第7話 探偵と瓶底眼鏡の魔法少女

 現れたのは、瓶底眼鏡の少女。太陽の光を集めたような明るい色の髪を三つ編みのお下げにした小柄な少女だった。袋小路の船着き場には、いまさっきまで人の気配はなかったというのに。完全な油断だった。


 少女は橋の欄干に腰掛け、足をブラブラとさせてくつろいでいる。白いブラウスに膝丈の紺色スカート。胸元には赤いリボン。なるほど。先程の学校の生徒のようだ。

 小舟の影で見落としていただけかもしれないが、少し気味が悪かった。が、驚いたそぶりを見せるのはポリシーに反する。エルメラルドは気がつかなかったことを悟られないように、あえて、のんびりとした声を出した。

「こら、少女。初対面の人をそんな風に笑うんじゃありません。あと、そんな所に座ると危ないぞ」

 エルメラルドが注意すると少女は三つ編みを揺らして、ぴょんっと欄干から降りて近寄ってきた。

「さっき校門であなたがリリ・マグナガルさんについて聞いて回ってるのを見て、ついてきたの。体育教師に追い回されてるのもね」

「うぐ、それは恥ずかしいところを見られてしまったな」

「うふふ。あたしはリンダ。マグナガルさんのクラスメイトよ」


 ニコニコと毒気のない笑顔の少女。頬にまぶしたそばかすもチャーミングである。リリの学友ならば、何か知っているかもしれない。よし。エレガントな調査を再開だ。

「なるほど、リリさんのクラスメイトですか。これは好都合。 私はエルメラルド・マガワ。私立探偵です。行方不明になっているリリさんについて依頼を受けて調査しています。で、彼女の行き先について何か知らないですか?」

「うん。知ってるよ」

 即答である。リンダは人なつこい笑顔を見せる。なんだ、得体の知れない雰囲気を感じたのは気のせいだったか。エルメラルドは警戒を少しだけ解いた。

「おお、それはよかった。では早速だけど、教えてもらえるかな?」

 手帳を取り出しながら訊く、しかし。

「やだ」ニコニコしたままリンダは言った。

「……え? なぜ?」

「彼女と約束したから」

 まっすぐな目で言うリンダ。

「リンダ君ね。これは子供の使いじゃないの。リリさんはなんの連絡もなく三日も家に帰ってないんですよ。君も彼女の友達なら心配でしょう。だからわがままを言わないで。さあ、教えなさい」

 エルメラルドは頬をひきつらせながらも、苛立ちを抑えて諭す。しかし。

「やーだ」

「……キミね。大人をからかうのもいい加減にしなさいよ」

 凄んで見せるが、リンダは臆しない。

「じゃあ探偵さん。リンダのお願い聞いてくれる? そしたら彼女のことも教えたげるよ」

「あのね。……まぁ、いいか。なんだい、言ってごらん。聞くだけは聞いてあげよう」

 こういう時は相手に合わせた方が手っ取り早い、とエルメラルドは判断したのだが、

「わあ、嬉しいな。えっとね……」

 リンダは小さい胸の前に両手を合わせる。お祈りをするみたいに目を閉じた。何事かと見つめていたエルメラルドだが、一瞬の殺気を見逃さなかった。

「死んでっ!」

 リンダの突き出した掌から衝撃波が放たれたのと、エルメラルドが横っ飛びしたのは、ほぼ同時だった。魔力を帯びた見えない刃が空気を切り裂き走る。

「づわぁ……あっぶな!!」

 情けない声を上げながらも、間一髪の所で避けたエルメラルド。素早く受け身を取り、瞬時に戦闘体勢を整える。

 自分の立っていたすぐ後ろ、水路へ転落するのを防ぐための鉄柵が真っ二つに割れて水面へ落ちていった。

「びびったぁ……。魔法使いか……。 おい。こんな街中で魔法をぶっ放すなんて何を考えてるんだ!」

 構成は荒いが中々の威力を持った魔法だ。初動が一瞬でも遅れていたらと思うとゾッとする。

「あーあ、失敗しちゃった。くすくす。探偵さん本気出せば出来るんじゃん」

 リンダは追撃する気がないのか、無防備に口元に手を当て笑っている。

「お前、何者だ……」

 体勢を整えたエルメラルドは半眼でリンダを睨みつけた。

「あはは探偵さん。マジになったのね。良い目じゃん。そっちの方が男らしくて素敵だよ。変になよなよした感じでいるから女と間違われるんじゃない?」

 指摘されてハッとする。頭に血が上っていた。いかんいかん、とエルメラルドは小さく息を吐いて心を落ち着かせる。

「うるさい。仕事中は紳士的に振る舞うってのが俺の……ごほん。私のポリシーなのだ。で、君は魔法使いのようだがいったい何者なんだ。答え次第じゃ容赦はしないぞ」

「言ったじゃん。リリ様のクラスメイトだよ」

「リリ……様? どういうことだ」

「あれ、なに。探偵さんたら、何も知らずにのこのこ来たの? 調査対象をきちんと調べないなんて、アマチュアなのかなぁ?」

「なんだと。情報提供は姉のララさんから受けている。何か勘違いしていないか。リリさんはお前たち魔法使いのような物騒な人間との関わりがある人間じゃない」

「あはは。やっぱりへっぽこ探偵だぁ。ウケる。リリ様はサタナ・ハルシュの孫よ。……ふふ、アマチュアの探偵さんには、赤髪の魔女って言った方がわかるかな?」

「あ、赤髪の魔女だと!?」

 エルメラルドの声が裏返った。

 サタナ・ハルシュといえば、その筋の者で名を知らぬ者はいない。五〇年前の戦争で若干一五歳にして恐るべき戦績を挙げ『魔法使いの家族ファミリー』と呼ばれる組織の幹部にまで上り詰めた稀代の魔法使いだ。返り血に濡れたその姿から『赤髪の魔女』と恐れられた、と魔術士育成期間『魔天楼閣』の教科書にさえ載っている。

 二〇年ほど前に、組織内の内紛により失脚したが、影響力は依然として強く、未だに都市警察にもマークされていると噂される女傑である。

「そんな有名人の孫娘だなんて……聞いてないぞっ!」

「うふふ。そりゃそうよ。リリ様本人も知らないからね。サタナ・ハルシュは魔法使いの時代は終わった、なんて言って孫娘に自分の素性も明かさず、魔法も教えなかったのよ」

「……なるほど。そういうことか」


 昨日のララの話。親が死んだ孫娘を何故祖母が引き取らなかったのか疑問だったが、その理由がわかった。サタナ・ハルシュは引退したとはいえ有名な魔法使いだ。距離を置いて自分の正体を知られないようにしたのか。


「つまり、君は影からリリさんを守る『ファミリー』のボディガードということか」

「ぶーっ。違うもん。リンダは『ファミリー』みたいな腑抜け組織とは関係ないもん」

「関係ない……だって。どういうことだ? 『ファミリー』に属していないというのなら、今の魔法は誰に習ったんだ。構成は荒いが独学でそれだけの魔法を使える者はそういない。それに『ファミリー』に所属してない者が魔法を使うこと自体が、この街では犯罪扱いのハズだ。子供とはいえ、都市警察に捕まったらどうなるかわからないぞ。ただでさえ魔法使いに対する地方権力の扱いが酷いことくらいわかっているだろう」


 古くは神の使いとして崇められた魔法使いも、その強大な力を戦争で利用されてからは悲惨な歴史を辿ってきた。魔術士に立場を奪われてからは迫害の時代があった。様々な国から文化が流れ込むこのアルムウォーレンでは差別は少ないが、大陸の北部ではまだまだ差別は根強い。


「探偵さんは、おかしいと思わない? 魔術士は自由に魔術を使っていいのに、魔法使いは魔法の使用を制限されるって。今の世の中じゃ、魔法使いの血を引いてるなんて公言したっていい事ないわ。魔術士たちの印象操作のせいで魔法使いだってだけで不当に差別されるもの。見た目が一般人タビトと同じなのが幸いだって魔法使いの血筋を隠してる子も多いんだよ。かわいそう。魔法使いは本当なら神の使いとして崇められるべき存在なのに。……でも、そんな差別の時代はもう終わらせなきゃ。賢王会議の肥えた権力者も魔術士協会の俗物達も、金に目の眩んで状況を甘んじてる『ファミリー』も、全てリンダたちが無くすの」

 瓶底眼鏡の奥の瞳が憎悪に歪んで見えた。

「……なるほど。わかったぞ。お前『魔女同盟』の人間だな」

 翠玉色の瞳でリンダを睨みつけるエルメラルドには思い当たる節があった。

 魔女同盟。十年ほど前に『ファミリー』から独立した過激派組織だ。魔法使いの人権のために戦うという大義のもとに、各地で過激な活動を起こしている。

「うふふ。探偵さん。間抜けだと思ったけど、意外と鋭いのね」

「お褒めいただき光栄だよ。ともかく、私は君たち『魔女同盟』のことも『ファミリー』のことも関知していない。リリさんが魔法使いの血を引いていることだって知らなかったんだ。いざこざは当事者同士で好きにやってくれ。私は関係ない」

「関係ない? 何言ってるの。あなた、魔術士でしょ。リンダわかってるんだよ」

「……なんのことだ」

 エルメラルドは警戒レベルを一気にあげた。この少女は何を知っているのだろうか。

「しらばっくれてもダメ。見てたらわかるよ。体育教師に叩かれていた時、ほんのちょっと魔術を使って、防御力を高めていたでしょ。そうでもしなきゃ、あんな筋肉バカの攻撃を受けて、そんなにピンピンしてないもの」

「……なるほど。面白い推理だ。だが、残念。私はただのしがない私立探偵だよ」

「ふふふ。ダーメ。魔術士の汚い手は全部わかってるんだよ。依頼だなんだと油断させて、リリ様を見つけたら殺す気なんでしょ。情報は入ってるんだから」

「……は? ちょっとまて。どうしてそうなる。私は人探しをしてるだけだぞ。依頼主はリリさんの姉だぞ?」

「詭弁はやめて! 魔術士の言うことなんて信用できないわ。それに『ファミリー』に属するマグナガル家は魔法使いの誇りを捨てた裏切り者よ。裏切り者は死ぬべきよ。あなたも死ぬべきよ。なぜなら裏切り者の依頼を受けて仕事をしているからよ!」

「……言ってること、むちゃくちゃじゃないか。リリさんだって君のいうマグナガル家の人間だぞ。君の理論でいえば彼女だって裏切り者の家系じゃないか。そこらへんどうなんだよ」

「リリ様は……いいの! だって美しいもの! だからいいの!」

「どういう理論だ!」

「ふふふ。美は真よ。リリ様の美しさは世界の宝なのよ。例え彼女が自分が魔法使いであることを知らずともね。だからリンダがずっと側でお護りするの。だから、さあ、リリ様を返して!」

 一人で奇妙な論理をまくし立ててヒートアップしていくリンダ。どうも様子がおかしい。彼女の瞳は焦点が定まらず小刻みに揺れはじめている。

 この現象は……そうか。エルメラルドはようやく気がついた。リンダの魔力が暴走していることに。

 確かに先ほどの魔法は構成が雑だった。彼女はまだ若い。きちんとした魔法の修行を受けていないから魔力を完全にコントロールできていないのだ。特に魔術士と違って魔力を体内で生成できる魔法使いは、魔力の生成を制御できなくなると、自らの魔力に溺れてしまい幻覚や妄想に取り憑かれ人格に悪影響をもたらす。支離滅裂な思考は魔力の暴走に起因するに違いない。


 もっと早く気付くべきだった。……やはりあの頃に比べて、腕は鈍っている。


「さあ、あなたを倒してリリ様の居場所を教えてもらうわ。うふうふふ、あはははは」

「リンダ君。落ち着け。私は君の敵じゃないし、リリさんの居場所も知らない」

「リリ様の命は私が守るの……絶対に!」

 話が通じない相手ほど恐ろしいものはない。

「くそ。ダメだ。完全に魔力に溺れている。魔力が可視化されちゃってるもん。やばいなぁ」

 ぶらん、と両手を垂れたリンダの体からゆらゆらと青白いオーラのようなものが浮かび上がっている。体内で生成され続けている魔力が暴走しかかっているのだ。もし、この魔力が全て魔法に転化されたら、この一帯が吹き飛ぶかもしれない。

「これだから魔法使いに関わるのは嫌なんだよ。ロクでもない依頼を引き受けちゃったなぁ」

 吐き捨てるが絶対絶命の状況は変わらない。ともかくこの窮地を脱しなければ。エルメラルドはリンダを睨みつけたままジリジリと後ずさる。一瞬の隙をついてリンダの意識を刈り取るしか状況を打破する術はないが、さっきセクハラ体育教師にビシバシ体を叩かれたせいで体術で対処するのは難しそうだ。くそ。今日はろくなことがない。

 エルメラルドは仕方なく意識を自らの体内に集中した。久しく使っていなかった力を引き出すために。久しぶりだが、逃げる時間を稼ぐくらいはできるだろう、そうタカをくくったその時だった。


「伏せてっ!」


 突然の声。声の方を振り向くと、一人の女が駆けてきた。

 女は体勢を低く地面を滑るようにこちらに向かってくる。

「な、なんだ!?」あまりの迫力に慌てて身をかがめたエルメラルドの頭上を女は超人的な跳躍力で飛び越した。長くウェーブする銀髪をふわりと宙に舞い踊らせ、空中で片手を突き出した。

サン・デイっ!」

 女が叫ぶと同時に掌から青白い光が放たれた。

「また、魔法だと!?」

 稲妻のように空中を走った光は一直線に伸び、三つ編みの少女に直撃した。短い悲鳴をあげたリンダの全身に光が巡る。稲妻に体を縛り付けられ、ビクンと全身を硬直させて震え上がったリンダは、ぐらりとよろけて、こてんと倒れた。

 意識を失ったリンダの体から魔力のオーラは音もなく霧散していった。


「……っくりしたぁ」

 頭を屈めてしゃがみこんだエルメラルドは、リンダが気を失ったことを確認してから立ち上がる。

 適度に加減された魔法だった。リンダは意識を失っているが外的なダメージはなさそうだ。傷をつけずに相手の動きを封じるとは良い腕だ。こんなに腕のいい魔法使いはなかなかいない。


 エルメラルドは飛び込んできた人物に視線を向ける。デニムのパンツにゆったりとしたブラウス。そして、片手には手提げのバッグ。見た目だけなら、買い物帰りの新妻のような出で立ちだ。女は長い銀色の髪をかき上げて空気を孕ますと、ゆっくりと振り向いた。


「危なかったわね。魔法使いには気をつけないとダメよ」


 微笑む女の顔を見てエルメラルドは言葉を失った。

 昨日、事務所に来たララ・マグナガルがそのまま歳を重ねたような見た目の美しい女だった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る