。幸い、リリは暴れる様子もなく、大人しくしている。このまま優しく諭せば、家に帰るというかもしれない。


「もちろん、私は都市警察とは無関係ですから、安心してください。君が持ってるそのチラシに関しても、私は別段、咎めたりはしません。生きるという事は弱い者から何かを搾取する事ですからね。だけど、まぁ、やるなら、もう少し頭の良い方法を取らないと、ボロが出て搾取される側に回ってしまうと思うけど、それはそれ、これはこれなんでね」


 ちょっと本音が出てしまったが、リリは静かに聞いていた。それは嬉しいが反応がまったく無いのも少し困る。無表情なリリの顔からは一向に感情が読み取れない。まあ無表情で無口な子というのもいるのだろう。ともかく感情を刺激しないように、穏便にことを進めるのが得策だろう。

 しかし、後ろで聞いていた小娘は黙っていなかった。

「ねえ! マグナガルさん! 一緒に帰りましょう! あなたには魔術なんて野蛮なもの似合わないわ! ね? お願い!」

 せっかく落ち着いた大人のエレガントな説得をしていたというのに、背後からリンダはヒステリックな声をあげ、身を乗り出してくる。

「ちょ、ちょっとリンダ君、きみは黙っててくれないか。話がこじれる」

 ぐいっとリンダの細い肩を引いて背後に押しやろうとするが、リンダは一歩も引かない。

「なんでよ、離してよ!探偵さんの方こそ、黙っててよ。これはリンダはリリ様との問題なのよ」

「いやいや、これは家庭の問題だし、君はただのクラスメイトだろ」

「ただのってなによ! へっぽこ探偵!」

「な、なんだと、このじゃじゃ馬!!」

 睨み合うリンダとエルメラルド。まるで野良猫の喧嘩のように唸る二人の意識がリリから離れたその瞬間。


「……飛ぶ」


 リリが初めて声を出した。

「え?」「なんだ?」

 二人が振り返ると、一陣の風が巻き起こった。突如吹き付けた風の中、目を細めて見れば、リリの身体の周りを魔術の構成が包み込んでいた。

「な、なんだ!? この魔術式は……」

 想定外の出来事だった。エルメラルドがその構成を読み解こうとするより早く、リリの身体はふんわりと宙に浮かんでいた。

「と、飛んでる!? 魔術……!? そんな!?」

 リンダが瓶底目鏡の奥の瞳を見開いた。リリの華奢な身体はみるみるうちに二階建ての建物の屋根より上へと登っていった。

「おいおい!? 嘘だろ? 浮遊魔術なんて、簡単にできるもんじゃないぞ!」

 ローブをたなびかせて、空中へと舞い上がるリリを見上げてエルメラルドが口を開ける。

「いやぁ!リリ様が野蛮な魔術をぉ!」

 リンダの感想は少しずれてはいるが、この際どうでもいい。上空を見上げて各々驚きの声を発する二人を見下ろすリリの顔色は、先程から何一つ変わらない。無表情である。

「ちっ!しかたない! 手荒な真似はしたくないが、話し合うためには手段は選べまい!」

 エルメラルドは舌打ちを一つ、ベストのポケットから小さな宝石を取り出した。赤く輝く飴玉のような小さな石だ。

「それは?」

「魔力を封じ込める魔石だ。これで彼女の魔力を掻き消して、地上へ落とす」

「地上に落とす……ってバカバカ! リリ様が怪我したらどうするの!?」

「下で受け止めればいいのさ、てやぁ!」

 制止しようと飛びついて来るリンダをかわし、エルメラルドは宝石をリリへ投げつけた。キラキラと光る宝石は放物線を描き、空中に浮かぶリリの元へ飛んだ。宝石は対象の元へ近づけば魔力を感知して弾け飛び、その粒子によって対象の魔力を無効化する。そういう仕組みだった。空中で方向転換しようとするリリの元へ近づけば、その魔力を感知して自動的に飛散するはずだった。

 ……だが、エルメラルドの思惑は外れた。

「壁よ」

 リリが小さく呟くのと同時に宝石は弾けた。確かに弾けたが、その粒子はリリを包む見えない壁に遮られて、彼女の元には届かなかったのだ。

「そんなバカな! 魔術障壁だと!? 高等魔術だぞ!?」

 初心者ではとても会得するのは不可能な魔術を見せられ、エルメラルドは言葉を失った。

 リリはちらりと視界の端で地上の二人を見下ろしたが、特にどうと言うこともなく、何事もなかったかのようにすぐに視線を空のかなたに戻し、くるりと方向転換をした。この場所から去るつもりだ。

「ああ、リリ様が行っちゃう! ちょっと、探偵さん! どうにかしてよ!」

「どうにかって、きみが魔法を使って叩き落とせばいいじゃないか。こっちは高価な魔石を無駄にしたんだぞ! くそ!高かったのに」

 とっておきの魔道具が無駄になり、エメラルドは泣きたかった。

「リリ様にはリンダの魔法のことは内緒なの。魔法なんて見せれるわけないでしょ!」

「なんだよ、そう言うのを宝の持ち腐れっていうんだぞ。使えないのはそっちじゃないか」

「何よ! へっぽこロン毛探偵! あ、リリ様が行っちゃうよぉ!」

 このままでは逃げられてしまう。貴重な魔石を使用したのに、ただ逃げられるのは癪だ。無視されているのも腹が立つ。姉のところに戻りたくないのなら、きちんとそう言えばいいのだ。最近の若い奴は都合が悪くなると逃げる。全く嘆かわしい。大人を舐めると痛い目を見るということをあの小娘に教えてやらねばならぬ。

「魔石はもう一発ある! リリさん。話し合いに応じないというなら、こっちにも考えがあるぞ!」

 今度はズボンのポケットから似たような魔石を取り出した。本当に秘蔵の魔石だ。エルメラルドは魔石を握りしめて、目を閉じた。手のひらの小さな石に意識を集中する。すると魔石がほのかに輝きだした。

「あ、やっぱり探偵さん嘘ついてたのね。魔術が使えるんじゃないの!」

 横で見ていたリンダが喚いているが無視して、思いを込めて念じる。エルメラルドの手のひらを伝わり、魔力が魔石へと流れ込む。一段と輝きを増す魔石。

「よし、これなら!」

 瞳を開けて、空のリリを睨みつける。

「いっけええ!」叫び、輝く魔石を空に向かって投げつけた。リリの元へ一直線に飛ぶ魔石。当然、リリの周りには結界のようなものは貼られていたが、今度は魔力を込めた魔石だ。簡単に弾かれるはずはない。

 投げつけられた魔石はリリの魔術障壁にぶつかり、空中に波紋が広がる。歪む空間。光り輝く魔石は勢いを弱められたが、それでも結界を突き抜けた。

「やったぞ!」

 ガッツポーズを取るエルメラルド。

 魔石は赤く燃えながらリリの元へ到達した。そして、リリの魔力を感知して弾ける。飛散した粒子がリリの身体を捉える。

 あとは魔力を封じられたリリの身体が地上に落ちるのを下で受け止めればいいだけだ。お灸を据えてやる。大人を馬鹿にした報いを受けてもらうぞ。

 そう思い、リリの真下へ移動しようとしたエルメラルドであったが、すぐに様子がおかしいことに気がついた。

 リリは、魔石の粒子を浴びたにも関わらず、空中に制止したままだったのだ。

「何ぃ!?」

 空を見上げて叫ぶ。

「全然ダメじゃん! 効いてないじゃん!」

 リンダが喚いている。

「なんでだ! 確かに魔石の粒子は彼女の体に降りかかったはずなのに!」

 エルメラルドが唖然とする。そんなはずはない。あり得ないことが起こっている。

「どうすんの!?」「どうしようもない! もう魔石もない!」


 あたふた騒ぐ二人に、空の上のリリは無表情のまま体の正面を向けた。すっと手を伸ばす。魔術の構成がリリの手のひらに集中する。

「……剣よ」

 リリが呟いた瞬間に手のひらから光り輝く刃が現れた。

「しょ、召喚魔術!? リンダ! 避けろ!」

 リリの手から呼び出された剣が二人をめがけて飛び出した。

「きゃあ!」身を強張らせるリンダ。

「くそ!」エルメラルドがとっさに身を投げる。

 リリを押し倒すように弾き飛ばしたエルメラルドの肩を光の剣がかすめた。

「ぐあっ!」

 衝撃で地面に叩きつけられるエルメラルド。シャツが破れ、赤い血がジワリと滲む。

「た、探偵さん!?」リンダが悲鳴をあげる。

「大丈夫、かすり傷だ」

 エルメラルドはすぐさま身を起こす。体勢を整えなければ追撃でやられる。

 だが、空中のリリはそんな二人の様子を冷たい瞳で見ているだけで、追撃の魔術構成を編むこともなかった。大した敵ではないと判断したのか、睨みつけることしかできないエルメラルドのことなど、すでに眼中になくなったのか、リリはくるりと空中で向きを変え、何も言わず夕暮れの空をふわりと飛んで行ってしまった。


「ああ! リリ様ぁ……行っちゃった」

「くそ……完敗だ」


 夕日に向かって飛んでいくリリ。その姿を立ち尽くして見つめることしかできない二人だった。


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