第10話 探偵と老魔術士と誇大広告と

 アルムウォレスト本島から橋をいくつか渡っていくと、魔力を送受信するための魔導線が少なくなり空が開けていく。白い壁が並ぶ富裕層の町並みは姿を消し、ごちゃごちゃした生活感のある街に入った。

 露店が並ぶマーケットの一角がエルメラルドの目的地であった。黒く長い髪をなびかせて、ノロノロとスクーターを走らせていたエルメラルドは一軒の店の前でスクーターを留めた。パッと見は、なんの変哲も無い雑貨屋だが、扉の上に掲げられた年季の入った看板には『魔術堂サリル商店』の文字。ここの商品は全て魔術士用の物なのである。

 店先のショーケースに積まれた煙草の小箱も、瓶詰めにされた清涼飲料水も、簡易的な魔力源であり、魔術を使うために必要な魔力が込められている。

 エルメラルドは建て付けの悪い引き戸を開け、薄暗い店内に入った。店内には雑多な商品が所狭しと並んでいる。衣類にアクセサリーに魔導書。宝石にスナック菓子にぬいぐるみに太鼓や弦楽器。一見、魔術とは無関係に見える品物も、全てが魔術使いのための魔道具なのだ。狭い通路をエルメラルドは進む。一番奥のカウンターに目的の人物がいた。


 皺くちゃの老婆。店主のサリル・べライトだ。まるで小さな置物のようにレジ横の椅子にすっぽりと収まったその白髪姿は、店の主人というよりは、店の一部と言った方が的確な気がする。彼女はエルメラルドが店内に入ってきたことにも気づいていないようで、うつらうつらと舟を漕いでいる。


「サリル婆さん。こんにちは」

 エルメラルドが近づき声をかけると、サリルはぶるっと身を震わせて、皺に埋もれた瞳を片方だけ開けた。彼女の赤い瞳がエルメラルドを捉える。

「おや。お前さんかい。こんな昼間から珍しいねぇ」

 サリルはエルメラルドを認めると嬉しそうに頬を緩ませた。

「まぁね。ちょっと聞きたいことがあって来たんだ」

「聞きたいこと? なんだい、買い物じゃないのかい。そうだ、あんた珈琲が好きだったろう。魔烈火アビルファイで焙煎した珈琲豆が入荷してんだよ。どうだい?」

 遊びに来た孫に見せるような微笑みでサリルがゴソゴソと足元から小袋を手に取る。エルメラルドも仕事とは違うフランクな表情で、その包みを覗き込んだ。

「美味しいの? それ。俺、今は魔力供給の効率より味のが大事なんだけど」

「どうかねぇ、あたしゃ珈琲は飲まないからね。味のことはわからんけど、これはこれで癖になるって評判だよ」

「ふーん。じゃあ、試しに貰おうかな。それよりさ、原始魔術を習いたいって家を飛び出した女の子を探してるんだ。住み込みで学べるところとか、保護者の同意書も無しで入塾できるところとか、何か情報ないかな?」


 エルメラルドの言葉を聞くと、サリルは「ひっひっひ」と魔女らしい引き笑いをした。ちょっとからかってやろうという表情がありありと見て取れる。

「お前さんは魔術士絡みの依頼は受けないってのが、ポリシーじゃなかったのかい?」

「まぁ、そうなんだけど……、ちょっと成り行きでね。前金も、もらってしまってるし」

 そうなのだ。本来なら、エルメラルドは魔術士や魔法使いと関わる依頼は断っている。魔法使いは往々にして厄介だし、魔術士は……面倒臭い。だから、どちらにも必要以上に関わらないと決めている。これも、彼のポリシーだ。


「ひひひ。ま、お前さんのポリシーなんてもんは、有って無いようなもんだからのぅ」

「そんなことはないよ。いつだってポリシーは心の真ん中にあるよ。だけど、ポリシーに縛られないってのも大事なポリシーのひとつなのさ」

「まったく、屁理屈だけは一人前なんだからのぉ。そんな金に困ってるなら、探偵なんか辞めて、魔術士協会に頭下げて仕事をもらった方が儲かるんじゃないのかい」

「……お金のためだけに仕事をするんだったら、サリル婆さんもこんな傾いた店、閉めた方が良いんじゃない?」

「ひひひ。お前さんも言うようになったのぉ」

 にくまれ口を叩き合っていても、二人はどこか楽しそうだった。

「で、どうなの? 魔術士っていっても、錬金術士や魔練士じゃなくて純粋な魔術使いになりたい、なんて子はいまどき珍しいんじゃない?」


 文明が進んだ現代では、難しい魔術式や魔力源を体内に取り入れる技術を学ばなければ使えない原始魔術は廃れる一方だ。錬金術士が魔術式を編み込んだ魔装製品を使えば、魔術の基礎など知らずとも簡単に魔術の恩恵を授かることができるため、学ぶ人は少なくなっている。


「それがのぉ。最近は『れとろぶうむ?』ちゅうので、原始魔術を使いたがる若者が増えてるんじゃ。今時はスイッチ一つで火が出る便利な魔術具も安くなってるのにねえ、わざわざ体に害のある魔力を溜めてまで、手から炎を出したいなんて思う若い子が増えてるみたいなんじゃよ」


 そういえば、ララも事務所の古い魔術式の内装を見てはしゃいでいたな、とエルメラルドは昨日のことを思いだした。

「知らなかった。世の中、何が流行るかわかんないものだね」

「うむ。この店でも見習い魔術士用の魔術具が売れておるからな。忙しいんじゃよ。お前さんの手伝いをしてる暇はないんじゃ」

「本当かよ。寝てたくせに」

 口を尖らせて言うと、サリルは楽しげに笑った。

「ま、ひとつ、頼みを聞いてくれるというなら、お前さんの頼みも聞いてやろうじゃないか。世の中『ぎぶ、あんど、ていく』じゃからの」

「まったく。そう来ると思ったよ。なんだい、頼みって」

「うむ。昨今の原始魔術の流行りに便乗して無知な若者から金を巻き上げるインチキ魔術士が出始めてるようなんじゃ。なんでも、『聞きながすだけで魔術が使えるレコード』とかバカらしいことを謳って、通販教材を売りつけているようでな」

「……なんだ、そりゃ。そんなんで魔術が使えるようになるわけがないじゃないか」

「普通に考えればそうなんじゃがな。詐欺師というのは巧妙なものじゃ。あの手この手で人を引き寄せ、騙すんじゃ」

「ふーん。どこにでも悪いやつってのはいるんだね」

「騙されるようなモンは放っておけばいいと、あたしゃ思うんだが、魔術士に対する世間の評判が下がるのは看過できんからのう」

「なるほど。わかった。サリル婆さんの頼みってのは、その詐欺業者の身元を調べろってことだね」

「そういうことじゃ。とっ捕まえろとまでは言わんよ」

「ありゃ。捕まえろと言われると思ったけど」

「お前さんのことじゃ。捕まえるならば料金が発生する、とか言うんじゃろ」

「ははは。さすがサリル婆さんだね。俺のことをよくわかってる」

「お前さんなら、魔力を消して間抜けな一般人をフリをしてその通販会社に接触できるじゃろ。身元がわかれば、ボンクラな都市警察も手柄を立てるために飛んでいくはずじゃ」

「……まあ。じゃ今回は馴染みの頼みってことでサービスでね。やってみるよ。どうせ、せこい小悪党だろうし、すぐ見つかるだろうさ」

「よし。交渉成立じゃな」と、サリルは満足そうに頷いた。


「で、お前さんが探してる、その娘っ子に特徴はあるのかい。仕入れにくる魔術塾の連中にでも聞いてやるかのう」

「ありがとう。特徴なら、大アリさ。銀髪の一六歳。ポニーテールにしてることが多い。銀髪なんてこの辺りじゃ珍しいから、見つけやすいとは思うんだけどね」


 エルメラルドはリリが三日前から家出していることや、その他の身体的情報を伝えた。刑事たちが言っていた失踪事件については、とりあえず伝えなかった。ダンケル刑事が言っていたように、あの件がもし法術がらみの事件であったとしても、いや、それならばより一層関わりたくない。エルメラルドは思ったからだった。


「それより何より、重大な秘密があってね」エルメラルドは声をひそめた。

「この子はね。……聞いて驚かないでよ。かの有名な魔法使いサタナ・ハルシュの孫娘なんだよ」

「サタナ・ハルシュ……って、そりゃ、あの赤髪の魔女かい?」

「そ。稀代の大魔法使い。赤髪の魔女、サタナ・ハルシュさ」

「ほっほっほ。興味出たわい。なんで、魔法使いの孫が魔術を習いたいんだい?」

 身を乗り出して来るサリル。目をキラキラと輝かせている。彼女はゴシップネタが好きなのだ。


「魔法とは関わりのない人生を歩ませたいって理由でさ、サタナ・ハルシュは孫に魔法使いの血については教えてなかったみたいだ」

「なるほどねぇ。赤髪の魔女も落ちたもんさね。あたしら魔術士と殺し合いをしてた頃は、魔法使いだけが世界を正しく導く存在なんだー、って大見栄を切っとったのにねぇ。人間、変わるもんじゃのぉ」

「人生色々ってことだね」

「しかし、あの赤髪の魔女の孫娘が魔術士に憧れてるなんて、皮肉なもんじゃの。魔法使いの血が流れておるんじゃから、きちんと『魔法使いの家族ファミリー』で学べば正統な魔法が使えるようになるというのに」


 少し不憫そうな顔をしてサリルは言う。

「家族の意向で自分が魔法使いの血族だとも明かされず、魔法使い達が『似非魔法』と馬鹿にする魔術に憧れを抱いているなんて、親の気持ち子知らずとは、まさにこのことじゃの」


 サリルの言う通りだ。リリも知らなかったのだから、きっと姉のララも自分が魔法使いの血を引いていることは知らないのだろう。それどころか、自分の母も実は生きていて、魔女同盟などという過激派組織に在籍しているなどとを知ったら、心底驚くだろう。だが、その件は今回の調査依頼とはまた別の問題なので、エルメラルドに報告の義務はない。

 探偵というのは時に家族間でも共有していない事実を知ることや人間の業の深さを垣間見ることが多い職業なのだ。探偵の心の中には、過去の仕事で起こった悲しい出来事や、墓場に持っていかなければならない調査で得た秘密。そういったものが蓄積しているのだ。


「よし。わかった。あたしゃ、この街の魔術塾の連中なら、みんな顔なじみさ。銀髪の娘っ子なんて、珍しいから、声をかければすぐに見つかるだろうよ」

「頼むよ。俺も、そのインチキ業者のこと、調べてみるからさ」

「うむ、よろしく頼むぞ」


 サリルに挨拶をして、エルメラルドは店を出た。少々面倒なことを頼まれたが、持ちつ持たれつだ。インチキ業者のことを少し調べてみよう、と思いつつ、再びスクーターに乗り込んだエルメラルドであった。

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