13話 帰る(蛙)

 次の日、特に何事もなく授業を終え、夢廻を家まで送り届けた。これから警察署に行って事情を話すつもりだ。

 先輩は「その方がいいかもね。鈴音ちゃんが決めたのなら異存ないよ。またまた知り合った、ということにしてくれると有難いかな」との事だった。夢廻はついて来たがったが、長丁場になる事が予測されるという理由でゴリ押しして帰宅させた。

 時刻は六時になろうとしている。夢廻がかなりゴネたので予定より少し遅くなってしまった。既にあたりはうす暗くなっている。

 そこで僕のケータイが震えた。恐らく夢廻からのメールだろう。ボックスを開いて確認してみると、意外にも送信者の名前欄には『窯隅ゆうの』と表示されていた。

 内容は非常に明快ものだった。

『たすけてそうこ』

 写真が添付されている。


 そこには精液まみれの窯隅の全身が写っていた。


 瞬時にあの日の出来事が走馬灯のように脳内に流れ出す。

 僕は学校へ駆け出した。

 救助の要請、それに倉庫というキーワード。思い当たるのは体育館倉庫だ。あの事件以来、管理が厳重になったはずだ。鍵の貸し出しにはノートに名前を記入するルールが追加されたと聞く。簡単には出入り出来ないはずだ。それこそ当日に思い立ち、何となくで使用できるほど自由な空間ではない。

 それにあの文章と写真、何かが引っかかる。それが何なのか今の僕ではたどり着けそうに無い。

 倉庫は人気のない場所にひっそりと佇んでいる。体育館倉庫と言っても、体育館からは距離があり、部活で頻繁に使うような用具は収納されていない。体育祭で一年に一度使うようなものばかりだ。それに去年あんな事件があったばかりの場所だ。生徒は近付こうとしない。

 考えながら全速力でその場に向かうと、誰かが倉庫の前に立っているのが見えた。人数が異常だ。視認出来るだけで六人は居る。

 僕はその瞬間、悟った。嵌められたのだ。あの違和感の正体はこれだ。あのメールは、こいつらが僕を呼び出す為に送ったのだ。やっちまった。僕はこういう事になると凄く馬鹿だ。

「お、来たか」

「なるほど。体育館倉庫前かー」

「なるほど、じゃねぇよ。舐めてんだろ」

「いや古典的だな、って思って」

「あ?」

 伏兵は居ないようだ。顔触れを見渡すと、去年のあいつらは居ないようだ。刑務所に居るのだから当然と言えば当然だが。

「これさ、僕が真っ先に警察に連絡してたらどうしたんだ?」

「そしたら逃げるから!」

「窯隅に顔を見られてるだろ」

「見られてねぇから問題無し!俺ら生徒じゃねぇし」

 よく見ると制服を来ている人は一人も居ない。

「馬鹿だろアンタら。それでも僕が証言すれば終わりだ」

「ここで殺すから」

 何処までも頭の足りてない奴らばかりだった。こんな事をして逃げ切れるほど世の中は甘くない。

 というかこいつらの作戦は穴だらけだ。それにリスクが高すぎる。そう、報酬と全く釣り合っていない。

(…おかしい)

 思案する。全てがチグハグな印象だ。

 考えるのは後にしよう。とりあえずこいつらをブチのめす。最悪、時間稼ぎにさえなればそれでいい。

「お前調子ノリす」

 僕はそいつが言い終わる前に、握り拳で鼻の辺りを思い切り殴りつけた。トンカチを振るうように上から下へだ。殺すつもりで全力で振り抜いた。

 結果、そいつはその場に倒れ込んだ。

「テメェ!」

 僕の横っ腹にそいつ等の一人の蹴りがモロに入る。身体は吹き飛び、地面を転がりながら倒れこむ。

 感覚が全てそこに持って行かれるような気分だった。肺から空気が抜け呼吸が上手く出来ないのにも関わらず、更にそのま嘔吐し、苦痛が何倍にも膨れ上がる。

「おえええええっ!」

 情けない音がその場に響き渡る。

「何だよこいつ!やべぇだろ!」

「オイ!大丈夫か!?」

 揺れる視界の中、確認すると、やられた仲間を見て困惑しているのが二人、残り二人は僕に向かって来ている。

 一人は既に僕のそばに居て、もう一撃蹴りをお見舞いしようと足を振りかぶっていた。

 このスピード、距離、タイミング。かわせないと悟る。

 起き上がろうとしていたが、僕は腰の辺りを思い切り蹴り飛ばされ、再度転倒する。

『誰かを守って死にたい』

 今はそれが叶うかもしれない。そう考えると自然と笑みが零れ出す。

「あははははっはははははははははっはっははっははははははははっはは」

 幸いだったのは爪先で抉られるのではなく、足の裏で押すように蹴られた事だった。

 吹き飛ばされる事で相手との距離を取ることに成功する。尚も嘔吐は止まらないが、目線だけは逸らさない。

「あ?どうだ?威勢のいい癖に弱えよなぁ!?あ?」

 蹴りが人間に綺麗に入ると中々気持ちのいいものだ。拳と違って痛めることもないから尚のこと爽快だ。それも大人数で他人をいたぶる時のものであれば最高だろう。そう考えると、やはり夢廻は出来た人間であった事が分かる。

 僕は次の瞬間勢いを殺さず、嘔吐を繰り返しながら地面を這うようにして、話している最中の男に最短距離で接近した。

 普通の人間であれば、疼くまっている程度の衝撃だっただろう。しかし僕は違う。頭の大事な所がおかしい。

「なっ!」

 動かなくなる事を想定していた男は、反応にほんの少しラグが生じる。

 僕は後ろに重心のかかっている男に掴みかかり、右腕に噛み付いた。そして、そのまま肉ごと引き千切った。

「うがあああああああああああああああああ!!!!」

 喧嘩というものは、冷静であることこそが一番の武器だと思っている。僕は『あの日』のこと以外の自分の苦痛を受け入れてきた。

 辛くて、苦しくて、泣きたくて、喚きたたい。それを無限回、受け入れざるを得ない経験。

 幼少期の虐待によって、僕は壊れてしまった。故にこの程度では動じない。

 それに僕とこいつらには決定的な違いがある。

 僕は殺すことを瞬時に選択することが出来る。目を潰し、骨を砕き、肉を割くことに何の抵抗もない。彼らにはそれが欠けている。だから腹を蹴り飛ばすなんていう生温い事が出来るのだ。

「腕が…腕が…」

 腰を抜かし、その場に座り込むそいつに向かって僕は向き直り、股間を思い切り爪先でえぐる様に蹴り込む。余りの衝撃に男は声も出ない。

「ひひひあははっははははははははははははははははははは」

 そして、そいつの肉をわざと音を立てながら咀嚼する。口元から首にかけて全てが血で汚れてるだろう。

「ハァ…結構美味いな」

 恍惚を帯びた表情を忘れない。

「うわあああああああ!!!」

 すると仲間の一人が僕とは逆方向に駆け出した。続いて一人、二人と走り出す。

「おい…待…待っ…」

 腕を食われた男は泣いている。地面に汚物でシミを作っていた。

 ついに残されたのは、殴られ倒れたままの男とお漏らし男の二人になった。

 僕はそれを待っていたかのようによう予め決めていた言葉を肉を吐き捨ててから口にする。

「誰の指示だ?金貰ってるだろ」

 こいつらは僕と面識はない。去年、僕が失明させた奴等の報復である可能性もあるが、それだけではあまりにメリットが薄い。窯隅を強姦出来るとしても、危険が高すぎる。となると金だ。美少女をタダでヤれて、呼び出したたった一人の男を、大人数でブチのめすだけで金がもらえる。そう言われれば揺れる人は出てくるだろう。そこに仲間の報復を理由付けすれば間違いなく落ちる。六人も集まったのは純粋に凄いと思うが。

「フゥ…フゥ…」

 呼吸が上手く出来ていないようだ。一応写真を撮っておこう。

 ダメージが大きく、ケータイを取り出すことに四苦八苦していると、遠くからパトカーの音がようやく聞こえてきた。夢廻が盗聴し、呼んでくれたのだろう。場所をわざと言ったのもその為だ。本来なら到着する前に連絡を入れるべきだったのだが、他ならぬ精液に汚された窯隅を見たことで、そこまで気が回らなかった。

 依頼人の割り出しは、警察の人に話して任せればいいか、と考え窯隅の元へ向かう。体育館倉庫の鍵は開いており、スライドして中に入ることが出来た。

「窯隅…」

 何かにちょこんと座り、満面の笑みで僕を見る彼女がそこにはいた。

「橘くん、助けに来てくれたんだね…メール見てくれた?怖かったけど、頑張ったよ」

「ああ」

「ありがとう」

 そう言うと、そのまま彼女は意識を失った。

 その後、警察の人によって犯人である六人は逮捕された。僕と窯隅はそのまま救急車で病院に搬送された。以前も僕が入院した徒歩二分の総合病院だ。通院している心療内科もこの病院内にあったりする。

 僕は三日ほど入院することになり、夢廻は大騒ぎだった。夢廻の母親である先生も様子を見に来て、僕に情報漏洩の件の謝罪をしてきた。これで親公認になってしまったので、逃れることは出来なくなってしまったのだった。

 それから僕は警察の人に、洗いざらい話をした。メールを貰ったこと、男達に暴力を働いたこと。男達には依頼主がいる可能性に気付いたこと、だ。それから本来言いに行くつもりだった通り魔のことも伝えておいた。

 処分は追って下しますと言われ肝を冷やした。何せ六対一ではあったが過剰防衛もいい所だ。今度こそ終わったな、と思っていたが、またまた僕にはお咎めがなかった。事件も大きく取り上げられる様子はない。意味が全くわからない。

 依頼主に関してだが、これはすぐに見つかった。

 高宮スグル。僕に因縁をつけてきたあの男こそが黒幕だった。彼は金で男達を雇い、僕を貶めようとした。結果はご覧の通りだ。彼も今は警察にお世話になっているらしい。実行犯より計画した犯人の方が罪が重い、というのは本当なんだろうか。

 更に体育教師が芋づる式に逮捕された。彼は高宮に体育倉庫の鍵を提供していたらしい。担任である蛙原先生との一件で僕に恨みを持っていた事が原因だそうだ。

 やはり何処で恨みを買っているかは分からないものだ。

 今後は早朝の訪問者には十分注意が必要だ。そう思った。

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