8話 鉾先

 夢廻の襲来から早くも五日が経っていた。既に授業は通常の時間割に戻っている。

 夢廻は、毎朝僕を迎えに来るようになり、帰りは僕の帰宅時間に何処からともなく現れ、二人で通学路を歩き、放課後もべったり僕に張り付いている。とはいえ『何処へ行きたい』であるとか『何をしたい』などはあまり言ってくる事はないので、居心地は悪くない。もし何かを要求されえも、検討してしまいそうなほど僕は彼女を認めはじめていた。

 麻倉はあの日以来、体調を崩し学校を欠席している。翌日すぐに謝罪をしようと思っていたのだが、今だに出来ていないというのが現状だ。次に会ったときには必ず謝るつもりでいる。

 そして、僕は今日も帰宅部としての義務を全うしようと、自宅マンションへの道を歩いていた。勿論、右隣には宮ノ業夢廻が歩いている。

 あの日、事務所に訪れ、僕の知る二人の人間が死んだと聞いた後、僕は先輩に『鈴音ちゃんも気をつけた方がいい』と忠告を受けた。それはごもっともだ。

 どう考えても連続通り魔事件の犯人は夢廻だ。どれをどうパズルを組み合わせても、誰がどう考えても、そうとしか考えられない。バイトのことだけは知らない、と言っていたのも怪しすぎる。

 しかし、僕には彼女が犯人であるとは思えなかった。

 夢廻は僕に隠し事をしている、それは分かっている。だが、夢廻は犯人ではない、と僕の勘が言っている。それ故に、ついに僕は先輩に夢廻の事を話すことはなかった。

 もし万が一、夢廻が人殺しであったならば、僕はどうするだろうか。それを考えてみる。罪のない人を殺めた彼女に対し、僕はどんな行動を取るだろう。初めはただ殺されてあげるつもりだったが、いつの間にかその考えは何処かへ行ってしまって居た。夢廻には幸せになって欲しい。そう考え始めてしまっている。ならば警察に引き渡し、法によって裁かれる、それが一番良い方法だろう。最悪、正しくはないが僕の手で裁くことも出来る。あるいは…

 僕は答えが出せなくなっていた。

「鈴くん」

 僕は名前を呼ばれ、意識を引き戻された。

 僕が黙って歩いていれば、黙ってついてくる彼女が、あちらから声をかけてくることは珍しい。

「どうした?」

「あれ」

 彼女が指差した方を見ると、ほんの数十メートル前を歩く私服の男女のカップルが何やら騒いでいる。

「きゃーーっ!!」

「風すげぇ!!!」

 どうやら突風に見舞われているようだ。風に煽られ服や髪が乱れている。

「すごくないですか」

「なにあれ…大袈裟だろ」

 僕たちの歩いている場所は全く風が吹いていないので、何も起きていない。

「リンコ、オレに掴まれッ!!」

「ミチオくん!!」

「うおおおおおおおお!!マジやべえ!!」

「やばっ!!」

 完全に茶番にしか見えない。

 突風で看板などが飛んで来て大怪我をすることも少なく無いし、本人達は至って本気なので全然笑えない状況なのだけど、僕たちの周囲は穏やかな風が吹いているだけなので、笑えてきてしまう。

「リンコォ!!」

「ミチオくん!!」

 カップルは尚も叫びあい、終いには抱き合い出した。

 次の瞬間、目の前のカップルの女性のスカートがめくれ、下着があらわになった。

「お」

 眼福な光景に思わず感嘆の声が出てしまう。

「見るの禁止です」

 夢廻が僕の目の前に手をかざし、視界を遮ろうとしてくる。

「見えないだろ」

「禁止です。見たいなら私のをどうぞ」

 そう言いながら自分のスカートをめくり始める。細い太ももとストッキングから透けた下着が露わになり、僕は目を奪われた。

「いい子です」

「しまった」

 目の前ではまだカップルが突風に煽られ騒ぎ続けている。

「あれ、やりませんか」

 夢廻が無表情で言う。意味が全く分からない。

「やるって…」

 僕が言い終わる前に、夢廻が僕の方に倒れこんでくる。

「風、すごっ」

「…」

「飛ばされる…鈴くん…」

「いや無風だから!」

 夢廻はそんなツッコミを無視して、尚も無表情で僕に抱きついてくる。

 身体に押し付けられた柔らかいものに驚く。ブラと下着とブラウスとブレザー越しなのに、柔らかいの分かる。よく漫画などで柔らかいものが当たったのを服越しに感じるというのを僕は今まで馬鹿にして来た。そんなわけないだろ、と。服着てるんだから、わかるわけないだろ、と。あれは本当だったんだ。

 僕を自分の存在を恥じた。そして夢廻のそれがとても凶悪な代物であることを知った。

「オイ…離れろ…」

「嫌です」

 このままでは僕のなけなしの理性が崩壊する。それだけは避けたい。

 恒例の如く両手で引きはなしに掛かるが、キッチリホールドされていて全く外せない。

「必死すぎるだろうが」

「鈴くんいい匂いです。鈴くんの肋骨を感じます。鈴くんの首…肩…鎖骨…」

 僕の体に夢廻は自分の体を擦り付けてきた。

 完全にトリップモードに入っている。こうなった夢廻は厄介だ。

「ちょ…本当にやめてくれ…」

「チュー」

 夢廻が顔を寄せてくる。こいつ本気でやる気だ。

「なんで風が強いとキスしそうになるんだよ…!関係ないだろ…!」

「風とかこの際、どうでもいいです」

「欲望に忠実!」

 僕達が騒いでいるうちに、前のカップルが暴風域を抜けたようで、楽しそうに話をはじめた。

 その次の瞬間、僕は突風に当てられ身体が揺らぎそうになった。

 ブオオオオオ!!

「風すげえ!」

 僕は数秒前の彼らと全く同じ言葉を無意識に発していた。

 彼らの反応は大袈裟ではなかったんだ。名も知らぬカップルよ、申し訳ない。僕は自分の存在を再度恥じた。

 その次の瞬間、夢廻は僕を拘束から解き、両手で僕を守るように支えてきた。

「大丈夫ですか」

「今やるべきだろ」

「鈴くんを危険から守るほうが優先です」

「それにしたって普通逆だろう…」

「これでいいんです。鈴くんは軽いので本当に飛んで行ってしまいます」

「そんなに軽くない。夢廻の方が軽いだろ。そんだけスタイルいいし」

「…私を怒らせたいようですね」

「なんでだよ!」

「鈴くんが細すぎるんです」

「いや僕は結構筋肉ついてるぞ」

「では見せてください」

「やっぱりそうなるのかよ…」

 などと言い争いながら歩いていると、いつの間にか暴風域を抜けていた。

 もう少し他人を信じよう。それから、やはり夢廻さんは怒らせないほうがいい。教訓を得て僕は今日も賢くなったのだった。


 *


 そんな二人を眺めている人物がいた。

 朝日ヶ丘高校の制服に身を包んだその人は、苦虫を噛み潰したような顔で独り言をもらした。

「なんなんだあいつは…」

 嫉妬、憎悪、嫌悪、全ての感情が入り混じったような感情を、制御出来ないようだった。

「夢廻さん…」

 熱を持った瞳で夢廻を見つめながら彼は街に消えて行った。


 *


「すごかったですね」

「だな」

 風に吹かれ教訓を得た後、僕と夢廻は特に意味のないことを話しながらマンションまで帰ってきていた。

「ただいま」

 子供の頃、僕は家に一人で居ることが多かった。「おかえり」と言ってもらう為に、僕は家に誰も居なくても帰宅すると必ず「ただいま」を言う癖をつけた。施設時代はおかえりと言ってもらえるようになって嬉しかったものだ。

「ただいま帰りました」

 そう言いながら当然のように後ろから夢廻がついてくる。

「自然すぎるだろ」

「そろそろ一緒に住みます?」

「それは早い」

 僕は思わずツッコミを入れる。

 本当に夢廻相手だと調子が狂う。こんなに僕は快活な性格だっただろうか。彼女と出会うことで僕は変わりはじめている。

「愛に時間は関係ありません。それに私の鈴くん歴はかなり長いです」

「言ってること正しいけど、一方的なのは問題にならないのかな…」

 とりあえず廊下から部屋に移動することにする。

 僕がベッドに座って一息ついていると、廊下から声が飛んでくる。

「飲み物何がいいですか?」

「グワバジュース」

「水でいいですね」

「オイ」

 普段飲み物で散々ボケる癖に僕に付き合う気はないらしかった。

 夢廻がテーブルの上にコップ(100円均一ショップ産)を二つ置き、僕の隣に座った。自然かつ近い。

「どうぞ、水道水です」

「本当に持ってきやがった…」

「冗談です。これお茶です」

「こんなに透き通ったお茶はねぇよ!純然たる完全な水だろ!」

「人間は贅沢に飼い慣らされてしまう。それはとても良くないことです。水が飲めること、それに対する感謝を忘れてはいけない」

「え、うーん…」

 何を言い出すんだこいつは、と思うが、確かにその通りではある。

 日本では水道水を飲むことは普通であるが、海外では飲むことが出来ない所が多いと聞く。感謝を忘れてはいけない。それに水は命の源。僕は愚か者だった。

「僕が間違っていたよ夢廻」

「そうでしょうとも」

 そう言いながら夢廻は水道水の入ったコップを手に持ち、口をつけ飲んだ。

「ふう…次亜塩素酸カルシウムが効いてて飲めたものではないですね。短的に言うと不味い。私はお茶を飲みますので二つとも遠慮せずにどうぞ」

「…」

「どうかしましたか」

「ふざけんな!全部飲め!」

 結局、僕は夢廻にコップ二杯分の水道水を飲ませたのだった。

「というか放課後は毎日僕の部屋に来る気か?」

 乱闘が終わった後、僕は気になっていることを聞いてみることにした。

「ご迷惑であるのようならやめます」

 水で膨れたお腹を触りながら夢廻は返してくる。

「いや、迷惑ではないよ」

「そうですか。嬉しいです」

 夢廻が微笑む。

 彼女は無表情であることが多いが、嬉しいときには嬉しいと言ってくれる。それが凄く有難いし、僕も嬉しくなる。

「でもずっと僕のそばに居て飽きないのか」

「ありえません。人生、約80年と考えてあと60年、日数にしてニ万一千九百日、時間にして525600時間、秒数にして31536000秒。それしか鈴くんといられないのです。一秒だって無駄には出来ません」

「十分すぎると思うが。というか一生僕と居る気か」

「勿論です。愛してますよ、鈴くん」

「愛が重い」

 気持ちは嬉しいのだが。

「そういえば明日は土曜だな。夢廻は週末はいつも何をしてるんだ?」

「家の用事がないのであれば、鈴くんの監視です」

「そうか」

 もう突っ込まない。

「日曜は空いてるか?」

 僕は土曜日はバイトをしているので予定を入れられない。いかがわしいものではなく、もう一つの健全な方だ。

「もしかしてデートのお誘いですか?行きます。待ち合わせはどこにします?駅東口の階段付近でどうですか?」

「落ち着いてください…」

「違うんですか…?」

 残念そうな顔で僕の目をみてくる。

 彼女は話すときに目をしっかり見てくるので、時々吸い込まれそうになる。

「いや合ってる。何処かに遊びに行けたらな、と思ってた」

 相変わらず僕の考えの先を行くので驚く。

 僕は休日に夢廻と出かけてみたいと考えていた。平日は基本的には常に一緒に居たので、休日くらいは一人の時間が欲しくなるだろう、と考えていたのだが、そんなことはなかった。

 一人の時間も好きだが、それはもう飽きるほど楽しんだ。

「嬉しいです。私、幸せです」

 笑顔は紛れもなく本物だ。目には涙が溜まっているようにも見える。

 彼女の秘密は未だに分からない。調べれば分かることはあるだろうけど、僕はまだそれをしていなかった。彼女の秘密を暴くことが、彼女の事を傷付けると考えたからだ。この笑顔を壊したくはない。そう再認識する。

「大袈裟だよ。何かしたいことはあるか?」

「…」

 夢廻が急に黙り込む。

「どうした」

「やりたい事が多過ぎて」

「少しずつ消化して行けばいいよ。映画とかどうだ?」

「いいですね。鈴くんの見たい映画はあのホラーですね?私も気になっていました」

 ホラー映画を見たいと思っていることを話したことは無い。そんな事まで把握されているとは。

「なら決まりだな。日曜日にさっき言っていた場所に一時集合でいいか」

「はい。楽しみで五臓六腑が炸裂しそうです」

「映画より病院行こうな…」

 その後はいつも通り夢廻が作ってくれた夕食を食べ、一通り雑談を楽しんだ。そして迎えの高級車に乗って夜9時くらいには夢廻は帰宅した。

『僕の家に居るのであれば、必ず迎えを頼む』

 これが僕が彼女に唯一出した条件だった。

 もし彼女が通り魔でない場合、一番狙われる可能性が高いのは夢廻だと考えたからだ。

 彼女が帰った後の静まりきった部屋に一人で居ると、夢廻の事ばかり考えている事に気付く。

 一人は楽だ。

 誰かと一緒に居ると、その人の機嫌を損ねないよう、その場で最善の発言や行動を無言で要求されているような圧迫感を今でも感じる。間違いなく昔の名残りだ。別に今は相手のご機嫌取りなんて必要な時にしかしないし、気に入らないのなら直ぐに行動を起こす。だけど今でも人と居るのは苦手だ。

 でも夢廻は違う。いつも僕を思いやってくれていて、変に気を使わず、使わせない。それでいて彼女自身も無理をせず、僕といることを心から楽しんでくれている。無言でいても気まずくはないし、退屈でもない。

 数少ない趣味である読書をしていると、時刻は深夜の一時をまわっていた。本を閉じ、部屋の電気を消す。

 少し前であれば、僕は『あの日』に怯えて直ぐに眠りに着くことが出来ず、入眠剤に頼っていただろう。しかしそうやって夢廻の事を考えると、不思議と不安は襲ってこなかった。そして僕は次第に眠りへと落ちて行った。

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