第3話 探偵のポリシー 後編

 最悪な朝とはなんだ。 休日の朝に仕事をすることだ。


 ララを部屋に入れてしまったエルメラルドは少しでも自らの気分を晴らそうとカーテンを開け窓を開いた。薄暗かった事務所にさわやかな光が差し込む。穏やかで爽やかな潮風が憂鬱な気持ちをほんの少しだけほぐしてくれた。

 丘の上に建てられたこのアパートからはアルムウォーレンの騒がしい街も、穏やかなダリル海も一望できる。今日も気持ちのいい夏空が広がっていた。

「まあ、おしゃれなお宅だこと」

 陽が差し込んだ事務所に入った招かれざる客、ララ・マグナガルは歓声をあげた。エルメラルド探偵事務所があるアパートメントは過去の戦争で使われた砦を改良したものなので、現代建築では見ないような古臭い様式の部屋だったが、それがララには新鮮に見えたようだ。


「すごい、灯りも水周りも旧世代の魔術式なんですか?」

 ララは魔術式の描かれた焜炉コンロ洋燈ランプなど、部屋にある古臭い魔装製品をぐるりと見渡して声を弾ませた。そういえば、最近、戦前のデザインのクラシカルな家具や雑貨が人気の兆しを見せている、なんて話を雑誌で読んだなぁ、とエルメラルドは理解できない昨今の流行を思いだし苦笑した。


「ええ。古い建物ですから。水回りや火の元も当時の魔術式で残っています。旧式なんで、ちょっと使いにくいですけどね」

「冷蔵庫も、キッチンなんかの魔装製品もですか。すごーい。でも、旧式の物って魔力を錬成できる魔術使いさんしか使えないのでは。もしかしてエルメラルドさん。原始魔術の心得がお有りなんですか?」

 瞳を輝かせたララ。好奇心の塊みたいな顔だ。これだからミーハーな女は嫌なのだ、とエルメラルドは笑って目をそらした。

「ここの魔術式は魔技士の方に使いやすいよう改良してもらっているので、魔力源さえ設置しておけば誰でも使えますよ」

 エルメラルドは焜炉に描かれた幾何学模様の魔術式を指でなぞってから、横に取り付けられたスイッチを細い指で押す。すると魔術式が青白く浮かび上がり、火が灯った。

「ほら。キッチンの魔式焜炉コンロもスイッチひとつでつきますから」

 エルメラルドは実演してみせると、ポッドに水を入れて火を点けた焜炉の上に置いた。

「それにしても」とエルメラルドは話を変えた。

「以前どこかでお会いしたことありましたっけ?」

 ララが話している仕草や表情を見ていると、なぜか不思議な既視感があったのだ。エルメラルドが訊くと、キョトンとした顔でララは返す。

「え? 多分ないと思いますけど」

 気のせいだったか。探偵という職業柄、人と会う機会が多いため、時として初対面なのに過去にあったことがあるように感じてしまうことがある。が、今回は気のせいだったようだ。


「そうですよね。失礼しました。どうぞおかけになって下さい」

 ララにソファをすすめたエルメラルドはキッチンに戻り、戸棚から瓶に入った珈琲豆と小型の粉砕機ミルを取り出した。朝はエレガントに珈琲。これがエルメラルドのポリシーだった。ミルに豆を入れ、ハンドルを回す。ゴリゴリと心地よい振動と共に豆は粉になっていく。ルーティンというのは良い。それだけで人の心を平穏に導く効果があるのだから。


 豆を挽き終えるとそれをフィルターに移しゆっくりと円を描くようにお湯を注いでいく。水分を含んだ豆がふんわりと盛り上がり、ポットにポタポタと琥珀色の液体が溜まり始めた。芳ばしい香りが部屋に広がる。心を鎮め深呼吸するように香りを嗅ぐ。……気持ちが落ち着く。やはり、珈琲は良い。


 どんなに憂鬱な朝であろうとも豆を挽いて珈琲を楽しむ。エルメラルドのポリシーのひとつだ。インスタントの珈琲は飲まない。そして、ブラック。ミルクも砂糖も無しである。この珈琲はアルムウォーレンのお気に入りの店でブレンドしてもらった特製の豆で酸味とコクのバランスがちょうど良い自慢の品だ。

 エルメラルドはこの自慢の珈琲を自分で楽しむだけでなく客にも出すことにしている。どんな面倒ごとを持ち込む依頼人であっても日曜の朝の招かれざる客だったとしても、例外なく最高の珈琲で客をもてなす。これが彼のポリシーなのだ。立ち上る湯気とともに最高の珈琲が出来上がった。エルメラルドはカップを二つ持ってソファでくつろぐララの元に向かった。


「珈琲をどうぞ」

 女性と間違われるのも無理はないほど、穏やかな微笑みを見せたエルメラルドは白いカップをララの前に置く。さあ仕切り直しだ。いつも通りのエレガントな探偵として面倒な依頼人にも紳士的に対応するのだ。そう思ったのだが、

「ごめんなさいね。私、苦いものは口に入れない主義ですの。ミルクとお砂糖を頂けるかしら」

 その言葉に、ピキッとエルメラルドのこめかみが音を立てた。が、もちろん彼女は気づかない。悪意の無さそうな顔で微笑んでいる。それが余計に彼をイラつかせたが、それを顔に出すのも負けた気になる。仕方なく引き出しから砂糖を出し、冷蔵庫からミルクを出した。

「失礼しました。珈琲は大人の飲み物ですからね。お子様には少し早かったですね」

 ミルクを差し出しながら皮肉を言うが、何故かララは嬉しそうにパッと表情を明るくした。

「まぁ、ふふふ。お上手ですね。よく十代に間違われますけど、これでも二十歳なんですよ。もうオトナです」

 馬の耳に念仏である。二十歳なんて別に十代とそう変わらぬではないか、とエルメラルドは内心思ったが、やはり面倒なので口には出さなかった。

「……それより、ご依頼の件、お伺いいたしましょうか」

 ララの顔は見ずに、壁にかけられていた背広の内ポケットから手帳を取りに行き出して、ララの正面に座る。さっさと話を聞いて、この女を追い返したいと切実に思ったのだった。

「はい。実は……」

 真剣な表情になったララ。

「依頼というのは……、妹を探してほしいんです」

「妹さん……ですか」

「ええ。リリと申します。今年十六歳になります。三日前、些細なことで言い合いになってしまい、家を飛び出したきり帰ってこないんです」

 三日前から行方知れず。エルメラルドは手帳に書き込んで行く。

「家出ですか。ふむふむ、若者らしくていいじゃないですか。たいがいが友達の家を渡り歩いて、二、三日でホームシックになって帰るのが定番ですからね。今日あたり帰ってくるんじゃないですか?」

 珈琲の腹いせに意地悪く言うエルメラルド。ララの反論を期待したものの、予想外に彼女は少し俯いて肩を震わせた。

「そうでしょうか。悪い人に誘拐されたりして怖い思いをしてはいないでしょうか。身代金目的で監禁されていたりはしないでしょうか」

 さっきまであっけらかんとしていたララの口調が重くなった。エルメラルドは手帳から視線をあげた。ララは不安そうに肩を縮こませている。片眉をあげてその表情を盗み見ていたエルメラルドだったが、一つ瞬きをすると手帳を机に置いて身を乗り出した。

「……ララさん。それはないと思います。身代金目的ならば、誘拐後すぐに脅迫状が届くはずです。警察に通報されるより先に取引をしたいでしょうから。しかし、三日たっても犯人からなんの連絡も無いとすると、少なくとも身代金目的の誘拐という線は低いと思います」

 憎まれ口を叩くのはやめた。真剣に悩む人を茶化すほどの悪趣味はない。

「きっと無事でいますよ」とエルメラルドが言うが、ララの表情は固いままだった。

「そうだといいのですが……」

「口論の原因はなんだったのですか?」

「ええ。リリのハイスクール卒業後の進路についてです。何か夢でもあるようなのですが、あまり話してくれず……。つい強い口調で叱責してしまいまして」

「それで家を飛び出してしまったと」

「はい。恥ずかしい話なのですが……」

「なるほど。ちなみに、この件に関して親御さんはなんと仰ってるのですか?」

「親はいないんです。父は元々おらず、母は私が物心がつくすぐ前に事故で亡くなりました」

「……これは、失礼しました」

「いえ、気になさらないでください。祖母が二人で暮らせるアパートも用意してお手伝いさんも雇ってくれましたし、お金の援助もしてくれていたので、生活には困っていませんでしたから」

 ララの影のある表情を見るに、複雑な事情がありそうだ。『お手伝いさん』『援助』というフレーズは、ララが祖母と共には暮らしていないということを暗に示していた。

「そうですか。では今は妹さんとそのお手伝いさんの三人で暮らしていらっしゃるんですね」

「いえ、私が就職してからは姉妹二人で暮らしています。ですが、私は来週、転勤することになっていて、次の日曜日にはこの街を離れなければならないのです。それなのに妹は家を出てしまって……。お願いです。日曜日までに、妹を見つけて欲しいのです。転勤の日程をずらすことはできませんが、あの子と和解できずに旅立つことになるのは嫌なんです。亡くなった母にも、今まで援助してくれた祖母にも顔向けできません」


 なるほど。期限付き、と言うわけか。それで探偵を頼ったのだな。エルメラルドは合点がいった。

「調査費の前金として三〇万ギル、用意してきました。お願いです。妹を探してください」

 ララはカバンから紙幣の入った封筒を出して頭を下げた。久しぶりに目にする大金だった。必死なララの表情を黙って見つめていたエルメラルド。

「つかぬ事をお伺いしますが、このお金はおばあさまからの仕送りですか?」

「いえ。私が引越し資金として貯めたものです。私が就職してからは祖母からの仕送りは断っています。と言っても時々は受け取らないと祖母も寂しいと思うので、多少は受け取っていますが、そのお金は妹の進学資金として貯めています。私はハイスクールを出てすぐに就職しましたが、妹にはもっと勉強をさせてあげたいんです」

 金持ち特有の傲慢さはあれど、根は優しい娘なのだな。エルメラルドはを一口すすって口を開いた。

「……わかりました。そのご依頼、承ります。ですが、もしリリさんを私が見つけ出したとしても、無理矢理にお姉さんの元に連れ戻すようなことは、私のポリシーに反するので出来かねます。私の仕事はリリさんの居場所を突き止めることです。見つけたら、ララさんが心配していたと伝えて自ら帰ることを促します。しかし、もし本人がそれでも帰りたくない、とおっしゃるのなら、それ以上のことは私にはできません。私は警察でも正義の味方でもありませんし、結局は家庭の問題なのですから。その点、ご了承いただけますでしょうか」

 エルメラルドが翠玉色の瞳でララを見つめる。ララはしっかりとその瞳を見つめ返して頷いた。

「はい。それで結構です。お願いします」

「では、改めて……」

 そう言ってエルメラルドは立ち上がり、奥の机の引き出しから名刺を取り出した。

「私立探偵のエルメラルド・マガワです。お力添えできるよう努力いたします。よろしくお願いいたします」


 こうして、エルメラルドの調査が始まったのだった。


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