9話 予感
次の日の土曜日。
僕は健全な方のバイト先に来ていた。
仕事は古本屋の店員だ。古本屋と言っても、某大型書店のようなものではなく、爺さんが半分趣味で個人経営している小さな本屋だ。僕は趣味が高じてこうして店番をしている。
僕が店内でいつものように軽い掃除をしていると『すみません』と話しかけられたような気がして立ち上がった。
「どうしました?」
営業スマイルを返すと、目の前に細身の男が立っていた。
彼の瞳孔が少し開いているのに瞬時に気付く。
(薬、か?)
僕は素人なので判断はつかない。
いつものように相手の観察を始める。誰にでもするわけでは無い。接客業で毎回しているのは何より大変だし、情報は無駄になる可能性が高いからだ。
身長は175センチ程度だろう。髪は黒髪でパーマがかかっている。たれ気味の目に、柔和な笑みを口元に浮かべている為、一見して優しそうな印象を受ける。イケメンと言ってしまって全く問題は無いだろう。白いシャツの上に黒のジャケットを羽織っており、濃い色の細身のジーパンを合わせている。靴は赤いデッキシューズだ。注目すべきは服装の質だ。恐らく高価なもので揃えている。チラと見ただけでブランドものであることが予想できる。ジャケットは三万、靴は二万くらいだろうか。裕福であることが予測出来る。
「本を探しているんです」
「どのような本ですか」
「なかなか振り向いてくれない人を振り向かせたいんですよ」
古書店で何を言っているんだろう。ここはカウンセリングコーナーではない。
こういう足りない言葉を発して、相手にその言葉の意味を理解して貰えるのが当然だと思っている人は多い。そしてこういった人の多くは、理解して貰えないとなると、全てを相手の責任にして憤慨する。
面倒ではあるが、先ほどのあの瞳、刺激しないのが得策だろう。
「そのような作品をお探しだということですか?」
「そうですね」
どうやら当たっていたみたいだ。
「因みにお相手の方の性格などはお分かりですか?似たような人物の登場する作品の方が参考になりやすいかと」
こういう客は意外に少なくない。フィクション作品から自分の現状の打開案を探すのは結構有効だったりする。
僕は幼少の頃、絵本や小説の世界に逃げ込んで度重なる虐待から身を守った。特にあの女の子に貰った本は恐らく三桁にのぼるほど読み返した。そしてそれに救われた。現実と本はそれくらい密接な関係性を持っていると思っている。
「背が高くて、髪が長くて、美しくて、強くて、気高いんだ」
心酔したように彼は言う。
「なるほど。だとしたらこの辺ですかね」
僕は見繕った本を手渡す。
「どうも」
ろくに説明と受けず、彼は本を受け取り、会計をして帰って行った。
こんな一言を残して。
「またね。橘鈴音くん」
僕はその言葉で全てを理解する。これはまた面倒な事に巻き込まれた。
そして僕は呟く。
「やっぱり夢廻さんはモテるんだな」
先程のことを考えながら本の整頓をしていると、また誰かが話しかけてきた。
「あの、もしかして橘くん…?」
声をかけてきたのは小柄な女性だった。
「こんにちは」
誰だか知らないが一応挨拶を返しておく。不純なバイトでは沢山の女性と会った。恐らくその中の一人だろう。
「アルバイト、ですか?」
「ええ、まあ」
プライベートで関係を持ちたくはない。だが話しかけられてしまったのだから仕方が無い。
「感心ですね」
「どうも」
言い回しがどうにも気になる。
「この間は、ごめんなさい」
「気にしてませんよ」
何の事だろうか。全く身に覚えがない。
「橘くんは、私を助けてくれた事がありましたね。優しい生徒だと分かって居たのですけど、怖がったりして教師失格です」
生徒…?教師…?
「ああ。先生だったんですね」
今更になって僕の担任だという事に気付いた。学校では髪を上げて、メイクが違ったので別人の様に見える。
「え、今気付いたんですか!」
「はい」
「酷いですよ…」
「先生美人ですね。髪下ろしていた方がいいです」
「せ、先生をからかうものではありませんよ!」
怒り出す姿は教師というより女児の様だ。年上の女性を目の当たりにすると、適当に褒めてしまうのは不純なバイトの悪い癖だ。これを続けていくと夢廻に怒られるかもしれない。直そう。
「すみません」
「もう!では頑張って下さいね。週明けに会いましょう」
「はい」
そう言い残して蛙原先生は去って行った。
向き直り仕事を再開しようとすると、誰かに見られている様な感覚に陥る。まとわりつく様な感覚が全身を襲う。夢廻ではない。一体誰だろう。
「橘くん!」
「窯隅か」
話しかけてきたのは紛れもない、先日会ったばかりの窯隅ゆうのだった。先程の感覚は窯隅だったのだろう。
彼女を観察する。いつものように左目には眼帯をつけている。服装はカーディガンにロングスカート、それにブーツを合わせたカジュアルなものだった。立っていれば周りの注目を引くくらいには可愛らしい。
「え、なんでここに?もしかしてバイト?」
「ああ偶然だな」
「ボクここに何回か来てるけど、見たこと無かったよ?」
「週に二回くらいしか入ってないからな」
不純なバイトをメインにしていたので、回数は少ない。しかしそちらを辞めてしまったのでこっちを増やそうか考えている所だった。
「あ、そうなんだ。橘くん本好きだったの?」
「まあな。そういう窯隅もか」
「うん。そうなんだ」
お互いにそんな事も知らずにあんな事に関わったのだから本当に不思議だ。
「どういう本を読むんだ?」
特に話すことがないのでとりあえず聞いておく事にする。
すると意外に趣味が合うことが分かり、打ち解けることが出来た。最初は少し固かった彼女も、徐々に笑顔が増えていくのがわかる。
一通り話し終えると、窯隅が何やら神妙そうな顔で何か言いたげにしている。
「どうした」
「あの、さ。今日バイト何時までなの?」
「五時に上がる予定だ。あと三十分くらいだな」
「そ、そうなんだ。もし良かったらなんだけど」
「うん」
「この後、ご飯でもどうかな…?」
今、僕のそばに居るのは危険なのであまり一緒に居るべきではない。しかし折角立ち直ったので、そこに水を指すようなことはしたくない。
恐らく今も夢廻はこの会話を盗聴している。直ぐにでもここに特攻してくるだろう。とりあえず夢廻を待つことにする。
「…」
「…?」
来ない。
だとすれば、帰ろうとするその時にいつの間にか横に居るパターンだろう。その時は三人でご飯を食べて帰ればいい。来ないならそれはそれで後で怒られればいい。そうだ。
「いいよ。もう少し時間あるけどどうする?」
「い、いいの!?あと宮ノ業先輩とは本当に何にもないんだよね?」
「おう」
今の所は。
「ふふ。そっか!あ、店内見て待ってる!終わったら声かけて!」
そう言いながら窯隅は上機嫌で店の奥へ消えて行った。波乱の予感しかしない。
仕事を終え、立ち読みをしていた窯隅に声をかけ、店の外に出る。
そこで例のごとく超高校級のストーカーに襲撃される、と思っていたが店外はシンと静まっていた。
「おかしいな…」
「どうしたの?」
「いや、いつもこの辺に猫が居るんだが今日は居ないみたいなんだ」
つい口に出てしまったので、誤魔化すのを忘れない。因みに猫を見たことはない。黒い猫みたいななのはいつも側に居るんだが
「そうなの?なんだー見たかったなー猫ちゃん」
「いつか会えるだろ」
そう言いながら歩き出す。
夢廻にも私用はあるだろう。家の用事がない時は僕の監視、と言っていた。それでも何の連絡もなく来ない、というのはおかしい。
僕はケータイを取り出した。アドレスを交換して以来、一日数十単位でメールが来るのだが、今日は来ていないようだ。
「悪い。一通メール打っていいか?」
「ん?いいよ!」
窯隅に許可をもらい、メール作成ボタンを押す。
内容は…そうだな。無難に『今日は来ないのか?』でいいだろう。
メールを送信する。
「よし待たせたな。何が食べ」
ヴーヴーヴー
言い終わる前に着信がある。メールのようだ。開いてみると早速夢廻から返信が来ていた。五秒くらいしか経ってないんだけど…
受信ボックスを開き、内容を確認する。
『申し訳ありません。今日は私用でそちらに行けそうにありません。今日も好きでした。明日のデート楽しみにしています p.s浮気は斬首』
「ふう…」
空を見上げる。既に暗くなってきていた。星が綺麗だなーあの星の一つに僕もなるのかなー
「どうしたの?大丈夫?」
窯隅が心配して声をかけてくる
「悪いなんでもない」
「ねえ、連絡先教えてよ!」
僕のケータイを見て、窯隅が目を輝かせて言う。
断るのは不自然だ。ここは教えるしか選択肢はない。
「もちろんいいよ」
僕たちは連絡先を交換しあった。
そう言えばメールアドレスも知らなかったのだった。去年のあの時、直接連絡を取れていれば何か違う結末があったのだろうか。
「よし、飯に行くか。何か食べたいものはあるか?」
「それじゃあ…」
窯隅の提案でラーメン屋に来ていた。
なんでもあまり行ったことがないので行ってみたかったらしい。
ギトギトのラーメンを美味しそうに食べる美少女はとても輝いていた。
食べ終わり、店から出てみると、外はもう完全に暗くなっていた。
「美味しかったー!」
「だな。窯隅って外見に似合わず結構食べるんだな」
「そういうこと言わないでよ!」
「悪い悪い」
こんな風に彼女と笑いあえる日が来るなんて思いもしなかった。僕は柄にもなく感傷に浸りそうになった。
「ねえ、橘くん」
「ん?」
「ありがとう」
「ラーメンなんていつでも連れてってやるよ」
「ううん。それもなんだけど、色々!」
色々という言葉には重みがあるように感じた。
「いや、僕こそ」
僕こそ感謝をしている。窯隅と和解出来たことで、過去の出来事もまとめて気が楽になった。
あの日、僕を捨てて転校して行ってしまった女の子。あの少女にまた会えた時、こんな風に笑いあえる日が来るかもしれないと思えた。
「私、橘くんが…」
瞬時に言葉の先を予測する。夢廻も聞いているし、何より僕の周りは危険だ。それを言わせる訳には行かない。ならば…
「何か言ったか?そういや日も伸びて来たな」
僕は鬼になる。『秘技聞こえなかったぜ』
「う、うん。そう…だね…」
窯隅は俯きながら言う。
タイミングも完璧だ。これで切り抜けられるはずだ。悪い窯隅。
他の人間であれば、別にどうなっても構わない。死んでも怪我しても何とも思わない。しかし窯隅には幸せになって欲しいと思っている。わかってくれ。
「そろそろ帰るか。最近物騒だしな」
「うん…」
そう言って僕は窯隅を家まで送り届けたが、最後まで彼女は元気がなかった。
窯隅と外で会うべきではなかった、と反省した。何かあってからでは遅いのだ。もし次に彼女が傷付けられるような事があったとしたら、僕はそいつを許さないだろう。早く事態を解決しなければならない様だ。
ーーもう、夢廻に直接聞くしかない。
帰宅し、荷物を置きベッドに座り込んだ瞬間、僕のケータイがバイブレーションを発した。着信の様だ。
「もしもし」
「鈴くん」
「どうした?」
相手はもちろん夢廻だ。僕が帰宅し一息つくまで待っていたようだ。音だけで判断している辺り、やはりプロだ。
「お疲れさまでした。今日はお会い出来ないのでお話ししたくなってしまいました」
「そういうことか。用事は済んだのか?」
「いえ…用事はまだ継続中です」
彼女の用事とはなんなのだろう。僕の周りの女を殺すこと、だろうか。
夢廻は僕には殆ど嘘をつくことはない。彼女が意図的にそうしている、というのを感じ取れる。嘘はつかず『隠し事をしています』というサインを送ってきて、僕の判断に任せる、という手法を取って来る。僕には、それがとても信用の出来る行為に思えた。
「そうか。何だか疲れてないか?平気か?」
「いつも鈴くんは優しいです。大好きです」
「やめろはずかしい」
「鈴くん」
意を決したように、夢廻は喉を鳴らした。
「明日のデートの最後、私の秘密を一つ、お教えします」
「そうか。僕も君に話がある」
「…わかりました。では、明日駅前で」
「ああ」
「おやすみなさい鈴くん。今日も明日も明後日もずっと愛してます」
通話が終了する。
夢廻の秘密とはなんだろう。
人を殺している、そのことだろうか?他にも考えられる事はある。むしろそっちのほうが可能性は高い。だが事が大き過ぎて、他の可能性が霞む。
僕はこんなに客観的な判断が出来ない人間だっただろうか。
その日は早めに床に就き、入眠剤を飲んだ。でなければ眠れそうになかった。意識は混濁して、いつの間にか眠りに落ちていた。
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