6話 莢蒾

 少し離れた場所にある牛丼屋に入店し、軽く食事を済ませた。

 夢廻は、初めての食券機や、僕が大量に載せた紅ショウガなどに驚いていた。そんな所を微笑ましく思いながら、店を後にする。

 その後、近所のスーパーで買い出しを済ませ、僕たちは、自宅マンションの下まで来ていた。

 そこでまた誰かに見られているような感覚に陥る。

 他人の顔色を伺う、ということは、瞬時に場の空気を察知することでもある。誰がどんな気分で、どんな感情を僕に向けているのか、というのは両親に虐待されていた僕とっては文字通り死活問題であった。故に誰かに見られている、ということにも敏感になっている。

「またですか」

 少し遅れて夢廻もその気配に気づく。

「誰だ。出てこい」

 望み薄なのは分かってはいるが一応、声をかけてみる。何処に居るかは分からないが、声の届く範囲にはいるだろう。

「排除しますか」

「いや僕が行く」

「いえ、私が」

「……頼む」

 言い合っている時間が無駄だと考え、僕は彼女に一任した。さっきの事が響いているのだろうか。絶対に折れないのだろうな、という印象を受けたからだ。

 そして言うと同時に夢廻は迷わず駆け出していた。

 とんでもない索敵能力だ。僕にはさっぱり分からなかった。夢廻が走るのを初めて見たが、運動神経の良い人のそれだ。長い髪を揺らしながら、瞬間に目的の場所に到達する。本当に何者なんだよ。

「怪我はさせないでくれよー」

 大丈夫だとは思うが、念の為言っておく。

 夢廻は一切の躊躇なく、背の高い草むらの中に右手を突き入れた。

「っ!!」

 同時に悲鳴が上がる。どうやら捕まえたようだ。

「制圧完了」

 少し大きめの声で僕に合図してくる。夢廻さんは怒らせないほうがいい。本当にこえーよ。

「足速いな」

 ケータイを取り出し110番をプッシュしていつでも掛けられるようにしながら僕は彼女と不審者の元へ歩み寄る。右手にはケータイ、左手には買い物袋、という格好だ。

「中学時代は陸上部だったんです」

「なるほど。というか悪いな。勢いで任せてしまったけど、これは本来僕の仕事だった」

「いえ。私は鈴くんを守るためにいます。全く問題ありません。私が言い出したことですし」

 うつ伏せの不審者の左腕を上に引っ張りながら、夢廻は相変わらずの無表情で返答する。

「次こんなことがあったら僕に任せてくれ」

 ……無いことを祈るが。

 限界まで近付いて覗いてみると、僕たちの高校の制服、それも女子の制服を着た人物が横たわっていた。髪は黒く短めだ。

「僕は今から警察に電話をかける。一秒とかからない。こちらには僕と彼女の二人分の証言がある。無下にはされることはないだろう。それにここ最近は物騒だからな、そういうのには敏感になってる」

 僕は顔の見えない不審者に声をかける。

「あ……あ……」

 夢廻に転ばされた時の痛みに喘いでいた。

「聞こえてるか? 三秒以内に返事をしろ。電話をかけるぞ」

「はい……はい……」

 恐怖に不審者が慄く。

 よく見るとこの不審者はものすごく小柄だ。

「よし。目的はなんだ?」

 僕が質問をしている間、夢廻は黙って不審者を拘束している。

 こういう時に沈黙に徹してくれるのは、事態の収拾に一躍買うので非常に助かる。こういった圧倒的に自分たちが有利な立場に立った場合、必要のない暴言を吐いたり、過度な暴力行為に走る人間が多いのだが、彼女はあくまで冷静に務めている。花丸をあげたい。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「答えになってないな」

「私、橘くんが……ごめんなさい……」

 いや待て。僕の名前を知っている?小柄?まさか。

「顔を見せろ」

 僕はそう言いながら顔を覗き込む。

 本当は顔を上に向けるために顔を掴もうかとも思ったが、指を食い千切られる可能性を考慮して、やめておいた。次に前髪を掴んで持ち上げるという案も思い浮かんだが、あまりに非人道的に思えたのでそれも却下した。

「夢廻」

「はい」

「離していいよ」

「わかりました」

 理由を聞くことなく、不審者、もとい僕の知り合いである少女を解放する。

「何をしているんだよ。窯隅(がまずみ)ゆうの 」

 間違っても友人ではない。ただの知人だ。

 ――僕はこいつに拒絶されたのだから。

 左目に眼帯をした泣きべそをかいた少女。紛れもなく、去年、僕がイジメから救い出した彼女がそこに居た。

「窯隅ゆうの……」

 夢廻が彼女の名前を呼ぶ。

 そこには敵意ではなく、他に思う所のあるような、何か僕には理解の及ばない感情を孕んでいるように思えた。

 夢廻は僕のことをなんでも知っている。当然、去年の事件についても知っている。僕が学校全体から腫れ物のように扱われる原因になった、夢廻が僕に興味を持った、あの一件だ。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 窯隅はひたすら謝罪の言葉を口にしている。

 こちらが危害を加えられることを考慮して、この対応を取ったが、見ての通り彼女は誰かを傷つけることの出来る人間ではない。

 ――そしてそれ故に、イジメの標的にされた。

 事の発端は、なんてことない。窯隅ゆうのは、常に左目に眼帯を着けている。医療用の白い普通のやつだ。眼帯は非常に目立つ、ということと小動物のようでとても可愛く男受けする容姿をしている、ということ。更に大人しい性格であるということ。この三つが重なり、当時三年生の女の先輩に入学から早い段階で目をつけられていた。

 初めは女同士の陰湿な嫌がらせだけであったそうだ。それが三ヶ月の間に徐々にエスカレートしたある日、イジメをしていた三年生の友人である男数人が窯隅を放課後、体育館倉庫に呼び出した。


 ――そして、彼女は輪姦された。


 それを知った当時クラスメイトであった僕が男共を粛清した、という話だ。

 僕と男共は乱闘になり、僕は左頬骨と肋骨をニ本骨折した。相手はと言うと、三人は全身に大怪我を負い、そのうち二人はそれぞれ右と左の目を失明した。眼帯をからかって遊んだ彼らの眼球を、僕がこの手で抉ったからだ。

 その後、血だらけの僕はその足で三人の溜まり場の町外れにある廃工場を放火した。この時、沢山の目撃者が居たことが今に繋がっている。この目撃者の中には、窯隅自身も含まれており、その際に彼女は血だらけの僕を見て怯えながらこう言った。

『こんなの頼んでない。来ないで』

 事件は窯隅が強姦被害者であったこと、相手の男たちの素行に普段から問題があったこと。彼らが僕を何故か訴えなかった事、などからあまり大きくならずに処理された。

 彼らと主犯格の女は、その後、学校を退学した。窯隅は登校を拒否するようになり、それから一年間学校に来ることはなかった。僕は退院した直後、何度か彼女の家に行ってみたが全く会うことが出来ず今に至る、という話だ。

 思い出してみても、僕の行動はイカれている。本物のキチガイだ。夢廻から言わせてみれば、これも自壊衝動の成せる技であろう。

 正直な話、僕は死んでも良かった。いや、運良く死ねればラッキーだと思っていた。こういうことは二度目であるし、完全なるヤケクソだった。そして何より奴らが許せなかった。

 絶対に警察のお世話になると思っていたし、それでも全く構わないと考えていた。そうならなかったのには、必ず何かしらの理由があったに違いないが、今でもそれは分かっていない。

「謝罪はもういいから。なんでこんなことをしていたのか教えてくれ 」

「ボク、あの、橘くんに謝りたくてここまで来て……」

「様子を伺っていた、ということか」

「うん……ごめんなさい……許して貰えるとは思えないけど……」

「というか君、登校してきていたのか」

「留年、しちゃったけどね」

「そうか」

 去年のあの出来事は僕の中ではとうに終わっている。僕は彼女に拒絶された。出来ることは何もない。元々、僕は彼女と友達でもなんでもなかったし、話したことも殆どない他人だ。

 不審者の正体も判明したし、僕的は早々に切り上げたいところだ。左手に持った買い物袋も良い加減手に食い込んで痛い。

「それじゃ、もうこんなことするなよ」

 背を向けて歩き出そうとする。

「ま、待って!話が、したい」

 構隅が震えた声で僕を呼び止める。

「去年のことなら気にしなくていいよ。もっと早くに君を助けるべきだった。ごめん。僕がやったことも、ただのエゴだし君が気に病むことはない。君は被害者だ。僕はそれを救えなかった、それは本当に申し訳ないと思う」

 一気に捲し立てるように要件を話し終える。

 この件に関しては何も思っていないが、過去の『あの日』のこととリンクするので、余り話したくはなかった。

「いこう夢廻」

 相手の発言を待たずに夢廻を呼ぶ。

「まってください、鈴くん」

 それまで黙っていた夢廻が、僕を呼び止めた。

「どうした?」

「彼女の話をもう少し聞いてあげて欲しいです。お願いします」

 全く思いもよらなかった人物から、思いもよらなかった言葉を耳にし、僕は少し驚く。

「…」

 何が目的だろう。さっぱり分からない。

 彼女は謝罪した、僕は言うべきことを言った。もう無関係だ。僕の経験から予測する夢廻は、僕を避難した窯隅に対して噛み付いても良さそうなものだが、それもしない。

「…」

 考えても答えが出ないので、夢廻の言葉に従うことにする。

「わかった」

「ありがとうございます。鈴くん」

 夢廻は、深々と頭を下げた。

「やめてくれ。僕も少し冷たくあしらい過ぎた」

 夢廻に止められ、少し冷静になる。

 小学校の事件が頭に過ると、僕は冷静でいられないようだ。指を折られても爪を剥がされても皮膚を削がれても冷静でいられたのだけど、これだけはやはり駄目だ。

「窯隅、悪かった」

「ううん!謝らないで!ボクが突然来て、ボクが悪いもん」

「お詫びと言っては何だが、ウチに寄っていかないか。話は長くなるだろうし、買ったものをそろそろ冷蔵庫に入れておきたい」

 肌寒い春とはいえ、こう天気がいいと心配になる。

「いいの?」

「勿論」

「鈴くんと私の愛の巣へようこそ」

「露骨に正妻アピールすんのやめろ」

「ありがと。橘くん」

 御礼を言う窯隅を立ち上がらせる。

 目立った怪我は特にないようだ。夢廻さんは僕の言葉を忠実に守ってくれたようだ。

「えっと、さっきはごめんなさい。それから、ありがとうございました。ボクは窯隅ゆうのです。留年しちゃってるので、一年生です」

「初めまして、宮ノ業夢廻です。三年です」

「あ、あの宮ノ業先輩ですか」

 去年不登校だった窯隅にも知られてる夢廻は芸能人か何かなのだろうか。この際、聞いてみることにする。

「知ってるのか?」

「うん。ボクはすぐに学校に行かなくなっちゃったからあんまり詳しくはないけどね、去年、ボクのクラスでも話題になったはずだよ。知らないの?凄い美人のせんぱいがいるーって」

「へえ。知らなかった。変人として有名、とかじゃなくてか」

「オイ」

「あはは。橘くん、宮ノ業先輩と知りたいだったんだね。もしかして、彼女、とか?」

 伏し目がちに聞いてくる。

 恐らく、僕に好意を持った目だ。どんな種類の好意かまではわからない。

 他人の心の動きに敏感であるということは、良い事ばかりではないと思う。『知る』ということは即ちそれを考慮した対応が必要になるということに他ならない。

 例えばAという人間が居たとする。Aは人知れず動物の虐待を趣味とする狂人だ。それを知らなければ、緊張することも無ければ、相手を刺激しないように振る舞う必要もない。ただ気楽に接すればいいだけだ。しかし、Aの爪の間に『凝固した血液』を見つけてしまった場合。知らなかった時と同じような対応が取る事に躍起にならなければいけない。『気楽』を演じなければならない。それは苦痛以外の何物でもない。

 世の中は知らなければ良かったと思うような残酷な事実で溢れかえっている様に思う。僕の考える『弱い人』とはそういった感覚が鋭く、尚且つ不器用な人間だ。窯隅もそんな『弱い人』に当たると思う。

 そんな事を考えつつ、僕は当たり障りのない言葉を口にする。

「いや違うよ」

「妻です」

「つ、つまーーーー!?け、結婚してたの!?」

「信じるな。この人は妄想癖があるんだ」

「いえ、本当です」

「真顔で嘘をつくな。昨日会ったんだ。結婚なんてするわけが無い。というかよく考えろ。僕らの年齢で結婚はまだ出来ない」

「な、なんだ……嘘なのか……」

「続きは後にしよう。こっちだ」

 僕が率先して歩き出す。これは長い一日になりそうだ。


 Ⅱ

 部屋につき、まずは食材を冷蔵庫にぶち込む。二人には先に部屋に入って待っていてもらっている。

「飲み物、何がいい?」

 廊下から声をかける。

「伊○衛門」

「なんでもいいよ」

「全員綾○でいいなー」

 夢廻のボケを無視して三つのコップにお茶をつぎ、部屋へ入る。

 ベッドには当たり前のように悠々とくつろぎながら夢廻が、奥の窓際の床に申し訳なさそうに窯隅が座っていた。当然の様に夢廻が居ることに少し笑いそうになりながら、お茶を中央のテーブルに置く。

「ありがとうございます」

「ありがとう」

 二人が同時に御礼を言う。

「夢廻さん、慣れすぎだろ」

「男子三日会わざれば刮目してみよ、と言います」

「会ってから一日、男子では無い、刮目しない」

「箇条書き風に無感情にツッコミするのやめてください。あと刮目はしてください」

「てことは、昨日会ったってこと?」

 窯隅が僕達に質問を投げ掛ける。

「ああ。何だかそんな気がしないんだがな」

「前世からの絆、ですね……」

「まだそれ言ってんのかよ!時空の断裂?だっけか?」

「鈴くん!真面目にお願いします。地表に帯びた磁気がですね……」

「話は聞かせてもらった。人類は滅亡する」

 二人で下らない雑談をしている時の内容だ。

「仲良いんだね……」

 窯隅は複雑そうな表情を浮かべている。上手く笑えない人が無理矢理笑おうとした時になる表情だ。

 退屈?疑問?困惑?嫉妬?真意は分からない。だが話題を切り替えた方が良さそうだ。

「そんな事はない。そう言えば窯隅の担任は誰だったんだ?」

 ここには一年、二年、三年が集結して居ることになる。となれば共通の話題は教師だろう、と考えた結果だった。本当の所、担任などどうでもいい。第一、教師の顔も名前も覚えていない。

「赤坂先生だったよ」

「体育教師のですね」

「ああ、あの、ね。体育教師のアレね」

 僕が話題の避雷針になってこの雰囲気を掻き消す作戦だ。先程の麻倉の時の様になるのは勘弁願いたい。

「橘くん知らないんでしょ!」

「失礼だな知っているに決まってるだろ。あのハート型のサングラスを胸に下げてる人だろ」

「そんなファンキーな教師は居ません。去年、赤坂先生とも鈴くんはいざこざを起こしている筈ですが」

「清廉潔白、無味無臭、優美可憐な僕がそんな問題を起こす訳がない」

「どの口が言ってるのかな……」

「優美可憐なんて造語をサラッと言えてしまう鈴くん流石です」

 夢廻はただ僕を褒めたいだけだという事が今はっきりした。

「橘くんの担任は誰だったの?」

「名前は……知らないけど小さな女教師」

「蛙原先生ですね。彼女とも鈴くんは去年いざこざを起こしているはずですが」

「橘くんは問題児だね…」

 呆れた様に窯隅が感想を漏らす。

「全く覚えがない」

「先程の体育教師が蛙原女史に関係を無理に迫っている所に鈴くんが遭遇したあの事件ですよ」

「アレか」

 思い出した。相手が小さいので今まで生徒に迫っていたのかと思っていた。

「それでどうなったんですか?」

 窯隅が興味津々であるように話に乗ってくる。

「鈴くん必殺の理論武装、もとい脅しでねじ伏せました」

「悪いヒーローだなー」

 あの時の女生徒はあの女教師だったのか。何か言いたそうにしていたのもそれ関係だったのかも知れない。

「鈴くんは弱い人を放っておけませんからね」

「弱い人、か」

 窯隅が何かを含んだような笑顔を零す。

 そして、決心したように、真面目な顔を作り、僕の方に向き直った。

「去年、ボクのために怒ってくれてありがとう。それから、あの時あんな事を言って本当にごめんなさい」

「気にしないでくれ。さっきも言った様に、あれは僕が勝手にやったことだ」

「ううん。違う。あれはボクの為にしてくれた事だった。そんなきみに、あんな事を言うなんて、最低だよ」

「……」

「……」

 僕と夢廻は沈黙する。

 どんな顔をしているのか気になって夢廻の表情を盗み見ると、物凄く真剣な表情で話を聞いていた。いや最早、必死と言ってしまってもいいかもしれない。何か思う所があるのは間違いない。しかし今の僕ではそれが何なのか、検討もつかない。

「あのことが起きる前日、ボクは橘くんに全部話したよね」

 たまたま教室に残っていた僕は、たまたま教室で泣いている窯隅を、たまたま目撃してしまった。

 ──そして、たまたまではなく、僕の意思で全てを聞いた。

「初め、ボクはキミに話したことを後悔した。こんなことになって、キミを恨んだりもした。それから三ヶ月経って、半年経って、話した事は良かったんだって思える様になった。ボクの為にあんなに必死になってくれる人が居てくれたんだって思って、キミに救われた。そして、そこでやっとキミを傷付けたということに気付いたんだ」

 彼女は優しい。優し過ぎる。

 彼女は一方的な被害者だ。イジメは、イジメられる側にも原因がある、という人が居るが、僕はそれは違うと思っている。イジメはイジメをする側が悪い。それ以外に答えなんてない。

 彼女は、ことを大きくしてしまった僕を今でも憎んで恨んでいてもなんら不思議では無い。矛先が違うと思う人も居るだろうが、その程度の誤差すら全てひっくるめて許されるほどの圧倒的な被害者だ。そんな彼女が、僕を傷つけてしまったと気を病んで謝りに来た。

 もはやそれは異常と言って差し支えないだろう。

「怖く、なかったのですか」

 夢廻が窯隅を真っ直ぐに見据え、質問をした。

「え?」

 質問の意図が読み取れず、窯隅が困惑した表情を浮かべる。

「貴女は鈴くんを傷付けた。それも許されない時に、許されない言葉で。鈴くんに会って、それを打ち明けて謝罪する、それは途轍もない恐怖のはず。自分の為に戦ってくれた、自分だけのヒーロー。彼に憎まれているかもしれない、嫌われているかもしれない。それこそ気が狂いそうなほどの恐怖のはずです」

「そういうことですか。勿論怖かっですよ。でもこのままじゃボクはボクをを許せそうになかったんです」

「凄いね……貴女は優しいだけではないんだ」

「ボクは橘くんに強さを貰ったんです。だから、これから強く生きて行くって決めたんです」

「そうか……そう言ってくれると嬉しい」

 僕は感想を漏らす。

 窯隅は、僕なんかよりもよっぽど強い。僕は彼女が眩しい。それこそ直視出来ないくらいに。

 彼女ような、自分が弱いということを嫌と言う程に知っていて、それでも足掻こうとしている人が僕は大好きだ。そういう人の為に死にたい。

「……」

 夢廻は黙って何かを考えている。

「困ったことがあったら言ってくれ。力になる」

「ありがとう」

 決意を宿した眼で、窯隅は謝罪ではなく、感謝の言葉を口にした。

 その後、彼女は何度も御礼を言いながら帰っていった。

 夕食を食べて行かないか、と誘ったが、今日は家族と食べる予定があるとやんわりと断られてしまった。すき焼きをするそうだ。送っていこうか、とも聞いたが『大丈夫!』と元気に断られた。

 僕は彼女が完全に立ち直ったとは思わない。すぐに挫ける時が来るだろう。その時には必ず僕の手で救いたい。次こそは彼女の為に……そう思った。

 二人きりになった室内で、夢廻が一言漏らした。

「私にも、彼女の強さがあったなら……」

 今にも泣き出しそうなほどの小さな声だった。

 何だって?とは僕は返さない。

 ここで聞こえなかった振りをして、彼女の弱さを見なかったことにするのは簡単だ。でも僕は弱い人を放っておけない。

「夢廻には夢廻の良さがある。窯隅には窯隅の良さがある。もし自分では譲れない場所に欠点を見つけてしまったのなら、少しずつ向き合って行けばいい。急ぐ必要はない。それに、僕でよければ力になる」

「そういうところが、好きです」

「……僕は最低だ」

 そうだ。僕はヒーローではない。利己的な理由で彼女に干渉しただけの偽善者だ。自覚ある偽善ほど醜いものはないだろう。

「違います。方法には確かに問題はあったかもしれません。でも、それでも彼女を確かに救いました」

「……」

「もし最低でも、私だけは貴方のそばにいます。それすら、愛します」

「欠点まで愛すなんて、甘やかしすぎじゃないのか」


「そういう人が世の中に一人くらい居てもいいじゃないですか」


「そう、だな」

 そうかもしれない。いや、本当にそう思う。

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