5話 ヒズミ

 帰り道、当然の如く彼女は僕についてきた。家の方向は同じだそうだ。徒歩二分とか言ってたな。僕も別に嫌ではないので特に問題はないが、誰かと帰ったことは今迄無かったので、なんだが不思議な気分だ。

 通学路は人通りの少ない道が多い。道路の横には、細いながら川が流れていて、耳をすませば水の流れる音が聞こえてきて非常に心地がいい。梅の木は既に開花しており、見た目も華やかだ。

「平日にこの時間に帰るのって気分いいな」

 時刻は午後一時。歩きながら何気なく、彼女に声をかけてみる。

「そうですね。天気もいいですし」

 普通の返答が帰ってくる。

 真横を歩いている彼女の顔を盗み見てみる。彼女の方が背が高いので、少し顎を上に向ける格好になる。

 長い黒髪が歩くたびに揺れていた。それに少しの時間、見惚れてしまう。普通にしてたらとても美しく可愛らしいんだがな。

「でも、もし雨や雪が降っていたり、台風やゲリラ豪雨や豪雪が起きていても、私の気分は最高ですけどね。鈴くんと一緒に居られるだけで、私は幸せですから。午後の鈴くんも可愛いですよ」

 中身が普通とはかけ離れているのが問題なんだけど。

「本当に君は僕が好きだよな。何処がいいのかさっぱり理解出来ない」

「自分の魅力に気付かない鈴くん、本当に天使です。愛しいです」

「やめろ恥ずかしい」

「照れてる鈴くんも素敵です」

 この人には何を言っても無駄なようだ。

「先のほどは鈴くんに怒られてしまったことに驚いてしまってそれどころでは無かったですが、止めに入った時の鈴くん、最高に格好良かったです。可愛くて、格好いい。これはヤバイです」

 無表情でハアハアと息を荒げ出す。

 変態でもあることも分かってきた。これ以上放置するのもアレなので、さっき考えていた今日の予定を伝えてみることにした。

「それはともかくだな、今日これからバイトを辞めることを伝えに行こうと思っている」

「お供します」

「従者かよ」

 大型犬をそばにつれているような錯覚をする。外見は猫のようであるけど。

「それも間違いではないかと」

 鈴くんに迷惑をかけるな、とか言いつつナイフで切りつけようとしてた辺り、その側面も持ち合わせて居るのんだろうな。

(ナイフ……?)

 ふとここ最近、多発している通り魔は刃物を使って通行人を切りつけている、という情報を思い出す。

 夢廻の所持していたアーミーナイフ、つまりは多機能型ナイフはよくある変哲もないものだった。ハサミや栓抜きが飛び出るアレだ。大型ブレードを展開させたら刃渡りは恐らく五、六センチ程度だろう。人を殺すにはかなり苦労しそうな代物だが、やってやれないことはないはずだ。疑いを持っておく必要はありそうだ。可能性はかなり低いように思えるが、彼女が通り魔の犯人でも別にそれはそれで構わない。

 ――ただ殺されてあげるだけだ。

「どうしました?」

「今日の夕食の献立を考えていた」

 少々強引になってしまった感もあるが、なんでもない、と返すよりはマシだろう。なんでもない、のなんでもある率は異常だ。

「…………」

 夢廻にサーチングされている。

「それなら私がお作りします。毎日、とはいかないかもしれませんが。何か食べたいものはありますか?」

 どうやら信じてくれたようだ。何か隠しているのをあえて追求しないでくれた可能性もあるけど。

「ビーフストロガノフ」

 僕は食べたこともない、実際のところよくわからないお洒落料理をあげてみる。僕は普段、カップ麺、ハンバーガー、コンビニ弁当、牛丼、立ち食い蕎麦しか食べない。

 無理難題を押し付けて、諦めさせてやる。素人には中々むずかしいメニューだろう。

「わかりました。用事が終わり次第、スーパーへ向かいましょう」

「え、作れるのか」

「一応、料理は一通り教わっていますので、可能かと思います。家ではよく食べます」

「よくビーフストロガノフ食べる家庭ってどんな家庭だよ」

「それは、まあ、いいじゃないですか」

 なんだこの反応は。初めてかもしれない。

 ここで追及することも出来るが、家庭の事情に深入りするのは良くないだろう。こっちは深入りどころか全部知られてる訳だが。

「別にいいけどさ。じゃあ悪いけどお願いするよ」

「…………」

「どうかしたか?」

「いえ、わかりました。腕によりをかけますよ。口の中を大爆発させてあげます」

「死ぬから」

 一体どんな劇薬をぶち込んだらそうなるのだろうか。恐ろしい。

「そうしたら人工呼吸が必要ですよね。合法的に接吻出来るじゃないですか。私、天才です」

「何から何まで間違ってるぞ。何よりも思考がダダ漏れだ」

 口の中が大爆発していたら人工呼吸とか全く意味をなさない。口そのものが無い。

「バレては仕方がないです。では今、接吻させてください」

「面倒になったら勢いで押して行こうって姿勢は嫌いじゃない」

 恒例の無表情での接近だ。僕は仰け反りながら両手で彼女の顔を掴んで引き剥がしにかかる。吐息がかかる距離だ。

「いいじゃないですか。減るものでもなしに」

「減るんだよ……! 正気度とかな……!」

 あと理性とかな。

「私は神話生物ではないです」

「昨日からの一件を鑑みるに、その主張は全く信用に値しない」

 もし僕がまともな人間であったなら、昨日から連続するこの状況に順応できずに既に発狂しているだろう。

「こんなに愛してるのに」

 僕が折れないことを悟ると、彼女は渋々離れた。拒絶の意思を見せなかったらどうなってしまうんだろう。

「ハァ……ハァ……本当にする気だったろ」

「はい」

 あっけらかんと夢廻は言う。

「いいか? 男子高校生なんて性欲の塊なんだ。性器が二足歩行してるようなもんだ。君みたいな美人を相手にして耐えられる人なんて居ない。僕も例外じゃない。何かあってからじゃ遅いんだ。ふざ……」

「び、美人って……そそそそんな……」

 顔に手を当て照れてしまっている。

「もうどうにでもなれ……そろそろ目的の場所に着くぞ。知っているとは思うが、相手は僕の施設時代からの恩人だ。失礼のないように頼むぞ」

「当たり前です」

 いつも通りの無表情に戻り、無理矢理キリッとし出す。情緒不安定なのだろうか。

「不安しかない」

 目的の場所は普通のビルに入っている事務所だ。僕たちはエレベーターに乗り込み、目的の階である四階のボタンを押した。

「夢廻は、どの程度このバイトについて知っているんだ?」

「何でも知っている、と言いたいところでしたが、生憎殆ど知りません。今朝言った通り、私は鈴くんがこのバイトをしている間、世界と一体化した無の境地に居ましたから。でないと発狂してしまいます」

 あれは冗談ではなかったのか。宗教臭くて怖くて余り突っ込めない。

「へえ、夢廻にも知らないことがあったとは」

「知らないのはこのことだけですけどね」

「だからこえーよ」

「今日の鈴くんのパンツの色は、黒です」

「外したな。青だ」

 知らないじゃないか。部屋の中を盗撮していないのだから分からないのも当然か。洗濯物から着用周期を予測したのかもしれないが、残念だったな。意外に知らないこともあるようだ。

「青ですね。良い情報を得ました」

「それが目的か」

 僕の予想の遥か上を行く策士だった。

 と、そんな会話をしていると、チーンという音と共に、エレベーターが停止し、扉が開く。歩いて少し移動し、事務所の扉の前に立ち、インターホンを押した。

 ピンポーン

「なんだか悪徳金融の事務所のようですね」

「実際、この下の階はそういう所らしいぞ」

「なるほど」

 普通、こういう場所に初めて来て、そういう話を聞いたら少しは怖がると思うんだが、夢廻は全く動揺を見せない。僕の事以外は徹底的に無表情だ。

「おかしいな。留守かな」

 そう言いながら僕はもう一度、インターホンを押す。

「…………」

 全く反応がない。これは間違いなく出払っている。

「珍しいな。今まで居なかったことなんてなかったのに。出直すか……」

「ですね」

「今日のバイトには出られない、と既に電話では伝えているから問題はないと思う。空き時間に連絡を入れておいた」

「偉いです」

 頭を撫でられる。もう拒否することも面倒なので、撫でられたまま続ける。

「事務所に行くことも言っておけば良かったな。いつ行っても居るから大丈夫だと思ってた」

「仕方ないですよ」

「だな。帰るか」

 事務所を後にしようと、一階に降り立った時、誰かに見られている様な感覚に陥った。

 ここは別に森の中ではないので、誰かに見られることは不思議なことでない。だが、なんだろうこの感覚は。明らかに僕達を見ているようだ。

「見られて、ますかね」

「気付いてたか」

 非常に有能な夢廻さんだった。

「特に問題ないだろ。スーパー行くんだったよな。行こうぜ」

「はい」

 歩き出すと、その違和感はなくなっていた。なんだったんだろう。

「物騒だな。ここ最近」

「そうですね。私の両親もあまり帰宅を遅くするな、と言っていました」

「そうか。ならサッサと食材を買って帰るか。場所はウチでいいんだろ?」

「はい。予定より早く帰れそうですね。でもこの時間から作って食べると中途半端な時間になりそうです」

「確かにそうだな。というか僕たち今日昼ご飯食べてないよな」

 今日は半日授業だったのだった。直後にあんな事件が起きたことですっかり失念していた。

「はい。どうしますか?」

「今から外で昼飯を食べて、その後買い物をしてゆっくり夕飯を作る、というのはどうだ」

「私の鈴くんの頭は今日も最高に冴えてます」

「せやろが。何か食べたいものは」

「牛丼」

「あるか?」

「牛丼」

「あの、ちょっと」

「牛丼食べたいです」

「好物は牛丼だったのか。紅茶飲みながら窓辺で読書しているようなイメージが粉々に粉砕したぜ」

「違います。でもずっと食べてみかったんです。中々女の子は入りにくいので」

「僕の中の夢廻さんは一人回転寿司とか、一人焼肉屋さんくらいは余裕でこなしてるんだけど」

「それは鈴くんですよね」

「僕は良いんだよ。人生のソロプレイヤーだから」

 天涯孤独であることにも掛けた渾身の自虐ネタだ。プロのぼっちとしてその辺で動揺することはありえない。僕レベルになると、一人でBBQをし出すし、打ち上げでボウリングも一人でこなす。

「私とパーティと言う名の婚約をしませんか」

「解散しようか」

 気を抜くとすぐに求婚を迫ってくるのはどうにかならないのだろうか。

「照れ屋さんですね。とにかくですね、あそこに見える牛丼屋さんにはいりましょうよ。構いませんか?」

 夢廻が指し示す方向を見て、僕は駆け出していた。

「え……?」

 夢廻が珍しく驚いた声を上げるが、それを無視する。

 保育園くらいの年齢の幼児が車道に歩き出していた。そこを乗用車が速度を落とすことなく通過しようとしている。僕はそれにいち早く気付き走り出したのだった。

 この状況、疑問は尽きない。何故こんな場所にこんな時間帯に幼児が居るのか、親は何処に居るのか、何しているのか。そんなの事は全てどうでも良かった。僕はその時見つけたのだ。

 ――――誰かを救って死ねる状況を。

 僕は夢中になっていた。子供を助けたい?感謝されたい?そんな事は二の次以下だ。ただ死にたい。それだけだった。

 これは自殺だ。故に僕の行動に一瞬の迷いなどない。

「■■■■!」

 夢廻が何が言っている気もするが当然聞こえない。

 鞄はとうに投げ捨てた。靴も脱げた。

 頭から突っ込むように尚も車に気付く様子のない子供に向かって飛びこんだ。その一瞬で僕は分かってしまった。

(これは間に合う)

 子供を半ば突撃するように抱え込み、歩道に転がり込む。その際、腰を縁石で強打する。大したダメージでは無かった。

 車はそのまま通過して行ってしまった。

「……?」

 子供が驚く。泣き出す事も出来ない程に突然の出来事だったからだろう。

 身体のあちこちに痛みが走るが僕は気にせず起き上がった。

 そこで夢廻が道路を横断し、走り寄ってくる。

「鈴くん! 大丈夫ですか!?」

「残念ながら大丈夫」

「残念って……」

 夢廻は泣き出しそうな顔をしている。

 僕を心配しての事、僕を救うと言いそれを実行出来なかった事、僕を怒ろうに怒れない事。

 その全てが集約されているような表情だった。

 そこに一人、女性が駆け寄ってくる。

「ユウキ!」

 子供の名前を呼ぶ。どうやら母親は近くに居たようだ。

「ママ!」

「大丈夫?怪我は?」

「へいきー」

 どうやら子供は無事のようだ。なんともお気楽なものだ。

 少し離れた場所で先程の光景を見ていたのだろうか。僕に向かって頭を下げてくる。

「あの、本当にありがとうございました……お怪我はありませんか……?」

「平気です」

 僕は早々に立ち去ろうとする。

 その子の為にしたことではないので、御礼を言われる権利は僕にはない、そう思ったからだった。

「あの……」

 尚も僕に話しかける母親を無視して歩き出す。

「鈴くん……」

 心配そうに夢廻がついて来ていた。

「また駄目だった」

 また、死ねなかった。そういう意味だ。

「もう、こんなことやめてください……」

「…………」

 僕は黙り込む。やめるわけにはいかない。これは僕の唯一の望みだ。

 一度は夢廻を悲しませない選択をすることを決めたが、いざその場に立っていると、その決意は和紙ように脆いものであると分かった。僕にはこれしかないのだ。

「次は、必ず止めますから」

 泣き出しそうな顔から一変して、いつもの無表情の夢廻に戻っていた。

「僕が行かなかったら子供は死んだ」

「それは悲しいことです。それでも鈴くんの動機を考えると、先程の様な行為は容認できません」

 子供の為ではない、ということも夢廻にはお見通しだった様だ。そして彼女は本当はこう言いいたいのだろう。

『子供を見殺しにしてほしい』

 それは駄目だ。

「なら止めてみろ」

 彼女を挑発するように言い放った。

「わかりました」

 ――僕達は、分かり合えない。

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