第6話 探偵業はエレガントに……

 水上都市アルムウォーレンの中心部、アルムウォレスト本島。

 ワイシャツにベストを合わせた髪の長い男が停車した魔導二輪車と呼ばれるスクーターの上で時間が来るのを待っていた。私立探偵のエルメラルド・マガワである。昨日の寝起きのだらしなさとは打って変わって、ビシッとネクタイも締めて仕事スタイルが決まっている。

 見つめる先は家出したリリ・マグナガルが通っていたというハイスクールだ。

 ぐるりと高いフェンスに囲まれた敷地には、二階建ての立派な建物と広々としたグラウンドがある。さすが富豪の娘は通う学校も違うな、と門から見える凝った形状の噴水を見てエルメラルドは思った。


 昨日、日曜日だというのに現れた厄介な依頼人ララ・マグナガルから聞いた話では、口論の原因はリリの卒業後の進路についてだという。学校から出された進路希望調査票も書かず、勉強にも熱が入っていないリリを姉は叱ったのだそうだ。それで大喧嘩。リリは姉の言葉も聞かず家を飛び出していったきり帰ってこないという。

 行き先については検討もつかない。友達の家くらいしか行き場はなさそうだが、クラスメイトの家には来ていないようで行き先は検討もつかない、とそういうわけだ。


 まあ、どこにでもある家庭のいざこざだ。両親がいなかったり、大富豪の祖母が金だけ孫娘に渡していたりと、家庭環境はちょっと複雑な様子だが、だからといって、わざわざ探偵に頼る必要もなさそうな一件である。なんともやる気が出ない。放っておいてもすぐにホームシックになって帰るだろう、というのがエルメラルドの見立てだった。


 立派な鉄製の校門から少し離れたところで、エルメラルドはスクーターのシートに腰掛けて、授業が終わるのを待っていた。探偵事務所が街外れにあっても、スクーターがあれば街まで気軽に来れる。運河だらけのこの街ではあまり普及してはいないが、道が狭くても走れるスクーターは便利だ。


 大あくびを一つ。エルメラルドの顔に緊張感は見られない。

 いい天気だった。高く澄んだ空。太陽は輝き、そよ風は潮の香りを運んでくる。こんな日は仕事なんか辞めて、どこか風通しのいい木陰でのんびり読書でもしていたい。

 半分居眠りしながら待っていると、ようやく授業の終わりを告げる鐘が鳴った。校舎の中が騒がしくなる。エルメラルドは背伸びをして、スクーターから降りた。

 依頼人であるララによれば、ハイスクールにはいくつかの専攻があるようなのだが、リリは普通科のクラスだという。制服のリボンが赤とのことだ。まずはリリと同じリボンをつけた生徒に話を聞こうという算段だった。


 校門の近くまで歩み寄り、出てくる生徒を待ち構える。すると、はしゃぐ声とともに生徒たちが校舎から出てきた。男子も女子もシャツのボタンをしっかり上まで留めた、お行儀の良い出で立ちだ。

 さて、出来るだけおしゃべりそうな子を捕まえたいところだが……。


 校門から出てくる生徒の胸元に目をやる。目印はリボンの色だ。黄色、青。……赤。いた。赤の女生徒がいた。エルメラルドは赤いリボンをつけた女子生徒が二人、並んで歩いてくるのを見つけた。


「すみません。ちょっといいですか」


 突然、話しかけられた女生徒たちは顔を見合わせた。

「わたし達ですか?」

「ええ。普通科の生徒さんですよね。私、私立探偵のエルメラルドと申します。リリ・マグナガルさんのことをご存知ないですか。三日前から登校していないんですが」

 エルメラルドは不審がられないように丁寧な仕草で名刺を出した。

「ああ、あの行方不明の……。 わたしは知らないわ。あなた、知ってる?」

「うーん。わたくしも名前は知ってますけど、話をしたことはないですね。普通科と言っても四クラスありますから」

「そんなにあるんですか……」初手からしくじったな、とエルメラルドは思った。

「仲の良い生徒さんとか、何か知りませんか?」

「うーん、ちょっとわからないですね。あ、でも、あの先生なら何か知っているかも」

 そう言って女生徒が校庭の方を指差した。その先にはタンクトップにトレーニングズボンの筋肉質な男が生徒を睨みつけて仁王立ちしていた。片手に木刀のようなものを持っている。どうやら下校中の生徒の服装をチェックしているようだ。


「体育教師のガリバン先生です。セクハラ教師ってみんなに嫌われてますけど、普通科の授業を受け持っているので、マグナガルさんの事も何か知ってるんじゃないですか?」

 ガリバンなる教師は女子生徒のスカート丈を木刀で測って何やら嫌らしい目つきで文句を言っている。

「セクハラ教師ね、確かにそんな感じだなぁ。教えてくれてありがとう。引き止めて悪かったね」

 礼を言うと、二人は上品な笑みを浮かべた。

「礼には及びませんわ。でも、あの先生、本当に……キモいんでも気をつけてくださいね」

「本当に。セクハラ注意ですよ。では、ごきげんよう」

 ぺこりとお辞儀をして、女生徒たちは去っていった。

「いや……あの。私はお姉さんじゃないんだけどね」

 エルメラルドが二人に向けたつぶやきは風にかき消された。ちょっと悲しくなるエルメラルドであった。今日はバッチリ服装も決めてきたのに、なぜ女性に間違われるのか。イエローのシャツに黒のベストにセットアップで決めたスラックス。自分で言うのもなんだが、どう見てもダンディなお兄さんだろう。女に見えるとは思えない。エルメラルドは少々気分が落ち込んだが、気にしていても仕方がない。


 気持ちを切り替えて校庭を見る。先ほどの女生徒たちが言うように、あの体育教師はあまり生徒に好かれてはいなさそうだ。彼に話しかけられた生徒は一様に苦笑いとも愛想笑いともつかぬ複雑な表情で、足早に避けて行く。

 うーん、嫌われていることに気づかないタイプの人間っているよなぁ。でも気づいていないのだから本人は何も後ろめたさも感じていないのだろうし、ある意味一番幸せな人生かも。と、若干、哀れみを伴った表情で体育教師を眺めていると、当のガリバン教師は校門の前で自分をチラチラ見ているエルメラルドに気がついたらしい。スタスタと近づいて来た。


「どうも、こんにちは。誰かのお迎えですか」

 まあ、校門の前に見知らぬ人間が立っていたら、教師としては警戒するのも頷ける。エルメラルドは下手に誤解されるのも面倒なので、さっさと身分を明かすことにした。

「私立探偵のエルメラルド・マガワと申します。リリ・マグナガルさんの件で調査をしておりまして」

 胸のポケットから名刺を取り出して渡す。

「おお、リリくんの件ですか。いやいや、ご足労様です。私共も心配しておるのですよ。なにせ彼女は優秀な生徒でしたからなぁ。今まで無断で学校を休むなんてこともありませんでしたから、何か事件に巻き込まれていないかと心を痛めておりました。力及ばずとも我々にもお手伝いさせてください。探偵さん」

 ゴツゴツした手を出して握手を求めてくる体育教師。

「はぁ、どうもありがとうございます」

 見た目は暑苦しい体育教師だが、生徒を思う心は人一倍のようだ。日に焼けて汗ばんだ手を握るのはためらわれたが、せっかくの好意を無にするのも申し訳ない。エルメラルドは仕方なく手を差し出した。


「いやあ、それにしても女性で探偵なんてヤクザな商売をされてる方もいらっしゃるんですね。不規則な生活だとストレスも溜まるでしょう。どうですか、今晩あたり、私と一緒にストレス解消しませんか? いい体操を知ってるんですよ。二人でやる体操なんですけどね。気持ちがいいですよ」

 耳元で囁かれ、エルメラルドは総毛立った。

「あの、ははは。遠慮します……ってか私、男ですけどわかってて言ってます?」

 身じろぎながら、エルメラルドが言うと、ガリバンの顔が固まった。

「……はぁ?」

 顔を醜悪に歪めて聞き返すガリバン。下から上からエルメラルドの体をねぶるように見た。なんて気分の悪い男だ。女子生徒に嫌われるのも納得だ。

 だが、ここで不快な表情をしてはいけない。どんな人間であっても、情報を集めるためには丁寧にエレガントに紳士的に振る舞う。それがエルメラルドのポリシーなのだ。

「いや、だから私は男ですよ」

 引きつった顔で、それでもポリシーに則ってにっこり笑うエルメラルドだが、なんだか不穏な空気を感じたので、さっさと情報をもらって立ち去ろうと思った。

「それでですね。リリさんのことでお聞きしたいことがあるんですが……」

 エルメラルドが話を聞こうとした瞬間、ガリバンは握っていたエルメラルドの手を投げ捨てるようにして離し、唾を飛ばして怒鳴り始めた。

「……ふ、ふ、ふざけんなよ。探偵だかなんだか知らんがな、ここは教育の場なんだよ。お前みたいな胡散臭い奴にうろつかれると目障りなんだよ」

 突然の豹変ぶりに目を丸くするエルメラルド。

「うわっ、え、ちょっと、さっきは手伝ってくださると……」

「う、うるせえ! 高潔なる学び舎に近寄るんじゃねえ! このオカマやろう! 叩き出すぞ!」

 急に態度を変えたガリバンが右手の木刀を振りかざす。

「あぶなっ! ちょっと、やめてください!」

 必死にかわして止めようとするが、ガリバンは頭に血が上っているのか、木刀を力任せに振り回す。ブンブンと振り回される木刀をなんとか、かわそうと身をよじるエルメラルドであったが、避けきれずビシバシと打撃を食らってしまう。

 なんという非常識な人間だ。無抵抗な人間に暴行を加えるとは。だが、どんな人間にも決してもエレガントで紳士的な態度は崩さない。それがエルメラルドのポリシーである。

「いた、ちょっと。やめてください! 落ち着いてください。話を聞いてください!」

 攻撃を受けながらも、対話を続けようと試みる。紳士的だ。

 だが、ガリバンは聞く耳を持たない。

「問答無用。男だか女だかわかんねえようなやつは成敗してくれる、そこに座れ!」

 反撃がないのをいいことにガリバンは木刀を振り回す。なんとか身を翻して急所は外していたエルメラルドだが、急所じゃなかろうが木刀は痛い。段々とイライラしてきた。さすがのエルメラルドも我慢の限界であった。

「だー!! もう!なんなんだあんたは!」

 顔を真っ赤にしてエルメラルドは叫んだ。もうポリシーもへったくれもなかった。

「座れと言われて座るバカがいるかっ!! このセクハラ教師!」

「だ、誰がセクハラ教師だ! この変態探偵! 女装なんかして出歩きやがって!」

 ガリバンも負けじと言い返す。

「ふ、ふざけるな! 女装なんかしてないぞ!」

「してるだろ! そんなに髪伸ばして気持ち悪いやつだな! 死ね! 死ね!」

 激昂したガリバンがその丸太のような腕で木刀を力一杯振り下ろす。ジリ貧である。体格差もあるのに相手は武器まで持っているのだ。分が悪い。

「く、くそ! 一時退散だっ! 覚えてろよぉ!」

 エルメラルドは慌てて逃げ出した。エレガントさのかけらもない惨めな敗走であった。


 ☆


「はぁはぁ……ようやく撒いたか。それにしても痛かったなぁ。なんなんだあいつ、頭おかしいんじゃないか」

 膝に手をついて息を整える。しつこかった。川に架かる橋を二つも越えて、路地裏にある小舟用の桟橋に逃げ込んでようやくゴリラ教師を振り切ったのだが、学校からは随分と離れてしまった。

「まったくロクでもない教師だ。あんなの雇って大丈夫なのか。あの学校。富裕層向けじゃないのか」

 誰にともなく悪態を吐く。シャツの腕をまくると木刀で打たれた腕が青くなっていた。白い肌は傷が目立つから嫌だった。

 とんだ災難である。あの教師さえいなければもう少し簡単にコトが運んだというのに。

 さて、どうしたものか、とエルメラルドが腕をさすりながら考えていると、背後から少女の笑い声がした。


「あはは。探偵さん、弱っちいんだね」


 慌てて振り向く。水路にかかる小橋の欄干にケラケラと無邪気に笑う少女が腰掛けていた。



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