14話 憐愍
三日間はあっと言う間に過ぎ、僕は退院の日を迎えていた。
「やっと退院か。退屈だった」
「鈴くん、私まだ怒ってますからね」
「もうしないから」
「次にやったら殺します」
「矛盾してるからそれ」
病院に搬送された時に比べればかなりマシになっている。気がおかしくなるんじゃないかってほど泣いていたからな。僕より相手の方がよっぽど大怪我してるんだけどな。
「夢廻、少し行きたい所があるんだけどいいかな?」
「はい。勿論です」
行き先は、窯隅の病室だ。聞いておかなければならない事がある。
病室の前に立ち、ノックをする。窯隅の部屋は個室だった。
「窯隅、僕だ。入っていいか?」
「橘くん!?どうぞどうぞ!」
その声を聞いてから入室する。顔色を見るに、特に問題はなさそうだ。
「思ってたより元気だな」
「橘くんが助けてくれたからね!」
そこまで話して初めて窯隅は夢廻の存在に気付き、表情に曇りが挿す。
「宮ノ業先輩…」
「どうも」
二人に話をさせない方がいい空気が出ている。
ならば早速本題に取り掛かるとしよう。
「窯隅」
「ん?」
強姦された後だと言うのに、底抜けに明るい。異常なまでに。
「メールを送信したのはキミだと警察の人に聞いた。それは本当か?」
「うん…怖かった…隠れて送ったの…」
そうか。そう言うことか。最悪の想定が現実味を帯びる。
「嘘をついているだろう。正直に話してくれないか」
「え?」
「頼む」
「言ってもいいんだな?」
「どういうこと?ボクは嘘なんかつかないよ?」
自己言及のパラドックス。嘘つきは嘘を付かないと嘘をつく。
「高宮に話を持ちかけたのは君だろ。つまり自作自演だ」
「な、なにを言ってるの?」
チラと盗み見ると、夢廻は目を見開いている。恐らく驚いているのだろう。それでも話に割り込んでこようとはしない。
「違うのならそれでいい。僕は君に土下座する。本当の事を教えてくれ」
「な、なんで!?僕はあの気持ち悪い顔の人たちに、色んなことされちゃったんだよ!?それは橘くんも知ってるはずでしょ!」
「気持ちの悪い顔の人…?」
「…」
「キミは犯人の顔は見えなかった、そう警察には証言したはずだ」
それに犯人も顔は見られていないと言っていた。それは事実だと言うことになる。
「何故顔を知っているんだ?」
「す、少し見えたんだよ!そんな事どうでもいいでしょ!?」
「ならどうしてそんな嘘を警察につくんだ?それに、そんな事、という言い方はおかしい」
「…」
窯隅が沈黙する。
「キミは予め犯人達の顔を知っていた、ということだ」
「待って!待ってよ!何を言ってるの!?」
「メールを送信したのがキミなら、おかしい事が出てくる。何故片言になるほど切羽詰まった状況なのに、自分の画像を添付出来るんだ?」
「…」
「アレは遠くから、つまりは第三者によって撮影されたものだった。つまりキミは犯人にケータイを取り上げられ、写真を撮影され、ケータイを取り返し、片言の文章を作成した上で、何故か自分で画像を添付し、送信した、といことになる」
「…」
尚も窯隅は沈黙している。俯いていて、顔は全く見えない。
犯人である男達は、窯隅が自分たちを訴えないという自信があった訳だ。これで依頼は格段に好条件になる。
「これは失敗だったな。キミはあのメールを犯人が送ったことにすべきだった。だとしたら犯人の偽装工作として辻褄は通る」
窯隅からの文章だけのメール、もしくは窯隅からの文章+現場の画像のメール、あるいは犯人からの文章だけのメール、それか犯人からの文章+窯隅の画像メール。この四パターンのどれかを送り、しっかりと窯隅か男のどちらが送ったことにするのかを決めておくべきだった。
「意味分からないよ」
「だろうな。こんなミスをするくらいだもんな。だが自分のミスがとんでもないことだとは分かるだろう」
「…」
「何故こんなことをしたのか、キミの口から教えてくれ」
「違う、違うもん。私は傷付いてるんだから私をもっと心配してよ!宮ノ業先輩ばっかり…!!」
「答える気はないんだな。なら僕の考えを言うぞ」
「ボクはこんな目にあったんだよ?先輩より私は可哀想でしょ!?」
そう。この反応が答えだ。
「窯隅。君は僕に構って欲しいが為だけに自分を汚したんだ」
「あああああああああ!!なんなの!そんな事どうでもいいよ!ボクはこんなに辛いの!助けてよ!ボクをあの時みたいに助けてよ!」
「自分の最高に可哀想な言葉で、自分の最高に可哀想な画像を、他ならぬ自分自身で僕に教えたかった。故に生んだ矛盾だ」
「何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で」
「僕はキミを責めているわけじゃない。他人のことを言える立場に居ないんだ。僕だって不幸に魅入られている弱い人間なんだ。だから…」
「橘くんはいつも強いじゃない!!!」
窯隅は僕の言葉を遮り、怒鳴り散らし出した。
「橘くんは何度もボクを救ってくれた!あの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日もあの日も!!ボクは弱いんだよ!橘くんは何にも怖いものはないんでしょ!?あの日はそうだった!先輩なんかじゃなくて、ボク見てよ!!」
窯隅は頭を掻き毟り、暴れ出した。
「知らない男に全部触られたの!きたないのがボクの中に入って行くの!凄く痛いんだよ!?臭くて怖くて!!ボクは不幸でしょ?ボクを救ってよ!!」
そして最期は懇願するように呻く。僕はそれを見ていられなかった。
「ボクだけを助けてよぉ…」
自分だけが良ければそれでいい、他人の不幸など自分の不幸に比べれば取るに足らない。自分だけが真に不幸で、自分だけが救われるべきだ。恐らくそういう類の何かに犯されているのだろう。
「…」
僕は黙り込み、思案する。
彼女のような人間は自分が幸せになる為には、自分さえも道具にする。他人も利用し、平気で傷つけるだろう。事実、僕と男達は傷つく可能性は最初から高かった。彼女には僕のような自己犠牲を厭わない人間が必要なのではないか。それこそ壊れないように、いつだってそばに居て、救い続ける存在が。
入院中、メールを見てくれたか、という彼女のセリフと、警察への証言。そこからもしかして、とこの考えに至り、それからはその事ばかり考えていた。だが、いざ目の当たりにすると何が正しいのか分からなくなる。
「窯隅ゆうの」
それまで話を黙って聞いていた夢廻が、窯隅に向って真っ直ぐに言葉を投げかけていた。
「宮ノ業夢廻…」
窯隅は憎々しい表情で血走った目を夢廻に向ける。
「一つだけ、訂正させて」
「はあ!?」
「鈴くんは、強くなんてない。いつも幸せになることに怯えている」
その通りだ。夢廻さんはいつでも容赦がない。
「幸せになることに怯える?はぁ?意味がわからない!!橘くんはヒーローだ!それはあなたが言ったんだ!!!」
「鈴くんは貴女の欲求を満たしてくれる都合のいい機械じゃない」
「なにを言ってるのかわからない…」
「貴女のような人に、絶対に鈴くんは渡さない。私が幸せにする。私が鈴くんを守って、守って、守り抜く。自分しか見えていない貴女には絶対に出来ない」
「橘くん…?この女、頭おかしいよ!?ボクは…」
「窯隅」
僕は彼女の懇願を掻き消して、告げる。
弱者を救うと言って、僕は不幸になりたがっていただけだった。今回も窯隅を救って死ねたら、救うと誓う心の隅では思っていた。
それは違うんだ。他人を自殺の理由付けに使ってはいけない。
そして何より、僕は夢廻を悲しませたくない。
「さよならだ」
「なっ…なんでよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
窯隅が今までで一番の声で叫び、その場で暴れ回る。
「この事は誰にも言わないから安心しろ。誰もが不幸で、誰もが悲しくて、辛くて、泣きたくて、助けを欲している。君は僕が傷つくこと、男達が傷つくこと、それを分かっていて、それでも実行した。自分が幸せになる為に僕たちを利用した。自分だけ幸せになっても、虚しいだけだ」
「それは謝るよ!危ない目に合わせてごめんね?でもボクの方が何倍も怖い目に遭ったんだよ?それに虚しくなんてないよ!!ボクはキミ以外になんにも要らないんだよ!!」
「行こう夢廻」
「はい…窯隅、次にこんな事をすればすぐに分かる。迷うことなく殺す」
そう言いつつも、夢廻は何故か泣いていた。
彼女の心は一体何を感じて、何を思ったのだろう。それを知りたいと思った。彼女は僕を理解してくれているのに、僕は彼女の心が理解出来ないことが多い。それはとても歯痒い。
「待ってよ!待って!ね?ボクのおっぱい結構大きんだよ?触っていいよ?宮ノ業!お前さえ居なければ!あああああああああッ!!」
背を向け、扉を閉じる。壁越しにも彼女の絶叫が聞こえてくる。僕と夢廻は耳を塞がず、廊下を歩き出す。
窯隅と僕が寄り添い合いながら進む道があったとしたら、それは破滅へ向かう一本道だ。だからこそ僕はその道を選びたかった。
不幸に引き寄せられる。まだ今からでも引き返して彼女を抱きしめたい、そう思う自分がいる。
「鈴くん、駄目です」
それを察したように夢廻が制する。
「ああ…でも…」
「私は鈴くんを幸せにするためなら、どんな手も厭いません。行かせません」
夢廻が手を握ってくる。
これは救いだ。幸せを歩く為の道だ。強烈な拒否反応に視界が揺れそうになる。
だがもう僕は誓ったのだった。今度こそ夢廻を悲しませない選択をし続けることを。
「僕はもう幸せから逃げないよ」
夢廻の手を引き、僕は振り返らずに歩き出した。
*
真っ暗な部屋の中、狂ったような笑い声が響き渡っていた。唾液が飛び散り、口元には泡を吹いているが、それにも構わず笑い続けていた。
かれこれ一時間になる。
笑いがようやく収まり、その人物は独り言を呟く。
「なんであんな奴と…」
先程とは打って変わって冷静な声だ。
「殺してやる」
壁に貼ってある写真に逆手持ちで思い切りナイフを突き刺した。壁の奥深くまで貫通する勢いだ。
「幼馴染を幸せにしたいのは当然だよね…今助けてあげるから」
殺人鬼は、甲高い声で再び狂った笑いを再開した。
*
週明けから学校に復帰したのだが、案の定、僕に対する周りの目は以前よりもずっと厳しいものになっていた。やはり先日の事件のことが噂になってしまっているようだ。校内を歩けばモーセの十戒のように人混みが割れ、教室に着いてみれば、周りの机が異常に離れているのが分かる。目線を走らせた先の生徒は、男女問わずそそくさと視線を逸らすのだった。
去年は長期入院をしていたので、事件直後に登校する事は無かったので、ここまで露骨なのはこの学校では初体験だった。
僕は全く気にせず席に着き、授業を受け、いつの間にか四限までが終了していた。
昼飯はどうしようか。いつもは食堂に移動し、適当に済ませているのだが、今人混みに行くと例の十戒が発動する可能性があるので申し訳ない気もする。
「僕は歩く公害か」
ふと独り言を口にしてしまう。すると同時に隣の席の女子がガタッ!と机と椅子を震わせた。
傷付いては居ないのだが、あまり他人を驚かせたくない。溜息をつこうと思ったが、一々驚かれる可能性を考慮してやめた。だが次の瞬間、気にしていても仕方が無いな、と開き直り立ち上がろうとした。
「鈴くん」
「出たな」
「出た、とはなんですか。私は妖怪か何かですか」
目の前に何時の間にか夢廻が立っていた。妖怪というより忍者だ。
「最初、僕はその可能性を本気で考えたけどな」
早朝に部屋の前に立っているなんて不審者か妖怪の二択だ。
「誰が妖怪追跡女ですか」
「言ってない言ってない」
僕たちが話していると、周囲の生徒がザワつきだす。それは当然だろう。夢廻は意外にも僕の教室に来るのは初めてだった。
(え、あれ誰?)
(宮ノ業先輩でしょ?あのお嬢様の)
(あ、私知ってるよ。絵画で賞もらってた人)
(楽しそうに話してなかった?)
(あんな橘初めて見た…)
(目立つよね)
(すっげえ美人だな…)
(橘とどんな関係なんだ…)
辺りから小声で会話が聞こえてくる。
ストーカーとその被害者です。とは言えない。夢廻は変人だが世間の評価は高いみたいだ。それに比べ僕の評価はゲロ以下だ。そんな事を言っても僕が頭のおかしい人認定されるだけだ。
「鈴くん、お弁当を作ってきました」
夢廻は完全に周囲を無視し、僕しか見ていない。
「ありがとう。何処か別の場所で食べるか?」
「いえ。怪我に今日の寒さは触ります」
「そう…」
さりげなく移動を提案したのだがダメなようだ。
夢廻はそんな僕を知っていて無視しているのだろう。僕の机の前に弁当を二つ乗せ、すぐに広げ始めた。
「この椅子、借りてもいいでしょうか?」
比較的近くにいた男子生徒に声をかける。
「は、はい!どうぞ…」
こんな長身美人に話し掛けられたら誰でもそうなるよな。
夢廻は僕の前の席を反転させ、そこへ座った。
「綺麗だな」
僕は弁当を見て感想を漏らす。特別に変わったおかずは無いが、非常にバランスのいいものであるとわかる。見た目も鮮やかだ。
「そんな…こんな場所で…駄目ですよ」
何かを勘違いしているようだ。
「弁当の話な」
「あ、はい」
「わかっててやるのやめて。あと急に真顔になるのも怖いからやめて」
「あーん」
僕が話している間に、夢廻は僕に向かって串に刺さったミートボールを突き出していた。
「聞けよ」
「時間は有限なんですよ。いつだって時間と自分との戦いなのです。限られた時間の中、どのようにして有意義な時間を過ごしていくのか、それが人類における永遠の課題なのです。ですから、さあ」
毎度意味の分からない理論を持ち出すのは夢廻さんの得意技だ。
周囲の視線が集まっているのがわかる。こんな事を教室でしている僕達が悪いのだが、何とも食べにくい。
「確かにそうですね」
僕の表情を見て、一人で夢廻が納得し始める。相変わらず脳内を的確に予測してくる。この場合、当然と言えば当然だが。
夢廻はゆっくりと辺りを見回し、少し大きな声で言い放った。
「皆さん、食事をどうぞ続けてください」
訳:こっち見てんじゃねぇよ
それを聞いたクラスメイトは、各々食事や雑談に戻っていった。
「おい…元々浮いているのに、これ以上浮いたらどうするんだ。教室突き抜けて成層圏突入しちゃうよ」
「新婚旅行は宇宙旅行ですか。流石私の鈴くんです」
僕はいつものように早々に諦め、ミートボールを口にした。
「どうですか?」
「最高」
「もうひとつどうですか?」
「貰おう」
こんな調子で僕は夢廻の手で弁当を完食した。それを見て満足気に頷き、予鈴が鳴った所ですぐに自分の教室へと帰って行った。
恐らく彼女なりに僕を気遣ってくれた結果なのだろう。感謝をいくらしても、し足りないそう思った。
その後、僕と夢廻の噂が校内を駆け巡ったのは言うまでもない。
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