第11話 魔術士はお人好し 前編


 アクア・マリンドールがこの街を好きな理由の一つに白夜がある。ヒイラギリス大陸の南方に位置するアルムウォーレンには、夏になると太陽が一日中沈まない時期があるのだ。仕事を終え、夕食をとり、ベッドに入ろうとする時刻になっても、太陽は水平線の上に半分顔を出したまま横滑りするだけで、朝になるまで空は黄昏色のままなのだ。辺りが薄暗くなることはあっても、空が完全に闇に包まれることはない。幻想的でノスタルジックな光景だ。

 なぜ、限られた地域でだけ、そのような現象が起こるのか、アクアは魔天楼閣で学んでいた頃に、先生に聞いたことがあった。だが、どのような回答をもらったのか、よく覚えていなかった。なにやら難しい話だったことは覚えているのだが、内容が思い出せない。とはいえ、理屈はわからなくとも、アクアはこの白夜が好きだった。


 仕事が終わっても、まだ外が明るいというだけで、精神衛生上、大変に良い。たとえ嫌な残業をしても、空が明るいと、仕事終わりに少し散歩でもして帰ろうかという気分になるものだ。

 その日も、アクアは仕事帰りにバルにでもよって一杯引っ掛けて行こうと思っていたのだが、予期せぬ来客のせいで、残業を強いられている。

 まあ、何時になったとしても、太陽は沈まないのだからいいか。

 そんなことを思いながら、応接間で二人の男の話に耳を傾けていた。


「……というわけで、街の人々は非常に心配しているのです。我々としても、このような事件の捜査は不慣れでして。ぜひ、法術に詳しい魔術士の先生にご協力を頂きたいところなのですが」

 ハーネスと名乗った前髪の長い警部は、揉み手でこちらの反応を伺って来る。

「ま、あんたが、もし協力を拒むなんて言い出したら、容赦しないですがね。この街を仕切ってるのはあんた達、法術使いじゃない。俺たち都市警察なんですから」

 ハーネスの部下であろう若い口ひげを生やした刑事は、まだこちらが何も言っていないというのに、高圧的な態度である。確か、ダンケルとか言ったか、口も悪ければ柄も悪い。ネクタイもきちんと締めていないし、隣に座る上司のキチッとした姿に比べると、まるでギャングだ。とても刑事には見えない。


「まあまあ、ダンケル刑事。初対面で失礼じゃないか。すみませんねぇ。口の聞き方も知らん若輩者でして。ですが、街の平和を守るためには、このくらい本気で取り組まないと、いかんのですよ。ま、勘弁してください」

 ハーネス警部は部下の非礼を詫びるが、どうも本心は部下と同じようで、魔術士を下に見ているような鼻にかかる言い方であった。

「いえいえ、お気になさらず。我々、魔術士協会は都市警察の捜査には全面的に協力いたしますよ」

 しかし、アクアはにこやかに返す。この程度の挑発や皮肉など、サルカエスでの派閥争いや出世競争で嫌という程に味わっている。

「ただですね。刑事さんのお話を聞く限り、その失踪事件が魔術士の仕業という可能性は少ないと思います」

 現れた刑事から聞かされたのは、奇妙な失踪事件だった。町の人が突如、失踪して、一週間ほど経つと記憶をなくしてひょっこり現れる、というものだった。

「なぜ、そのように考えられるのですかね」ハーネスがとぼけた風に訊く。

「魔術には二つの種類があります。手から火や水を出したり、空を飛んだりできる原始魔術と、物体に魔術式を編み込んで魔力によって魔術を作動させる置換魔術です。冷蔵庫やキッチンの焜炉なんかはこの置換魔術をかけた魔装製品と呼ばれるものです」

「うむ。そのくらいは知っているよな。ダンケル刑事」

「ええ。そのくらいは俺だって知ってますよハーネスさん」

 顔を見合わせてうなずき合っている二人。本当かな、とアクアは不安になった。

「……で。他人を眠らせたり、意識を失わせたりする魔術も原始魔術に分類されるのですが、一週間も相手の意識を遮断した状態を維持して、さらに街を徘徊させるというのは、とてもじゃないですが普通の魔術士にできることではありません」

「なんでだ。ちゃんと説明してくれ」

 ダンケルが身を乗り出す。

「はい。なぜなら、それだけの魔術を成功させるには、莫大な魔力を継続して対象に送り続けなければならないからです」

「なるほど。……って、どういう意味すか、ハーネスさん」

「な、なんだ君、今のでわからないのか。困った奴だな。私は今の説明で大体わかったぞ。わかったのはわかったが、ここはきちんと本職の人に説明してもらった方がいいだろう」

 どうもハーネスの口調は嘘臭い。しかし、この街には魔術が浸透していないのだから、魔術の原理について詳しくないのも仕方がないだろう。ここは一つ、丁寧に説明して魔術士の無実を証明せねばなるまいと、アクアは襟を正した。


「詳しく説明しますね。そうですね。魔術士達は、外部から魔力を取り入れ、体内で精製し、保存することが可能です。その貯めた魔力で原始魔術を使うのですが、体内に保存できる魔力の量には限度があります。使用する魔術によって必要な魔力の量が違うのですが、例えば火を起こすなどの初歩的な原始魔術などに比べ、『意識遮断』『強制行動』などの制御魔術は高難易度であるため、使用する魔力が増えてしまいます。人をひとり一日操るだけで、通常の魔術士ならば体に貯めた魔力が空になりクタクタになって泡を吹いて倒れてしまうでしょう。そんな魔術を何人にもかけて、一週間も継続するとなると魔力を毎日限界まで溜めて、それを使い切るということを繰り返すことになるので、精神的にも肉体的にも負担が大きいのです。命の危険すら伴います。それほどの危険を犯して、人を操っておいて、ただ街を徘徊させたり、万引きさせたりするのなら、割に合いません。……おわかりいただけますか?」


「ふむ……。並みの魔術士にはできないということは理解できました」

「ご理解いただけて幸いです」

「ですが、マリンドールさん。裏を返せば、並みじゃない魔術士ならば、できるということですな?」

「うーん。それに関しては可能性としてはゼロではない、とお答えしなければなりませんね。魔術都市サルカエスの神使と呼ばれる魔術士や、魔天楼閣の教師クラスの魔術士なら、身体に貯めることのできる魔力量も多いですし、魔術の構成も緻密で無駄がないので、使う魔力の量も少なくて済みますから、もしかしたら、可能かもしれません。ですが、アルムウォーレンの街に、そのレベルの魔術士はいないでしょうねぇ」

 そもそも神使レベルの魔術士がこんな馬鹿げた事件を起こすわけがない。

「いやいや、ご丁寧にご説明いただきありがとうございました。我々には少しばかり難しい話でしたが、この街の魔術士には出来ない芸当だということは理解できました。なあダンケルくん」

「そうですね。ハーネスさん。しかし、一つ、気になる情報があるんですがね」

「気になる情報? それはなんだい? ダンケルくん」

「一ヶ月前にこの街に来た魔術士は、魔術士学校でも最高峰という『魔天楼閣』とかいう所を首席で卒業した凄腕の魔術士だと」

「ほう。それは興味深いね。その魔術士は並みの魔術士じゃなさそうだ。なら、人を操ることも可能かもしれないねぇ。どう思いますか、アクア・マリンドールさん」

 ハーネス警部は真面目な顔をして冗談を言うのが好きらしい。魔術士協会から派遣された魔術士が魔術を一般人に使って犯罪を犯すなんて、あり得ない。そんなの誰だって知っている常識中の常識だ。

「あはは。そうですねぇ。一ヶ月くらい入念に準備したら、僕にもできるかもしれませんが……って、あれ?」

 ここは一つ興に乗ろうとアクアは笑みを浮かべて冗談を返したのだが、刑事たちの表情は何故か硬いままだった。

「……え? まさか、刑事さんたち。本気で僕を疑っていらっしゃるんですか?」

 冗談でしょ、とでも言いたげなアクアに対し、あからさまな敵対意識を剥き出したダンケルが勢いよく立ち上がった。


「尻尾を現したな。この魔術士め! お前が犯人か!」

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