7話 社燕秋鴻

 夢廻の料理は最高だった。

 日頃、僕は一人で食事をする。たいして興味のないテレビを見ながら食べる夕飯には味がしない。栄養摂取以外の価値が根刮ぎ失われているかのようだった。しかし夢廻と軽口を叩きながら食べる夕飯には、味がするということに僕は気がついた。

 率直に言ってしまえば、とても楽しかった。

 その後、二人で皿を洗い、テレビを見ながら束の間の休息を楽しんでいると、夢廻がこんな事を言い出した。

「スクール水着」

「…ん?」

「スクール水着、略してスク水」

 なぜ略し始めたのだろうか。というかテレビを見ていていきなり『スクール水着』と呟き出す人は間違っても正常とは言えない。

「だな」

 何に同意をしているのかは自分でもよく分からない。だがそうだ。スクール水着略してスク水。間違っても『スル着』などといういやらしい略し方はしない。

「好きなんですよね?」

「その話題かよ」

 僕の隠しているエッチな本の話だ。やはり内容まで把握されていた。

「好きか嫌いかで言えば、間違いなく好きだな。完成された衣服だよあれは」

「見たいですか?」

「何を言って…」

「中学の時のが家にあります。今度着てみせます」

「普通はこういうのって、男の方が、なぁ〜!ちょっとスク水きてくれよ〜!たのむよ〜ね?って気持ち悪く言い出すものだろ」

「うわ」

「引くなよ」

 夢廻は常に無表情だ。口で言い合いをして勝てるとは全く思えない。

「冗談です。それで、持ってきましょうか」

「こんなの誘導尋問だろ」

 この際、言葉の使い方が合っているか間違っているかは問題ではない。こんなのは始めから選択肢が無いのも同然だ。

「では持ってきますね」

「いやそこは、では持ってきませんよ?って焦らしてくるパターンだろ」

「私は鈴くんが喜ぶことをしたいんです。これは私の意思です」

「そう…ならお願いします」

 なら仕方ない。

 そんな会話をしているうちに気付くと時刻は九時をまわっていた。

「そろそろ帰らなくていいのか?明日も学校だし」

「そう、ですね。あまり遅くなってしまっても良くないですね。そろそろお暇させて頂きます」

「送るよ」

 ストーカーを家まで送り届けようとしているよくわからない図がここに完成しようとしていた。

「お気持ちだけ受け取っておきます。二分で着きますし、大丈夫です。鈴くんはお家にいてください」

「駄目だ」

「…少し待っていてください」

 彼女は少し考えてから、スカートのポケットからケータイを取り出し、何処かに掛け始めた。

「…?」

 通話をすぐに終了し、僕に向き直る。

「迎えを頼みました」

「なるほど。それなら安心だ」

「心配、してくれているんですね。嬉しいです」

 夢廻は内面こそ、こんなのだが、外見は美少女だ。しかも今は特に何があるか分からない。何かあってからでは遅いのだ。

 もし彼女に何かあったなら、僕は必ず犯人に報復するだろう。復讐は何も生まない。それは分かっている。分かっていて僕は動くだろう。

「アドレス教えてくれよ」

 どんなタイミングで言っているのだろうか。夢廻のケータイを初めて見たからふと思って言ってしまった。

 彼女はおそらく僕の番号もアドレスも知っているが、僕は知らないという不思議なことが現在進行形で起きているので、是非そんな状況は解消しておきたいという心情からくる発言と考えれば、不自然ではないだろう。

 本当のところ心配だと素直に伝えるのが気恥ずかしかっただけだが。

「いいんですか?アドレスを聞かれた、ということはメールをしても良いということですよね。覚悟してください。迷惑になると思って、ずっと我慢していたんです。とても嬉しいです」

 メアドを聞いただけで覚悟を欲されるこの狂気、お分かりいただけるだろうか?僕はパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。

「わかった。よろしく頼む」

「家に着いたらすぐに送ります」

「今日は疲れたから、すぐに寝ると思う。返事は出来ないかもしれない」

「わかりました」

 その直後、彼女のケータイに連絡が入った。

 どうやら迎えが来たようだ。マンションの下までは見送りに出ることには、夢廻も了承してくれた。

 すると一台の高級車が停まっているのが目に入った。僕は車種に詳しくないのでよく分からないが、明らかに周囲から浮いている。

「まさか」

 彼女が振り向いて僕の瞳を真っ直ぐに見つめてくる。いつもは死んでいるのに、その時は凄く綺麗で澄んだ瞳に見えた。

「今日は本当にありがとうございました。色々と迷惑を掛けてしまってごめんなさい。また明日会えると嬉しいです。今日も明日も明後日もずっと好きです」

「君は本当に何者なんだ」

「まだ秘密、です」

 少し困ったような顔の中に、例の憂いが隠れていることを僕は見逃さなかった。『まだ』ということは、いつか教えてくれる日が来るんだろう。それまでは、無用な詮索は必要ないかもしれない。

「それと」

「…?」

「私は、貴方を救うことを絶対に諦めません」

 それはきっと宣戦布告だった。

「ああ」

 そのまま彼女が車に乗り込み、走り去る。

 僕は数時間ぶりに一人になったことになる。

「さて」

 そう呟くと、僕は部屋へ戻り、着替えをする。そしてケータイをベッドに置き、財布から札を三枚取り出しそっと音を出さないよう部屋の扉を閉め、夜の街へ歩き出した。

 目的地は決まっていた。昼過ぎに夢廻と訪れたバイト先の事務所だ。

 ビルの四階に着き、部屋の扉の前に移動する。そして、インターホンを押した。

 ピンポーン!

 やっぱりティンロン以外は駄目だ。ティンロンこそが最高の音色だ。ピンポンなんてあり触れた音になんの価値があるのだろう。そのような不快な呼び出し音はこの世から消えて欲しい。ピンポンダッシュよりティンロンダッシュの方が絶対に強い。言葉の響きも愉快度も段違いだ。家に帰ったら自分で鳴らそう。

 そんなどうでもいい事を考えていると返事があった。

「はーい!今出ますから待っててくださーい!」

 能天気な様な、言ってしまえば軽薄そうな声が飛んでくる。

 暫く待っていると、扉の奥から物音が聞こえてきた。

 ガタッ!ガタッ!

 悪戦苦闘しているようだ。急を要しているわけではないので、落ち着いて欲しい。

「誰ですかー?」

「僕です」

「僕僕詐欺ですかー?」

「そんかダサい詐欺しません。鈴音です」

 言うと同時に扉が開く。中から金髪の男が顔を覗かせていた。

 身長は確か181センチと言っていた。かなり長身の部類だ。僕は小柄なので見上げる形になる。体重は『ヒ•ミ•ツ☆』と言っていたので知らないが、細身ではある。整えられた眉と細い目に口元には胡散臭い笑顔を年がら年中貼り付けている。今は風呂上がりの様で、上下黒のスエットに身を包んでいた。

 間違いなく、僕の世話になっている施設時代からの先輩だった。歳は僕より5つほど上だったはずだ。

「おお!鈴音ちゃんじゃんか!どした?」

「昼過ぎに一度来たんですけど、居なかったので」

「あー来てくれてたんか。悪いねー」

「事務所に居ないなんて珍しいですね。何かあったんですか」

 何か不測の事態が起きたと僕は予想している。今日中に尋ねておきたいと思ったのは、それが引っかかっていたからだ。

「それねー…ま、とりあえず立ち話もなんだし、入ってよ!」

「失礼します」

 内装は、部屋の中心に細長い机があり、その左右にはそれぞれ真っ黒なソファが置かれている。部屋の奥にはデスクがあり、社長椅子が置かれていた。典型的なヤクザ事務所だ。

「今日も目が死んでるねー」

「うるさいですよ。というか相変わらずの部屋ですね」

 部屋を進みながら感想を漏らす。

「いいでしょー!」

「ワクワク感はやばい」

「やっぱ鈴音ちゃんはわかってる!」

「掛け軸とか飾ればいいのに」

「それねー…悩んでるんだよね」

「とは?」

「どんな文字にするのか、さ」

 正直なんでもいいと思う。雰囲気を壊さない程度ならの話だが。僕はソファに腰掛けながら適当に考えを口にする。

「温故知新とかその辺でいいじゃないですか」

「駄目だよ!そんな在り来たりなのは!もっと殺伐とした感じじゃないと!」

 殺伐か…

「社燕秋鴻」

「しゃえ…何それ」

「出会いと別れ、みたいな意味です。この世で一番悲しい事は離別ではないかと」

「それいいねー!鈴音ちゃんが人と関わりたがらないのってそういう理由?出会いが無ければ別れも無いもんね」

「さあ…どうなんでしょう」

 出会いが無ければ別れも無い。その通りだ。僕は面倒だという理由を免罪符にして本当の所は怯えているだけなのかもしれない。強烈な別れは後悔しか生まない。『あの日』がそうだった。こんなに辛いなら出会わなければ良かった、そう感じてしまう。

「そろそろ本題に入りませんか」

「そうだね」

 次の瞬間、部屋の空気が変わった。先程まで胡散臭い笑顔を貼り付けた先輩は、真剣な顔になっていた。

「少し、面倒なことが起きたんよ。鈴音ちゃんにも無関係じゃないから丁度いいから話しておくね。というか近いうちに呼ぼうと思ってたんよ」

「面倒なこと…?」

 昨日と今日でどれだけの面倒ごとに直面しただろう。それに僕に関係があると言う。

 僕はバイトとプライベートは完全に別けている。バイトで話したり、買い物をしたりした奥様と連絡を取り合ったことは一度もない。それを徹底している。だが見方によってはそれも立派な浮気だ。旦那さん側にバレたことによって、訴えられたか何かで、今日はその後処理に追われていたに違いない。僕に関係する面倒ごとなんて、それ以外考えられない。何てことだ。僕は頭を抱えたくなった。

「連続猟奇通り魔殺人事件。知ってるよね?」

「ん?ええ、まあ」

 予想外の言葉に、素っ頓狂な声をあげてしまった。

 今何故、それが出てくる?全く理解出来ず混乱してしまう。

「ニュース見てないかなー。殺されちゃったんだよね、鈴音ちゃんのお得意さん」

「…なるほど」

 そういう繋がりか。ニュースは見ているが、相手の顔も名前も殆ど覚えずバイトを終えることが多いので、気付かなかった。

「それも二人。今日はその関係で警察に出頭してたんだよねーだから事務所に居なかったってわけ。あ、安心して!鈴音ちゃんまで話が行くことはないよう手を打っておいたから」

「そう言うことでしたか。お疲れ様でした」

「迷惑な話だよねー。商売あがったりだよー!しっかし鈴音ちゃんは動揺しないね。知ってたの?」

「知らなかったです。動揺もしてますよ」

 死んでしまった二人には悪いが、顔も思い浮かばないのでなんとも思えない。

「あはは。そんでーここからが本題!」

 これより大事な案件が有るのだろうか。嫌な予感しかしない。だがここまで来たら聞くしかない。

「なんですか」

「脱いで!」

「は、はあ!?」

「今すぐ!ハリー!ハリー!」

「な、何でですか!意味わかりませんよいきなり!というか先輩、そっちの人だったんですか!」

 長い付き合いだが、全く知らなかった。女の人を相手にし過ぎて、飽きてしまったのだろうか。何てことだ。僕は今日、大人になってしまう運命にあったのだ。

 僕は夢廻に襲撃された時よりも焦っていた。

「違う違う!鈴音ちゃんって時々すごい馬鹿だよねー!」

 そう言われて、僕は先輩の意図していることに気付く。

「…いや、そういうことか。だったらその必要はないと思います」

「へえ?」

「僕はさっき着替えたばかりです。ケータイも財布も持って来ていません。靴も普段履かないサンダルで来ました。ですが一応、脱がせて貰います。これで、盗聴の心配はありません」

 サンダルを脱ぎ、素足になる。そしてそのサンダルを入念に踏み付けてから部屋の隅に放った。

「なんだー残念ー!ていうか鈴音ちゃん鋭過ぎだよ」

「オイ」

 僕のバイト先のお得意さんが二人殺された。『二人も』だ。これは異常事態だ。偶然で片付けるのは無理がある。となれば。

「僕は電子機器に疎いからねー解除とかは出来ないんだ。そんなもの無い可能性の方が高いけど、一応ね!考えすぎだよねー!でもその様子だと、何かあったみたいだね」

「ええ。ありましたよ」

 僕の周囲で何かが起きている事は決定的に明らかだ。先輩はそれに気付いた。そして、一つの結論に至った。

「やっぱりかー!鈴音ちゃん、ストーカーついてる?」

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