第9話 探偵は刑事が嫌い
笛を口に駆けてきたのは、見覚えのある刑事だった。肩幅の広いガッチリした体格の男。アルムウォーレン都市警察の刑事で名をダンケルという。短く刈り込んだ黒髪と、唇の上にちょこんと生やした似合わない口髭がトレードマークだ。ジャケットの前を開けワイシャツのボタンも開け、派手なネクタイを緩くしているのはいつものスタイル。警察というよりギャングと言ったほうが近い風貌だが、これでも刑事である。エルメラルドよりも何歳か若い、血の気が多い男である。
「エルメラルド・マガワァ!! てめえ、また何かやらかしたなぁ!?」
そのダンケルが怒鳴りつけてきた。これまでも、なにかと事件の際には顔を合わせて来た間柄なのだが、エルメラルドは品もなく高圧的なダンケルには協力的な態度を取らない。権力を笠に着る者にはなびかない。それが彼のポリシーであった。
「ダンケル君じゃないの。どうされました。血相を変えて」
ガンを飛ばされていても、飄々とした顔でエルメラルドは答える。
「どうされました、じゃねえぞ。善良な市民から通報があったんだよ!桟橋でドンパチやってる馬鹿がいるって!」
ダンケルはこめかみに血管を浮き出させて唾を飛ばした。
「へー。そうなんですか。怖いですね。私はたまたま通りかかっただけなので、良くわかりませんが」
「たまたまでこんなどん詰まりの桟橋に来るかよ。あっ、柵がぶっ壊れてんじゃねぇか」
リンダが破壊した転落防止柵を指差してダンケルが吠える。
「てめえだろ、そこの柵をぶっ壊したのは!」
「ちょっと何を言ってるかわかりませんね。たまたま通りかかっただけですし、私は忙しいので、これで」
そそくさと立ち去ろうとするエルメラルドの細い手首をダンケルの太い指が捕まえる。
「逃がさねえぞ、この野郎!」
「痛い痛い、何するんですか」
「器物破損の現行犯だ」
腰から手錠を取り出してエルメラルドの手首にはめる。強引だ。ダンケルはお世辞にも頭が良いとは言えないが腕力だけはあるのだった。
「なんの証拠があるんだ。権力濫用だぞ、ダンケル君」
「うるさい! 友達でもねえのに君付けで呼ぶな! てめえがやったに決まってんだよ!いいから来い」
まったくこの男は年がら年中、叫んで疲れないのか。耳元で怒鳴りつづけるダンケルに辟易しながら、エルメラルドは後ずさりする。
「あ、こら逃げんじゃねえぞ! 話は署でたっぷり聞いてやるからな!」
ダンケルは怒鳴りながら、力任せにエルメラルドを引っ張った。すると、きちんとはめたはずの手錠はあっさりと外れてしまった。
「なっ!? 」
ダンケルはつんのめり転びかけた。自分の手首にしか付いていない手錠を不思議そうな顔で眺めている。
「……まったく。ダンケル君。キミはエレガントにモノを行うって意識が相変わらず希薄だね」
エルメラルドは自由になった手首をくるくる回しながら「ね、ハーネスさん」と続けた。 視線の先にいるもう一人の刑事に向かって。
「いやはや。まったく。探偵さんの言う通りだよダンケル刑事」
ダンケルの後方から一人の男がのんびりとした口調で近づいてきた。ダンケル刑事の上司のハーネス警部である。仕立ての良いジャケットにパリッとしたワイシャツ。センスの良いネクタイをビシッと締め、肉体派のダンケルとは対照的な細身の出で立ちだ。ハーネスは気障ったらしく長い茶色がかった前髪を弄びながら、慇懃に笑う。
「いやいや。マガワちゃん。うちの部下が手荒な真似をしてすまなかったねぇ。だけど、君ももう少し我々に協力的な姿勢を見せてはくれんかね?」
こちらはエルメラルドより少し年上。丁寧な物腰だが、ダンケルの上司だけあって癖のある人物だ。エルメラルドの後ろにススっと回り込み、肩を両手で揉む。
「君も我々の情報があった方が何かと便利じゃないかね? 誠意を見せてくれたら、いつだって情報は提供する心づもりだよ?」
ハーネスはエルメラルドの耳元で囁く。彼は賄賂を渡せば機密情報でも嬉々として流す悪徳刑事なのだ。だが、エルメラルドはそう言った姑息な手には乗らない。そう、それももちろん、ポリシーである。
「誠意という話なら、それはダンケル君に言ってもらいたいですね。聞き方と言うものがありますから。あんな態度じゃ市民の協力は得られませんよ」
ハーネスの手を払いながらエルメラルドは言う。
「なんだとぉ、てめえ!」「まぁまぁおちついてダンケル刑事」
吠える犬と宥める飼い主のような掛け合いを見せる刑事たち。
「それにしても刑事さんが二人でパトロールとは、珍しいですね」
「うむ。実はこのあたりで失踪事件が続いていてね」
「失踪……ですか」
「そうなんだよ。この辺りの住民が何の前触れもなく失踪していてね。心配した家族が警察に届け出を出すか出さないかって頃に、これまた何の前触れもなくフラッと帰ってくるんだ」
「……でも、帰ってはくるんですよね?」
「馬鹿野郎。ただ帰ってくるんなら事件じゃねえよ。その後があるから事件なんだろ!」
「まあまあダンケル刑事、落ち着いて。だが、その通り。その後の話があるんだ。戻ってきた人は皆、行方不明の時の記憶がないんだ」
「記憶がない……?」
「うむ。不思議だろう。戻ってきた者に話を聞くとな。気がついたら知らないところにいたというんだ。まあ道に迷うこともあるだろうが、一週間だぞ? 考え事でもしていて道に迷うくらいならあるかもしれんが、一週間も記憶をなくしてさまよい歩くなんて、ありえないだろう」
「それにな」とダンケルがハーネスの後を継ぐ。
「その間に窃盗を働いて捕まった者もいるんだが、これがまた妙でな。店から商品を盗んでるくせに意識がないんだ。まるでアレだ、古代遺跡にいる怪物のアンデットみたいにノロノロした動きなんだな。だから、容易に捕まっちまうんだが、とっ捕まって取調室に入れられると突然意識が戻るんだが、何も覚えていないんだ。もちろん、自分がモノをパクったなんて記憶にねぇ。捜査の結果、盗んだブツはだいたいが魔力源である魔術具や、高価な魔道具の類だってことがわかった。こりゃ絶対に法術使いの仕業だって俺は考えたんだな。魔法か魔術か知らんが、あいつら、気味の悪い術で使って人を操ってんだろうとな」
「こらダンケル刑事。推測でものを言ってはいけないよ。まだ捜査中だからね」
まさかリリがその失踪事件に巻き込まれてはいないだろうか、と嫌な予感が頭をよぎったが、リリは前触れもなく突然いなくなったわけではない。姉と喧嘩をして、魔術学校に通うと友人に言って家出をしたのだ。きっと大丈夫だ。刑事たちの言う事件には関係ない。
……いや待てよ。だが探偵というものは常に最悪の状況を想定して動かねばなるまい。それが探偵のポリシーだ。そう思ったエルメラルドだったが、面倒臭いことには関わりたくない本音がマイナスに考えることをやめさせた。
「ところで話を戻すが、マガワちゃん……さっき逃げていった女どもは知り合いか?」
ジロリ、と鋭い視線を向けるハーネス。抜け目のない男だ。マヤ達とのやりとりを何処からか覗いていたようだ。
「……女? はて、女なんていましたか?」
エルメラルドがとぼけると、ダンケルが声を荒げた。
「てめえ、しらばっくれると容赦しねえぞ!」
「まあまあダンケル刑事。本人が知らないと言うんだ。信用しようじゃないか」
ダンケルを制止しながらハーネスは言う。
「だが、君こそ何をしていたんだね、こんなところで。探偵業の調査かね? 何か協力できることがあれば我々も協力するが?」
もったいぶった言い方をするハーネスにエルメラルドは仏頂面のままで答える。
「いえいえ。調査に関しては守秘義務がありますんで、お構いなく」
「……そうか。うむ。わかった。感心感心。仕事熱心だねぇ。いやはや我々も君を見習わないといけないなぁ。ダンケル刑事、協力がいらないのなら仕方ない。我々も彼のように熱心に自分たちの仕事に戻るかね」
「ハーネスさん!? いいんですか? 絶対こいつ何か知ってますよ!?」
「いいんだいいんだ。疑わしきは罰せず、これは都市警察の基本だろう」
「で、ですが……」と口ごもるダンケルにエルメラルドは悪い笑顔を向ける。
「ほらダンケル君。上司の言うことは聞こうよ。出世できないぞ」
「何をこのやろう!」
息巻くダンケルをハーネス警部は宥めて言う。
「ダンケル刑事、心を静めて。さぁ仕事に戻ろう」
歩き出したハーネスだが、少し進んだところでポンっとワザとらしく手を叩いて振り返る。
「……あ、そうだ。忘れていた。あっちのハイスクールの横に違法駐車しているオンボロスクーターがあったから、違反切符を切っておいたよ」
その言葉に勝ち誇っていたエルメラルドの顔面が青ざめる。
「……へ? ちょ、ちょっと警部さん? それって……もしかして私の」
「おや、どこかで見たことのあるオンボロだと思ったが、そうかマガワちゃんのスクーターだったのかぁ。いやー、そうと知っていれば違反切符なんか切らなかったのになぁ。罰金は2万ギルだからな、貧乏探偵さんには厳しいことをしてしまったな、わっはっは」
「うぐ……」
「うーむ。しかし義理人情に厚い私としては困ってしまうなぁ。君と我々の仲だし、マガワちゃんの誠意次第ではなかったことにしてやらんこともないが……」
くいくいっと指を動かして何かを求めるハーネス。賄賂だ。これがいつもの手なのだ。
「ぬぬぬ」エルメラルドは苦虫を噛むような表情で固まった。不正はしない。権力には屈しない。それが彼のポリシーである。
だが……。
「わかりましたよぉ」尻ポケットから財布を出すと、一万ギル札を取り出して、ハーネスの手の平に押し付けた。ハーネスは顔色一つ変えないで紙幣を受け取ると、サッとジャケットの内ポケットにねじ込む。手慣れた仕草であった。
「うむ。ではこの違反切符は破っておこう。いやはや、これからも仲良くしていこうな、マガワちゃん。それでは、我々は捜査に戻るとしよう。マガワちゃん。またどこかで」
「けっ、あばよ。貧乏探偵」
ハーネスとダンケルが嘲笑を顔に浮かべて去っていく。
「ち、ちくしょう……」
あんなへっぽこコンビに一杯食わされるとは思わなかった。二人が去るまでは、平静を装っていたエルメラルドであったが、二人が笑いながら去るのを見届けると、屈辱感に肩を落とした。
くそ。こんなところで一万ギルも取られるとは。ララから前金をもらっているとはいえ、生活費を切り詰めなければ、月末が不安だ。
トボトボとハイスクールまで歩いて戻ったエルメラルドは、スクーターのシートに乱暴に座り、ため息をついてからエンジンをかける。嫌な出来事は風を切って忘れよう。そう思ってキーを回したのだが、いつもなら軽快に暖気するはずのエンジンは、何故か老犬が咳き込むようないびつで不規則な鼓動をみせた。嫌な予感。一旦キーを抜き、少々様子を見てから、もう一度エンジンをかけ直す。しかし、またしても不規則で不穏な振動。なんてことだ、この前、整備に出したばかりなのにまた故障か。嫌なことは続く。また、お金がかかる。くそ。
今日は朝から……いや、考えてみれば、昨日からいいことなんか一つもない気がする。これも全部、日曜日に仕事を受けてしまったからだ。くそ。ポリシーはやはり守らねば平穏な日々は訪れないのだ。やはり妥協してはいけない。今後はポリシーは固く守ろう。
そう心に誓ったエルメラルドは、老犬を優しく労わるように丁寧にアクセルを回して、スクーターを発進させた。
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