【アイドルと探偵編】第2話
「あれ。マジか。……なんだ。まったく、女なら女って先に言ってくれよ」
エルメラルドが申し訳なさそうに照れ笑いを浮かべる。
「あなただって、ナンパなんかされないでよ。勘違いするに決まってるじゃん」
女も楽しげに笑うと、カウンターのバーテンに酒を頼んだ。
「私はエルメラルド。君は?」
「よろしく。わたしは……ふふふ。ミライよ」
「なんの笑い?」
「こうやって、見ず知らずの人が出会って名前を明かし合うなんて、やっぱりバルは楽しいのねって思って」
「なんだ、そんなこと。君はあまりこういうところには来ないのか」
「ん、まあね。こうやってカウンターでお酒を飲むなんて滅多にないわ」
汚れを知らぬ少年のような美しい瞳のせいか、どこか中性的に見えるが、性別などどちらでも良いと思えるほどの美しい顔だった。
「とりあえず、互いの勘違いに乾杯でもするか」
「ええ」
グラスを合わせる。チン、とガラスの触れる音。グラスを口に運びながらステージの音楽に耳を傾ける。心地よい時間が戻ってきた。ゆったりとした演奏に浸る。
「きちっとした服装だけど、エルメラルドさんはお仕事は何をしてるの?」
曲の合間、拍手をしながらミライはこちらを向いた。エルメラルドは黒のスリーピーススーツ。ワインレッドのワイシャツもピシッとアイロンがかけられており、しっかりと締められたネクタイはホワイト。
「しがない私立探偵さ。浮気調査でも、探し人でも、何かあれば相談してくれ」
ジャケットの内ポケットから名刺を取り出して渡す。
「まあ、探偵さんなんだ。 ……でも、あいにく頼むような悩みはないなぁ」
「それは幸せなことだ。私の所に来る客は皆、不幸者ばかりだからね」
「ふふふ。エルメラルドさんは、ここにはよく来るの?」
「土曜の夜はどこかしらのバルにいるよ」
「ふーん。音楽が好きなんだね」
「土曜の夜は酒と音を楽しむ。それが私のポリシーさ。特にこういう生の音楽は好きだよ。サルカエスのヒットチャートなんかには全然興味はないけどね」
「えー。それは、なぜ?」
「ああいうのは売るための音楽じゃないか。薄っぺらい歌詞に、売れ線のメロディ。どれもこれも同じ味付けの料理ばかりだ。胸焼けする」
さっき定食屋の店主に言ったことを繰り返す。音楽は歌と演奏だ。踊りもルックスも関係ない、と。
「そうかな。わたしは音楽は自由だと思うけれど。いろんな音楽があって、いろんなお客さんがいて、それぞれが好きな音楽を楽しんでいて、いいじゃない」
「アイドル歌手みたいなのも?」
「いいじゃない。アイドルだって」
「正気かい? あれは音楽じゃない。お遊戯だ」
お酒も手伝ってヒートアップしてしまう。が、ステージに次の出演者が上がり照明が暗くなったので、二人は議論をやめた。
ステージに上がったのは弦楽器をそれぞれ持つ二人組だ。ヒゲを蓄えた青年と、金色の体毛が全身を覆う亜人の男。別人種のコンビはなかなか珍しい。
ヒゲの青年は定番のアコースティックギター、亜人の男は魔獣の骨をボディに太い弦を三本張った低音を効かせたベースタイプの弦楽器を奏で始めた。二つの楽器の音色と、しっとりと湿った歌声のハーモニーが美しかった。
「不思議な気持ちになる音楽ね」
「異国情緒あふれるリズムだ。ヒットチャートになんか入らないけど、心に響く良い歌だよな」
さっきのバンドもそうだが、今日の出演者はレベルが高い。なかなか良い夜になりそうだった。
五曲ほど演奏して二人のステージが終わった。この後が今夜のメインだ。店内も次第に混み合ってきた。次のステージまで少々時間がある。エルメラルドは五杯目の酒とナッツを注文する。
「……さっきの続きだけど、エルメラルドさんはアイドルのライブを見たことがあるの?」
「ないなぁ。ラジオで流れているのを聞いたことはあるけど、印象に残ってない」
「ふぅん。じゃあちゃんと聞いてみたら。わたしはアイドルも好きだよ。みんな一生懸命頑張ってるから見てるだけで元気になるし」
「まぁ、個人個人は頑張ってるのかもしれないけれど、結局大人の作った曲を歌ってるだけだろ。そんなのただの操り人形じゃないか」
「そんなことない! アイドルは……」
ミライが身を乗り出した時、楽屋の方から叫び声が聞こえた。
「誰か都市警察を呼んでくれ!」
「魔法だ! 魔法使いが出た!」
ざわめく店内。
「魔法使いだって?」エルメラルドがナッツを摘んだまま呟く。この街は異国との貿易も盛んなので多種族に対する偏見は少ない。だが、それでも魔法使いに対しては恐怖を感じている人が多いのも事実だ。店内は異様な緊張感に包まれた。だが、
「すごい! わたし、魔法使いって見たことないの! 行ってみようよ!」
場違いに明るい声をあげてミライがカウンター席から飛び降りてしまった。
「おいおい、待てよ」
嬉々として騒ぎの中心へ駆け出したミライを追ってエルメラルドも席を立つ。騒然とする人混みを掻き分けて楽屋の前まで走った。
楽屋の入り口に人だかりができている。その中心に亜人の女一人と
「ねえ。何かあったの?」
ミライが輪を作る野次馬の一人に尋ねた。
「なんでも、次のバンドのボーカルのアンナさんが、そこの金髪の男に魔法で殺されかけたらしい。女の人を抱きかかえているのはバンドのマネージャーだってさ」
「あの金髪の人が魔法使い……」
青ざめた顔をしている金髪の男。短髪中肉中背。服もカジュアルな普段着。特にこれといって特徴のない男だ。なんとなく想像した魔法使いの姿と違ったので、ミライは首を傾げた。
「見た感じは全然普通の人じゃない?」
人混みを掻き分けてエルメラルドもやってきた。
「魔法使いだって人間さ。見た目は私達と変わらない。だけど魔法使いは身分を明かすだけで迫害されることもあるからな。素性を隠してる人は多い。それもこれも賢王会議が魔法使いに対するネガティブなことばかり喧伝するからなんだけどな」
「ふーん。なんか拍子抜け」
「それにしても、魔法使いを見たことが無いなんて、珍しいな」
「うん。わたしサルカエス出身だもん」
「なるほど。魔術都市か。なら魔法使いがいるわけはないな。魔法使いと魔術士は犬猿の仲だ」
野次馬の輪に加わり二人がコソコソと会話をしていると、亜人の女を抱きかかえている男が叫び出した。
「なんとか言ったらどうだ! お前、魔法を使ってアンナを殺そうとしたんだろ」
ぐるりと周りを野次馬に囲まれて、容疑者の男は立ち尽くしたまま口を開かない。魔法を使われたという亜人の女はぐったりとして意識を失っている。
「サカキ……。お前、魔法使いだったのか」
楽屋からボーカルのアンナと同じ狼人種のバンドメンバーが出てきて言った。どうやら容疑者の金髪は通り魔というわけではなく、バンドメンバーと知り合いのようだ。原因はなんだろう。エルメラルドは容疑者とマネージャーの顔を交互に見る。
「……ああ、そうだよ。俺は魔法使いの血を引いてる。隠してたのは謝る」
それまで黙っていた金髪のサカキが暗い声で答えた。
「じゃあお前、本当にアンナに魔法を使ったのか……」
メンバーのひとりが聞く。
「それは……」
口ごもるサカキ。店内の空気が重くなる。野次馬たちも輪の中心で繰り広げられる非現実的な光景を、固唾を飲んで見守っている。
「……あーあ。こりゃ今日のライブはオジャンだなぁ」
目の前の緊迫した状況を静観しながらエルメラルドはため息をついた。片手にはナッツの小皿を持ったままだ。
事件か事故か痴情のもつれか恨みか、サカキという青年が犯人だろうがなかろうが、何にしてもこんな騒ぎになれば、もうライブどころじゃない。
せっかく楽しみにしていたライブだが、またの機会にするか。警察が来て面倒なことになる前にさっさと退散して、別の店で飲み直したほうがいい。
ぽりぽりとナッツを噛みながらエルメラルドは思ったのだが、
「ちょっと待ちなよ!」
隣に立つミライが叫んだ。驚いたエルメラルドがナッツを二、三粒落としたが、そんな事は気にもとめず、ミライは輪の中へ一歩踏み出した。群衆の視線が集まる。
「な、なんだ君は」
マネージャーの男は突然現れたミライを見ては不審がる。
「わかんないけど、なんとなく、その人が犯人じゃない気がして!」
胸を張って声をあげる。
「バカ、何を自信満々にトンチンカンなことを言いだすんだ。わかんないなら言うな! 無闇に首を突っ込むんじゃないよ」
エルメラルドが慌てて袖を引くが、ミライは耳を貸さない。
「ちょうどいいところに適任者がいるよ。こちら、私立探偵のエルメラルドさん。その人が本当に犯人かどうか、この探偵さんに調べてもらおうよ」
「探偵?」「あの男が?」「え、女だろ?」「おかまかな」「おなべかもよ」
ざわめきと心無い言葉と、不躾な視線がエルメラルドに集まる。
「お、おい。何を言ってるんだ。私はただ働きはしないぞ。それがポリシーだっ」
「いいじゃない。ここで名前を売っておけば、依頼がじゃんじゃん来るかもよ?」
「じゃんじゃん来られても困るんだよ。ひとりでやってんだから」
ヒソヒソと会話をするが、マネージャーは興奮した様子で口を開く。
「あんた探偵さんか! ならこいつの犯行だって証拠を見つけてくれ! たしかに 俺は聞いたんだ! こいつが魔法を唱える声を!」
「いや、だから。その」
「ほら、エルメラルドさん。聞いてあげてよ。ここまで言われて無視するようじゃ男じゃないよ。そんなんじゃ、また女に間違えられるよ?」
ミライに小突かれるエルメラルド。
「うぐぐ。わかった。私も男だ。いいだろう。聞くだけ聞くよ。とりあえず、その女性の様子を見せてくれ」
嫌々ながら、輪の中心に歩み出たエルメラルドはマネージャーに抱きかかえられた亜人の女性を観察する。
大きな耳が特徴的な狼人種の若い女だ。褐色の肌から血の気が引いている。意識は失っているが目立った外傷は見られない。
「怪我は無さそうだな。……脈もある」
肉球のある手を取り確認する。
「でも、意識を失ったままだ!」
「落ち着いて。一時的に意識を失っているだけです。安静にしていればじきに回復しますよ。大丈夫。安心してください」
「……本当だな? なら、ひとまずよかった」
マネージャーの顔色も多少は落ち着く。
「おや……」エルメラルドは女の胸元に気になるものがあった。首から下げられたネックレスのペンダントトップが砕け散っている。キラキラと赤いドレスに青白い宝石の粒子が散っていた。
「これは……」指先で散らばる粒子を採取する。
「おい、アンナをソファに連れて行ってやってくれ」
マネージャーが指示を出すと、スタッフが何人かやってきてぐったりとするアンナを運んでいった。その間、容疑をかけられている魔法使いの男は相変わらず黙ったまま俯いていた。騒ぐでもなく、弁解するでもなく、ただ黙って下を向いていた。
「えーっと。警察に任せたい所ですが、私も探偵ですし、男です。男らしく推理してみましょう。改めて状況を聞かせてもらえますか?」
エルメラルドは男という言葉に語気を強めて言うとワイシャツのポケットから手帳を取り出した。
「ああ。もちろんさ」
立ち上がったマネージャーが頷く。
「俺はライド。このバンドのマネージャーだ。ご存知の通り、今日はうちのバンドがメインのイベントでね。もうすぐ出番だとボーカルのアンナに伝えに楽屋に入ろうとしたんだ。そうしたら、楽屋の中で争う声がして、何事かと中を覗こうとした瞬間、そこのサカキが魔法を唱えたんだ。詠唱っていうんだろ。俺は魔力は無いが、魔術士の魔術は見た事がある。あれとおんなじだった。叫んでる言葉は聞き取れなかったが、確かにサカキは手のひらをアンナに向けて叫んでいたんだ。次の瞬間、アンナの体に稲妻が走って、痙攣して、そして倒れたんだ!」
「なるほど。臨場感がある語り口ですな。……という事をマネージャーのライドさんは仰ってますが、容疑者のサカキさん。何か反論はありますか?」
「……別にないよ」
うつむいたままサカキは答えた。
「と言うことは犯行をお認めになられていると言うことでよろしいでしょうかね」
「……」今度は答えない。
「なるほど。まあ大体はわかりましたが」
エルメラルドは細い顎に手を当てて、ふむふむと頷いた。
「何がわかったのよ。サカキさんがやっぱり魔法でアンナさんに攻撃したってこと?」
ミライが首をかしげる。
犯行を見ていた人がいて、容疑者が犯行を否定しない。ならばこの事件は推理も何も必要ない。
「ほら!やっぱり!そうだ!サカキはアンナを殺そうとしたんだ!」
確かにマネージャーが言うように普通ならそうなるのだが、
「いやね、それはちょっと違うかもしれませんよ。ライドさん」
エルメラルドは長い髪をかきあげて言った。
「なんだよ、どういうことだよ! 本人だって認めてるじゃないか!」
「彼が認めたのは、アンナさんに魔法をかけたと言うことだけですよ」
「どういうことよ。全然、状況がわからないわ。説明してくれる?」
「ええ。だが、これは推理でもなんでもない。知っているからわかったというだけのことなんですけどね」
そう言ってエルメラルドは先ほどまでアンナが倒れていた場所に言って、しゃがみこんだ。
「ほら、ここにアンナさんが身につけていた宝石の残骸があるでしょ。これ、なんだかわかる人はいますか?」
手のひらに乗せたキラキラを周囲に見せるエルメラルド。
「そういえば、アンナはあまりネックレスとはつけないやつだったよな」
バンドメンバーの一人が言う。
「そうですか。なら、より一層、私の推理は強固になりますね」
「どういうことだ。もったいぶらずに教えてくれ」
マネージャーのライドが言う。
「ええ。その前に。聞きたいことがあるのですが……あの、サカキさんとアンナさんは恋人同士だったんですか?」
サカキはうつむいたまま何も答えない。たじろいだのはマネージャーのライドだった。
「そ、それは……」と口にして慌てて押し黙った。答えずともその仕草で二人の関係はわかった。
「やっぱり。でも、マネージャーのあなたとしては、あまりその恋を応援できなかった。そうでしょ?」
エルメラルドに問われると、ライドはゆっくりと頷いた。
「……ああ。そうだ。このバンドはこれからって時なんだ。恋よりも仕事に集中して欲しかった、と言うのは認める」
「でしょう。まあ妊娠して離脱、なんてマネージャーとしては困りますもんね。いやいや心労は理解できますよ。でもね、そのまあ仕事熱心なライドさんの考えが今回の事件を起こす一端にもなった、とも言えるかもしれませんね」
「なんだってんだ。いいから結論を言ってくれ。どちらにしても俺はサカキがアンナに魔法をかけているのを見たんだ。それは本当だ!」
「ですから、それについてはサカキさんも認めてます。でも、逆だったんでしょうね」
「逆?」
「ええ。危害を加えるために魔法を使ったのではなく、守るために使ったのかもしれない、ということです」
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