第13話 探偵とモヒカンと銀髪少女

 エルメラルドが賑わう小島の真ん中にある店に着いたのは、沈まない夕日が水平線の上に到達してから、もう随分と経ってのことだった。


「おーい。ニトロ。いるかーい?」


 半分閉まったシャッターの向こうに人の気配がする。エルメラルドは声をかけてシャッターをトントンと叩いた。

「あれー、その声は……エルメラルドの旦那っすか?」

 すると、中からオイル汚れが所々についたつなぎを着た若者が顔を出した。頭部の左右の毛を剃り上げ、トサカのような赤髪を中央部分にだけ生やした青年の名はニトロ。魔力で動く魔装製品のメンテナンスを生業にしている男だ。彼は冷蔵庫から、ボックスボート、魔導車まで、依頼があれば、なんでも直す。


「どうしたんすか、旦那。そろそろ店じまいっすけど」

「スクーターがダメんなっちゃって。先週整備してもらったばっかじゃん。ちゃんと見てくれたのかよ」

「そりゃないっすよ。旦那が金がないって言うから応急処置にしたんじゃないすか。一旦ちゃんと整備しないとまずいっすよ。ま、とりあえず、中にいれてください。見ますよー」


 魔術堂サリル商店からの帰り道、動かなくなったスクーターを押して、エルメラルドはニトロの店までやって来たのだった。重たい車体を押してきたので足はもうパンパンだった。ニトロに誘導され店の中にスクーターを入れる。ニトロはスクーターを整備台に上げ、スクーターのカウルを取り外す。


「あー、プラグがかぶっちゃってますねー。キャブかなぁ。ちゃんと見るとなると、預かりになっちゃいますけど、いいっすか?」

 スパナ片手にニトロに訊かれ、エルメラルドは困った顔になる。

「おいおい。ホントかよ。今週は忙しいんだよ。応急処置でなんとかならないか」

「またっすか。ま、やってみるっすけど」

 ニトロは苦笑いをしながら作業をはじめた。

「旦那、ちょっと時間かかるんで、座っててくださいよ」

 奥の椅子を指し示されたエルメラルドは礼を言うと、ごちゃごちゃした店内を進み、デスクチェアに腰掛けた。

 重たいスクーターを押してきたのでぐったりしてしまう。作業場に染み込んだオイルの臭いを嗅ぎながら、修理中の魔術ランプや、製氷機などの魔装製品や、目の前の小柄なモヒカン男が作業する姿などをぼんやり眺めて暇をつぶす。


「そういや旦那、最近ハズランには行きました?」

「土曜日に行ったよ。打楽器がメインだったね」

「どーでした?」

「いやぁ良かったよ。俺はああいう変拍子の音楽、好きだなぁ」

「旦那はあっち系の音楽好きっすもんねー」


 作業をテキパキとこなすモヒカン頭の青年との共通の趣味は音楽だった。街にあるカフェの多くは夜になると音楽を聴けるバルに姿を変える。アルムウォーレンには様々な人種が集まるので、それぞれの種にルーツを持つ音楽も集まってくるのだ。

 ハズランというのは二人がよく行くバルだった。美味い酒と音楽。週の終わりには行きつけの店で音楽を聴きながらお酒を飲む。いつでも心に余裕を。それがエルメラルドのポリシーなのだ。


「やっぱ、レコードもいいっすけど、生が一番っすよね低音が違うっすもんねー!」

「そうだな。特に打楽器系の音楽はレコードに刻印すると音圧が薄くなっちゃうからね」

「それってなんでなんすか、 魔術式の問題なんすか?」

「俺も詳しくないけど、たぶん純粋に蓄音機の性能じゃないのかな」

「ふーん。そうなんすね。こればっかりは魔術使いがいくら頑張っても無理っすかね」

「それこそ、君ら魔技士が良い物を開発してくれないとな」


 魔力を秘めた特殊な樹脂を円盤型に成型し、音声を魔術文字を駆使して閉じ込めた魔道具『レコード』が世に出たのは、もう百年も前のことだ。その頃に比べ、魔術文字の構成も改良され、録音できる時間や音質を高めることには成功したが、高音質で再生できる蓄音機はあまり出回っていない。


「そういや、レコードで思い出した。旦那、そこの机にチラシが置いてあるじゃないすか。それに書いてあるみたいなことって、可能なんすかね。俺っちも、魔装製品を扱う魔技士の端くれとはいえ、原始魔術は専門外なんで詳しくないんすけど」


 ニトロに言われて、脇のデスクを見た。見積もり書やら納品書やらが散らかるデスクの上に、一枚のチラシがあった。手に取り眺める。


「こ、これは……」

【聞き流すだけの魔術講座】と書かれた白黒の広告。

「サリル婆さんの言ってたやつだな」

 さらっと文面に目を通したエルメラルドは苦笑いした。


『聞き流すだけで貴方も今日から魔術使い♪ 魔天楼閣の門外不出の秘術を限定販売』


 ポップなフォントで書かれた見出しの下には次のような文面が続いていた。


『魔天楼閣出身の神使(※サルカエスのエリート魔術使いのこと)が、どんな人でも簡単に原始魔術を使えるようになる古の超魔術を復活させました!

 その魔術の詠唱を特殊な技術で魔術式ごとレコードに刻印することに成功!

 この度、大変貴重なこのレコードを、一般の方にも、ごく僅かながら販売させて頂くことになりました! ご自宅の蓄音機で再生するだけで、貴重な魔術の構成が再現され、貴方の潜在能力が開花し、難しい勉強無しで簡単に魔術を使えるようになります!』


 ……馬鹿らしい。図やらイラストやらでそれらしく説明が記載されているが、魔術に精通していれば、デタラメであることは一目瞭然だった。


「ニトロ。こんな、いかにも、なデタラメを信じたらダメだぞ」

「えー、やっぱそうなんすか。なーんだ。そんな都合のいい話はないかー、残念だなぁ」

「こんな馬鹿げた詐欺に引っかかる奴なんていないと思ってたけど、身近にいたとは。で、これ。どこで手に入れたんだ?」

「ついさっきっすよ。お客さんもいなかったんで魔導書を読んでたんすよ。やっぱりちゃんと魔術を勉強したほうがいいかなって思って。したら女の子が店の前に立ってたんすよ。で、こっちをジッと見てるんすよ」


「女の子?」チラシから目を上げ、ニトロをみる。


「そうっす。一五、六くらいかなぁ。美少女でしたね。初めは、一目惚れでもさせちまったかなって、俺っちの男前も憎いぜーっなんて思ったんすけど、なんか、その子は無言で店の中に入ってくると、このチラシを俺っちに渡して、そのまま一言も喋らずにどっか行っちゃってー。見たら、通販の広告で。俺っちが魔導書なんか読んでたから持ってきたのかなぁ、ただのセールスかなぁ、って思ったんすけど、もしかしたらその子は照れ屋さんで、うまく話せなかったから、チラシだけ渡して逃げちゃったのかもしれないなーって思い直して、とりあえず連絡して、魔術も覚えて、その子とも仲良くなれたらなーって考えてたんすけどね」

「……君はかなりのアホだな」

「あはは、よく言われるっすねー」

 エルメラルド辛辣の言葉にも、あっけらかんと歯を見せるニトロ。

「で、その女の子はどんな容姿だ? 覚えてるか?」

「覚えてるに決まってんじゃないすか。めちゃくちゃ可愛かったっすもん! えっと、そうっすね。可愛かったっすねぇ……」

「うっとりした目をしてるんじゃない。可愛いだけじゃわからんだろう。何か特徴はないのか?」

「うーんと。あ、銀髪でしたね。銀髪ポニテ。俺っちポニテ萌えなんすよー。うなじ、いいっすよね。あと、耳の裏の感じ。たまんねぇっす」

「君の趣味はどうでもいい……って、銀髪のポニーテール!? 本当か!?」

 予想外の言葉に思わず立ち上がるエルメラルド。

「ええ。間違いないっすねー。めっちゃ可愛かったっすよ。あんな子と付き合いたいなぁ……。あ、でも詐欺グループに所属してんのか、むむ。犯罪者と付き合うのはちょっと嫌かも……。いや、まてよ。俺っちが悪の組織から彼女を救い出せば良いんだ! そうっすよね、旦那! ……聞いてます、旦那?」


 ニトロがなにか妄想を撒き散らかしてニヤついていたが、エルメラルドは聞く耳を持たず、顎に手を当て思案顔であった。

「……家出したリリが詐欺グループに入って犯罪をしてるなんて、ララが聞いたら卒倒するぞ」

 ぽつりと呟いたエルメラルドにニトロが首を傾げて訊く。

「何言ってんすか? 旦那」

「いや、こっちの話だ。それより、その娘が来たのはどのくらい前だ?」

「だから、さっきですよ。ついさっき。シャッター閉めるちょっと前、旦那が来るほんの前っすよ」

 それなら、まだ近くにいるかもしれない。

「このチラシ預かるぞ」

 エルメラルドはチラシをポケットにねじ込むと駆け出した。

「スクーター見といてくれよ」

 不思議そうな顔をしたニトロに言い残して、エルメラルドは店を後にした。


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