第8話 探偵の秘密

「……って、あら。あなた男の子ね。そんなに髪を伸ばして、女の子かと思ったわ」


 現れた銀色の髪の女はエルメラルドを見て目を丸くした。が、同時にエルメラルドも女の顔を見て同じように驚いた表情を見せていた。

「も、もしかして、あなたマヤ・オックスフィールさんではないですか?」

 恐る恐るエルメラルドは尋ねる。この魔法使いの女を知っている気がしたのだ。

「え? なんで私の名前を……って、あれ? もしかして、あなたトオル君? 魔天楼閣のトオル君?」

 マヤと呼ばれた女は「まあ! 久しぶりじゃない!」と口に手を当てて驚いた。

「しーっ。今は私立探偵のエルメラルド・マガワです。その名前で呼ばないでくださいっ」

 慌ててエルメラルドが声を潜めると、「あら。そうだったわね」と彼女は肩をすくめた。

「名前を変えてたのよね。いなくなった義妹さんを探してるって言ってなかった? 見つかったの?」

 マヤは久しぶりに親戚の子供と再開したような柔らかい笑顔を見せる。

「いえ。この街にいるという噂を聞いてやってきたのですが、手がかりは無く。情報収拾もかねて探偵業に手を染めて、かれこれ五年になります。マヤさんに会うのは一〇年ぶりですかね」

 当時のことは今となっては遠い記憶の彼方だが、彼女の美しい姿は忘れようがなかった。それと、彼女の恐ろしいほどの魔法の威力も。

「そっかー。もう一〇年か。早いものね。元気そうで良かったわ。トオル君」

「マヤさん。ですから、私の名前はエルメラルド・マガワです」

 声を小さくするようにジェスチャーをすると、マヤは「ごめんごめん」とペロリと舌を出して謝った。

「まったく、魔術士協会に居場所がバレたら、面倒なんですから。……あ、そういえば」

 と、エルメラルドは昨日、事務所に訪れたマヤに似た人物のことを思い出した。

「マヤさんに、娘さんなんていましたっけ」

「あら。会ったの? ララかしら。それともリリ? どっち?」

「やっぱり! ララさんです!」

 驚いた。まさか娘がいるとは思わなかった。なにせマヤの銀色の髪はティーンエイジャーのようにサラサラで輝くような艶があり、完璧なメイクに彩られた顔にはシミもそばかすも見当たらない。その肌のキメの細やかさはスキンケアの賜物なのだろうが、ここまで美しいと逆に恐ろしくもある。そんな彼女に二〇歳になる娘がいたとは驚愕だ。きっと娘と並んでも姉妹にしか見えないだろう。

 そんなことを言うと「女はいくつか秘密を持っているものなのよ」とマヤはおどけた後で、少し困ったように視線を落とした。その仕草すら大人の妖艶な魅力を醸し出している。まったく、何年経っても変わらない人だ。エルメラルドは半ば呆れた。この美貌こそ魔法なのかもしれない。

「でも、ララさんは『お母さんは亡くなった』と言ってましたけど、どういうことですか」

「娘たちには、魔法使いの血に縛られず自分の人生を自分で選んで欲しかったのよ」

「だから死んだことにして育児放棄したっていうんですか。勝手じゃありませんか」

「だって、親が魔法使いだなんて知らない方がいいでしょ。それに、私の信条と娘の人生は違うわ。私は自分が正しいと思ったことをやってるだけ。でも、それをさも世界の真理のように子供に押し付けたくはないだけよ。親と子供は別の生き物なんだから」

「ですが、親がいない子は不幸です」

「……そうね。あなたにはご両親がいなかったものね。ごめんなさい」

 自分の境遇をララたちに重ねてしまい、思わず他人の家庭に口出しをするようなポリシーに反することを言ってしまった。恥ずかしい。

「い、いえ。こちらこそ人様の家庭事情に口を挟んでしまい、すみませんでした」

 謝って頭を下げたエルメラルドの視界に、転がったまま気絶している金髪おさげの姿が映った。忘れていた。


「……で、なんなんですか、このリンダって娘は。あなたの仲間ですか。危うく殺されるところでしたよ」


 地面に転がる三つ編み少女を横目に話を戻す。

「またまた。翠玉の劔と呼ばれた天才魔術士のあなたが本気を出せば、リンダくらい赤子も同然でしょ」

「だ、か、ら。それは昔の話です。ここにいるのはしがない私立探偵のエルメラルド・マガワです。ただの探偵には手強い相手でしたよ」

「またまたぁ謙遜しちゃってこの子はぁ」エルメラルドは子供扱いされている。

「この子はもともと孤児でね。魔法使いの血を引いているってだけで施設にも受け入れられずに飢えて死にかけていた所を引き取ったの」

 実の娘はほったらかして置いて、見知らぬ子どもを引き取るなんて勝手な人だ。

「今はリリのボディガードとしてハイスクールに潜り込ませているわ。あそこは寮もあるから一人暮らしの心配もないし、魔法使い以外の生き方も見せたかったし、一石二鳥ね。でも、見たとおりのドジっ子でね。思い込みが強いっていうか、愛は盲目っていうか。好きな人のためには暴走しちゃうって感じ。可愛いでしょ」

「全然可愛くはないです。私は殺されかけたんですよ」

 ジトッとした目でマヤを睨むがまったく効いていない。

「結果オーライじゃない。生きてるんだし。それより、リリはいないの? 久しぶりに娘の成長具合を影からこっそり見にきたのに、ハイスクールにも見当たらないし、家にもいないみたいなのよ。リンダには家に帰るまではきちんと見守るように言いつけてあるのに。……ところで、どうしてリンダはトオルくんと戦ってたの? 知り合い? それとも初対面なのに路地裏でエッチな事でもしようとしたの? されたの?」

 一人でいくつも疑問を浮かべて小さい頭を傾げているマヤは、こうして見ていると人の親には見えないし、なんなら凄腕の魔法使いにも見えない。ただのテンションの高いお姉さんだ。とはいえ、話しているとやはり年齢を感じるのはその態度やら口調やらがおばさんくさいからだろう。

「マヤさんは何も知らないんですか。リリさんは三日前から家出をして行方不明になってるんです。それで、お姉さんからから依頼を受けたこの私がエレガントに調査していたら、突然この子が襲いかかってきたんです。私がリリさんを誘拐したとか、見つけたら殺す気なんだろとか、支離滅裂なことを言って」

「あっらー。そうなのね。リンダったらまた魔力の制御をミスったのね。困った子ね」

「他人事だからってテキトーなんだから。それにしても、娘さんのことは心配ではないのですか」

「うーん、若いんだから家出の一度や二度するでしょう。それに私に心配する資格はないわよ。私は娘を捨てた女だから」

「でも、隠れてボディガードなんかつけてるじゃないですか」

「うふふ。それは私なりの責任の取り方。で、リリの行方について、何か手がかりは掴めたの? もしかして駆け落ち? きゃー。やるわねーリリも」

「違いますよ。もう緊張感ないなぁ。まだ何もわかってません。……というか、ボディガードとしてこの子を潜り込ませていたのなら、この子が何か知ってるんじゃないですか?」

「あら。確かにそれもそうね。リンダからはなんの報告もなかったけど。これは何か隠してるわね。叩き起こして聞かないと」

 マヤは柔和な笑みを浮かべたまま、仰向けに倒れているリンダに近づくと、握り拳を作り、頭にガツンと叩きつけた。表情と行動が合ってなくてびっくりする。


「……ふぁゔ!? はっ! マヤ様、何故こんなところに! そしてリンダは一体……」

 ガバッと起き上がりキョロキョロと辺りを見渡すリンダ。おさげがブンブンと左右に揺れる。どうやら正気に戻ったようだ。

「リンダ。リリが行方不明になったんですって? 何故報告しなかったの?」

 優しく微笑んでいるのに、なぜか恐ろしいオーラが漂っている。

「あ、……あの……。す、すみません!」

 明らかに狼狽えるリンダはマヤの圧力に耐えられず、おでこを擦り付ける勢いで土下座して悲鳴のような謝罪をした。

「実は、リリ様は常々『原始魔術を使いたい』と申しておられまして」

「あら。若いのに原始魔術に興味を持つなんて、面白い子ね」

 リどこか他人事のような雰囲気で聴いてるマヤに対し、リンダは抗議するように語気を強めた。

「原始魔術なんて魔法のパクリじゃないですか! リンダとしてはそんな低級なものを学んで欲しくなくてですね。魔法使いと違って魔力を自ら生成できない魔術士は豚や牛の内臓を貪り食う事で体内に魔力を貯めるような野蛮な民族だから止した方がいい、と優しく忠告をしていたのですが、なかなか聞き入れてくれなくて……」

 俯いて萎みがちになる声。

「あなた、よくそんなデタラメを思い付くわね」

「……リンダはことあるごとに魔術がどんなに汚いものか、訴え続けたのですが、三日前、ついに私の制止も振り切ったリリ様は、『魔術を使うためには豚の生き血でもすすってやるわ!』と、捨て台詞を吐いたのです」

「随分過激な子に成長したようね。我が娘も」

「それで家出をすると仰られて……そのまま」

 二人の会話を聞いていたエルメラルドは顎に手を当てる。

「ふむ。進路の事で喧嘩になったとは聞いていたが、そういうことだったのか」

「あっ! 魔術士! 生きていたのね! マヤ様。こいつがリリ様のことを嗅ぎ回っていました! とりあえず話はこのロン毛男を消してからっ!」

 エルメラルドに気づいたリンダは両手を突き出し魔法の構成を編む。

「ちょっ!待て待て!」

 慌てるエルメラルド。


「やめなさい! この人は敵ではないわ」


 マヤの鶴の一声でリンダはピタッと止まった。

「マヤ様? え、そうなんですか? でも魔術士ですよ」

 両手はこちらに向けたまま、首を傾げるリンダ。集中力が切れたのか、リンダの手のひらに集まっていた魔力が大気に分散していくのをエルメラルドは感じた。

「リンダ。あなたは魔法使いに偏見を持つ多くの愚かな人間と同じことをしています。例え魔術士であっても、肩書きではなく中身で判断なさい」

「……う。ですが」「口答えをしますか?」

「い、いえ。すみません」

 すごすごと引き下がるリンダに、マヤが訊く。

「で、リリはどこの魔術学校に行ったのかしら」

「それが……わかりません。魔術学校に通うなら、その魔術学校に火を放ってでも止めるってリンダが言ったからか、教えてもらえませんでした」

「そう。……ま、ということらしいわ。探偵のエルメラルドさん」

「はぁ、そうですか」

 色々言いたいことはあるが、まあいい。ともかく手がかりは一つ掴めた。


 魔術学校とは文字通り魔術を教わるための学校だ。現代社会において、魔術といえば、冷蔵庫から船の動力まで、人々の生活から切っても切れない存在になってるが、魔術学校で教えるのはそういった、物に魔術をかけて効果を引き出す最新の置換魔術ではなく、手から炎を出したり体の傷を治したりするような原始魔術と呼ばれる古来から伝わる魔術だ。


 魔術学校と一口に言っても魔術士協会が運営する魔天楼閣のようなものから、街の魔術士が営む私塾まで大小様々である。

 きちんとした学校に入るにはまとまった金が必要であるし、未成年なら保護者の同意書も必要であるからして、家出娘には難しい。街の私塾で学んでいると見るのが妥当だろう。

 となると、数は限られてくるはずだ。ただでさえ、この街に魔術はあまり普及していない。魔術用品を扱っている店に聞き込めば何かわかるだろう。ちょうど、知り合いがやっている店もある。何か情報をもらいに行こう。とエルメラルドが思ったその時だった。

 けたたましい笛の音が遠くから聞こえてきた。

「あの笛の音色はっ! と、都市警察ですよ、マヤ様!」

 リンダが慌てふためく。

「もう、あなたが馬鹿みたいに魔法を使うから嗅ぎつけられたのよ。まったく。手間ばかりかけて」

 呆れ顔を見せるマヤ。

「リンダ。行くわよ。じゃ、探偵のエルメラルドさん。私達は退散するわ。後はよろしく」

 ウインクを一つ残したマヤは柵をひょいと飛び越え、桟橋に停めてあった一隻の小舟に乗り込んだ。四角い形の商用の舟、ボックスボートだ。彼女は商人の舟を盗んで逃げる気なのだ。

「ま、待ってください、マヤ様!」

 慌てて追いかけるリンダもスカートを押さえながらぴょんっと跳んで舟に飛び乗る。

「あ、ちょっと二人とも。私も乗せてくださいよ!」

「私たちみたいな魔法使いと行動をともにすると余計に厄介になるでしょー。自分の身は自分で守ってね。エルメラルドさん」

 ヒラヒラと手を振ったマヤは、運転席に立つとガチャガチャと操作盤を弄り、ものの数秒でボートを発進させることに成功した。なんとも華麗な窃盗術だ。

 四角いボートは魔式エンジンの振動と、七色に光る魔力の煌めきを後方に噴出させながら、水路を走り去っていく。

「嘘だろ、おい」

 一人残されたエルメラルドの元に、ピーピーと耳障りな笛の音はどんどんと近づいてくる。


「だから魔法使いと関わるのは嫌なんだよ……」


 一人ごちるが、時すでに遅し。

 ドタドタと都市警察の刑事が通りを曲がって現れた。


「都市警察だ! 手をあげろって、あー! てめえエルメラルドじゃねえか!」


 鬼の形相でやってきた顔なじみの刑事を見て、何故こうも面倒ごとが連続して起きるのか、とエルメラルドはため息をついた。


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