第5話 魔術士の憂鬱 後編

 事務所に戻ったアクアは机の引き出しを片っ端から開け、四つん這いになって戸棚の裏を覗き込んでいた。


「おっかしいなぁ。やっぱりどこにもない。どこ行っちゃったんだろう。ケベルくん。そっちはどうだい?」


「……ないっすねぇ。本当にどこやっちゃったんですかー? ヤバめっすねぇ」


 呆れた声をあげたのはアクアのたった一人の部下、ケベル・ダラーだ。彼女もアクア同様一ヶ月前にこの街にやってきたばかりの魔術士である。そして、不幸にも休日だというのに上司であるアクアに駆り出されて、遺失物を探すのを手伝わされている。


「だめだー。休憩しよう」


 小一時間探し回った挙句、成果はなく、汗だくでチェアーに腰掛けたアクア。お手上げとでも言うように天井を仰ぎ見た。くしゅくしゅの癖っ毛を掻き回して「うぬぬ。困ったなぁ」と唸り、机から煙草を取り出して口に咥える。

 引越しの際に事務所に運び込んだ荷物はすでに全て開封済みだ。その時には確かに有ったのだから、無いわけがない。大切なものだから失くさないようにしなければ、と目につくところに置いたことはちゃんと覚えているのだ。間違いはない。間違いはないのだ……だが、その目につくところがどこだったのかを、全く覚えていなかった。痛恨のミスである。


(どこにおいたんだっけなぁ。まったく思い出せない。あれが無くなったとなると、叱られるどころの話じゃ無いんだけどな)


 大きく煙を吐き出して天を仰ぐ。アクアが紛失したのは貴重な魔道具『ネンデの指輪』だ。銀のリングに輝く赤い魔石が一粒あしらわれた美しい指輪。魔術士としての自負と矜持のために、新たな支部が出来るごとに魔術士協会の本部から送られる貴重な魔道具の一つだ。

 魔道具というだけあって、この指輪には強力な魔力が秘められている。権威を示すことが目的なので使用することは固く禁じられるほどの強力な魔力だ。当然、失くしたとなったら減給……どころではない罰が待っている。


 本来であれば、この指輪は支部開設と共に、誰からも目の届く場所に誰にも触れられないように丁重に結界を貼り設置しなければならない。それなのに、引越し早々にどこかにやってしまい、露店で買った適当な指輪をそれらしく飾ってごまかしている始末なのだ。


「困った。来週、アルムウォレスト本島から支部長が視察にくるってのに。それまでに見つかんなかったら比喩じゃなくてマジで首が飛ぶよ」

 ぐでんっと椅子の上でずり落ちるようにして足を伸ばしアクアはため息をついた。

「昔っから僕はおっちょこちょいなんだよ。勉強はできるんだけど、こういうときにポカしちゃうんだよなぁ。大切なものに限って無くすし。あーあ、参ったなぁ」


 アクアが嘆きの声を上げると、ガサゴソと戸棚を漁っていた部下のケベルが手を止めてこちらを見た。

「もう。アクア先輩ぃ。貴重な休日だってのに、先輩が大騒ぎするから自分もやる事があるのに、手伝ってんすよー。真面目に探してくださいよ」

「いやぁ、申し訳ないね。でも、ケベル君だって今日は休みだろ。なのになんで事務所に来てたの?」

「そんなの、溜まってた仕事があったからですよ。アクア先輩が平日もネンデの指輪のことばっか考えて仕事を疎かにしてるから、そのとばっちりっすよ!」

「それは……ごめんね」

「ほんとですよ。ヤバイっすよ。早く見つけてくださいよ。先輩、あの悪名高い魔天楼閣のガリアクラスを首席で出てるんでしょ」

「……げ、ケベル君、なんで知ってんの?」

 まだ出会って日の浅い部下が、話してもいない自分の出自を知っていたことに驚いたアクアは苦い表情を見せた。その顔を見たケベルは、ふふんと鼻を鳴らすと、まるで自分のことのように自慢げに口を開いた。

「知ってますよ。あったりまえじゃないっすか。エリート魔術士の養成機関である魔天楼閣。その中でも最強と謳われた『不笑の地獄魔王笑わずのマスターヘル』ことガリア・メジストが担任教師の魔王養成教室。それがガリアクラスっすよね。有名っすよ」


 アクアはズルッと肩を落とした。噂というのは根も葉もないのになぜこうも広がっていくのだ。


「……あのね。ガリア先生は確かにめちゃくちゃ怖かったけど、笑うこともあったよ。浮遊魔術の耐久大会を、斬りつけただけで人間を醜い魔獣に変化させる魔剣セルダイトの剣先でやろうとか、そういう非人道的な企画をしてた時はそれは楽しそうに笑っていたよ」

 自分で言っていて、そりゃ噂が広がるわけだ、とアクアは苦笑いした。

「ウケるー。やっぱ、ヤバいクラスじゃないっすか。でも、そんなクラスを首席で卒業したんすよね、アクア先輩」

「首席は首席だけどね、僕なんか実力で言えばナンバー四だよ。確かにどんな魔術も平均以上の腕前はあった。けどさぁ。トップの三人に比べたら凡人だよ僕なんか」

「トップの三人……ああ! 聞いたことあります。十年前に忽然と姿を消した天才魔術士たちのことっすよね」

 目を輝かせるケベル。ああ、こいつはそれも知っているのか。そうか、そういうタイプか、時々いるんだ。人のウワサ大好き人間が。

 アクアが面倒くさそうにしていることにも気づかず、ケベルは興奮気味に話しだした。

「若干、一四歳にして攻撃魔術の全てをガリア・メジストから学びきったという『翠玉の劔』トオル・エメラルド! 恋も魔術も鉄壁の気まぐれサディスト『蒼玉の楯』アリサ・ファイアドレス! そして、行動全てがポリシーに基づくポリシーに魂を売った完璧主義者『完璧なる金剛』ルナダイヤ・モンドレッド! ヤバめな天才三人組っすね!」


 格闘技の実況でもするように力強く叫ぶケベル。ジトッとした呆れ顔でそれを見つめるアクア。

「……よく知ってるねぇ」

「何を言っているんすか。常識っすよ。自分、ルナダイヤ・モンドレッドのブロマイド持ってましたもん。めっちゃ綺麗っすよねぇ彼女。でも、天才達はどうして魔天楼閣からいなくなっちゃったんすかねー。憎っくき仇敵『魔法使いの家族ファミリー』に寝返ったとも、古代遺跡で過去の産物に触れて気が狂ったとも、実は魔天楼閣に残っていて、暗殺者として人知れず暗躍しているとも言われていますよね。実際のところはどうなんすか?」


 興奮したケベルはぐいっと身を乗り出して聞いてくる。が、アクアは対照的に冷めた表情だった。三人がどうして魔天楼閣を去ったのか、同じクラスだったアクアはもちろん知っていた。


 アリサは演習中に立ち入り禁止の古代遺跡に忍び込んだ際、『何か』に心を壊され魔天楼閣から排除された。トオルはアリサを見捨てた魔天楼閣に失望し学校を去っていった。ルナダイヤはアリサを救えなかった自責の念から原始魔術の限界を感じ、置換魔術へと専攻を変え錬金術師を目指すために転校していった。

 事実はこうだが、原始魔術の最高峰、魔天楼閣から落伍者が出るのは魔術学校の覇権争いに影を落とす汚点であるために禁句扱いになっている。魔天楼閣出身のエリート達が派閥争いに不利になる情報を隠そうと、彼らの消息を大っぴらにしないから、変な噂が立つのだ。

 ここはひとつ、デタラメでも言って、ケベルの興味を削いでおいたほうが楽だ。


「ははは、本当は大したことないんだ。魔天楼閣は厳しいからね。怪我を追って退学する人も多いし、魔術適性も成長とともに変わるから専攻を変えるために転校する人もいるし。アリサも、トオルも、確かそんな感じだったと思うよ。どこかで元気にやってるだろうけどね」


 もし、今のでまかせが事実なら、どれだけ幸せだろう。転校したルナダイヤ以外の二人は、生きているのか、死んでいるのかもわからない。


「へー。ウケる! アクアさんすごい人たちと一緒だったんすねぇ。仲良かったんですか?」

「いや、クラスが一緒だったってだけさ。あまり話したこともないし、もう十年も前だ。顔を忘れたよ」

「そんなもんすかねー。ウケますねー」

 ケベルは『ウケる』と言うのが口癖だ。気にしなければいいのだが、一度気になってしまうと他人の口癖というのは気になって仕方がない。とはいえ、まだ指摘するほどの間柄でもない。こう言う場合が一番面倒臭い。


「でも、なんでアクア先輩は出世の道を捨てて、こんな街に来たんすか?」

「少し人間らしく生きてみたくなったっていうのかなぁ。三人がいなくなったおかげで僕は首席の座に納まることになったんだけど、三人がいなくなったら、張り合いもないし、やる気もなくなっちゃってね。卒業後に待っていた他のスクールの卒業生との派閥争いなんかもストレスだったし、元々、我が強いタイプじゃないしね」

 我が強いどころか、優柔不断でどっちつかずと小馬鹿にされていたから、我先にと手柄に群がる成り上がり志向の同期とはウマが合うわけもなかった。

「えーヤバイっすね。せっかくのエリート街道なのにもったいないあ」

 そうだ、ケベルは『ヤバイ』も口癖だったな、と余計なことに気がついてしまう。

「そんなことないよ。僕はこの街に来てよかったと思っているんだ。魔術に頼らない当たり前の人間の暮らしがここにはあるからね。ここには差別も偏見も存在しないんだ。魔法使いと魔術士がいがみ合うことも無いければ、魔術士がタビトを下に見ることもないし、タビトが亜人を下に見ることもない。亜人が魔法使いを忌み嫌うこともないからみんなが同じ人として、普通に暮らせる。それがこのアルムウォーレンって街なんだ。素敵じゃないか」

「そーっすかねぇ。魔法使いなんてヤバイっすよ。いなくなった方が世界のためにはいいと思うんすけどねぇ」

 魔術士の多くがそうであるように、ケベルも魔術の元になった魔法に対して敵対心があるようだ。魔法使いも魔術士も一般人タビトから見れば同類にしか見えないというのに。

「まあ、君がどう思うかは君次第だからいいけれど。僕はこの街が気に入っている。くだらない争いなんかより、人間らしくこの街で暮らしたいと思っているんだ」

「マジすかー。……けど、ならちゃんとネンデの指輪を探し出さないとダメっすね。見つからなかったら、飛ばされますよ。ヤバイっすよ」

「……だよね。ほんとどこ行っちゃったんだろぉ。参ったなぁ」

 ため息と共に肩を落とす。

「とりあえず、もう一度、いちから探して見るか……」

 ソファから立ち上がり、再び指輪を探し始めたアクアであった。


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